「いろは'95」(1995/10/2執筆)
この文章は、新潟県柏崎に田舎を持つ筆者が、大阪の人間に向けて書いた文章である。
そのため、大阪弁があるのはもちろん、新潟県(柏崎)に在住の方には「あたりまえ」
「ちゃんちゃらおかしい」こともあるでしょうが、そこは笑って許して下さい。
   ・・・「い」・・・
いやぁ、ほんとにいろんなことがあったのですよ。
いろいろあったので、これは「いろは歌になぞってネタにすればよいのでは・・・」と
思い立って、そうするわけでありやんす。
1日1ネタで行けば47日間続くけど、そこまでは出来ないだろうから、
1日数ネタで、2週間くらいかな。
しかし、ほんとに47もネタがあるだろうか。
いろは順にするから、出来事が起こった順にはならないです。
また、細切れの話になるので、そのあたりはご勘弁を。
   ・・・「ろ」・・・
ローカルではなくて廊下の話。
田舎の家は田舎の家だから(?)、そこそこ広い。
2階建てで風呂とトイレは、今でこそ棟続きだが
昔は離れていただろうと思われる作り。
便所は大が2つあるけど、昔は家族が多かったから普通。
でも今は1つは使っていない。
もちろん、Natural Free Fall。おつり付き。
庭には小屋があって、農器具などを入れる。
1階の前半分は店の名残。昔薬局をやっていたのだ。
蔵もあるけど、単なる押し入れ状態 (間違っても宝などないということ)。

昔の家なので、廊下と言うか縁側もある。
廊下の端の方を見ると、なにやらペンキを散らしたような白い斑点と
小石のようなものが転がっている。それが何かと言いますと、
これがだんご虫の死骸。白い斑点はふんの跡か?

なぜこんな所にあるのかと思うんだけど、部屋のかどっこにそこら中にある。
廊下が結構多いから、その数も多い。
ああ、台所とか階段の所にもある。木の所にはあるという感じかな。
(海辺の田舎の家にはじゅうたんなんぞない。)
ネズミの食べ残し?という感じもするけど(ネズミもいる)、

部屋の中でのんびりしていると、ときどきどこからともなく団子虫が
部屋の中に現れるときがあるので、ひょっとすると天井裏にでも巣があるのかも
知れない。(いやだなあ。)かさっ、という音がしたと思ったら団子虫がいた、
ということが何度かあった。
庭にはたくさんいるんだけどね、岩の裏とかに。

この謎は子供の夏の自由研究にいいかも知れないので、次世代に解決を譲ろう。
   ・・・「は」・・・
花火。遥か遠く、10キロ以上遠くの花火が見える。
これだけ離れていると音と光がまったく合わないし、一部の音は聞こえない。
なんか変な感じ。

うちの田舎の柏崎では7月の末に柏崎祭があって、そのときには新潟3大花火の1つ
海花火がある。(ちなみに、長岡の川花火、新潟万代橋の陸花火、柏崎の海花火が
新潟3大花火。水面に映る分、柏崎のが一番きれい・・・と地元の人は言う。
その真偽の程は?)
でも、この花火は違う。いったいどこで?
方角から言うと柏崎中央海岸あたりのようだけど。

で、なぜこれに気づいたか?音ですよ。音。
家の中にいて、なにか「ドン!ドン!」という大きな低い音がするので、
近くで花火でも?と思ってながめて見ても何もない。
遠くを見たら花火が見えたというわけです。
このあたりの音には結構敏感なんです。

で、しばらく見てたけど、やはり遠すぎて迫力がない。
車で行ってもいいけど、今からでは混んでるだろうし、やめ。
来年は調べて行こう。
(しかし、駅前にも花火があるなんて書いてなかったけどなあ。)
   ・・・「に」・・・
庭の草。
うちの庭は結構広い。いつもは人が住んでない家なので、
手入れがされておらず、庭は荒れ放題である。
ということで、田舎に帰るとまずやることはこの草むしりなのだ。
でも、最初人目見たときはそのまま帰りたくなるほどひどい状態なんだよ。
去年は猛暑で雨なしのため草が少なかったが、今年は雨も日もちょうど良いせいか、
ぼうぼう。
特に今年は他の親戚が来ないから全部私が一人でやることになった。

草刈の時には手足を守るために、長袖長ズボン+麦わら帽子に軍手という
重装備で行きます。これで炎天下での作業だからその暑さは並じゃない。
すぐに汗が吹き出してくる。
下手なサウナよりよっぽど効くであろう。

作業はまずは出入口から。そこから人が歩く所を中心に思いきりカットして、
その跡に回りに広めていく。小屋の脇や池の脇などはふだん人が入らないところも
このときだけはしっかりと。
それから家の前と隣の家との間も。

これだけとるとどれくらいの草の量になるかというと、
そう、直径2メートルのドラム管があるとすると、
高さにして3メートル位かな。まあ、すごい量。

これを後で燃やすんだけど、またそれは別の話で。
   ・・・「ほ」・・・
北雪8本。
北雪とは、佐渡の銘酒である。佐渡は赤泊と言うところに蔵があったと思う。
私が新潟に帰るというと、これを買ってきて欲しいという人がいるのだ。

この北雪、佐渡だけでなく新潟県内の一部の店で買うことが出来るが、
さすがにこれだけあると1日で買う気になれない。
店頭を見ると、常に6本くらいは置いてあるようだが、
2日に分けて買うことにした。

毎日1本づつ、8日続けて行ったら店の人に顔を覚えられて常連となって
さらに特典が得られたかも。(特典ってなんだ?)
まあ、2回目に4本買ったときにはむこうの人もおみやげだろうと判断してか
「レシートいります?」と言ってくれた。

北雪にはもう1つ、金箔入りの1500円のもある。
見た目も楽しみたい人はどうぞ。

そういえば、このお店、寺泊という漁港の魚屋街の中にあって、
1軒だけ地酒を扱っている。他にもいろいろ酒があるのだけど、
私が飲まないので、他は知らない。

私は日本酒は飲まないので北雪がおいしいと言われても「?」である。
だから自分のためには買わず、いつもおみやげ用だ。
   ・・・「へ」・・・
「平気?」というのは東京弁で、大阪弁の「大丈夫?」に近いニュアンスらしい。
でも、「平気?」とか言われるとちょっと「むっ」とするのは変?
で、「平気?」もとい何が「大丈夫?」なのかといえば「水風呂」の話。

田舎の家では温水が蛇口から出るようになっている・・・のだが、
実は壊れていて出ない。だからシャワーだけで済ませるという訳にはいかない。
ではお風呂を沸かしてはいればいいかといえば、実はこれにも問題がある。

数年前の地震(今年の地震ではない)では、お風呂場に大きな影響が出ている。
タイルの壁が浮き上がっているとか、ヒビが入っているとかいうのもあるが、
一番大きいには風呂釜のどこかに穴が開いてしまったということだ。
それで水を入れてももって抜けてしまうのだ。

うちの風呂釜はタイル(ということは、作り付けということ)なのだが、
これにヒビが入っている。大きなヒビは埋めたのだが、
それでも水漏れは止まらない。
お湯を沸かす所へつないでいるパイプの途中もしくはつなぎ目が怪しい。
ということで、お風呂を沸かす場合には、水を張って沸かして1時間以内に
入らなければならない。

でも沸くならまだいいと思うだろうが、水を入れるのに20分、沸かすのに30分以上
かかるので、今は入りたいというとき(大抵海から上がってきたとき)には大抵
駄目で、結局水風呂、ということになるのだ。

実際は水シャワー。幾ら暑い夏をとはいえ、田舎の水道は(たぶん)地下水で、
冷えている。今の時期、大阪で水シャワーを浴びるのはたいしたことないが、
田舎では覚悟がいる。

ということで、10日間、すべて水シャワーで過ごしたのでありました。
おかげで水の冷たさに慣れたせいか、帰ってからの今でも水風呂です。
   ・・・「と」・・・
土砂崩れの話。

大阪でも少しニュースになっていたようだが、実は私が田舎にいる間、
たった1日だけ雨が降ったのが「警報」クラスの大雨。
この大雨の話はまた後日するとして、問題はその後。

この時の大雨では、うちの集落の中及び近くでも大きな被害が出た。
集落から出る道すべてが崖崩れのため通行止めになったのだ。
取り合えずの復旧(=車が通れるようになる)自体は翌日までに出来たが、
崖崩れの跡は残っている。

集落内だけでも床上浸水1ヶ所、土砂崩れ最低3ヶ所。
翌日には完全に水が引いていたので、「なぜこの家は畳を表に出しているのだ?」
と思ったら床上浸水したらしい。うちからわずか数100メートルの距離である。
その家の脇に水路があるのだが、おそらくそれがあふれたのだろう。
水路といっても1メートル以上深いものだ。それがあふれるとは。
(翌日でも50センチくらいの水位で、しかもすごい量の水が流れていたので
間違いないだろう。)

近くの西山町ではもっと広範囲で浸水したようだ。
道路のいたるところが泥でおおわれている。
(車で走るとあっという間に泥々になる。)
人が出て家の中をホースで洗っているのが見える。
このあたりということは、川があふれたということか。

土砂崩れは大小合わせて数えくれない位見える。
ひどいものは道路を塞いでいたが、こういう所は早く処理されるのだが、
何もないような所は後回しにされるため残っている。

翌日集落内を歩いてみたが、想像をはるかに越えるところで被害がでていた。
(最初、自分の集落内では何もなかったと思っていた。)
山道や、田圃の脇、貯め池も大きく崩れている。
道を倒れた木が塞いでいたり、池の土真ん中に流れてきた大木があったり、
田圃が一面泥で埋まってたりと、その被害はかなりであろう。

新潟では7月にも大雨が降っているが、その時の水分も残っていて地盤が
ゆるかったのだろう。(今回と前回の大雨の地域はわずかに違う。今回は
我が柏崎と長岡がもっともひどかったらしい。)
7月の雨では大丈夫だった部分も、今回の雨で一気に崩れたのだろう。
(7月の雨で崩れた部分もある。そのときの話を聞くと、非常に恐ろしかった
そうだ。)

うちの親によると、このような大規模な土砂崩れは40年以上ぶりらしい。
なんにしても、来年までに復旧するだろうか。
(以前、道横の山肌が崩れた時は2年かかった。)

この話は写真を見せながらでないと納得されまい。
大阪では滅多にないこととはいえ、大雨、その後の山や川にはくれぐれも注意である。
   ・・・「ち」・・・
近く、と言ってもうちからちょっと行ったところ「夕日が丘公園」という公園がある。
この公園、峠の中腹にあって眺めがよい。その昔、明治天皇もここから眺めたという
曰く付きの場所である。(御立ノ岬という名がついている。)
今でも多くの観光者がここで一休みをしていくことが多い。
ここには駐車場と椅子とトイレがあって、ここに車を止めて海や釣りに行く者も多い。
(夜にはテントを張って野宿しているものもいる。必要なものが揃っているので
野宿には良いらしい。涼しいし。)

で、実はここは夜がなかなかに良い。
電灯の回りに多くの虫が集まるので昆虫採集も出来る・・・というのは
ともかくとして(でも今年は虫は少なかった)、海風が涼しく、
こと今回は満月の時期だったので、良い月見が出来るのだ。

ビール片手にここで海に映る月を眺める。
心地よい風と虫の声が風流さに花を添える。
思わず1句浮かんできそうである。

今年は月の出が少し遅い時間なのか、月が海にかかる時間というのは夜中に
なってしまう。(あれ、逆か?海にかかっている時間はまだ日がある時間
だったっけ?)
そのため、一番きれいな月は見られないのが残念だが、
それでも十分に良いものじゃ。

でも、こういう時にもムードをぶち壊す奴がいるのだ。
どこぞの若もんの集団がたむろして大声でしゃべくっているのだ。
東京もんだろう(偏見?)、実に節操がない。
どうしてこの風流を楽しもうとしないのか、その心貧しき所を反省せい!

