「1900年代の終わりに」(1999/12/27号)
ということで、何と言うことか、もう1900年代も終わりである。
(20世紀は終わりじゃないので、お間違えないように。)

ここで、1900年代の回想などを書いても良いのだが、
どうせ35年ほどだし、細かく書けば書き切れなさそうで、あらく書けば何も書く
ことがなさそうなので、最近思うことをちょっと書いて締めくくるのである。

・・・以下、直接書きで推敲なしなので文章のまとまりはない・・・

しかしまぁ、ここまで「世紀末」という言葉が似合う世紀末も少ないのかも知れない。
(他の世紀末を経験してないからわからないけど。)
冗談抜きに、人類滅亡の危機にあると言っても良い。
人類だけじゃ無くて、地球そのものが破滅しかねない状態である。

人類だけが滅びるなら、それは自業自得であって仕方ない。
日本を見るなら、今の10〜20代前半の多くは、
後20年の内に体を壊して死滅するだろう。
食生活が貧弱で成長期に栄養不足。
その結果、持久力がなく、病気への抵抗力のない体である。
それは脳味噌の発達不足もともない、精神・情緒不安定をもたらしており、
簡単に「切れて」しまう。
社会に不満を持っているようで、結局それに対抗する気力も学力も行動力もなく、
文句を言うだけ。
一人でいることに耐えられない。そういう幼稚な連中がより集まり、
同じであることに安心感を持つ。個性がない。
自分と他人の区別も付かない。

もちろん彼らだけが悪いわけではない。
そもそもはそういう連中を生んだ社会が悪い。
経済界は自分の、目先の利益だけを追い求め、将来像がない。
今儲かれば良い。社員は今使える資源に過ぎず、使えなくなったら切り捨てる。
その家族を養うのは会社ではなく個人の責任にする。
今儲かる短期寿命の安もんを乱発し、ゴミを増やす。
精神的質の向上をめざす物は売れず、高いまま。
「グローバル」「国際化」という詭弁によって自国の理論を他国に押し付ける
アメリカ帝国主義の言いなり。
政治屋もそう。
マスコミもその手先。買い換えを促すための洗脳放送を流す。
低能番組のオンパレードで試聴者をばかにしていく。
ばかになった試聴者はさらにばかな番組を求め、
やがては現実と虚構の区別が付かなくなり暴走する。
今の猟奇事件の多発や偽宗教事件の背景にはこれがある。

アメリカは決して自由の国ではない。自国に有利なことだけを徹底的に押しすすめ、
そうでないことは、詭弁と暴力によって叩き壊そうとする帝国主義国家である。
今の世界の経済的、人的荒廃は、全てアメリカのせいであると言って良いだろう。

アメリカの投資家はその巨大な資金で会社の株価と信用を翻弄し、
さらには国家さえもゆり動かし、さらなる利益をあげようとする。
アメリカの弁護士は、争乱の種をほじくりだし、それで企業を脅して金を
巻き上げる。理論武装した国際やくざだ。
金だけの問題ではない、忘れるべき問題を思い出させることで、人の心まで
かき乱し、相互の信頼を失わせ、未来に向かおうとする目を過去に引き戻す。
アメリカ政府はその手先に過ぎない。

アメリカは戦争はするが、援助には金は出さない。
国連で一番拠出金を滞納しているのはアメリカである。
一番金を出しているのは日本である。
しかるに日本は非常任理事国であり、アメリカは常任理事国である。
二酸化炭素の排出量削減で最後までだだをこねたのがアメリカである。
核拡散防止条約を批准しなかったのもアメリカである。
結局、アメリカは自国の不利益には決して協力しないのだ。
だからそれは「自由」ではなく「わがまま」であると言える。
アメリカは、単なるわがまま国家なのだ。
こんな国に存在意義はない。いや、存在を許してはいけない。

日本や多くの国も、もはやアメリカの手先同様である。
いや、洗脳されていると言ったら良いか。
政治屋はもちろん、経済家や多くの国民がそれが当たり前だと思っているのだ。
戦後60年かけて、アメリカは世界を洗脳した。

どこぞのRight Wing(仮称)どもが「共産党が敵・・・」等と喚いているが、
何と時代錯誤な事か。今や世界に事実上純粋共産主義国家はない。
今の世界を操っているのはアメリカだ。本当に国のことを思うなら、
真の敵の撲滅を考えるべきだ。そう言わないと言うことは、
自分で何も考えてないで大昔の教科書を読むだけの馬鹿か、
彼らもまたアメリカの回し者に過ぎないのかどちらかだ。

これが現在の日本、そして国際社会の現状だ。
人間が馬鹿をやっているだけならまだしも、その活動の挙げ句に
自然を破壊し、地球を破滅させようとしているのだ。
こんな世の中に、このまま続く意義があるのか。
こんな人類に、このまま存続する意味があるのか。

オラクラの一貫した考え方は、「自分の意見を持て」である。
自分の意見を持てるようになることだけが、洗脳から自らを救う術である。

また、人は一人では生きて行けないことを実感することが
人同士や、自然と人ををつなぐ糸を復活させる術である。
「人」は回りによって生かされているのである。

地球人類が、真にこれから先を生きてゆく価値があるのかどうか。
その判断は近い将来、必ず下される。
<戻る>