「オタクラ流文章作成術」(2002/12/16〜12/30号)
オタクラとして文章を書き始めてもう7年の年月が過ぎた。
その前に、パソコン通信のシグナルオペレーターと言うもので
2〜3年ほど文章を書いていたから、それなりの量の文章を書き始めて
もう10年と言うところか。

そういえばこの間、私の文章の書き方について書いたことがあったかどうか。
なんかあったような気もするが、もう一度書いてみることにした。

本当は、「私の文章が読みやすい」などとおだてられたので、
なればその書き方伝授してしんぜよう、等という大うぬぼれからである。

    ・・・

世の中、文章を書くのが苦手という人は結構居るらしい。
感想文を書けと言われるのが一番つらい、というたぐいである。
かつての私もそうだった。

特に理系の人は、論文形式や報告書などある程度決まった書き方が
ある文章は書けても、自由な文章は苦手という人もいよう。
確かに、理系の人間が書いてきた文章(メイルも含む)を読むと、
同じことを何度も来る返していたりして冗長だったり、
筋が通っていないと言うか日本語としておかしい文章も多い。
時には、ひょっとして英語で書いた文章を自動翻訳にかけたのか?
と思うような文章すらある。
私の所に内容の確認が来た場合は、ほぼ毎回、内容ではなく
日本語の文章としてのおかしさを直すことになる。
仕様書やプログラムが書けるのは結構だが、日本語も勉強しようねと言いたくなる。
私に言わせりゃ、英語をしゃべれるより、日本語で綺麗に他人に思いを伝えられる
文章を書ける方が重要だと思うのだが。両方出来れば言うことないが。
(私の文章が「綺麗」という気はないが、こういう人らのものよりかは
10枚以上ましという自負はある。)

文章を書く練習には日記がよいと聞いたこともあるが、実際には日記は難しい。
その日一日あったことを覚えておき、それをまとめて書くというのは
結構難しい技なのだ。
三日坊主になるのは決して本人の意志の強さによるものだけではない。
難しいから嫌になってしまうのだ。

さて、最近のオタクラは紹介記事が多い事に気が付いた人も多かろう。
これは、最近は手元を通る物について出来るだけ紹介しようという方針になった、
事実としてそういう物が増えた(決して金持ちになったわけではない。
同じ買うなら特徴のあるもの、いつもとは違う物を買おうとしているだけである)
と言うこともあるが、紹介記事の方が楽だというのもある。

思いをまとめる記事は気合いが乗っていれば楽に書き上がるが、
そうでない時はなかなかまとまらない。
これに比べ紹介記事は、物さえあればとりあえず書くことが出来る。
特徴や動作などは見たままを書けば良いからだ。
そういう意味では、作文の練習にはまず紹介記事から書くことをおすすめする。
(おすすめ度を数値化するのは結構難しいので、これはまた別。)

    ・・・

ここでオタクラの文章の書き方をざっと書いておこう。
オタクラの執筆には、別段特別な道具は使っていない。
オタクラはそのほとんどがPC上でテキストエディターというものを使って
書かれている。下書き段階では大学ノートや手元にある紙の切れ端に書かれることも
多い(レシートから割り箸の包み紙まで、少しでも白い余白があれば使う)。
本文はもちろん、ホームページもHTMLを直接書いている。だから素っ気ない。
ということで、それを活かした書き方をしている。

まず最初に行うことは、お題を決めること。
題というのは、自分が何について書こうとしているのかを決定する上で
重要な意味を持つ。
何について書くかが定まっていなくては文章はまとまらないのだから。
お題は後で修正してもかまわないが、まずは1つ決める必要がある。

次に、是非とも書いておきたい項目を箇条書きで羅列する。
この段階では順序はどうでも良い。
そしてそれぞれの項目について内容を書く。

書き終わったら、全体の流れを考えて項目を並び替え、つなぎの文章を入れる。
この時、文章は全体として起承転結をなしているようにする。
これは思いの文章だけでなく、紹介記事でも同じだ。
まずは軽く、そしてどんどん深遠に向かい、最後も軽くしめるのだ。
時にその中のいくつかの要素が抜ける場合もあるが、基本はこの通りである。

