ロシアンターボ

アンドレイ・ストリャーロフ


 ターボリアリズムはロシアにおいて周到な準備の末に誕生した。7
0年にわたってロシアの文学は過酷な検閲のもとに置かれていた。ソ
連に言論の自由はなく、出版社や雑誌は国家に従属していた。明らか
に検閲官の意見、つまりは共産主義のイデオロギーに合致するものの
みしか印刷されなかった。真面目な作家は二つの方法を採った。まず
権力と激しく対立する方法。この場合は刑務所に監禁されるか、いつ
になったら故郷に帰れるかわからないまま追放された。もう一つは暗
喩や文学的な比喩を使う方法。危なくないように見える体裁に真実を
くるみ込むのである。ヨシフ・ブロツキーやアレクサンドル・ソルジ
ェニーツィンは前者の方法を使った。周知の通り、二人とも後にノー
ベル賞を受賞した。そして後者の方法はユーリ・トリーフォノフやス
トルガツキー兄弟が使った。もちろん、二人ともノーベル賞はとって
いないが、そのかわりいかなる時も関心の中心にいた。本は無数の読
者に読まれ、そして読み返され、作家の思想はソビエト社会に影響を
与えた。

 幻想小説は比喩を使うのにもっとも適している。必然的に幻想小説
はソ連において絶大な人気を博し、ソビエト共産党のイデオローグど
もは終始幻想小説を怪しげなジャンルであると見なしていた。わずか
な作家がその中にあって専制のことを書いていた。ソビエトの政治体
制によく似たかたちの状況を表現したのである。たとえそれを露骨に
共産主義とは言わなくとも、それは共産主義以外の何者でもなかった。
たとえば、未来の人々が途方もない自由を享受している中で、唯一否
定しているのが共産主義の実現であるとか。

 たぶん、それゆえに幻想小説の出版は次第に一つの出版社に限られ
てしまったのだろう。こうすることでジャンル全体の統制が可能にな
る。あるSF作家が本を出したいとしたら、その出版社に持って行く
しかないのだ。この出版社は自分たちの原稿を印刷していた。その作
品は、甘ったるい「輝く未来」といったもので、きらめく才能にあふ
れた原稿は無条件に断られた。

 とはいえ、こんな胸くその悪い状況にも良いところはあった。ソ連
において幻想小説が半ば禁断のジャンルである以上、それぞれの出版
物がかなり目立つのだ。印刷された作品は読者に文字どおり採り尽く
され、広く議論されたのだが、時として作家が全く意図していない意
味付けが出てきてしまうことがあった。たとえば、ストルガツキーの
「蟻塚の中のカブトムシ」はKGBへの遠回しな批判であり、長編「収
容所惑星」は馬鹿なソビエト社会のパロディーであると解釈された。
作家の名声は最小規模の出版物で形作られた。ビャチェスラフ・ルィ
ーバコフは短編「大干ばつ」で一般的知名度を得た。エドゥアルド・
ゲボルキャンは中編「ルール無きゲームのルール」の出版で、瞬く間
に有名になった。つまり、ソ連の文学は全く文学的でなく、文学的で
あるのと同時に政治的なのだ。そればかりか、教条的で作家のモラル
を押しつけるものだった。

 さらに重要なことは、商品としての幻想小説が、市場から全く切り
離されていたことである。ロシアの作家は、自分の作品の売れ行きを
気にする必要はなかった。そもそも出版されない。作家が書評家や批
評家の意見をののしる事もない。この理由も先のものと同じ。さらに、
自分は今現在のために書き続けているのではないと認識していた。作
家は未来のために書いていたのだ。そして検閲制度によって作家は逆
説的な自由を得た。この状況は、新しい形式を実験し、模索するため
の良い機会をもたらしたのだ。この人工受精の自由ともいえる状況は、
長い議論の末に現在ターボリアリズムと呼ばれている形式を具現化
させるのに役だったのである。