まあ、いい所だからキャンプ気分なのはわからんではないが、
少し気をつけてもらいたいもんだ。
歌会でもやっていたら拍手もんだったろうに。
(残念。)
   ・・・「り」・・・
林道というものは、うちの田舎にはない。
山はあるが、小さい山なので林道というほどのものはなく、
ごく一部の道を除き、ほとんどの道は人が歩いて行くしかない。

そういうことは、実は山も守るためにはいいことで、
道路ができた道路は間違いなく駄目になる。

で、この山の道を歩くと結構おもしろいところに行けたりする。
昔、人が多いことには山のいたるところに行け、さらにいたるところに畑が
あったらしい。(昔は城もあったので、結構山の中まで開墾されている。)
今での畑の名残や道の名残があったりするが、
特に道の名残は、その先にはもう行けそうにもない。

観音堂の裏から不動尊に至る道は、昼なお暗い竹薮を越えて行く。
この竹薮には5月頃になるといい竹の子が出る。
夏には蚊が多いが、涼しい場所である。
今年は蝉も非常に多かった。
こういうところにいる蝉はひぐらしかみんみん蝉である。

少し先に行くと不動尊の滝の源にたどりつく。
源は池なのだがそこに入る川はないので、たぶん泉が湧いていると思う。
去年はほとんど枯れていたことに比べると、今年の水量はすごい。

近くの山は諏訪山という小山で、諏訪神社がある。
今は本殿がなくなってしまったが、今でも鳥居と駒犬はある。
昔(昭和40年代)まではお祭もあったらしいが、今の感じからは想像できない。

諏訪といえば信州の諏訪湖が有名だが、実はありふれた名前で、
全国至るところにある。鯨波といううちの田舎から20キロ離れたところにも
諏訪神社があるのだ。

この諏訪神社からさらに奥に行くと、山のかなり高くまで行ける。
そこからは集落全体が見渡せ、眺めがよい。
希に野兎に出会えることもある。

この諏訪山にはこのあたりの集落のお墓もあって、山の登り口から
反対側の口までの間、お墓の中を抜けていくことが出来る。
昼ならいいが、夕暮れ時にここを通り抜けるのはちょっと勇気がいる。
街灯なんて勿論ない。真っ暗である。
お盆の迎え火の時は他の人もいるからいいけど、一人で行った日にゃあ、どれほどか。
肝試ししたい方はどうぞ。

例の土砂崩れの後はいくつかの山道は通行不能となってしまった。
復旧されなければ廃れてしまうだろう。
何とか戻ってほしいのだが。
   ・・・「ぬ」・・・
ぬかるみ、土砂崩れの後の道で一番恐いのはこれである。
見た目に明らかに抜かるんでいるところは避けるが、
ぱっと見大丈夫そうなところが実は危ない。

大雨の翌日は昨日の大雨がうそのような快晴であった。
観音堂から不動尊への山道を歩いていると、最初のうちはまったく
そういう気配がなかったのに、あるところで急に道か崩れていた。
大木と竹薮がごっそり下の方へ流れ落ちているのだ。
すごいというほかない。

後戻りもできたが、もう終点が見えているのでそのまま進ことにした。
幸い土砂崩れ部分はまたげそうな幅だったのだ。

このあたりは道がスイッチバック(これは鉄道用語か。ええと、Zの様に
道が進んだり戻ったりしながらちょっとずつ登り降りすること)状態である。
先ほどの土砂崩れの下の部分にさしかかると、当然そこにも土砂がある。
今度は跨げそうにはない。あと10メートルくらいで終わりなのだが。

ぱっと見もう泥は堅くなっており、少し足は沈むだろうがなんとか越えられるだろう、
そう思えた。そう思って足を踏みいれた。
確かに1歩目はそんな感じだった。
が、2歩目はそうはいかなかった。

先の足を置く。後ろ足を抜きにかかる。すると前足がずぶずぶと泥に沈んでいく。
あわてて戻ろうとすると、今度は後ろ足も沈む。
泥深く靴が入るとなかなか抜けなくなって、靴が脱げてしまう。

もう靴を汚さないで進むなんて出来ない。
場合によっては転んで、這ってでもここを抜け出なければならない。
事態はかなり深刻だ。

とりあえず全力出前へ進む。靴が脱げたら裸足で進み、靴は手で抜き取る。
これを繰り返してなんとか10メートルを進んだ。
ここだけで20分くらいかかったのではないだろうか。
とにかく大奮闘だった。

不動尊に着くと、ここも土砂崩れで溝が埋まって水があふれ出ていた。
そこで靴を足を洗った。
冷たい水で洗うと気持ちはいいのだが、なんか複雑な感じであった。

「土砂崩れ後には十分注意しよう」と思った事件であった。
   ・・・「る」・・・
る?
るの話は・・・「なにかるんるんなことはなかったの?」

なっかったでんなあ。
うちは海からすぐだけど、うちの前の海岸には余り人もこない。

海の家はあるんだけど余り知られていないからで、
泳いだ後のことを考えると、余り人が来ないわけだ。
ちょっと離れたところにちゃんと海の家があるところがあるし。
ここに来るのは地元民がほとんど。
のんびり泳ぐにはいいんだけど、逆に、ぴちぴちギャル(死語?)も来ないので、
目の保養には、ね。

でも、最近のはただ単に派手なだけなのも多いので、今一良い眺めではない。
私は見た目だけでなく、全体的な雰囲気を楽しむから。
言っちゃ何だが、煙吹き上げてよろこんでいるよな女は最低だ。
本人はファッションのつもりだろうけど、頭の不自由さが目に見える。
別に女だからと言う分けでなく、男も同じだけど。
砂浜は灰皿でもなければごみ箱じゃない。
それ位わからんような「頭の不自由な奴」は来るな。
プールでそんなことするか?
同じだよ、お・な・じ。
   ・・・「を」・・・
人が少ないということは、当然「をぉ!」ということもないわけで、
のんびりである。
私の場合お盆の時期を外していたのでさらに人が少ない。

家の真前を道路が横切っているので、人が多くなり、車が多くなると
結構いや。

特に、家の斜め前に自動販売機があって、それを目当てに止まる車が多いこと、
多いこと。ここで車が渋滞起こすこともあるし、時にはうちの真前に
止められたりして、余り長い時は水でもかけてやろうか、と思うこともある。
ゴミを捨てていく奴もいて、マナーがなっとらん。
まあ、どこの車が一番悪い、とかいう話はまた別の所で。
   ・・・「わ」・・・
私の家の前の海は、言うまでもなく日本海である。
ここで、日本海というものの特徴をいくつか。

日本海は、夏と冬の表情が全く違う。
よく「荒れ狂う冬の日本海」と言う表現がされるが、冬にはまさにそんなふうを
見せる。ただ、これは冬に限ったことではなく、夏でもちょっと低気圧でもくれば
すぐに荒れてくる。逆に、10月位でも昼間は結構穏やかで、
9月なら末ごろでも水温も高く、並みも穏やかで泳げる。
クラゲさえ気にしなければ。

要は日本海側は冬に低気圧が来やすい=雪が降り易い、ということである。
尼御前あたりでは、10月には海もだいぶ荒れて、「浪の花」と言うものが
見える。これは、荒い浪によって死んだプランクトンが泡を作って
それが飛び散る現象で、冬の日本海に彩りを添える。

夏の日本海は、お盆前までは穏やかで非常に泳ぎ易い。
ところが、お盆を過ぎると不思議なことに土用波と呼ばれる波が出て、
急に荒れてくる。それと同時にクラゲも増えてくる。
土用波はこの後9月までには一旦引くが、クラゲは増える一方。

海岸近くにいるクラゲというのは汽水(海水と真水が混じったような、少し薄い
海水のところ)を好むため、雨の多い時は多く発生し易く、逆にカラカラの時は
少ないようである。確かに去年は少なかったような気がする。
今年は・・・少しはいたけど、そんなに多くないような気が。

このクラゲ、お盆過ぎから急に増え始め、泳いでいるとよくさされる。
私の田舎にいるのはあんどんクラゲと言う、大きくても5センチ以下の
小さな種類。形は名前のごとくあんどん形。以前はミズクラゲという
いわゆる「クラゲ」と言うイメージのUFO型のものが多くいたが、
最近はとんと見かけない。

まあ、そんなにたいした痛みではないが、これでも数が増えるとたいへん。
ある年の9月。そのとしは9月に田舎に行ったのだが、
風は有ったけど気温も結構高かったし、波も穏やかだったので
海に入った。

最初は気持ちよく平泳ぎで沖まで。
そして、水中眼鏡をして海面下を眺めるとまあ、たいへん。
一面クラゲじゃないか。
まるでクラゲの海みたい。

驚いて急いで岸まで戻る間に片手一面さされてしまった。
(よく沖に出るまでにさされなかったものだ。)
1匹ではたいしたことのないクラゲも、あれだけの数がいると別。
手が麻痺してしまった。さされた後もはっきり見えるほど。

なぜ9月には泳がないのかがわかった事件であった。

やはり日本海がいいのは梅雨明けから8/13位までか。
以前は7月末、25日には梅雨が開けてたからそれ位の海は最高に良かったけど、
最近は梅雨明けが遅いから良い海に時期が短くて。
私がお盆の1週前に休むというのは、この良い海の時期を逃したくないから。

というところで、日本海の紹介であった。
   ・・・「か」・・・
風が強い。えっ、どこがかって?トンネルの中。

高速道路のトンネルの中で降りると言う経験はそう出来るものではない。
が、不可抗力によりそれを強要される場合もある。
今回の場合、事故でそれが発生してしまった。

北陸道の朝日から上越の約90キロの間は非常にトンネルが多い。
どれほどかと言うと、この区間に26のトンネルがあり、そのほとんどが
1キロ以上なのである。単純計算でトンネルだけで26キロ。
さらにこの区間はまだ半分位が対面通行区間で、
以上の条件により運転するにはなかなかにつらいところである。

大阪から新潟に行く場合、ここは400キロ過ぎの最後の難関となる。
この辺りでは疲れもピークに達しているので結構あぶない。
トンネルが多いので明るくなったり暗くなったりで、眠くもなるのだ。
私も何回手足をねつりながら運転したことか。
だから、この区間を運転する時には最新の注意を払い、
ここに入る直前のSA(有磯海;大阪側からの時)では必ず休む。
トンネルをなめてはいけない、

さて、そういうことを知らない「素人さん」は、この辺りで飛ばしたりして
よく事故を起こす。何度か事故の跡を見たことがあるが、今回はまともにそこ
現場にでくわしてしまった。

事故が有ったのは自分の入ったトンネルの、自分の位置より500メートルほど
先であった。対面通行の区間、しかもその事故は中央分離線を越えて相手車線に
入っての正面衝突であった。双方の運転者の安否は知らない。救急車は来ていたが。

いくら自分が注意していても、相手が馬鹿だと事故が起こってしまう。
対面通行区間でも、相手車線のことまではそう注意しないからなあ。
特にこういう事故を見てしまうと恐くなる。

結局、両方の車線が塞がれてしまったため、完全に通行止めになった。
トンネルの中にいること1時間。
で、ここで珍しいトンネル内で歩くという経験をしたわけだ。

大きなトンネルの上には大きな筒に入ったファンがあるが、
これはそこから排気をしているわけではなく、風を起こしてトンネルの両端からの
排気を助けているのだ。

あれ位のファンでどれほどの風が起こるものかと思っていたが、これが結構強い。
扇風機を強にして真前にいる位の風速である。

それくらいの風力があればさぞ空気の流れは良いのでトンネル内の空気は良かろう、
と思うかも知れないが、そんなことはない。
やはりトンネル内の空気は悪い。
実は、事故の現場を見るためにトンネル内で往復1キロの走りをしたら
鼻はつまるし喉は痛くなるしであった。
なにせ、夏のトンネル内なので、止まる車がクーラーのためにアイドリング状態で
エンジンをかけているので排気ガスが多いのだ。
(アイドリング状態の排気が一番悪い。)
さらにバスもいるという条件ではなおさらであった。
(実際にはトンネル内は風があるので思うほど暑くはない。)
私の車は省エネのためエンジンを切っていたのは言うまでもない。

そういえば、余りの停滞の長さに途中で中央分離線を越えて逆車線へ逃げて
引き返す車もあった。こういうことも片側2車線の道路では出来ない貴重な
経験であろう。私は「引き返して一般道に降りたら結局もっと時間がかかる」と
よんで行かなかった。夏のこのあたりの一般道は海水浴客で混んでいるのだ。
こういうのも経験で知っている。結局この判断が正しかったと思う。

結局、1時間ちょっと過ぎた頃に片側づつ通行になって現場を越えられたが、
たいへんな時間ロスと体力消耗であった。
余りトンネル内では出歩くものではない。
まあ、滅多にないことだろうけど。
   ・・・「よ」・・・
夜になるときれいな星空が見える。
私の行った時期は満月なので見える量は少ないけど、それでも大阪よりよく見える。
どれくらい?そう、北斗七星やWのカシオペア座ははっきり見えるし、
ということは北極星もわかり、天の川もわかる。

天の川というのは、言い得て妙と言うやつで、夜空に川があるように見える。
「Milky Way」とは、天の川が女神へラの乳がこぼれて出来たもの、
というギリシャ神話から来るものだが、まさにそのように思える。

月がなければ、流れ星もよく見える。
10分も空を見上げていれば数個の流れ星が見えるほどである。
願い事は山ほど出来る。

が、新潟でも最近は少しに見えにくくなってしまった。
大気汚染は言うほどでもないが、それよりライトがまぶしいのだ。
まぶしいライトは2つ。1つは車のハイビーム、1つは先に紹介した
夕日が丘公園のそれだ。