オタクラの場合、ここに1つのパターンがある。

紹介記事の場合、まずは名前や価格から始まり、どんなものかをさらっと書く。
これが「起」である。
次に個別の機能についての説明をする。これが「承」。
問題点と全体の感想を記述するのが「転」。
おすすめ度と補足が「結」。

思いの記事の場合も似ている。
「起」ではなぜこのことについて書こうと思ったのかの経緯を述べる。
「承」はその思いそのものである。
「転」ではそのためにどうすべきかを書き、
「結」はどうしようというスローガンを掲げる。

まあ、完全ではないにしろ、だいたいこのような形式にしている。
そうなっているものとして、他の記事も読んでもらうといいだろう。

でもまだ文章は完成ではない。
これから重要なのは、ここで出来た文章全体を再度読み直すこと=「推敲」である。

理系の文章に一番足りてないのはこれ。
全体を通して読んでないので前後で話の流れが変わっていたり、
つじつまが合わなくなっていることが多いのだ。

推敲では、一度書いた文章を消してしまうこともある。
どうしても話の流れからしてその一文を入れておきにくい場合は、
余談とするか別のネタにしてしまうか、それでもだめなら消してしまう。
ネタ全体を活かすためには、せっかく書いた名文でも消さねばならないこともある。
また、冗長な文章もすっぱり削除した方がすっきりして読みやすくなる。

さらに、あまりに過激な書き方などもこの段階で補正・削除することもある。
基本的にオタクラは歯に衣を着せぬように書くことにしているが、
それでもあまりにきつい場合もある。
本誌ではそのままにしておき、ホームページ掲載時に(大幅に)修正することもある。
ホームページでは、特に不特定多数が見ているので、
書き方によっては危険な場合もあるからだ。
「人間が一番おそれるのは己が真実を指摘されることである」という事実により、
正面からの批判に対して子供のごとく起こったり、嫌な文章なら見なけりゃ良いのに、
見て怒り出す馬鹿も多いからだ。

読みやすいように句読点を入れたり、位置を変えたりするのも重要だ。
これも理系の文章に多いが、一文がやたらと長いことがある。
文章というもの、適当に切った方が読みやすい。
またときには余談を入れることも、長い文章では必要となる。

同じ名称が何度も出てくる場合は、関係代名詞の利用も欠かせない。
代名詞は「彼」「彼女」くらいなら簡単だが、関係の代名詞の「それ」「あれ」を
使おうとするととたんに難しくなる。
理系文章では、曖昧さをなくすためにあえて関係代名詞を使わない傾向もあるが、
一般文章ではそれは読みにくいだけなので、活用すべきである。

「同じ」という意味で言えば、同じ書き方の繰り返しも文章をあきさせるもととなる。
結果が同じようなことでも、書き方を変えるだけで随分と印象が変わる。
同じ物・事に対して複数の呼び名がある時は、1つだけを使うのではなく
いくつかを場面に応じて使い分けるのも有効である。

さらに、接続詞「しかし」「また」「そして」「さらに」などがずっと続く
のも文章をわかりにくくする。それぞれの接続詞の意味を正しく理解し、
適切な場所で使う必要がある。
「しかし」は前の文章の打ち消しだから、基本的には1つの意味の流れ(1つの章)に対して
1回である。「また」「そして」「さらに」は追加を意味するので、これも同様。

最後にですます・である調を統一し、誤字脱字を見直す。
「です・ます」調にするか「である」調にするか。
オタクラでは、これは文章の種類によって変わる、というか変えている。
自分の思いを強く伝えたい場合は強調性が強くなる「である」調で、
柔らかく紹介したり、相手の同意を求めたい場合は「です・ます」調を使う。

あとこれとはちょっと違うが、過去形にするか現在形にするかが重要な場面もある。
基本的には過去の話については過去形だが、あえて現在形で書いた方が
臨場感が出る場合もある。それは話の流れによって使い分けるべきであろう。

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これらの編集においてはPC(テキストエディター)の利点が最大限活かされる。
紙の上では並び替えは非常に面倒だが、エディターなら並び替えはもちろん、
語句の追加、削除、語句の一括差し替えも思いのままだ。
文章内のジャンプが楽に出来るので、全体の読み返しも楽である。

