「本の話」(1995/06/11執筆)
私は余り本は読まない方である。
いや、正確に言えば、今までは読まなかった。

中学まではそれなりに読んでいたし、
大学でも専門書は良く読んでいた。
(宇宙もの、工学専門書、そして会社設立の本とか^^;;;)
しかし、会社に入ってからは、めっきり読まなくなった。

時間がなくなったこともあるが、それよりも人の思考に触れることを
嫌がっていたのかも知れない。(それほどに精神的に滅入っていた時期があった。)

読んでいたのは、余り考えずに読めるもの、単純に笑えるものであった。

 昔の新井素子の小説
 マンガ(竹本泉、安永航一郎、「美味しんぼ」「YAWARA!」)
 Oh!X(コンピューター雑誌)
 旅行ガイドブック

位であろうか。
この他、マニュアル類は良く読んだが、そういうのは
\\^^)こっちへ (^^//置いておく。
(私は元々、週刊誌の類は全く読まない。)

こういうことによる弊害は、語彙が少ないことに出る。
うまい言い回しが出来ないのだ。
だから、何か表現しようとしても、冗長になったり、
表現がいい加減になり、その結果、誤解されることも多い。
(漢字が読めないというのもある。)

そういう私であったが、最近、ふとしたことから、また少し本を読むようになった。
最近読んだ(もしくは現在進行形)のは、次のような本である。
(上から順に、買った順。ダトオモウ)

 ひろさちやの般若心経88講    ひろさちや      新潮社
 良寛〜日本人の心の原点〜      竹村牧男        廣済堂
 20代、自分に自信を付ける心理学              国分康孝        三笠書房
 百人一種の謎                  織田正吉        講談社
 芭蕉                          嶋岡(読めない^^;)       成美堂
 老荘を読む                    蜂屋邦夫        講談社
 良寛=魂の美食家               藤井宋哲        講談社
 源氏物語(上中下;長い!)    与謝野晶子      角川文庫

内容が少し片寄っているかも知れない。

以前は特定の作家ばっかりだったので、本屋にその作家の新作を求めて行った。
最近はふらっと本屋に行って、適度に薄くて内容が面白そうで、
なおかつちょっと読んだ感じで読み易いものと決めている。
(余り分厚いものは、よほど面白くないと、途中で飽きるから。)
そうそう、漢字に振り仮名が多く付いているというのも、
大きな選択要因かもしれない。(^^;;;;;)

小説はあまり興味なし。(昔は金田一シリーズは全部読んだけど。)
ノンフィクションや芸能人ものは全く興味なし。
世間で話題になっているものは、ほとんど読まないということ。
そういうものは、読んだ人に聞けばいいと思っている。

また、内容が他の本の寄せ集め的なものや、
余りにも片寄ったもの、
客観的事実だけで作者の考えが入っていないものなど。
そういうものも除く。

        ・・・

本を読んでいて1つ気付いたのは、
作者が、自分の知識に酔いしれてしまっているものがあるということ。
そういう本は読みにくい。

確かに酔いしれるだけの「知識」は認める。
実にいろいろな面から見ていると思う。
しかし、自分が理解している言葉で書くため、余りにも難しい語彙が
多すぎるのだ。いや、決して私の知っている言葉が少ないと言う
レベルではない。
「これは漢文か?」と思うほど感じが多いのだ。

先に上げた本の中では「良寛〜日本人の心の原点〜」がその例だ。
いろいろな面、信条、心意気、エピソードを上げて説明しているのだが、
その中で、良寛の書いた漢文詩をほぼそのまま使っているため、
実に読みにくい。(しかも漢字に振り仮名が少ない。)

このため、買ってから10ヶ月も経つのに、今だ読み終えていない。
他の本は1週間そこらで読んでしまうのに。
(まあ、厚さも違うが。)
良寛の本が2冊あるのは、そのためである。
(先の1冊ではよくわからなかったので。)

その正反対のは「般若心経88講」だろうか。
難しいと思われがちな般若心経の説く意味を、実にわかり易く
いろいろな例を上げながら解説している。
これは安いし、ぜひ読むことをお勧めする。
宗教嫌いな人にも、これは宗教臭くないのでよろしい。

大学でも、「偉い人が、必ずしも教えるのがうまい人ではない」というのがあった。
知識はあるけど教えるのがとても下手、という先生は多い。
もちろん逆もあるけど、やはりわかりやすいほうがいい。

書いた本人も、「書いた!」という自己満足に終わること無く、
読む人にその内容を理解してもらえることを、第一義として欲しい。
「理解できないものは、
        たとえその人が世間的に偉いとされていても、
                私にとっては只の変人である」
というのは、ある意味で事実なのだから。
(そ、それは私のことか・・・よく自分のことがわかっているじゃないか!)