田舎には街灯はほとんどない。特に海沿いの道には全くないため、
夜そこを走る車は多くがハイビームにしている。
これが海を渡って非常によく=まぶしく見えるのだ。
また、夕日が丘公園は少し小高いところにあるため、これもまたその明かりが
よく通る。

困ったもんである。
楽しむべきは海だけではなく、夜空もまた、なのに。
   ・・・「た」・・・
田圃の状況はどうか、今年は。
結論から言うと、東北は?。
東北は8月に入っても曇と雨が続き、日照時間が短い。
時折晴れ間があるため、稲の受粉は出来たようで、お米はとりあえず出来そうだが、
量と味は今一ではないだろうか。
一昨年ほどには絶対にならないだろうが。

全国的に見れば、北海道、関東より西では全く問題なさそう。
ということは、今年は米不足は「ない」と言える。

新潟はどうか。
特に問題なし・・・と思ったら、一部ではたいへんなようだ。
例の大雨による土砂崩れで田圃の半分以上が埋まったところがあるからだ。
実際私の家の近所でも田圃のほとんどが埋まっていたところもあった。

田圃というのは、田植えからの一時期以外は水は張っていない。
むしろ乾いてひびが入っているような状態である。
いなほが付くような時期に水が多いと、ほの重みで倒れたり、
茎が腐ったりであまり良くないのだ。
(よほどでないと影響はでないが。)

埋まっていない田圃でも非常に多くの水がたまっていた。
埋まった田圃では、もう掘り起こして稲を助けることは不可能であろう。
新潟産のこしひかりは今年は少ないかも知れない。

「魚沼産」はその中でも良いとされるが、そこはどうであろうか。
今のところ情報はない。
   ・・・「れ」・・・
レシピというのは、まあ料理法のことであるが、
私は新潟にいる間は、3食すべての料理を自分でする。
だからといっていろいろな料理を知っているわけではないので、
当然同じ料理が多くなり、それでも出来るだけ飽きないようにするのに
苦労する。

新潟では行動量がすごいので、朝と言えども抜くことは出来ない。
そんなことをすれば途中で暑さでばててしまう。
食事は重要。

新潟では食料品は安く鮮度が良いので、そういう意味では材料には困らない。
漁港に行けば海産物、普通のお店では野菜をたくさん。
日頃野菜の食べる量が少ないだけに、こういうところではたくさん取るように
心がける。
今回は茄子やキュウリを近所の人からたくさんもらったので
野菜は余り買わなかったが。
(後は近くの農協無地販売所¥100均一とか。)
 外食はほとんどしない。
買い物に出かけていた時とか、とあるおいしい居酒屋で、とかだけ。
今回はその居酒屋には行かなかったけど。(1人では行きにくい。)

朝はパンにマヨネーズ+チーズ+目玉焼きとオレンジジュースで決まり。
ここ数年ずっと同じ。
問題は昼と夜だ。

カレー。
私がもっとも得意とする料理。
これに関しては材料を変えて作ることで、2回、まあ4食分は何とかなる。
今回はイカカレーともう1回は何だったけ?
野菜は茄子を入れたり、じゃがいもの代わりにさつまいも入れたり。
カレーのからさとさつまいもの甘さが結構合うんだな、これが。

お好み焼き。
これも得意。
おお、これもイカお好みだったな。
今回イカが多いのは、漁港に行った時にイカを買ってきたからで、
たった4ハイのイカも1人で食べると多いものなのだ。

そういえば、イカは皮をむいて使うのだが、新鮮であるほどむき易い。
逆に、日が経つに連れて皮が取れなくなる。
イカの鮮度と言うものは、味にも大きく影響するので、
(鮮度が良いと、どんな料理法でもおいしい。)
出来るだけ早く使わなければならない。陸揚げされてから2日以内がベストである。
(もちろんその間は冷蔵庫で保存。)
長く持たせる時には、先に内蔵を取り、皮をむいておいた方が良いであろう。
何にしても、大阪で食べるイカとは比べものにならない位においしい。
やはりイカは鮮度である(大阪のイカはゴムみたい)。

イカ焼きそば。
まあ、ありがち。
でも具はたくさん。

この他は素麺とかご飯とお味噌汁とか。
ご飯は自分で炊くし、お味噌汁も自分で作れる。
(今回は、大阪からわざわざ自分の炊飯器を持って行ったのだ。)
得意はなす味噌汁と豆腐のかな。
青ねぎを入れるとなお良い。

そうそう、最低1回はするのがバーベキュー。
この話はまた後日。
夏の星空のもとでのバーベキューは格別だよ。

しかし、レパートリーは少ないでんな。
もう2、3種あるといいんだが。
簡単でおいしいもの。
他のことをして忙しいから料理に割ける時間が少ないからね。
料理学校にでも通おうかしら。
あら、良い奥さんになりそう。うふ。(おいおい)
   ・・・「そ」・・・
そう言えばである。トンネル内で事故を起こす原因には、
「人間が車に乗られてしまう」という心理的効果が大きく関係していると思う。

よく「車に乗ると人格が変わる」と言われることがある。
私がではない、世間一般にである。
(私も以前そうであったが、最近はほとんどそんなことはない。)

確かにそういう人も多い。「それはその人の持っている潜在的性格だ」という説も
ある。それも間違ってはいないが、それより「車という、人間の本来持つ能力を
大きく越えた力を得ることによって、その力に溺れてしまう」というか「それに
精神を乗っ取られてしまう」ということ、結局はその人の精神的弱さが原因している
のではないかと思う。

早く移動出来るという意味では列車や飛行機の方が上だし、バスなどでも
同じはずなのだが、こと自家用車という、自分の力でいいように動くものに乗った時に
そうなるようだ。

車は所詮、補助道具である。人そのものではない。
それを操る人間の意識によってどうにでもなる。
そのことを忘れ、いかにも自分が大きな力を得た、自分が大きくなったように
錯覚してしまうところに心の隙が出来、これが異常に自分勝手で傲慢な人間を
作り出してしまうのである。

この状態は、特に車の図体が大きいほど、車が早く走れるほど顕著になるようだ。
(一部の)トラック運転手はもはや人間ではないし、異常なスピードで
飛ばしている「頭が不自由な奴ら」も同じである。
(狭いトンネルの中でまくってくるトラック何ぞは完全に人間ではなく、ただの獣だ。
もっとも、けだものの方がもっと賢いと思うが。)
この傲慢な心になってしまった人間、「虎の威を借る狐」状態の人間、
によって操られる車は、それ自体が狂気である。

それを克服するには、車に乗られない精神を作ること。
車に乗る前から、乗られている時の自分の状態を想像し、どのようにしたら
それを解消出来るのかをシュミレーションするわけだ。
冷静な状態でそれを見た時、それは非常に恥ずかしい様子である。
その恥ずかしさを認識出来れば、跡は少しずつ、いろいろバージョン「乗られている
場面毎」で乗られないような精神を作る、精神をそういう状態に持っていく努力を
するのだ。それを続ければやがて解消出来る。

「虎の威を借る狐」状態とは人間が人間らしくない、非常に恥ずかしい状態なのだ。
まずそのことを十分認識して、車に乗っても乗られないようにするのだ。

本当なら、これこそ教習所で教えるべきことではないかと思う。
それさえ出来れば事故は半減する、そう言っても過言ではないだろう。
すべては乗る者の精神次第である。
   ・・・「つ」・・・
連れだって見ているのは・・・

それは寺泊に北雪買いに行っての帰り、ちょうど燈台のあるあたりで道路の脇に
何かがいるのに気がついた。

雉(きじ)の親子だ。その色からして雌親と子供だ。
親鳥と、その脇に2、3羽の子供。
実に可愛らしい。

このあたりに雉がいることは鳴き声から知っていたが、
その姿は滅多に見ることが出来ない。
まして、こんな道路の脇にいるとは、珍しいことである。
車を止めることが出来ず、一種の出来事だったが、
見ることが出来たのは非常な好運である。

このあたりには雉は勿論、やまどり、野兎、狸もいることが確認されている。
勿論、その数は年々減ってきている。
昔はお墓に行けば必ずと言っていいほど雉の鳴き声を聞いたものだが、
最近はほとんど聞かない。

私の田舎はまだ開発が進んでいるとはいえないだろうが、
それでも近年、海の家が出来たり、秩父市営のオートキャンプ場が出来たり、
ゴルフ場が出来たりするので、それらは決して目だつ存在ではないのだが、
人が増えたりしてやはり自然破壊が進んでいるのだろう。

そういえばあまがえる、かたつむりなども減った。
きりぎりすや海にいる、私は「海老虫」と呼んでいる、ミジンコを巨大化したような
虫も見なくなった。
目に見えない形でも、自然破壊が進んでいる。

それはある意味で非常に大きな恐怖である。
知らず知らずにむしばまれ、ある日突然に表面化する。
そのときにはもう手のつけようがない状態だったとしたら。

人間は自然の一部であり、自然が破壊されるということは、
とりもなおさず人間自身を破壊することになる。

今ならまだ間に合う。
なにか打つべき手はないか。
   ・・・「ね」・・・
ねこはいるか。
海辺で魚が豊富なので猫がたくさんいそうなものだが、実は猫はいない。
飼い猫も野良猫も見ない。海猫もとい、ウミネコはいるけど。
そういえば犬もいない。

現在、うちのある集落にはペットがほとんどいないということだ。
勿論、ペット以外の家畜もほとんどいない。

昔はうちでも猫や山羊を飼っていたらしい。
おそらく他の家でもそうだったろう。
まあ、家畜は今飼っている家はないというのはわからないでもないが
(家で飼うより安く手に入るから)、
ペットもいないというのがちょっとわからない。

老人が多い集落だから世話がたいへん?
でも話し相手に犬でも猫でもいてればいいかと思うけど。
まあ、田舎の人は畑仕事とかいろいろ忙しいから、
そんな必要もないのかもしれないけど。
一人ぼっちということがないもの。
外にでれば誰かがいる。

そういう意味では、老人の孤独死というのも一種のと都会病なんでしょうな。
人は多いくせにお互いバラバラで「隣は何をする人ぞ」。
他人がどうなろうと知ったこっちゃない。
しかも、介護が行き届きすぎは老人の自主行動性を破壊し、
結局頼りがなければ何もできなくし、精神的孤独が増長する。
そんなもんじゃないでしょうか。

そういえば、このあいだ、エレベーターで同じ階でおりた若い奴が、
さっさと家に入っていったときには「こいつ、礼儀というものをしらんのか」
と思った。
私が原付をエレベーターに乗せて上がるとき、後からこいつが自転車を乗せてきた。
私はそいつが乗るときも、階に着いて先に降ろすときもエレベーターの「開」ボタンを
押していた。まあ、それは普通だろう。
このエレベーターは扉がいったん閉まり始めると、ボタンをずっと押していないと
扉が閉まってしまう。一度押したらしばらく開いているタイプではないのだ。
(エレベーター中の「開」かホールの上下ボタン。)
そいつが先に降りてすぐエレベーターの扉は閉まり始めた。ということは、
私は自分で扉を開けながら原付を降ろさねばならんのだ。
そうでなくても原付を降ろすのは少し苦労するのだ。
「おいこら、じぶんが降りたらそれでいいんか。ボタン押しとかんかい!!」
そういってやりたかった。なんて自分勝手な奴だ。

どうも世の中にはこんな単純なことですら出来ないよう奴らがいる。
いったいどういう教育されてきたんだ?親の顔がみたい。
私はそんなに礼儀正しい方ではないが、これくらいのことは出来る。
「自分だけ、他人のことなんかどうでもいいという都会病か」
と思う事件であった。

・・・おっと話がずれた。

田舎の老人を見ていると実にいきいきとしていて、
人なつっこくって、話好きで、話をしていてもとてもいいのです。
年をとったら田舎に引きこもって農作業に従事する、
そういうのもいいかも知れません。
   ・・・「な」・・・
Natural Free Fall。日本語でいえば「くみ取り式便所」である。
都会ではみられなくなったが、うちの田舎では健在である。

この便所ではいくつかの注意が必要となる。水洗しか知らない物には
この作法がわからないかも知れないので、ここで教えておくことにしよう。

スリッパを落とさないこと。スリッパに限らず、物一般に落としたら最後である。
特にスリッパは、トイレをでるときに後ろ足で蹴ってしまい、落ちてしまうことが
あるのだ。これには要注意だ。そのほか、ポケット中に落ちやすいものを入れておく
とか、そういうのには要注意だ。

お釣りに気をつける。お釣りとは、こえだめに落ちたう○ちが中身を跳ね返して
上がってくることである。水滴を水面に落としたときに跳ね上がるあれである。

くみ取り式便所は結構深い。しかし、ということは上から落ちる物もそれなりに
位置エネルギーを持つわけで、そのため高さがあるといってお釣りがこないわけ
ではなく、どの高さでもくる可能性があるのだ。

