比較文学の立場から見た中国SF

呉定柏


 比較文学とは二つ以上の民族・国家間の文学及びその他の芸術形式
や意識形態の間の関係を研究するものである。その基本原則は文学現
象の??性に信を置き、閉鎖性を否定するところにある。比較文学の
研究は4つの基本的分野に分れる。影響と類似性、運動と潮流、類型
と形式、典型と主題。本稿では影響の研究という角度から、外国SF
と中国SFの関係を探り、中国SFの創作について正しく評価したい。

 SFは文学から分岐したものである以上、文学の基本的特徴を具え
ている。中国SFは世界のSFの重要な組織成分をなすものであり、
その誕生と発展は他の国のSFからの影響とは不可分の関係にある。
従って比較文学における影響の領域において中国SFをとらえるこ
とは十分に意義深いことなのである。

 疑いもないことであるが、SFは工業革命の産物であり、西洋に源
流を持つ。中国の読者が最初に接触したSFは、清末民初のころで、
最初に読まれたのはフランスの作家ジュール・ヴェルヌ(1828−
1905)が1873年に発表した『80日間世界一周』であった。
これは1900年に、逸儒、秀玉によって中国語に訳され、『八十日
環游記』と題されている。阿英の『晩清小説史』によれば、1900
年から1905年にかけてヴェルヌの9編のSFが訳されているが、
いずれも日本語からの重訳である。また1903年から1906年に
かけて、日本の押川春浪(1877−1914)の作品7編が訳され
ている。柴野拓美によると、押川春浪のSFはヴェルヌの影響が強い
という。これは中国の早期SFが主としてヴェルヌの影響によるもの
であり、その影響が今なお強く残っていることを有力に示すものであ
る。ヴェルヌの作品が本世紀初めの中国及び日本に強い影響を及ぼし
た原因は、作品中の科学的発明、冒険性および楽観主義が、東方の読
者に受け入れられたからであろう。中国SFで最も早く書かれたSF
作品――荒江釣叟の『月球殖民地小説』(1904)はその一例であ
る。これは地球人が月に到達する様子を描いた物語であるが、ヴェル
ヌの「月世界旅行」とほぼ類似する。

 徐念慈(東海覚我)は1904年、押川春浪の『英雄小説武侠の日
本』を訳した。その年の夏、彼は包天笑が日本語版から重訳したドイ
ツの『ほら男爵の冒険』『続ほら男爵の冒険』(作者不明)を読み、
そして自分でも『新ほら男爵の冒険』を書いた。3編の物語は第一集
という形で、上海の小説林社から1905年に出版された。徐念慈の
物語は、新ほら先生なる人物が地球を離れ、月や水星、金星などをむ
ぐって再び地球に戻ってくるまでをいきいきと描いている。構想とし
ては“脳電感応術”というものが出てくるが、これは彼の物語もまた
ヴェルヌの影響を受けていることを示している。

 むろん、中国の早期SFに影響を与えた欧米作家はヴェルヌ一人に
とどまらない。アメリカのシモン・ニューコム(1835−1909)
がその一例である。徐念慈は1905年、日本語からニューコムの『暗
黒星』(原題は「世界のおわり」)を重訳している。ニューコムの小
説は1903年にMcClure誌に発表された。宇宙から来た黒い
物体が太陽に衝突し、世界を壊滅させ、わずかに生き残った者も文明
の復興に数万年を要することを知る、というものである。楊世驥は『文
苑譚往』(1945)の中で、この小説が中国科幻小説の創作に与え
た影響についてこう述べている。

「『暗黒星』は科学小説であることを表明しているが、実際は寓話と
いうべきものであり、当時の創作小説に与えた影響はかなり大きなも
のであった。その最も顕著なものは李宝嘉の編著による『氷山雪梅』、
呉沃暁による『新石頭記』の中のいわゆる『東方文明境』――科学発
達後の中国の理想像、ないしは碧霞館主による『新紀元』『黄金世界』
などの諸作品であろう。いずれもこの作者の誘発を受けて書かれたも
のである」 中国早期SFの二つの傑作は老舎の『猫城記』(193
2)と顧均正の『和平の夢』(1940)である。二人の作者が自ら
述べるところによれば、二人とも英国のH.G.ウェルズ(1866
−1946)の影響を受けているという。老舎は「私はいかにして『猫
城記』を書いたか」(『老牛破車』,1937)の中でこう言ってい
る。

「私は早くからこのような表現形式のあることを知っていた。種を明
かせば笑い話になるが、私が猫の国を描いて犬の国にしなかったのは、
全く我が家のささいな事情――私が白いまだらのある子猫を飼いは
じめたばかりだったことによる。ウェルズの「月世界最初の人間」は、
月世界における社会活動を蟻の活動の様子と対照させたもので、これ
は明らかに人類の文明の別の道を示そうとしたものであろう。これに
比べると私の猫人が猫人であるゆえんは、偶然のことにすぎない」(老
舎のいうウェルズ作品と原著の題名にはちょっとした誤解がある。お
そらく「月世界最初の人々」のことであろう)。

 老舎が文中で特にウェルズの作品に触れているのは、彼がウェルズ
およびSFという表現形式のあることを熟知していて、この形式を借
用して『猫城記』を書いたのであろうことを示している。実際、老舎
の『猫城記』はウェルズのSFの雰囲気に最も近い。

