「操り人形」(1993/12/02)
ふと思ったこと。

最近我がままなやつが多い。
私もそうだろう。

が、こういうものには2種類いる。
1つは自己というものも持っていて自分の道を貫くが故に我がままに見えるもの。
1つは自己というものを持っているように勘違いしていて我がままなもの。

本当の自己いうものは簡単に持てるものではない。
そこには自己や他人との葛藤がある。
それには責任が伴い、それと同時に勇気がいる。

流行に敏感なものがいる。
そういうものは「流行に沿った中で自分流をしている」、と本人達は思っている。
しかし、彼らは単なる操り人形にすぎない。

流行というもの、いや、世におおっぴらに流れている情報というものは
そのほとんどが操作されたものだ。
ファッションの流行しかり、「米不足」しかり、MS−WINDOW V3しかり、
そしてバブルも今の不景気もそうである。

このような操作された情報は、大きな力に支えられていかにもそれが真実のように
見せかけられているため、普通の人にはそれを見破れない。
本当の自己を持つものにしか真実は見えない。

操作しているものは笑う。
「彼らは私たちが買っている豚にすぎない」と。

この世は見えない大きな力で動かされている。
多くの点でそれに従うしたがうことはしかたないとしても、
その中でも真実の「自己」を持ち、真実を見つめる姿勢を忘れてはならない。

人が人たるゆえん、それは自分を他人と違う自分として認識できることにある。

それを忘れてはならない。
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