お釣り攻撃を避ける方法は2つである。1つはお釣りがきたらお尻を上げて逃げる
方法。うん○をして、下に落ちて音がしたら、お尻を上げるのである。
さらに、音によってお釣りがあるかどうかの判断も必要となる。
毎回避けていると疲労するからだ。
下に落とした物は、それが自由落下である限り、元の高さより上には上がらない。
従って、排出口を元の高さより上げればいいのある。

もう1つはさらに高等なテクニック、「お釣り返し」である。
これは、お釣りがきたら、その上からさらに○んこ(危ない伏せ字)を出して、
お釣りごと落としてしまう技である。この場合も、最後は先のお釣り避け行動が
必要になる場合がある。

いずれの場合も、音を聞き分け、タイミングをはかり、強靭な足腰によって上下運動を
こなせる体力が必要となる。そう、Natural Free Fallはれっきとしたスポーツなのだ。
(^_^;)

また、Natural Fravorの臭いは楽しむものである。
田舎に行くと、その臭いによってトイレの存在がわかったりするのだ。
また、それによってそのトイレの清掃状態などもわかる。
臭いとはかくも重要なのだ。

なんにしても、Natural Free Fallは楽しい。
臭い臭いといって避けるより、あえて飛び込んで楽しもうではないか。

(日本便所研究協会会員)
   ・・・「ら」・・・
来年は何をしようか。
大阪に帰ると、いや、帰る日が近くなるといつもそんなことを考えている。

今年出来なかったこと。
毎日1キロ相当泳ぎ、釣り、プライベートビーチへ行ってさざえを採る。
花火もしてないし、おいしい居酒屋にも行ってない。
そう言えば、今回はうどん屋にも行ってないぞ。
ああ、やることはいっぱい有る。

うちの前から、そう1キロほど行ってちょうど峠の燈台の下あたりの海は
来る者を拒むため、プライベートビーチ状態なのである。
そこに行くには泳ぐかボーとで行くか、険しい崖を登り降りしなければならない。
その辺りは天狗の岩戸といって、岩が沖までずっと続いて降り、
歩いて、しかもせいぜい膝までの水深で100メートルほど沖まで行けるのだ。
途中、岩の切れ目は水深10メートルもあろうけど。
この辺りは魚介類が豊富で、うにはじゅうたん状態、さざえも多いし、魚も多い。
私が初めて生きたのタコを見たのはここである。
生きたタコというのは半透明で、最初はなんだかわからなかった。

ここは行くのはたいへんだけど、行くと非常にいいのでぜひ行きたい。
一度はそこで釣りもしてみたい。
そう思いつつ、以前行ってからもう3年以上経ってしまった。
1人では行きづらいからなあ。誰か友人が一緒に行かなければ。

考えてみたら、こんなにも長く田舎に帰り、しかも年に何回か行きたがるというのも
珍しいかも知れない。お盆ですら田舎に帰って墓参りもしない人が多いというのに。
まあ、私の場合、帰っても誰もいないので自由であるとか、自然が良いとか、
長距離ドライブがしたいとか、おいしいものが食べたいとか、海で泳ぎまくって
やるぜ!とか、いろいろあるから、多少の苦労があろうとも行くんだけどね。

さて、次の夏休みまであと330日・・・(おいおい)。
   ・・・「む」・・・
六日町高校は新潟県の甲子園代表校。
地元では代表校が決まるとテレビで応援があるんが、
(コマーシャルで「六日町高校おめでとう。〜も応援しています。」という感じ)
毎年、すごい数流れている。1時間に10回位?

テレビでは応援団の募集もしてた。出発日は抽選まで未定で。
でも行きなり初日とはね。応援団も準備がたいへんだったろう。

六日町高校は確か初出場だが、いきなり負けてしまいましたな。
まあ、新潟県の高校は大体弱いんだけどね(失礼)。
新潟明訓とかはドカベンがらみで有名かな。
地元の柏崎高校や柏崎商業はもっと知られてないけどね。
いや、全国で知っている人なんているのかな?

でも、まあよい。
新潟県の高校生は何かすれてなくていい。
大阪とか神奈川・東京なんて確かに強いけど、何かプロ予備軍みたいだし、
野球留学みたいな感じだし、高校野球?てな感じがするもんね。
まあ、それはそれでいいけど。
一度、甲子園出場選手は地元の高校生に限る(地元=その府県に住民票を持ち、
さらに3年以上暮らしていること)でやってみると、結構いいかも。

でもやっぱり大阪PLには勝って欲しかった。
なんやかんやいっても大阪人。
最後は星陵応援してたんだけどなあ。
   ・・・「う」・・・
うどん屋の話。
うちから25キロ位行った(大阪寄り)所に米山というところがある。
ここは、最近のブルボンのコマーシャルで「米山さんからなんかない、なんかない、
ねえお母さん。味ごのみ有ったがね。」で有名(?)な米山である。

ここに「米山大黒亭」といううどん屋さんがある。
ここ、名前の通り、元もとはいろいろな大黒様を展示しているところ何だけれど、
その横にうどん屋が併設されている。

ここ、なかなかおいしい。
新潟のうどんはどちらかというと東京風で、汁で底が見えないタイプだが、
ここのはその割に味が鰹ベースのだしであっさりで、大阪人の私でも
おいしい。私の他に大阪の友人を4人連れて行った、
皆「おいしい」というので間違いない。

以前は有名でなくいつでもそんなに混んでなかったが、
最近は夏休みにはもう連日満員で、長く待たされる始末。

ここは古いかやぶきの民家をそのまま使っているもので、
もちろんクーラーなどはないから、夏は暑い。
まあ、小高い岡の上にあるので夏は涼しい風が入ってくるが、
それでも暑いところで暑いうどんを食べるのにこんなに人が来るとは、
物好きな者だ、と他人毎のように思っている。
自分もその物好きな人間の1人なのに。

しかし、今年の混みようはまた異常で、3回行ったが、
1回は待時間が余りに長くて諦め、2回目は夕方に行ったら
「今日の玉は切れました」で閉店してるし、
3回目は例の大雨の中行ったのにこれも満員で待ち切れず。
結局今年は食べられなかった。

有名になっても味は落ちてないのが救いだけど、まあ、これだけ混むのも
以前からの客としては、少し困りものだ。
まあ、夏休み以外の平日にでも行こうもんならガラガラなんだけれども。

今度帰った時にはぜひ行かねば。
揚げ饅頭もおいしいよ。
   ・・・「ゐ」・・・
「行く」と言えば、今年は10/7(正確には6日金曜日の夜から)
〜10/10でも新潟へ行きます。
このツアーに参加ご希望の方は、お申し出ください。3人までなら車1台で行けます
のでお安くなります。

噂の新潟を見てみたいとか、たまにはおもいっきり長距離ドライブしてみたいとか、
北雪を自分で買いたいとか、新米を購入したいとかいう人はどうぞ。
そうそう、イカや秋刀魚も旬なのでおいしいぞ。

局長直々の観光案内付き新潟旅行パック。
「今なら格安です。」
   ・・・「の」・・・
農薬の影響というものはすぐに、ぱっと見にはわからないようでいて、
長く、よくよく見るとわかり、しかも深いという意味で恐ろしいものである。

この影響は、やはり小動物出るようで、私が新潟に行くようになって
ここ35年の間に大きく様変わりをしたといえう。
一言で言えば小動物が激減してしまうということである。

昔はガラス窓にいっぱい張り付いていたあまがえるは今は非常に少なくなった。
本当に、庭に面した窓、庭の葉の上には必ずといって言いほどあまがえるがいたのに。
今は庭中くまなく探して1匹いるかどうか。

かたつむり、タニシ、魚の稚魚、はぜの一種、みんないなくなった。
そういえば蛍も見なくなったなあ。
蚊も減ったかも知れない。(これはまあいいんだけど。)

この辺りは田圃が多く、そこに撒かれる農薬の影響であることは明らか。
田圃だから、どうしても水生生物がやられるらしい。

大阪では、小さい頃には水たまりならどこにでもいたようなげんごろうや水すまし、
たにしなどが見ることが出来なくなってしまった。これは大気汚染と水の汚染の
影響だろう。

結局、人間が自分のために行った行為は、か弱い自然の小動物を死に追いやって
しまうのだ。
「それ位のこと、人間の得る利益に比べたら些細なことだ」という人がいよう。
しかし、そうだろうか。

子供は、買い与えられたおもちゃだけではなく、自然にいる動物、植物を触り、
時にはそれを殺してしまうようなことで心に痛みを覚え、命の大切さを
知るのではないだろうか。

痛みとか悲しみと言うものは、言葉で行って教えたってわかるものではない。
まして今はブラウン館のなかでは人は不死身であり(あちらのドラマで殺された人が
こちらで生きているとか)、ゲームはやり直しが効いてしまうのだ。こういう中で
育った子供がいじめに走ったり、たやすく命をもてあそぶ(それは他人も自分も)、
それは当たり前なのかも知れない。

そうした子供を作ってしまったこと、農薬で殺した小動物の影響が少なからず
そこにあるとすれば、人の得た利益何ぞ、ごく短期間で取るに足らないもので、
失ったものの方が非常に大きいと気づくはずなのだ。

今なら、まだ、間に合うかも知れない。

それでも今年は少しかえるなどが多かったような気もした。
無能薬、もとい無農薬にしたのだろうか。
いいことだ。こういうことが一時的なブームではなく、
これから先づっと続いて欲しい。
   ・・・「お」・・・
大雨洪水警報は結局丸2日出続けた。

最初の1日は朝早くから夜遅くまで、それこそバケツをひっくり返したような雨が
降った。その日は午前中に車で出かけていた。すごい雨で、ワイパーもほとんど
効かない。こういう時はかえってワイパーなしの方が良く見えたりもする。

途中スリップしてか松林の中に突っ込んでいる車を発見。
どうせスピードの出しすぎだろう。スポーツカータイプだ。

すり減ったタイヤで走ると、本当によくスリップする。
まっすぐ走っていてもエンジンの回転数が安定しない。
ハイドロプレーニング現象でタイヤが水の膜の上で滑っているのだ。
こういう状態ではちょっと横から力がかかると回転してしまうので非常に危険だ。
タイヤは早めに交換。(3万キロちょっとで代えておけば大丈夫。)

この時例のうどん屋まで行ったけど、この雨の中満員でそのまま帰った。
でもそれが良かったらしい。
午後から同じ道を出かけた人は帰りに土砂崩れで止められたらしい。
危なかった。もう少し遅れていたら崖崩れに巻き込まれるところだった。

2日目は昨日の雨が嘘の様にカラッとあがったが、一部地域では浸水が続いたらしく、
警報は解除されなかった。道が開通したのは2日目の夕方だった。
(市内にある緊急通報装置からそういう報告が有った。)

道が開通してから行ってみると、海岸沿いの道路は半分が埋まり、
となり町は多くが泥で覆われていた。かなりひどい浸水だったようだ。
わずかな距離の違いで大違いである。

バスは2日間ストップ、開通してからも私の田舎の場所までで、出雲崎
(良寛さんで有名なところ。5キロほど先の町)まではさらにもう何日かしなければ
行かなかった。

海もどろどろ。枝がたくさんで非常に汚い。
増水した川から大量の土砂と流された草木が入ってしまったのだ。
さらに波も荒くとても人が入れる状態ではない。
この状態は次の日まで続いた。

こうして海に水が入ると、水が冷たくなり、また塩分が薄くなるためクラゲが
発生しやすくなるということがある。実際この後クラゲが急に出てきた。
困ったもんである。

そういえば、この大雨、今にして思えば予兆が有った。
その日の前日まで、海が夕刻になると非常に荒れたのだ。
昼間は穏やかなのに、3時半を過ぎるととたんに波が荒くなる。
真夏にはこういうことは無い。

結局これは低気圧が有ったということであろう。
日中は太陽の高温が低気圧を遠ざけるが、夕方になって涼しくなると低気圧の勢力が
増す、ということなのだろう。
自然は本当によく出来ている。

この大雨、大阪でどれくらいニュースになったかは知らないが、地元ではずっと
放映していた。でも、テレビも多くは長岡市内で、西山などは少ししかなかった。
もっとも田舎では地元ニュース自体少ないのだが。

田舎には通信網があるのだが(といっても街頭にスピーカーがあるだけ)、
さっき言ったように、警報が解除されたとか、道路が開通したとかがそれでわかる。
いつもは1日3回の時報だったから、「ああ、やっぱり役に経つ時には立つんだなあ」
と思ったのであった。

備え有れば憂いなし。(ちょっと違うか?)