 状況は変わった。共産主義体制が崩壊し、ほんとうの出版の自由が
ソ連に現れたのだ。瞬く間に大量の小出版社ができた。それらの出版
社はファンによって設立された。彼らは儲けのことなど考えず、自由
のために働く用意をし、地下に潜っていた。彼らは自分の職業や大学
での地位を犠牲にした。彼らが望んだことはただ一つ、幻想小説とい
う分野を確立し、面白い本が新しく出て欲しいということである。特
記すべきはテラファンタスティカ社の出現である。プルコーボ天文台
の天文学者が設立したのだ。文字どおりゼロからの出発で、不可能と
も思えることをやり遂げた。「新しい幻想小説」シリーズの4冊をあ
っと言う間に出版したのだ。このことにより、ロシアで幻想小説が実
際に存在することを立証したのだ。

 この状態は長くなかった。津波が押し寄せるかのように、英語圏の
SFがロシアのマーケットを席巻したのだ。ソ連では英語圏のSFの
評価が非常に高いのをいいことに、そしてソビエト時代にアマチュア
のいい加減な翻訳作品が大量に蓄えられていたことを利用して、再び
大量発生した出版社がそれらを市場に放った。その結果ロシアの作家
達はそんな何トンにもおよぶ駄作の下に葬られてしまった。盗賊ども
の乱痴気騒ぎが始まった。個人がやっていた翻訳が見つかると出版さ
れたのだが、それは作家の名誉として認められるものではなく、誰も
オリジナルとの照合を行っていなかった。主役の名前や性別、外見は
ゆがめられ、作品から一部またはかなりの章が抜け落ちたりしていて、
幻想小説は大きく評価を落とすことになった。そのようなわけで、目
の肥えた読者はそんな作品は無視し、ふたたび面白い物だけが出てく
るようになるのを待った。

 だが、ロシアの作家達にとって娯楽作品は苦手だった。そのような
わけで空虚な状態になってしまった。これはきわめて興味深い事実で
ある。セルゲイ・ルキャネンコやエドゥアルド・ゲボルキャーンとい
った一部のロシアの幻想小説家がアメリカSFの手法をすぐに習得
し、ハリスンやクラークに匹敵する作品を作り出した。一方、他の一
部の作家は、幻想小説ではなく、幻想小説とリアリズムの間に存在す
る何か変に偏った散文を発表し、驚きをもって迎え入れられた。ウェ
レルやペレービン、ラザルチュークといった作家の本は古典的な空想
科学小説の域におさまらず、だからといってそれがリアリズムの散文
かというとそういうわけでもない。簡単に言うなら、それらは幻想的
である点でリアリズムではなく、リアリズム的であるという点で幻想
ではないのだ。そんな作品を書く作家の一群はSF雑誌に作品を発表
するのをやめ、「高尚な文学」の領域に方針を一転させた。この事実
を実際に定義づける必要があるため、1992年に、それ以後毎年行われ
るようになったインタープレスコンで、数名の作家によって会議が行
われた。後にこの会議は「ターボ作家の初集会」と名付けられた。

 この初めての集会でターボという名前が出た。論争が白熱している
最中にビクトル・ベレービンが言ったのだ。ターボ作家の長老たちは
ターボと呼び表すのに最初は懐疑的だった。だが、このような経緯で
用語が急速に定着した。論文が登場し、他の呼び方にとって変わった。

 1992年はロシアン・ターボ誕生の年である。

 ターボの根元にある要素を簡単に言うと、「総合主張」、「メタ宗
教」、「超テキスト絶対化」である。この原理は次の年に立案された。
当然多大なる芸術性に溢れている。とはいえ、ターボの作家は文学の
理論家になるのと好むわけでもないし、ターボに対する批評もこの深
い本質を理解し始めたばかりなので、この芸術性溢れる原理はしばら
く定着しないままでいるだろう。過激派アンドレイ・ラザルチューク
ですらこれらを「ターボの大きな謎」であると宣言し、大会の決議と
してこの原理が意味するものを解説することを禁止した。

