「夜の稲光」(1997/09/01号)
今年の新潟は、夜になると空がよく騒いだ。

1つは先の花火である。あれが結局2日あった。
しかし、花火でもないのにそらが「どんどん」いうこともあった。
これの原因は稲光である。

雷といっても、大阪あたりの音を想像してはいけない。
海のように地表に何にもないところの上の空で鳴る場合、
その音は非常に深く低く大きな音となってやってくる。

しかも、稲光もはっきり見え、空の一部が暗く怪しく光る。
雷は恐ろしいという感じを受ける。
いいしれぬ「恐怖感」というものはこういうものだろうか。

その音と光の同期感もあの花火の比ではない。
完全同期ではないが、花火よりかはずっと近い。
(音としては似ているが、もっと深い。)

結局、こういう夜も2日ほどあったか。
しばらくして大雨になった日もあった。

自然というものは偉大である、それを新潟では感じることが出来る。
都会に住んでいると自然が遠いために、人間はいかにも自然を克服したかのように
錯覚してしまう。しかしそれはしょせん錯覚に過ぎない。

自然に対する畏敬の念を抱かなくなったのが今の自然破壊であり、
そのしっぺ返しが大規模な自然災害である。
人はその意味を知らなくてはならない。
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