そうそう、大雨の中、崖崩れのチェックに来ていた人、ご苦労さま。
(うちの家の裏山の斜面も一応急傾斜危険地域に指定されている。
コンクリートで固めてはあるけれど。)
   ・・・「く」・・・
薬屋の話。

すずめ蜂に刺された(この話は後日)日は土曜日で、病院は休みであろう。
あろうというのは、地元でないので病院がわからないのだ。
まして、虫刺されではどこに行ったらいいのかもわからない。

ということで、薬屋に駆け込んだわけである。
とはいえ、薬屋も地元にはなく(元々うちが薬屋だったのだが・・・)、
駅前まで行くしかなかった。

このあたりはバスも2時間に1本だし、知り合いもいないのでしかたなく
自分で車を運転して15キロも離れた駅前にある薬屋まで行ったのである。

運転するといったって、右手はおもいっきり腫れるは痛いわで、
もう気力だけ、左手だけで運転する感じである。
これが雨の日でなくて良かった。

車を何とか止めて薬屋に入る。中村薬局である。
「すずめ蜂に刺されたのですが、薬はないですか?」

店にはアルバイトらしき店員しかいなかったが、どこやらに電話して聞いてくれた。
その結果「この薬がよく効きますので、これを擦り込み、また水で手を冷やして
ください。」。

小さなプラスチックにケースに入った薬を買って帰った。
最初はキンカン(=アンモニア)が効くのでは?と思っていたので、
ちょっと不安であったが他に方法もなく、家に帰り手を凍り水で冷やして
その後に薬を塗った。

その後、食事の用意などで水で手を洗う毎に薬を塗るということを
丸1日続けた。その結果、翌日にはとりあえず指が動くようになった。
その後は日に日に良くなっていったのであるが、その話はまた後日。

この薬局では、他にもいろいろと自前で薬を作って売っている。
こういう特製虫刺されの薬があるということは、やはりこのあたりでは
刺される人が多いのだろうか。(野山は多いし、蜂が多いのは確か。)
以前は風薬をもらったことがあった。
大阪でこういうお店を見たことはないが、こういうところの物の方が
結構効いたりするのかも知れない。家庭用薬品ではなく、病院用の強い物を
使っていそうだし。

あっ、そういえば、最近は一般家庭薬でも結構よく効く物が増えた。
特に風薬は。あれはねぇ、厚生省のお達しで、家で直せる病気は直せということで
薬会社にいままで病院だけだった薬品を家庭薬にも使っていいということになった
から。「塩酸ブロモヘキシン」なんてそうだ。
だから、両方の薬を持っている会社は、今こぞって家庭用薬品にへと申請を
出しているんだそうで。

まあ、なんにしても、よく効くというのはいいことでんな。
使い方さえ間違わなければ。
とにかく、中村薬局に感謝。
   ・・・「や」・・・
闇夜の烏(からす)とは俗によく見えないものを指すが、
北陸道のような街灯の少ない道路で夜に黒系の車が
止まっていたら、これはなかなか見えるものではない。

行く日の道路は非常に混んでいて、名神に入るまでに
1時間くらいかかってしまった。名神そのものは比較的順調であったが、
北陸道に入ったときにはすでに真っ暗であった。

北陸道の最初の部分、木之元ICとか 賎ヶ岳SAは
田圃の真ん中を走るようで、回りには町はない。
さらにこのあたりには街灯がほとんどないので夜ともなると真っ暗になる。
ほんでもって車の量も少ないから、ランプといえば自分の車のだけが頼りなわけだ。
しかも、このあたりはほとんど直線でスピードを出す車が多い。
神田PAで休憩して本線に戻ると、追い越し車線を1台の車が来た。
ところが、私の車が走行車線で120キロで走り始めると付いてこれなくなって
私の後ろ、すなわち走行車線に入ってきた。
(この段階で、私が前で走行車線を2台が走っている。)

ちょうどそのときであった。
車のライトが何やらおかしい。光がまっすぐ遠くまで延びていないような
気がするのだ。(ハイビームにはしていない。)

「何かが先にいる。」そう思った私はライトをハイビームにした。
すると、なんと走行車線を完全に塞ぐ形で車が横になって止まっているではないか。
急いで追い越し車線に逃れ、その場を避けたのであった。

もし、光の異常に気がつかなかったら、もし後ろに入った車がそのまま横にいて
少しでも追い越し車線にはいるのが遅れたら。そう思うと恐ろしい気がした。
時速120キロではわずかな時間でも、1秒で33メートルも走ってしまうのだ。
本当に間一髪というか「感一発」であった。

横になっていた車はどうやら他の車と接触して回転したらしい。
もう1台路肩に止まっているのがいた。そちらは前面大破のようであった。

横になって車線を塞いでいたいた車は黒色で、しかも今流行のランドクルーザー
タイプだ。あんな色真っ暗なところでは見えないし、あんな大きな車、
もう少し追い越し車線に出ていたらえらいことだ。

そこにいた人間は大破している車の方に集まっていたようだが、
そんなことより後続車のために発円筒を焚くべきなのだ。
学生らしき連中だったが、まったくなっとらん。
運転車の基本もわからんとは、教習所で何を習ってきたんだ?
習わんでも普通に考えれば判断できように。最近の若い奴はほんまに頭が悪い。
(脳味噌使えへんのちゃううか?まあ、おっさんやじじいクラスもよく似たもん
だけど。)

なんにしても、夜間の運転は景色に気を取られず、ライトを頼りに運転できるから
ある意味で楽だけど、逆に見えにくいから要注意だね。
ライトで見えないところに何かある。
鋭い野生の感が夜間の高速運転には必要なのである。
   ・・・「ま」・・・
毎日泳ぐ。

私がお盆ではなくそれより早い時新潟に行くのは、泳ぎたいからである。
先に述べた通り、日本海というのはお盆過ぎには荒れてくる。
一番良い海はお盆前なのだ。

で、基本的には毎日泳ぐ。(もちろん雨の日や荒れている日には無理だけど。)
遊泳時間は午後4時から。早くても3時。なぜか。

それまではお仕事時間である。お墓掃除、庭掃除、買い物などなど。
それを終えた後になると自然とその時間になる。
が、その時間の方が良いということもある。

4時くらいからだと暑くないし、日焼けもしないのだ。
もちろん、日焼けしたい人とか、まぶしい素肌を見たい人にはこの時間は
余り良くないが、純粋に泳ごうと思うなら、日焼けを気にせず、
人も少し少なく、で良い。

ただ、今年は夕方から少し波が荒くなったのが残念だ。
豪雨の後は、翌日は駄目だったけど、その次からは波も収まってよかった。
ただ、水が多量に流れ込んだ為濁ったのと冷たくなったのと
くらげがでたのがこまったもの。
(おかげで余り泳げなかった。)

そのお蔭で泳ぎが少し少なかったように思う。
十分泳げたと思うのは最終日だけ。

この日は防波堤の中で浜から防波堤の間の往復を何本も泳いだ。
この日は波は元々少なかったが、防波堤の中特に波が少ないので良い。
顔を上げて泳ぐには波がないのが最高。

片道50メートル位。
プールなら50メートル連続はちょいとつらい。
特に最近はプールに行くようになってよくわかるのだが、
プールでは体が浮かない分しんどい。
最初プールに行った時には海の調子で泳ごうとして沈んでしまったもの。
(おもいっきり水を飲んだ。)
それで逆に、海の「体が浮いて泳ぎやすい」というのが実感出来た。
やっぱり海が良い。

で、毎日泳いだ結果どうなったか、それは次のネタに続く。
   ・・・「け」・・・
減少。体重が。

結局、新潟に行っている間に2キロ体重が減った。
やはり毎日泳いだお蔭か。
まあ、その他の仕事でもおもいっきり汗をかいているのでそれもあるでしょうが。

新潟では大阪よりたくさん食べているにも関わらず減った。
毎日あれだけ食べて、毎日アイスを2本も食べてたので(ホームランバー)
太ったと思ったのに、家に帰ると減っていた。
(むこうには体重計は「ない」。)

水泳というものがいかにダイエットに良いか。
それを確信したのであった。
で、その経験を元に帰ってきてから作ったのが「オタクラプール部」というわけだ。

もっとも、今の毎週週末だけというペースでは体重は減るまい。
増えもしないかも知れないけど。
もっと頻繁に(最低でも週2回)、1回に1キロ位泳がなくてはね。
体力は付いてきたようだけど。

最初プールに行った時には25メートル数本でずんと疲れてたけど、
今は750メートル分位泳いでもそこまで疲れないもの。

来年も出来るだけ海に行って、ダイエット&体力増進するぞ。
「オタクラ海の会」&「プール部」ただいま会員募集中。

さあ、来年の夏まで後320日(おいおい)。
   ・・・「ふ」・・・
不動尊というところが集落内にある。

話によると、昔から有って最近の一時期無かったのだが、最近復興されたらしい。
(明治天皇が来たという石碑が残っている。)
もともとは山の上の観音様とともに地元の信仰の対象であった。
観音堂から不動尊までの山道があり、その途中には古い道標がある。
もう良く見ないと字が読めないような古い石碑だ。
今のここにはお堂が有って、お不動様が祭られている。

関係無いが、このお堂の前ではなぜかしらよくかぶと虫を見る。
今年も2回見た。くわがた虫を見ることもある。
他では余り見かけないのに。
なぜ?
湿気が多いからか?

この裏には小さな滝がある。これが不動の滝である。
1本の本流と脇に支流が出ている。
さすがに去年は少なかったが、いつもはほぼ一定の水量が流れ、涼しい雰囲気を作り出している。
真夏にここに来ると本当に涼しくてよい。
さすがに直接滝に打たれるようなことはしないが。

例の大雨ではここにも影響が出た。滝そのものは大丈夫だったが、
水量は倍増、手前の山肌は崩れて溝を埋めてしまって、水が道路にあふれ出るし。
来年までには復旧されるだろうか。

この不動の滝と同じ水源だろうか、お堂の前に湧き水がある。
ここの水、年中冷たくて澄んでいる。
とてもおいしい水だ。
料理に使うと明らかに味が違う。

ここの水の冷え方というのはただの冷たい水と違う。
普通の水を冷蔵庫で冷やしたのとは違うのだ。
冷たさが長く続くというか、芯まで冷えているというか。
半日位は冷えている。
それが一旦温まると、また冷蔵庫で冷やしても同じにはならない。
不思議だ。

水は分子式で書くとH2Oであるが、Oを頂点とした「く」の時をしていて、
Oの部分がマイナス、Hがプラスで極性をもっている。
(くわしくは中学か高校の化学の本を見て。)
そのため、分子同士がゆるい結合を持ち、大きな水分子的なものを作る。

一番良い水というのは、この大きな分子が小さい(変な言い方だけど)ものらしい。
分子が小さいほどいろいろなものに浸透するからだ。
「π(パイ)ウォーター」というのを聞いたことがあるだろうか。
イオン水とは違う。この水なんかそのあたりの分子状態が理想的らしい。
だから、π水に野菜や果物をしばらく漬けておくと農薬がすべて取れるという。
おそらくはこの不動の水はこのπ水に近いのだろうと思う。

今度行ったら(10月ね)、この水で、新米のご飯でも炊いてみるか。
おいしいぞ。きっと。
   ・・・「こ」・・・
コンピューターから完全に離れる生活というのも良い。
新潟に行っている10日間は全くコンピューターには触れなかった。
マシン本体はもちろん、雑誌も買わないし、それについて考えもしない。

そう言えば、新潟の家は文明の力らしきものは少ない。
いつもの会社や自分の部屋とは大違いだ。
せいぜいテレビと冷蔵庫位か。
(今時、そのどちらも文明の力とは言わないか?)

コンピューターから完全に離れると言うのは、日頃どっぷりと浸かっているだけに
最初は少し禁断症状が出るのだが、慣れてくると反動で全く考えなくなる。

以外とそうことが有った方が後でアイディアが出たりする。
何事も浸かりすぎは毒と言うことですかな。
折角田舎にいるのに仕事のこと考えたり、コンピューターのことを考えるのは野暮と
言うもの。自然の中にいる時には自然を全身で感じること。
それがすべてですな。

そういえば、前の会社にいる時に1月休職して新潟に篭ったことが有った。
その時はコンピューター一式を持って行き、20日間位、毎日朝から晩まで
プログラムを組んでいた。
それまで家で自分のためのプログラムが組めないストレスを一気に解消した。
今の家でのプログラム開発に使っているライブラリ(まあ、細かいプログラムの
かたまりみたいなもんですな)はこの時期のものがベースになっている。
もうその当時そのままのものはないけれど。

そういえば、その時水道管が破裂して家の水道が使えなくなったっけ。
まあ、もう5年近く前の話だけどね。
   ・・・「え」・・・
衛星放送だ!
なぜテレビが文明の力と言ったかといえば、実は田舎のテレビでは衛星放送が
見れるから(正確に言えば「見ることが出来る」)からである。

新潟での最初の内は朝から働いていたが、そのうち疲れがたまってきたのか
朝からすぐ働くにはつらくなった。
そこで、テレビを少し見てから作業開始、ということになった。

で、何気なくテレビを見ていると「ああっ、女神さま!」をやっているではないか。
藤島康介原作の漫画のビデオ化作品である。

以前に友人に第1話を見せてもらったことがあるが、
それを毎日1話ずつやっていたのだ。
不覚、1〜3話を見逃したぜ。

各テレビ局の中で、アニメの扱いがうまいのは、以前は10chの読売だった。
作品の選び方から声優のあて方まで実にうまい。
映画では6ch朝日が声優の選び方がうまい。
どちらも下手なのが8chフジテレビ系。ジャンプとかの雑誌の人気ものしか
アニメかしないから若い連中には受けが良いようだけど、実に内容がなくて
まさに「あほ」向け。悪い意味だけでなく、頭を空っぽにして「あほに」なって
ストレス発散にはいいかも。

最近アニメがうまいのは19chテレビ大阪。手当たり次第という感もあるけど、
まあ、数撃ちゃあたってる。
そして、NHK−BS2。ここではオリジナルは少なく、他の民放が作ったものを
再放送しているのも多いけど、なかなかいい。OAV(オリジナル・アニメ・ビデオ)
の放送も良いものを扱っている。
以前は10chが「あにめ大好き!」でいいOAVを出してたのに、今はさっぱりだ
もの。

・・・しまった、実はアニメ好きなのがばれてしまった。
(もうばれてるって?)