 顧均正が『和平の夢』の序文で述べるところによると、彼が『和平
の夢』を書いたのは、ウェルズの『世界はこうなる』(1933)の
影響によるという。しかし彼はまた『透明人間』(1897)をも挙
げて、「空想の要素が多すぎて、科学の要素が少なすぎる」とも言っ
ている。顧均正がSFを書いた目的は「このような表現形式によって、
いくらかでも多くの科学知識を盛り込んで科学教育を普及させる一
助とせんがため」であった。したがって、顧均正は実際にはヴェルヌ
の影響のほうが強かったとも言える。ヴェルヌの科学的な講釈には賛
否両論があった。『月世界へ行く』では、砲弾をいかにして地表から
発射し月面に到達させるかについて詳しい計算が示されていたが、顧
均正もまた『和平の夢』の中で、電波や磁場の説明をするのに、物語
を中断するのもいとわず、6枚ものイラストをもって科学原理の説明
をしている。明らかにヴェルヌの後塵を拝するものであろう。

 50年代になると、これは掛け値なしに言うのだが、ソ連の早期S
Fの影響力たるや絶対的・全面的なものとなった。中国青年出版社が
ヴェルヌ選集を系統的に翻訳、出版したのも、ソ連の早期SFが技術
面に強いヴェルヌに傾いていて、ウェルズのような社会性を評価しな
かったからである。ソ連の早期SFにはプラグマティックな傾向が極
めて強く、青少年に科学技術に関する知識を普及させること、愛国主
義思想を教育することを強調し、革命的楽観主義精神を強調するもの
であった。このため、鄭文光『地球から火星へ』(1954)から童
恩正『珊瑚島の殺人光線』(1978)に至るまで、中国SFはソ連
の影響を反映しないものはなかったのである。たとえば『珊瑚島の殺
人光線』を読むと、アレクセイ・トルストイの『技師ガーリン』(1
927)を思わせる。この点、私は日本の深見弾氏が1980年『S
F宝石』第2号で述べたことに同意するものである。これらの物語は
みな30年代のソ連SFを読むような気分にさせてくれる。その後3
0年間の中国SFもまた、科学知識普及教育のためという実効性を強
調するものばかりだったのである。

 80年代になると、中国大陸で翻訳・出版される外国SFはその大
多数がアメリカから入るものになった。総体的に、アメリカSFはウ
ェルズの精神を継承し発展させてきたもので、未来の科学技術が人類
と社会に対して及ぼすかもしれない影響に注目している。これは科学
の普及を動機とする中国SFのありかたを改変し、すぐれた作品もい
くつか現れるようになった。たとえば蕭建亨の『サローム教授のまち
がい』(1980)、魏雅華の『‘温柔之郷’の夢』、葉永烈の『自
業自得』などである。この3篇はいずれもはっきりとアメリカSFの
影響を示すものであろう。蕭建亨と葉永烈の作品はどちらもアメリカ
を背景とする。蕭建亨の描くのは、科学者が一対のロボットの夫婦に
孤児の教育を試みさせる物語である。人間性というものがあまりに複
雑なため、コンピュータには模倣することも理解することもできず、
実験は失敗に終わる。葉永烈はアメリカの作家 D.M.Rorvik の‘In
His Image The Cioning of a Man’ の続編という形をとって、人間
の本性を探るものである。魏雅華の『‘温柔之郷’の夢』はアシモフ
のロボット3原則の矛盾を利用してこれを批判しようと試みるもの
である。これら3篇の物語はヴェルヌの科学的講釈や楽観主義の弊を
完全に克服し、現実と人間性に対する批判的態度を保持している。

 90年代には、中国SFは伝統の継承を基礎として、中国らしい特
色を具えた作品を創作しようと試みるようになる。古い世代の作家た
ちはヴェルヌ、ソ連の早期SF、ウェルズ、そしてアメリカSFの影
響を受け、新世代の作家はそれらの基礎の上に立って長所を伸ばし短
所を退けつつ、自らの才能を開花させた。韓松の『墓碑』(1992)、
姜雲生の『長平血』(1992)、それに王晋康の『天上の火』がと
もに90年代のすぐれた作と言えよう。かれらは伝統的なSFのアイ
デアを借用しながらも、模倣を脱して、民族の土壌に根ざしつつ、自
身の民族的風格を形成している。《宇宙墓碑》は宇宙探検をSF的構
想に据え、墓碑の探索を背景として、人類の宇宙開発における犠牲の
意義をテーマとしたものである。墓碑に対する重視と研究とは中華民
族の数千年にわたる文化的伝統であった。韓松は豊富な想像力をもっ
て中国の民族的文化伝統を現代の宇宙開発と有機的に結合させ、物質
の表象を通じて精神の内涵を掲示しているのである。《長平血》はタ
イムトラベルをSF的構想に据え、古代史上の事件を背景に、人間の
生存欲の本質をえぐるものである。『天上の火』は物質透過をアイデ
アとして、文化大革命の後期を背景としながら、罪悪に満ちた人間の
世界と科学の追求とのはげしい落差を明らかにする。

 まさにこのような作品が絶えず発表されてこそ、中国SFは日々成
熟に向かい、世界における重要な地位も明らかになるのではあるまい
か。