わかり易くするためにはどうしたら良いか。
1つの方法は、書いた原稿を他人に読んでもらうことだ。
その件に付いて何も知らない他人に。
知っている人では駄目。
その人がわかったというまで、何度でも書き直す。
そういう姿勢が欲しい。

これはゲームでも同じ。
面白いと言われるゲームほど、多くのテストプレイヤーがいる。
「10人のうち3人が面白くない、と言っているゲームは作り直すべし。」
これが鉄則なのである。

本でも、ある程度は同じと思う。
もっとも、余り書き直ししすぎると、作者の個性がなくなるかも知れないので、
そこはそこ、「ある程度」である。

・・・かく言う自分の文章はどうかといわれると、
読みやすい自信はない。
しかし、何度も読んで推考する時間もないしなあ。
(いいわけ。でもこの文章は3回ほど読み直している。)

そうそう、難しい感じには振り仮名を、難しい用語は少なめに、
それも合わせていいたい。(辞書を片手に本を読むなんて出来ないよぅ。)

        ・・・

私は、基本的に、昔の思想本ものや研究ものが好きだ。
たのしく勉強出来るものが好きだというわけだ。
堅苦しいのは苦手。

かつては「COSMOS(カール・セーガン、朝日新聞社)」に感動し、
今は「百人一種の謎」にわくわくする。
研究ものというのは、事実がわかり、それは直接何かの役に立つかどうかは別にして、
面白い。

人から「何の役に立つの?」と言われるような知識を持っていることは、
意外な面で役に立つこともある。
そういった知識は、話しのレパートリーの広さや深さとなってくる。

別に本には限らない。意外と小冊子等にもおもしろい話は多い。
(オタクラでもだいぶ採用している。)
旅行先で地元のエピーソード等を知るには、特にそういったものが役に立つ。
だからどこかに行くたびに、もらえるものには一応一通り目を通すことにしている。

例えば、蛙1匹を見たとして、そこから、
        天気のこと
        環境問題のこと
        芭蕉の俳句
などと、どんどん話しがつながっていくとすれば、
これは聞いている方にも面白い。

話上手でなくてもいいが、話題の広さというものは、
その人の知識の広さも物語るものだ。
それがけっこう人の印象に残ったりするので、侮れない。
人と同じことしか知らなければ、人と同じ話ししかできない。
もしくは1つの話しを誰にでもするようなことになる。
それではやがて飽きられる。
そういうのは悲しいことだ。

「おたく」にまず必要なのは、この「一般には不必要であるといわれる知識を
豊富にもっていること」である。
これなくしては「おたく」にはなれない。
(成れなくていいって?)

小説を余り読まないというのは、こういう話しのネタにしにくいからである。
芸能人ものやノンフィクションものは、一時的なネタにしかならない。
        「結局ネタにしたいために読んでるの?」
そういうわけでもないんだけど。

本を読んだからといって、語彙が増えたかと言えば、そうはうまくいかない。
しかし、思想本が多い分、いろいろと勉強にはなった。

般若心経を死者の弔いの文句だと思っている人が多いと思う。
私もそう思っていた。
しかし、事実は、生きている人への、生きる上での心がけを説いているのだ。
そういうことがわかったのも本のお蔭。

昔から今に伝わる思想の中には、物事の認識の仕方など、
人生を生きる上での教えが実に多い。
そして、この面では、確かに「自分が変わった」と思う。

これからもしばらくは、そういうものを読むこととなろう。
今ねらっているのは、
        宮沢賢治
        空海(弘法大師)
である。
さて、それらは私にどういうことを教えてくれるのやら。
楽しみである。

皆さんの読んだ本で、「これはいい!」というものがあれば、
ぜひ教えて欲しい。
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