でも家では衛星放送が見られなくて残念だったけど、こちらでは見放題。
しかし、こうも良いものがあると、家でも見たくなるぞ。
ビデオデッキには衛星チューナーが付いてはいるし、実はアンテナも持ってるん
だけど、今の家では付けられない。しくしく。

引っ越ししたら付けてやる!
(そう言えば、いろいろいわれるNHKの受信料だけど、年間年払いで¥14000で
安いよ。新聞に比べたら格安。)
   ・・・「て」・・・
寺泊は漁港である。

漁港であるのと同時にここにはアメ横がある。魚屋がたくさんあるのだ。
しかし、何で魚屋街のことをアメ横と言うんだろうか?

私が北雪を買うのはこの中にあるとあるお店である。
なぜ魚屋なのに売っているのか。(正確に言えば、そのお店は魚屋というより
魚加工製品販売といったところ)
どうしてそこに売っていることを知ったのか。
それは謎である。
(ほんと、本人もわからない、というか忘れた。)

私は元々そんなに魚介類を食べる方ではなかった。
しかしここへ来て、新鮮な魚や「いか」を食べるようになって変わった。
本当に新鮮なものはおいしい。
それ比べれば、大阪で普通に買える魚介類は半分腐っているようにも思える。
特にイカなんて、大阪のはゴムみたいだ。
極端な言い方だが。

値段自体はそう安いものではない、らしい。
しかし鮮度は抜群だ。
ここで魚を選び、おろしてもらったさしみを食べる。
涙が出るほどうまい。
まあ、ここだけでなく、この辺りはどこでもそうだが。
寿司を食べて泣いたのは新潟だけである。
(余りのうまさに涙した。)
もっとも、余りの値の高さに涙したことは他の土地でもあるが。

余り知られていないが、ここからは佐渡へのフェリーも出ている。
佐渡への船と言えば、大阪よりの直江津か、新潟から出ているジェットホイル=
水中翼船が有名なのだが(ちなみにこの水中翼船はあのボーイング社製で、
ボーイング???という。???は3桁の数字。忘れた。888だったかな?)、
ここ寺泊から出ているのはごくごく普通のフェリーである。
(そういえば、何で寺泊から佐渡にフェリーが出ているかを知ったのも謎。)

ここから佐渡が一番距離的に近いのに、時間としては一番かかる。
約2時間20分。その佐渡の港も小さい港で赤泊という。
ここはあの銘酒北雪の酒蔵がある。寺泊で何で北雪を売っているか。
なんとなくわかったであろう。

寺泊の良いところは、駐車場が無料、お米も売っている、
持って帰るための発泡スチロールの箱なども無料か安い。
氷は無料で入れてくれる。全国に配送もしてくれる。
などいろいろある。
大阪ではもちろん無名だが、東京からは日帰り買い物ツアーもあるらしい。
だからいつも混んでいる。
ちょっと人が多すぎるのが難点と言えば難点である。

そうそう、ここでは半端もんの魚介類などを串焼きで売っている。
1軒ではない、ほとんどの店がやっている。
いか、ほたて、さば、たい、あなご、等など、種類も豊富。
値段がこれまた安い。
大阪辺りで縁日でイカの姿焼きなど買うと、うすっぺらい、もろ冷凍もんでまずい
ものが500円くらいするが、ここでは肉厚の有るどでかいのが350円位である。
まずこれ1はいでお中いっぱいになる。
これを食べに行くだけでも価値有り。
・・・どこの漁港でもこうなのかな?

なんにしても、ここは一度は行くべき場所である、と言い切ってしまおう。

        ・・・「続:て」・・・

寺泊第2段。

別方向で近い大きな魚屋といえば、鯨波という所にもある。
鯨波は例のうどん屋大黒亭の近くである。
こちらは1軒の魚屋としては非常にでかい。(日本一らしい。)
しかし、所詮1軒しかないので、選べないと言うか、種類が少ないのが欠点である。
寺泊は比較的大きな魚屋がたくさん有り、いろいろと見手回り、選べる。これが良い。

しかし、私の集落から30キロも離れたこんな寺泊を知ったのは、
ほんの偶然であった(鯨波は帰り道だからわかる)。

ある年、新潟へ車で友人と2人で行った時、途中の1日を別行動することにした。
友人は新潟市内の美術館に行ったが、私にはこれと行っていくあてはなかった。
そこで、何とはなしに海岸沿いを走り続けていったのであった。
(そうそう、クラゲにさされまくったのはこの時の新潟でだな。)

この時には非常に大きな発見がいくつも有った。
すべてをくわしく書くことは、またいつかの機会に譲るとして、
(新潟ねたは、まだまだ有るので、いつかまた特集しよう。)
要点だけ書くと、
        となり町の海岸の美しさ
        日露戦争:日本海軍が勝った秘密
        田中角栄:ロッキード事件の真相
        良寛記念館
        なぞのお店群
        弥彦神社
        バッテリーがあがった!ピンチ!!!
である。
ここで、見つけた謎のお店群と言うのが寺泊だったわけだ。

行きには、10年も前に行った記憶をたどって出雲崎をめざし、
そのあとは分水町(鳴き砂という、踏むと「キュッ」という音が鳴る砂があると
教わった)を探し、最後には弥彦神社という日本一大きな鳥居がある
場所まで行ったのであった。

その帰り、行きに気になったお店のところで止まってみたら、寺泊であった。
本当に偶然、知ったのである。
まさに、車によって行動範囲が広がったことによるものである。
(それまでは列車だったので、集落内から他へ出るということは出来なかった。)

その後は新潟へ行く度に行っている。
何回かは親戚も連れていったが、みんなよろこんでくれた。
親戚はここのことは知らなかったらしい。
まあ、そこまで30キロもあるし、ここまで来なくても魚は買えるからね。
   ・・・「あ」・・・
朝方は涼しい。

新潟は昼間の温度は結構上がる。大阪以上になることもしょっちゅうで、
フェーン現象が起これば40度近くまでなることもある。
しかし、大阪に比べ湿度が低いのと、常に風が吹いているので(俗に言う海風)
過ごしやすい。

海風というのは、昼間は海から陸へ、夜は陸から海へと吹く。
日中は水の方が温まりやすいから先に温まった水=海から陸へ、
夜は逆に、さめにくい陸からさめやすい水へと吹くわけである。
両方の温度がほぼ一緒になった時が「凪」(なぎ)といわれる
無風の時間である。

昼間は暑くても、夕刻になると急に涼しくなる。
だから外に出て星を眺めたり花火やバーベキューをしようという気にもなる。
熱帯夜などはほとんどないのではないだろうか。

朝方には山からの風が吹き込んで、さらに涼しくなる。
タオルケットをちゃんとかけていないと風邪を引きそうになる。
自然のクーラーである。実に心地よい。

こういうところに10日もいると、ほんと大阪には帰りたくなくなる。
大阪に帰り着き、車の窓を開けた時のあの熱気と湿度がいや。
空気も臭いし。
ああぁぁ。
   ・・・「さ」・・・
さっさと庭掃除を済ませようと思うには、見た目が悪いとかいうことよりも、
もう1つ大きな理由がある。
それは庭でバーベキューをしたい、ということだ。

バーベキューは毎年の恒例行事で、庭にバーベキューコンロを組んで
星空の元バーベキューをするのである。
(1人でもやる。)

今のコンロは実は4代目である。最初の3代は毎年買い換えた。
市販の金属製のものであったが、どれも皆満足行くものではなかった。
火が着けにくい。背が低い。不安定などなど。
市販のものではどうもうまく行かないのだ。
(それでも苦労しながらやってたけど。)

で、最終的に今有るものは自作である。
コンクリートブロックを積んで、その上に網を置いた実に簡単なものであるが、
これが一番良い。
これになってもう何年も使っている。

たしかに持って運ぶ分けには行かない。
しかし、ここの庭でやると決めていれば、ここにずっと置いておけば良い。
(とはいっても、買える時には片付けて庭の端に置いておくが。)
以前は海辺でやったこともあるが、そういうことは出来なくなった。
その点は少し残念だが、家で用意をして、すぐに焼けるということはいい。
(海の場合、あらかじめ用意してそれをごっそり持っていかなければならない。)

苦労したかいが有って火はとても着けやすい。
今までは何十分もかかっていたものが10分以下で着く。

コンクリートで作ろうと思ったのでは有ったが、そのコンクリートを大阪で買って
持って行くというのは非常にためらわれた。他の荷物も多い分、
とても出来るものではない。しかし、近所(と言っても6キロはある)に
園芸用品を置いているお店を発見、そこで調達することにした。

さすがは田舎の園芸屋である。置いているものが違う。
田植え用のものとかいろいろ有る。しかも、お買い上げの方には
軽トラックまで無料で貸してくれるのだ。

まあ、それはいいとして、ここで必要な分ブロックと煉瓦を買って(網は大阪で調達)
作ったのであった。
しかし、煉瓦とブロックの重いこと。それを載せた車は後ろが下がって
明らかに坂を登りにくかった。大阪で買って行かなくて良かった。

苦労の末出来たバーベキューコンロ。
それで焼いたバーベキューのまあ、おいしいこと。
新鮮な材料+空気の良さ、夜の星空のすばらしさなども相俟っている。
これに人数が揃ってみんなでわいわいやるとさらにおいしい。
ビールを飲んで、ほろ酔い気分で歓談すれば、これに勝る楽しみはない。
その前に準備、コンロ作り、材料買い、みんなひっくるめてね。

・・・ここ数年は1人なのでちょっとさびしいけど。

今度新潟に行った時、寒いけどやってみるかな。
もし他に誰か行けば、だけど。
   ・・・「き」・・・
キリスト教の怪しい集団。

それはお墓掃除をしている時のことだ。
お墓から真正面に某ハム会社の海の家と秩父市営のオートキャンプ場がある。
このハム会社は地元では結構大きなハム屋で、値段も安いとか、
何でこんなところに秩父市のキャンプ場があるんだ?というのはどうでも良いことで、
その前に何やらトラックやらキャンピングカーがたくさん止まっていることに気が
ついた。

そのトラックなのだが、側面に何かが書いてある。
まあ、そのトラックの持ち主の宣伝が書いてあるというのはごくごく当たり前なの
だが、何やら変なのだ。
よくよくその側面を見ると「キリストは・・・」「審判の日は・・・」等と
書かれている。
「えっ!?」

どうもそのこいるのはキリスト教の集団であるらしい。
トラックやキャンピングカーを連ね、こんなところに住み着いているのだ。
その台数は1、2、3・・・かなり多い。
洗濯ものを干したり、食事を作ったり、ごく一時の滞在とは思えない。
そして人種も日本人(だけ)ではない。
いろいろいる。

まあ、そこに住んでいるだけで、特に怪しい活動はしていないようではある。
一度だけキリスト教云々(世紀末がどうとか天国がどうとかいうもの)の
チラシがポストに入っていたが、それ以降街頭宣伝があった訳でも、
集会を開いているようでもない。

が、今はお盆の時期で人が多いからおとなしくしているだけかも知れない。
人が少なくなると本性を現すかも知れない。
人種がどうとか宗教がどうとかいいたくはないが、
余りに群れているし、なんといっても某テロリストの事件があったときだけに、
「田舎に逃げてきているんじゃないか?」とも疑いたくなる。

今度行ったときにどうなっているか、確認しておかねば。
   ・・・「ゆ」・・・
有名なものこれあり、といえば、

        西山では田中角栄
        刈羽では柏崎原発
        柏崎は日蓮上人が漂着した番神堂、
        出雲崎では良寛さん

であろうか。これからは「耳をすませば」で有名になるかもしれない。

新潟県自体は有名であるが、さすがに柏崎まで知っている人は少ない。
が、調べれば結構全国的に有名なものはあったりする。

田中角栄については今更何もいうことはあるまい。
中学卒の学歴だけで総理大臣にまでなった人物である。
それなりに悪いこともしたようだが、やることはやった。
そこが今の、口先だけで、金のために動く政治屋とは違うところである。
今はもう越山会は解散してしまったが、それがあるとき、
その中での「田中先生」の人気は絶大であった。

