「魚屋一考」(1996年08月14日〜08月16日号)
今年も魚のアメ横「寺泊」に行ってきた。
目的は2つ。勿論、主は海産物を買うこと、
もう1つは佐渡の銘酒「北雪」を買うことである。
(新潟県内でも北雪を扱っているお店は少ないのだ。)

まぁ、酒はいいとして「海産」であるが、ここではあえて「魚」とは書かない。
魚そのものだけではなく、他にもいろいろあるからだ。
タコ、イカ、カニ、海老、しゃこ、貝などの動物性の物の他、
わかめなどの海草類、魚卵類、それらの加工品など、本当にいろいろあり、
日本橋に行ってあれもこれも電化製品がほしくなるのと同じで、
ここでも多くの物が買いたくなる。
しかし、実際のところ、そんなに食べられる物でもなく、
今回はこれだけとか決めて買うのである。
それでも余ってしまい、捨てる羽目に毎回なるのが悲しい。
今年はそれでも2人だし、バーベキューも3回もやってたくさん食べたが
それでも余ってしまった。このバーベキューの話はまた後日。

今年寺泊に行ってみると、ほとんど同じなのだが、1軒だけ改装していた。
外見は同じなのだが、中身ががらっと変わっていた。
魚屋なのに、「魚」がないのだ。

        ・・・

漁港の魚屋と言えば、活きのいい魚がまるごとおいてあるものだ、
そういうイメージがあるし、実際回りのお店はそうである。
が、ここは違う。

すべてパックされているのだ。そう、都市のスーパーにあるそれと同じように。
これは、すべてのお金の処理をPOSで行うためらしく、
そのため、白いトレイに入れてパックし、それにバーコードを付けてあるのだ。

確かにそうすれば衛生的だし、売れ筋などが分かりやすいだろうが、
なにか非常に味気なくて買う気をそがれる。
実際そこでは買わなかった。
あんまり売れている感じもしなかった。

同じ魚市場にあるのだ、鮮度とかは同じだろう。
それが、パックされるだけでなぜにこんなに買う気をそぐのか。
やはりそれは雰囲気なのだと思う。
たくさんの海産物が、ありのままの姿で所狭しと並べられていると圧倒され、
勢いがよく見栄、あれもこれもほしくなってしまうのだから不思議だ。
生でおいている店でも、種類が少ないお店は人だかりが少ない。

「種類が多い」「ありのままに見える」という条件は、
それが実際に鮮度がどうとかいう判断力を鈍らせ、
「買いたいと思わせる」効果が絶対にあると思う。

たとえばそう、日本橋の電気屋でもそう、お祭の屋台もそう。
祭の屋台なんて、味も衛生面もへったくれもない。
が、やはり祭の雰囲気や、目の前で調理している感じなどが
買わしてしまうのだ。
それがいいか悪いかはわからない。
が、事実そうである。

また、パックされていると鮮度の判断も実はしにくい。
そのままおいてある分には触ることも出来るので触って判断もできるが、
パックではそうはいかない(実はそれは衛生面では良くないのだが)。
色つやも、生でみるのとラップを通してみるのとでは微妙に違う。
それに、ラップされているだけでなんだか「冷凍」のような感じもする。

パックに入れるためほとんどが切り身か小魚だという問題もある。
こういう漁港でしか見られない大きな魚、変わった魚がない。
そういう物を見るだけでもおもしろいのに。
子供なんて、それを見るだけではしゃいでいるぞ。

        ・・・

そうそう、もっと大きな違いがあったか。
「臭い」だ。臭いがしないのだ。

魚屋では、一種独特の臭さがある。
それが嫌いな人もいるが、やはりあれがなければ活きの良い感じがしない。
パックにされ、ほとんど臭わない中では、何を買いに来ているのかが
わからなくなってしまう。

この他、きれいすぎる、整理されすぎているという嫌いもある。
要するに「らしくない」のだ。

このお店は、実は寺泊に2軒売り場がある。
もう1軒の方はいままで通りだ。
2軒あるので、1軒をそのようにして試してみたのかも知れない。
その結果がどう判断されるのか、次回行ったときにはわかるだろうか。
両方パックになるか、両方生に戻るか。

「パックを好む人が多いからそうした」というのかもしれない。
事実、魚を調理できない情けない主婦(男もか?)が多いと聞く。
鱗が取れないならまだしも、「目があるから恐い」などとぬかす馬鹿もいるとか。
目がない方がよっぽど恐いわ。

魚はよほど大きな魚でない限り、自分でおろすことになる。
そこでは当然身を切るし、内臓とかを触るし、殺すこともする。
それが残酷だというなら、大間違いである。
ふだん食べている物は、自分が直接やらなくても誰かが「殺して」いるのだ。
たまたま自分でやってないだけなのだ。

むしろ、自分でその命を扱うが故に大切に扱い、粗末に出来ない心が出来るのでは
ないか。自分でさばくことでそういった心を持つのではないか。
逆に、現代のように、臭い物には蓋をしろ的な、残酷な場面は何でも隠すから、
かえって命の貴さを知らなくなるのだ。

ちょっと脱線したようだが、そんな情けない奴らをこれ以上増やさないためにも、
狭いところに魚以外の物も置かなければならない(臭いなどが移ってはいけない)
スーパーならともかく、こういう漁港の魚屋ではせめて、こういうのは
やめてほしいと思うのであった。
ということで、そこ以外の回りのお店で買いまくり、カニ+蛤+イカバーベキューを
連続で行った話は、また別の機会にて。
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