「偽善者の正義」(本誌未公開新ネタ)
世の中には「弱い者・結果的被害者=正義」と勘違いしている奴らがいる。
特に最近そういう風潮が強くなっており非常に危険である。
別の言い方をすれば、「強者=悪人」という思いこみであったり、
「罪人に対して甘い」ということである。
その全ては、状況を正しく判断せずに、ただ単なる結果から判断する、
幼稚な判断が広まっている証拠である。

先日近所で一方通行を逆走していて警察に追いかけられていたバイクが
交差点でタクシーにぶつかった。
こういう事があると「警察の追いかけ方が悪い」などと抜かす奴が必ずいる。

どこぞでは、書店で万引きして見つけられた奴が逃げて、
踏み切りくぐって電車にはねられた事件があったらしい。
そしたら、追いかけ方が悪いなどと抗議されたあげくにその書店がつぶれた。

本末転倒である。

まずは悪いことをしたことをとがめるべきである。

上記の2件においては、本来的な被害者は危険にさらされた周りの住民やタクシーで
あり、またはそんなことで出動しなくては成らなくなった警察であり、
書店である。それらがとがめられるいわれはない。

悪いことをした結果、どの様になったとしてもそれはその人間が受けるべき業である。
行動には必ず結果が伴い、それは必ず、他ならぬ自分が受けなければならない。

「最近の子供は切れやすいから」などというのは全く無意味な意見である。
切れる方が悪い。そういう子供を作った親が悪い。
いい年こいて善悪の判断が出来ない己が悪い。
そういう方こそ非難されるべきであって、警察や本屋が非難される筋合いはない。

こんな時にいつも抗議をする連中は、やり方の不備をあげつらう。
しかし、実際の場においてどんな判断が出来るというのだ。
行動に対する全ての結果が予測できるならもはや人ではない。
逆に行動を押さえた場合に発生する損害に対して考えが回るだろうか。
危険にさらされたことのない連中は所詮机上の空論しか話せない。

このような馬鹿どもが居るおかげで、
本来的に罪(被害)を受けるべきでない人たちが被害を受けてしまう、
そのことの方がおかしいのだ。

こういう偽善者的正義でものをはなされては非常に困るのだ。

そのほか、国や町など公官庁を相手にする裁判があると、
いつも原告こそ正義のような報道や支援がある。
しかしこのようなときにおいても、よくよく事情を聞いてみると
国やお役社が必ずしも悪いわけではない。

弱者の声に耳を傾けるのは良いことだ。
しかし、それが正義かどうかは別問題である。

最近多いのが、何かが起こったときにその責任を全て他人に押しつける、
原因を他人に求めることである。
昔はアメリカだけのことだと思っていたが、最近では日本でも増えている。
非常に嘆かわしい。

昔の日本人は、まず自分に非がなかったかを考えたはずであり、
それが反省となって明日への糧となった。
ところが今はいかにも自分には非がないように言って、
他人に責任を求めるのだ。

その最たるものが、
・煙はき出して肺ガンになったのを製造会社の責任という
・携帯電話を使っていて脳腫瘍になったのを会社のせいにする
・マクドナルドに通いながら肥満になったと店のせいにする
という裁判である。

よくもこんな馬鹿な裁判が出来るものだと、あきれかえる。
数十年前ならいざ知らず、喫煙の健康被害なんぞ今や常識である。
携帯電話、いや電磁波がが危ないことも知っていて当然である。
マクドナルドの売っているものがどういうものか、知らないで食べている方が悪い。
(という以前に、ハンバーガーとポテトとコーラで栄養が足りると思う方がおかしい。)
そんな常識も知らないでいること自体が罪なのである。
自ら罪を犯しているのに、その責任を他に求めるなんぞ
もってのほか、というより愚劣きわまりない。

責任を明確にする、事実を検証するのは悪くない。
しかし、自分の非もまた検証するべきである。
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