柏崎原発。
全国的には有名でないかも知れないが、一応日本最大の原発で7号機まである。
その実態は竹薮に囲まれており外からは見えない。
送電塔の明かりが夜に見えるくらいだ。
これが出来るかどうかの騒動があったのはもう25年も前の話。
その当時は大湊(原発が出来るところにあった集落名)の家には
「原発反対」の立て看板があったっけ。子供心に覚えてる。
これが出来たおかげで道路は海岸沿いを走れなくなり、内陸を走るようになった。
まあ、いい道には違いないのだが、そこを走っているときになにかあったら
まちがいなく蒸発である。

日蓮上人というのはその名の通り日蓮宗の開祖である。
時の幕府から疎まれ一時は佐渡に島流しにされたが、
許されて戻るとき、嵐にあって、鯨波の番神堂の前の海岸に漂着されたらしい。
この番神堂はこのときに改宗したそうだ。
お堂の中には日蓮上人の一生を描いた絵がある。
そういえば、佐渡に行ったとき、バスガイドさんは「佐渡の人は佐渡がかつて
流刑の島だったから、罪人の子孫ということで引け目はないか?ということに対して、
当時佐渡に流された人はいわゆる思想犯で、尊い人も多かったということで
そういうことはなく、むしろ誇りに思っていると言っていたっけ。
番神堂の横にある建物には立派な彫刻があるのだが、
その中に1頭の蝶がいる。その姿を発見できた人は幸せになれるといわれている。

最近有名なのはやはり良寛さんだろうか。
その生き方は、まさに禅の生き方で、目的も無くただがむしゃらに生きる
現代人に対して1つの警鐘ともなるべきものである。
その生き方は単純にして深淵、おもねらず、こだわり無く、自然に生きることで
あった。古くは松尾芭蕉の創った「わび・さび」の世界に通じるものがある。
近年、良寛さんの記念館がいくつか出来た。
これを機会に見てみるのもいいだろう。
私としては、名解説者のいる出雲崎の(元祖)良寛記念館をすすめる。

ということで、今の柏崎いろいろであった。
   ・・・「め」・・・
明治時代の話。

先の有名の話ではあえて書かなかったのだが、明治時代から昭和の初期にかけては
柏崎の私の集落は全国的に有名であった。

そう、まだ馬が交通手段として有効であった頃、ここには日本3大馬市1つがあった。
そのころは、海岸から沖まで馬屋が並び、にぎわっていたそうだ。

明治天皇がこんな田舎を訪れたのもその理由からであろう。
今となってはその面影はまったくないが。

そう言えば、江戸時代には藩も有ったとか。
今でも城跡は有るにはあるんだけど。
ということは、いまでこそ付近で一番小さい集落だけど、
昔は一番大きくて活気の有った町だったのね。

・・・あっ、もう終わっちゃった。
   ・・・「み」・・・
みやげ。

今年はみやげの量が異常に多かった(^.^;)ので買ってきた種類は少なかったけど、
実は新潟にはいろいろなおみやげがある。

それはもう農作物や海産物のおいしいところ、さらに米所としては天下一な
わけだから、米関係のものは非常に多い。
米そのもの(越光)はもちろん、お酒、おかき類は非常に多い。
あれ?味噌と醤油は聞かないなあ。

いまでこそ新潟は米所だけど、昔、そう江戸時代とかは違ったんよね。
江戸の時は加賀100万石とかいって石川県地方はすごかったらしいけど、
新潟は土地がぬかるみになりやすくで、稲が腐ってしまって駄目だったそうだ。
それが、近代に入って稲の改良を続けた結果、湿気に強い稲、「越光」が出来て
今の米所をつくったんだとか。
だから、新潟が米で潤うようになったのはここ50〜100年(ひょっとすると
もっと短いかも)のことなのであった。
1つ勉強になったね。

お饅頭類も多い。
でも昔から変わらないようなものが多くて、キャラクターものや受けねらい
ものはない。よくスキーに行った時などにそこの名前の入っているだけで、
どこに行ってもあるようなお菓子があるでしょ。ああいうのは少ないかな。
結構独特でいい。まあ、どれを選んでも大きな外れはない。
特に今回、西山のナルスの近くに和菓子屋が出来ているのを発見したので、
次回はぜひ見に行かねば。

海産物ならねえ、半端ものねらいが結構いい。
いか鳶とか、ゲソ、一夜干し、するめ、わかめなどなど。
まあ、大阪では買えない値段でごっそりでんな。

10月のお米の収穫時期に行くと、新米やそれを使ったおかきが出る。
これがまたおいしいんだな。さらに同じ時期にはさんまも旬なのでいいと。
おお、いかも旬じゃ。
じゅるじゅる。
   ・・・「し、その1」・・・
渋滞。
今回は渋滞だらけ。

行きはまず名神に入るまでが大変だった。
週末ということもあるんだろうけど、うちから名神吹田ICに行くまでの
中環が混み混み。
「こりゃ、かなわんわ」と思って吹田で入るのをあきらめ茨木へ向かう。
そしたら万博周回道路がこれまた大混雑。
しかし、171号線に抜けたらすいてた。
最初から素直に171にでてれば良かったのか。
茨木で入ってからの名神は比較的順調。
車の量は多いけど、渋滞というほどではなかった。

帰りの14日(月)はUターンラッシュ前だと思ったんだけど、
車の量は多かった。それでも福井に入るまではすいてたんだけど、
そこからがもうだめ。
敦賀あたりからまず渋滞。
あそこはなぜ渋滞するのかわからない。
海水浴で混むときもあるんだけど、今回はそういう感じじゃなかった。
米原付近は混んではいたが、思ってたより順調。
ところが名神が瀬田あたりで代渋滞とか。
結局栗東で降りて一般道で帰ることにした。

それにしても一般道は走るのが大変でんな。
栗東から大阪なんて普通なら走るもんじゃない。
そうでなくても新潟からの長距離走行の後の渋滞+一般道走行で
くたくたになったのどした。
しばらくは車を運転したくない気分。
心底疲れたという感じ。

でも、余りに疲れすぎるとかえって寝れないものなのね。
翌日はしっかり寝不足でした。

        ・・・「し、その2」・・・

じゃがいも。

例の大雨があったあと、集落内を歩いてみたらえらいことであった。
これは前に書いた通り。
山道は塞がれてるは、ため池は崩壊するは、
池のど真ん中に大きな木が流れ込んでるは。

そういう状態だから、畑も被害は免れず、一部ではさら地状態になっていて、
「ここ、何があったんかいね?」と
いう感じであった。

そういうところでは、地中にうまっていたものが地上に出ていた。
じゃがいもが転がっていたのだ。

「何で、こんなところにじゃがいもが転がっているのだろうか?」
しかもなにか表面が磨かれたようなきれいなじゃがいもが。
栽培のために植えたとしたらきれいすぎるし、地表に半分出てるし。
で、よく考えたら「ああ、大雨のせいで・・・」。

地中にあるじゃがいもを掘り出すほどの大雨だったというわけだ。
改めて今回の大雨の力を思い知ったのであった。

転がっているのは、まだ収穫時期でないためか小さいものも多い。
しかし、それにしても新じゃがのおいしそうなこと。
ついつい、いくつかもらってしまったのであった。

「大雨のせいで流れたものは誰のもの?」
「まあ、もうこのままにしておいても腐るだけだから、いいよね?」
などと勝手な理由によりいただいたのであった。
(畑の人、ごめんなさい。)

家にかえってふかして食べたらおいしかった。
やっぱりとりたてはいいねえ。

・・・って、おいおい。
   ・・・「ゑ」・・・
「縁はいなもの味なもの」・・・というのは高校の時に習った現国の
教科書にあった話だが、「ラムネ氏」の話とともに今でも覚えている。

不思議な縁というものは自分と同じ世代だけではなく、
遠く離れた世代間においてもあるものである。

「良寛」という名前を初めて知ったのは牛乳であった。
地元には「良寛牛乳」という物があるのだ。
地元では一番メジャーな牛乳だ。
だが、その当時、それがどういう由来のものなのかわからなかった。

20年以上前、東京の(いつもは来ない)親戚の人が遊びに来た時、
車で初めて集落より先に連れていってもらった。
その時行ったのが「出雲崎」であった。
そこは良寛さんの故郷であるが、それを知るのはもっとずっと後の話である。
(そうそう、その時は出雲崎の町中が祭りで、車が動かなかったっけ。)
この時見た夕暮れの浜辺の風景が今も忘れられない。
特にきれいな風景でもないようなのだが、なぜか。

自分で車を運転して行って、初めて先に走った時、
道標になったのがその20年前の思い出であった。
あの時見た風景はどこ。
それを探して走っているうちに良寛記念館と寺泊と弥彦神社を探させた。
(この話は前に書いた。)

良寛さんという人に付いてくわしく知るようになるのはそれからさらに5年も後。
今は本も読んでよく知っているが、そんな人が自分の田舎にいたとは、
なんとなく不思議である。

地元には記念館も有って、もちろん昔から故郷が排出した
有名人(?)と言うことで知られていたし、私も知っていたが、
世間的にその名が知られるようになったのは極最近のことである。

今の自分に良寛さんのような生き方は出来ないだろう。
それはそこまで捨て切れないからだ。
それはいろいろな生活があるのでしかたない。

しかし、現代のような混沌とした世の中でこそ、彼のような割り切った生き方が
混沌の中で人を救う道ではないかと思う。
私だけでなく皆がそう思うからこそ、最近、良寛さんの生き方が研究され、
有名にしたのではないだろうか。

たしかに出雲崎や私の集落辺りにはそういう情景がある。
私を、何もないこんな田舎に引き寄せるものがある。
心落ち着かせる何かが。
それは何かといわれてもそれは説明出来ない。
ただ漠然としているが、それはたしかにそこに「有る」。

かつて、良寛さんは山寺を訪れた時に芭蕉の読んだ句の意味を悟ったという。
芭蕉、良寛さんよりさらに300年も昔の人である。
しかも方や俳人、方や禅の人である。
時間と職業を越え、人の意志が通じた瞬間であった。

100年以上の時を越えて、良寛さんのめざした意志が、
私の中に何かの礎を作ることが出来るのであれば、
これまさに時を越えた縁と言えるのではなかろうか。

そしてそれは、良寛さんという1人の人だけではなく、
彼の悟りの形成に寄与した全ての人の縁とも言える。
自分が今考えているということは、紛れもなく長きに続いている人の歴史の証であり、
「縁」の象徴なのである。

人は考えるが故に、それ自身が歴史である。
   ・・・「ひ」・・・
昼間は仕事。

今度行くのは完全な遊び(とはいえ、食料調達というのもある。
新米を買ったり、いかと秋刀魚の新鮮なやつを買ったり・・・じゅるじゅる、
あっ、よだれが。)であるが、お盆の時期の帰省は半分は「仕事」である。

田舎の家は普段人が住んでいない。そのため荒れている。
(中;今は住んでいるがこの当時は住んでなかった。)
私の仕事はまずそれを正す(?)ことにあるのだ。

最近は夕方から夜にかけて走る。向こうに着いた時にはもう1時過ぎだ。
部屋の中はほこりだらけなのだが、さすがにその時は掃除する気になれないので、
とりあえず布団を引くところだけほうきではいて寝る。

翌日から、家の中はさて置き、まずはお墓掃除に向かう。
お盆であるからして、御先祖様の居所を掃除するのが最初というわけだ。
(でも、お盆には家に帰ってくるわけだから、家も掃除しなければならない。
でもお盆までにはもう少し時間がある。)

最近の区分けされてコンクリート敷の墓ならいざ知らず、田舎の山の
お墓というものは、さすがに周りこそコンクリート敷にはしてあるものの、
植木の部分や周りは草がぼうぼうであるし、枯れ葉等も積もっているので
それを綺麗にしなければならない。

真夏の炎天下での作業である。しかも作業中は長袖長ずぼん。
麦藁帽子に軍手。もう20分もしないうちに汗だくである。
汗をかくだけで痩せるなら、1日で1キロ倉癒せそうな勢いである。
(実際には汗を書いてもダイエットは出来ない。汗かきダイエットというのは
嘘である。お中のしんぼうはそんなことでは減らない。私の実体験からもそう思うし、
科学的にもそう証明されている。くれぐれもだまされないように。)
このお墓掃除に2日かかる。(半日*2)

お墓掃除だけではない。炎天下でする仕事は庭掃除もある。
うちの家は田舎の家なのでそこそこ庭が広い。
それを大体(隅から隅までとはよう言わない)綺麗にするにも3日かかる。
(丸1日+半日*2。)