目に見える形での文章とはいえ人と話をすることには違いないのだから、
相手の読解力、注意力を保たせるための「話術」は必要である。
口べたで、人前に出ると緊張してしまう私のような人でも、
文章でならゆっくりと時間をかけて推敲できる分、何とかなる。

いや、本来的には字面だけで自分の思いを伝えるのは非常に難しい。
人は面と向かって話している時は、その言葉を文字として聞いているのではなく、
相手の仕草や声色の変化も含めて感じ取っている。
だから、面と向かって話をすればすんなり終わる話も、
文面化するとなかなか伝わらないこともあるのだ。
それでも手書きならまだ字面から相手の感情を読みとることも出来る場合があるが、
純テキストの電子メールでは全て同じフォントだからそれもない。
だから、直接会う>電話>手書き文章>電子メールの順で思いが伝わりにくくなる。

紹介記事は、物品(もしくは場所の)の客観的事実だけを紹介しても成り立つ。
(私の紹介記事では出来るだけ、私の感想を入れるようにしているが。)
客観的事実はカタログと同じで、情報量さえあれば字面だけでも伝わる。
しかし、思いの文章を他人に読んでもらうには、ただ単に書いたのでは
現れない細かいニュアンスやいわゆる「行間」をわかってもらうための
努力が必要となる。

日記はまだこの点で楽である。
日記は基本的に他人に見せる文章ではなく、自分の記録だから自分にさえわかればよいからだ。
人に伝えたい文章は、読み側の立場に立って書くことも必要な分さらに難しくなる。

それだけに、人に伝える文章にするための「推敲」は、非常に重要であるといえる。

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そのほかオタクラ独自の記法としては、基本的に全てテキストで書くがゆえに
フォント変更や強調や色変更が出来ないので、強調したい言葉は「」でくくるとか、
一般的に文章の始まりは1ます開けて書き始めるというのはやめて
改行を1つ入れるとかしている(ホームページの雑記は別)。
コンピューター画面上の文字は結構詰まっているので1ます開けたくらいでは
段落分けがわかりにくいからである。

また、
・起承転結の区切りに「・・・」を書いている場合が多い
・専門用語は出来るだけ省くか説明を入れる
・不用意に英語・未定義語が使われていないようにする
などもある。これについてはホームページの「オタクラとは」のページ
にも書いたので、見てもらいたい。

オタクラは(ホームページの一部を除き)テキストだけの文章なので、
見た目の編集(色つけとか)には力をかけない分、
中身の文章には力をかけているのである。

今まで書いてきたことを前提としてもう一度この文章を見てもらえば、
あぁ、確かにそうなっているなあと言うのがわかって頂けると思う。

「百聞は一見にしかず」で、図面があった方がわかりやすい場合が多いし、
やはり見た目がきれいな文面には引かれやすい。
その最たる物がPowerPointに代表されるプレゼンテーション図面だが、
実にあれほど中身がない物もない。だから私はあれが大嫌い。

「中身より見た目」という現代の風潮に逆らって、オタクラは
あえてテキストだけで引きつけようと言うのだから、それなりの覚悟が必要である。
まあ、文章の中身より量という感じもするが。
下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。そういえば、最近はインターネットの検索で
オタクラホームページに引っかかる単語も増えてきたね。

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私は小学校から高校まで、(現代)国語のテストにおいて60点以上
採ったことがない。これは事実である。
だから理系に進んだのである(でも数学も苦手だった^_^;)。

感想文系がだめだったというのもあるが、
何がわからないって、関係代名詞ほどわからないものはなかった。
「『それ』とは何を指し示しているか答えなさい』ってな問題は全滅だった。
関係代名詞を正しく理解するには、多くの本を読むのも良いかも知れないが、
やはり自分で文章を書くのが一番である。
書いているうちに、同じ単語が何度も出てくるのが嫌になり、
代名詞の有効性を理解するようになるから。

てなわけで、オタクラ流文章の書き方であった。
これで読者の方々がよりうまく(えらそう?)文章が書けるようになることを祈ろう。
と同時に、投稿が増えることも願っているのである(^_^)/。

    「要は、慣れ1つ!!」

である。

(これくらいの文章で初回書き1時間、初回推敲1時間くらいね。
その後数回推敲されているけど。)
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