「ゲームの話;ちょっとだけ」(1998/03/02〜03/09)
一部には大いに誤解してる人がいるようだが、
実際のところ、私はほとんどゲームをしない。
ここで言うゲームとは、もちろんテレビゲームの類である。
(パソコン上のゲームや、家庭用ゲーム機。)

昔、そう20代まではたしかにゲームをしたが、最近ではほとんどしない。

理由の1つは、最近のゲームは難しすぎる/時間がかかりすぎる、
おもしろそうなゲームがないなどである。
昔はそれなりに「腕」が有ったので(昔はキーボードで難しいシューティング
ゲームをクリア出来たのである。今にして思えば神業的である。
もはや再現できない。)、難しそうなゲームでもやれたので
どんなゲームでも買えたが、最近は腕が明らかに落ちているので
やさしいゲームしか出来ない。
ルールが簡単なものだけと言うべきか。
最初の5分で飽きないゲームしかやり続けられない。

さらに、ゲームをしている時間がない、というのもある。
平日は夜遅いので、帰って来てからやるにはしんどいし、
第一、そこまでのめり込めない。
昔は残業あとでも、徹夜してでもゲームが出来たのだが、
やはり年だろうか。

そのため、やりたくても出来ないという現状がある。

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現実の理由はどうであれ、一応名目上は「感性が変わった」ためといって、
ゲームに興味がないふりをしているわけである。
いや、実際興味はだいぶ薄れたけど。

でも、ときどき無性にゲームがやりたくなることがある。
月に1度位だろうか。こういうときは、いろいろとやる。
もちろん古いゲームを。

先日も1日で2つのゲームを解き、1つを途中までやった。
(X68のゲームの中では名作の類に入るもの。)
最初の2つは比較的簡単なものだったので何とかなったが、
最後の1つは難しかったので途中までだ。
昔、と言っても3年位前までは最後のものもクリア出来たのだが。

最後のゲーム、実はオリジナルはアーケードゲーム(ゲームセンターのゲーム)
である。1988年、DATA EASTというメーカーから発表された
「闘う人間発電所 チェルノブ」というものである。

名前からして怪しいが、内容も実に怪しい。いや、正確にはゲームの舞台、
ストーリーが怪しい。ゲームそのものは単純なアクションゲームなのだが、
主人公の動きが妙に滑らかだったり、後ろ向きには走れるけど後退は出来ないとか、
敵の出現パターンが非常に巧妙 かつ いやらしくてなかなか難しいのである。

昔クリアしたとき、エンディングを見たが、意外と言えばあまりに意外な
エンディングに驚いたというか衝撃を受けた。こんなのありかって。

最近のゲームにはエンディングに凝ったものも多いようなので
見た目上はすごいものが多いが、このような話上の意外さで不意を突いてくる
ものは少ないのではないだろうか。映画のような話である。

最近の家庭用ゲーム機に移植版があるかどうかわからないが、
もし見かけたら一度ご覧いただきたい逸品である。
腕に自身がある方はぜひプレイして、エンディングを見ていただきたい。

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そういえば、去年の後半からだろうか、昔(15年ほど前)の古い
コンピューターのゲームをX68に移植したりしている。

理由はいろいろあるが、昔のゲームはアイディアが斬新でそれを後生に伝えたい、
プログラミング能力を保つため、というのが主な目的である。

昔のゲームは、いや昔のPCは今のようにグラフィックがきれいであったり、
音がすごかったりといたことはまったくなかった。良くて8色、悪くてモノクロ、
音も短音が普通であった。そうした中で作られるゲームは自然と中身で勝負になった
わけである。

本当に各種、いろいろと出てきた。技術的には今のマシンにならどれにでも
移植できるようなものばかりだが、今のゲームにはおよそないような
アイディアの塊だった。面白いかどうかは別だが。

こういったものを何とか残したい。そういう思いからそれらを自分のマシンに
移植しているのである。エミュレーターという昔のマシンそのものの動きを
再現する環境を作ってもいいが、各ゲームの内容を理解するために、
あえて1から再現するためにプログラムを書いている。

これは、もう1つの理由、プログラム能力を保つ為にもつながっている。
最近は会社では余りプログラムを書かない。現在の仕事はSEというより
アドミニストレイターだし、プログラムもほとんどは外注に作ってもらうからである。
だから、自分で何らかの形でプログラムを作ってないと、作る能力が落ちてしまう
ので、ゲームの移植をしているわけである。

        ・・・

そうそう、自分の持っているマシンの性能を引き出してやるというのもあるかな。
せっかくいいマシンもってながら、その機能のほんの一部しか使えてないから、
ゲームの開発を通じて少しづつではあるが使っていこうかと。
勝ったものは骨までしゃぶる。これ、清く正しい消費者の道。
3カ月で陳腐化するといわれるどこぞのマシンとは違うぞ。
(あれはあれで、ちゃんと使ってやらないユーザーも悪いが。
新しい機種に買い替えたと言っては喜んでる奴らは、実は有効利用できないのを
自分の問題なのにPCの性能に責任転嫁しているのがほとんどである。)

昔のゲームだから、そんなに複雑なものはない。
いや、複雑なものもあるが、そういうものは移植しない。だから、何とか再現できる。
グラフィックも色もほとんど不要。音だけはちょっとだけ必要だけど。
今年の目標は1月1本移植である。

ついこのあいだも1本移植していた。
結構大幅変更したし、初めての技術を大量投入したので苦戦した。
例の「第一子誕生記念」と書いたのはこのプログラム。
これからしばらくは子育てのため休止しそうだけど。
(コンピューターそのものを封印せんといかんかも。)

作ったものはパソコン通信で発表して、ときどき感想をもらったりする。
それがまたうれしい。「また次のものを作ろう」という気になる。
とは言え、最近はネタに困っているのだが。

オリジナルゲーム?
う〜ん、移植できるのとアイディアを一から出すのはまったく別なのね。
生みの苦しみ。

・・・

ということで、普通の人とは違う形でゲームざんまいなのでした。
やる気のある奴には、教えこんでやるぞ!
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