そうそう、こういう外掃除の時には蜂がいるのでよう注意。
結構多いのだ、この辺りは。

庭の草は燃やすことになる。上に積み上げると軽く1メートルを越えるような
草の量が2山分も出来るような草の量だから、
1日積んでは燃やし、また次の日に積むという感じだ。
この燃やしだけでも汗が出る。

外掃除が終わってからようやく家の中掃除だ。
掃除機をかけるだけじゃないぞ。くもの巣ははらわなきゃいけないし、
板の床は雑巾がけもするのだ。どこぞのだれかさんとはえらい違いかも知れない。
(誰だ、そこでくしゃみしているのは。)

これは仏壇のところ以外は1日で終わるが、もうこの頃になると体にも疲れが
たまっているのでたいへんだ。仏壇だけは親戚が帰ってきてから一緒に行う。
ここだけは小物が多いのでたいへんだからだ。

結局、着いてから完全に1日遊びに出来るまで5日位かかってしまうのだ。
それまでに家の中も汚い。だから、お盆休みは10日位まとまってなければ
だめ、というわけだ。別に遊び惚けているわけではない。
一種の修行場とも言えるかもしれない。(おおげさ)
   ・・・「も」・・・
問題を起こす車と言えばこれあり。
はっきりと書いてしまおう。

        「足立、熊谷、練馬」

新潟、お盆以外の時期だと見る車はほとんど長岡で一部新潟のナンバー。
それ以外は少ない。まあ、最近は関越があるから関東方面は割りと
見るようになったけど、関西方面というのは少ない。

7年も前、まだ北陸自動車道が全通しない時にはさらに少なくて、
大阪ナンバーというだけで呼び止められたほどである。
最近はそういうこともないが。

さて、お盆の時期になるとナンバーが多種多用になるのだけれど、
その中で、何か変なことをする、マナーが悪いということがあれば、
大抵は先の3ナンバー「足立・熊谷・練馬」である。
まあ、いわゆる関越ナンバーである。
私は「3悪」と呼んでいるのである。

なぜ彼らが新潟に来るのか。その理由は簡単。
海のないその地方の人間が海を求めてくる場合、関越道を通って来るわけである。
太平洋に出るには一般道を通るか混む首都高を通らねばならない。
それよりかは距離は遠くなっても新潟に出た方がいいというわけだ。

その理論自体は間違っていない。
ところが、こいつらのマナーが実に悪い。
大阪も大概悪いと思うが(とくに地方で変な車を見たら大抵「なにわ」というのは
情けない。全く大阪人の面汚しだ。)、それよりももっと悪い。

さらに、大抵やってくるのは「若者」ならぬ「ばかもの」だからたちが悪い。
そういうのに限って飛ばす、ウインカーなしで曲がる。
マフラー変えてうるさい。
ある意味、どこぞの暴走バカと変わり無い。

結局、自分の土地でないからどんなことをしてもいいと思っているようだ。
「旅の恥じはかき捨て」等と言い出しそうだが、その意味は全く違う。

本来のその意味は「知らない土地ではその土地なりの風習が有って、
それを知らない人が頓珍漢なことをしてしまいがちだが、それは仕方の無いことで、
そういう恥じは捨てて帰ればいい」ということだ。
決して、「旅先ではどんな「恥ずかしい」ことをしても構わない。
旅先の誰もあなたを知らないし、帰っても旅先でのことを誰も知らない」ではない。
そこんところを考え違いしているのではないだろうか。

訪問者になる旅先でこそ、きちんとした礼儀が必要なのである。
それが出来ない奴らには旅に出て欲しくない。
いや、出る資格は「無い」。

・・・でもじゃないけど、地元の人間の運転も、そこそこに荒いので
他の地方から行った人間は要注意だ。特に年寄りはバイクで道路のど真ん中を
のろのろと走った上にウインカー出さずに急に曲がるし、車ぶつけておいて
平気な顔してるし。(私ゃ、駐車場で自身有りげに勢いつけてバックして、
そのまま横の車にぶつかって、運転手がいないのをいいことにそのまま何食わぬ顔して
入れ直したじじいには驚いた。おいおいおいおい!!!!ってな感じ。)
まあ、慣れない土地では慎重に、ということですか。
   ・・・「せ」・・・
蝉の話。

このシリーズをかき始めた時にはまだ蝉が朝からやかましくい鳴いていたのに、
今はもうその声を聞くことも少なくなった。(まだ天気の良い日には聞くことも
ある。)

さて、田舎にいて自然の中にいると、まさに自然に周りの自然の動きが
よく見えるようになる。
蝉というものは、特に鳴き声がするだけによくわかる。
この蝉の生態というものも、じっくり観察してみると実に興味深い。

大阪では朝から、
        くまぜみ
        あぶらぜみ
        つくつくほうし
の順で鳴くし、そういう種類が多いのであるが、新潟では違う。
(それぞれの鳴き声と姿がわかる?)

新潟では、
        にーにーぜみ
        あぶらぜみ
        ひぐらし/みんみんぜみ
となる。
新潟にはくまぜみとつくつくほうしはいない。
おそらくは気温による北方分布限界があり、くまぜみやつくつくほうしは
新潟のところまで分布していないのだと思う。
一体どの辺りまではいるのだろうか。

みんみんぜみは、大阪でも秋に近いころに鳴き始める。
そういうところから、みんみんぜみは比較的温度が低いところでなく
蝉だということがわかる。ここでいう日かくとはくまぜみと比べ、
という位に考えて欲しい。

ひぐらしは「カナカナカナ・・・」と鳴くのだが、
これが実に夏の夕暮れというか、お盆から初秋を感じさせて趣深い。
もっというと、お墓によく合うのだ。
まあ、私がお墓の辺りでよく聞くからそういうイメージが有るのかも知れない。

ところで、今年は蝉が多かった。
去年は少なく、一昨年も多かった。(今年より。)

一昨年なんて、木にまさに鈴なりのように蝉がいっぱい止まっていた。
台風が来た後はだいぶ減ったようであったが。
(その時、新潟は台風に直撃された。この台風が塩を含んだ風を
大量に吹かせたため、植物が塩害でたいぶ枯れてしまった。
植物の葉に塩が付くと葉から水分が取られてしまい、枯れてしまうのだ。
しかもそれはわずか1日以内で起こってしまう。
新潟の米の不作の一部はこれによる物だ。
これほどの塩の影響、蝉などの小動物にももちろん大きな影響を与えただろう。)

今年の多さはその時ほどではないが、やはり多いように思う。
観音堂から不動尊までの道の竹薮の中に蝉がたくさんいる。
歩くと飛びまくる。背中に止まる。網を振り回せば毎回2、3匹は取れそうだ。

ここにいるのはひぐらしとかみんみんぜみのたぐいか。
羽が透き通っていて少し小柄だ。あぶらぜみはいない。

そうそう、あぶらぜみやくまぜみ、にーにーぜみは太陽の日の光の当たる
ところにいるが、みんみんぜみやひぐらしは日の当たらない涼しい薮の中に多い。

田舎に帰って、小学生気分でこういう観察してみるのもおもしろい。
来年は何を観察しようか。
   ・・・「す」・・・
雀蜂、こう書くとなんかかわいいようだけど、
実際にはこれほどかわいくなく恐ろしい虫もいない。

子供の頃、大阪では夏になるとよく裏山に入ってカナブンとかを取ったものだが、
そういう樹液の出るところには大抵すずめばちもいた。
そういうところにいるのは大抵かなり大型であった。
でも刺されたことはない。
蜂は元来、攻撃されなければ自分から襲うようなことはないようだ。

だから、見た目は恐ろしくてもすずめばちを過分に恐がったり
恐れたりすることはなかった。もちろん憎むことなどない。
が、これも一度刺されてしまうとそうはいかなくなる。

庭掃除をしていると、トイレの外壁から蜂が出ているのを発見した。
外壁には穴が有ったのだが、その中に蜂が巣を作ったらしい。
トイレの内側から壁をたたくとがさがさという音がする。
これはかなり大きな巣だ。
しかもよく見るとそれはすずめばちではないか。
これはほってはおけない。

本当なら、こういう時は市の保健局に相談するのが筋らしい。
だが、田舎に帰っているわたしにはそういうところに頭が回らなかった。
しかも今まですずめばちにさされたことがないもので、その痛さなども知らず、
「まあ、蜜蜂2、3匹にさされた程度だろう」等とたかを括って、自分で
退治することにした。
見た目小型のすずめばちであったのもそう判断させた材料だ。

まずは重装備をする。
長袖長ズボン、軍手、麦藁ぼう、首にはタオル、サングラス。
これに釣りようの大型の網と殺虫剤、さらに蚊取り線香を4本ほど炊いた。
まずは遠くからのいぶり攻撃だ。

この辺りの蜂は殺虫剤系の攻撃には慣れていないらしく、
蚊取り線香のような弱い物でも効果はある。殺虫剤をかければ文句なしだ。
穴の上に網をかぶせ殺虫剤をかける。
(使っているのはかなり強力な殺虫剤。)

しかし、蜂の出口は見えている穴だけではなかった。
横の穴や、かなり離れた下からも出てくる。
これはかなり大きく巣くっているようだ。
余計に早く退治せねばなるまい。

さらに蜂は今中にいるものだけではなく、
外から帰ってくるものもいる。
横、下、外、そういうものにも気を付けながら作業をする。

この時1つ誤算が有った。
軍手をしていれば刺されないと思っていたのだ。
ところが、すずめばちはでかい。
従って、蜜蜂程度では届かない軍手の縫い目の間を通して
針が届いてしまうのだ。しかも、すずめばちは一度さしても針が抜けない。
なから何度も刺されてしまう。

有る時軍手の上に2匹のすずめばちが止まった。
1匹はすぐ払ったが、もう1匹は軍手に噛み付いて、その上から私の右の人指し指を
2回も刺した。

やっぱり、痛いですわ。
すぐさま水で冷やした。
最初は余り痛くなかったので、「なんだ、やっぱり余り痛くないじゃ無いか」と思い、
蜂を軍手もろとも踏み潰して蜂を外し、
もう一度殺虫剤攻撃を続けた。

刺された後は一層周りへの警戒を厳重にし、
殺虫剤1本をほぼ使い切る位に穴に噴射し、出てくる奴は踏み潰し
(刺された後は容赦が無くなった)、ほぼ蜂がいなくなった頃に
穴を接着剤で塞いで閉じた。
結局2時間位格闘していただろうか。

で、問題はその後である。
刺された後は時間を追う毎にどんどん痛みが増してきた。
さらに腫れも広がり、手が倍ほどもふくらみ、
関節が動かない=手が広げた間まで握ることが出来なくなった。

これはもうどうにもならない。
家には誰もいない。薬もない。
無理でも市内に出て病院に行かなければ。

しかし、この日は土曜日であった。しかももう午後。
さらに、田舎ではどこにどのような病院があるかもわからない。
こうなったら薬屋で薬をもらうしかない。

自由の聞かない右手を使い、車を運転して15キロも離れた市内まで行く。
この時の運転ほどつらいものはない。

市内では真っ先に薬屋へ入る。
「すずめばちにさされたのだが、いい薬はないか?」
この時の話は先に書いた通りである。
幸いにも田舎特製の良い薬が有って良かった。

すずめばちに刺されるということは、普通の蜂や虫のさされとは全く程度が異なる。

指がとりあえず動くようになるのに2日、それまでは氷冷や水冷もする。
腫れが引くのに4日。ここで腫れが引いて、そこで薬を塗るのをやめたら
かゆくなってきてかいていたらまた膨れてきた。
それでまた薬を塗るようになって、2週間をすぎることからは
腫れもかゆみも引いたが、3週間くらいは薬を塗り続ける。
完全に直るまで3〜4週間くらいかかる。
まったくもって、すごい。

今まで蜂にさされて死ぬということが理解出来なかったが、
この体験をしてからはそれもあり得ると思うようになった。
手ですらこれだ。これが首筋とか急所だったらたしかに致命傷になるかも知れない。
しかもすずめばちは毒が強い上に何度も刺せる。
それによって一層被害が広がるのだ。

まだ比較的小型のすずめばちですらこれだ。
これの倍や3倍以上もあるようなすずめばちもいる。
特に最近は山が開発されて都会の中にもすずめばちが巣を作ることが
多くなっているらしい。
注意が必要だ。

最初に言った通り、だからといって、蜂から攻撃してくることはない。
全て防御のための攻撃だ。
人間がすずめ蜂の住む環境を脅かした結果がこれであり、
本来住むべき場所が違いものが同じ所に住もうとした結果であるということも
考えなければならない。

しかしまあ、実際その巣が出来たらそこに住む人はたいへんです。
今度出来たら、今度こそ保健所にたのもう。
もう痛いのはいや。

皆さんもすずめばちには十分気を付けて。

        ・・・

ということで、「いろは47ネタ」シリーズ、おしまい。
<戻る>