 このことについて言及しておくと、あらゆる真のターボリアリスト
はこれらの条項を好な方法で、美的センスを織り込み、なんら制限を
受けることなく聴衆に話す権利を持っている。

 解釈は多いほどいいのだ。

 マイケルスワンウィックは有名な「イントロダクション・トゥ・ポ
ストモダニスト」のなかで人道主義の歴史とサイバーパンクについて
述べている。芸術的な違いを以下のように定義する。人道主義者は過
剰に文学的かつ集中して人間のキャラクターを描く。いくつかの理由
から弱い登場人物を好み、その登場人物はミスをしがちである。彼ら
はSFが大きな社会的問題、時には宗教的な問題の研究を提示してい
ることをこれ幸いと利用している。

 サイバーパンクは未来の社会の描写も含めてキャラクタライズす
る。その社会はハイテクノロジー化、多義にわたってコンピュータラ
イズされている。センスの面では、張りつめた簡略化された文章、パ
ンクルックを身にまとい、権力否定と独創的でカラフルなディティー
ルを豊富に内包している。

 たぶん、ロシアンターボはこれら二つのトレンドを最良の形で結合
している。人道主義のように間違いなく究極の目的に向かっている。
娯楽の面だけに努力するのではなく、社会的・哲学的問題の本質と対
面している。そしてサイバーパンクのような言語表現に近づいている。
ターボはサイバーパンクと同じように緊張感溢れるそぎ落とされた
文体を持ち、プロットで満たすだけのような簡単な物ではなく、感情
を込め、その熱は時として非常に傑出したものになる。

 ターボは主流文学が陥ったような麻痺状況にはならない。テクノロ
ジー社会にこだわるようなこともないだろう。すでに存在している定
義を用いるならば、ターボとは予言のリアリズムだと言えるかも知れ
ない。すなわち、幻想小説の利点を活かしたポストモダニズムなので
ある。これは特筆すべき事だが、多くのリアリストが往々にして幻想
小説の手法を使い、まれに惨めな結果に終わってしまうのに対し、タ
ーボの作家は、魔術的なものと現実的な物を最も自然な形で融和させ
ている。

 このことは、たぶん、本質的な方法として、ターボのテキストをリ
アリズムのものと形式的に区別するのは不可能だということになる。
古典的な幻想小説が、SFなら科学、ファンタジーならおとぎ話とい
った具合に、仮定のうえに基づくがゆえに明らかに不自然な部分を持
っているのに対し、ターボの作品には論理的な命題が存在しない。幻
想的要素は外からターボの世界に持ち込まれたのではなく、最初から
世界の真髄にあるのだ。そして単純にターボはありふれた現実の世界
に見えるということから、ターボは今現在ですでに幻想小説を追い越
しているのである。すでに話した通り、必然的に多くのターボ作家が
シリアスな文学雑誌に自分の作品を好んで寄稿している。彼らはSF
というジャンルから離れているのではなく、純文学の手法に拘束され
るようなこともない。根本的な文学的世界観の創造であり、神話の出
現であり、異教の時代の始まりである。ターボムーブメントは新たな
文学的哲学を提示し、千年にわたって続いた文学の限界を越えようと
している。ターボの長老たちは、たとえウェルズを非常に尊敬してい
たとしても、ウェルズやアジモフ、ハインラインを自分たちの先駆者
だと思ってはいない。マルケスやブルガーコフ、カフカといった不思
議な作家たちこそが幻想をリアリズムに持ち込んだという点で先駆
者だと思っている。

 ロシアにおいて、幻想的なリアリズムは大いなる伝統である。たぶ
ん、それゆえにターボが現在大きな人気を博しているのだ。すでに「タ
ーボ」と記された本が出版され始めているし、批評論文も出ている。
ラジオやテレビで放送もされている。この状況の本質をもっとも際だ
たせているのがインタープレスコンである。インタープレスコンは毎
年サンクトペテルブルグ近郊の小都市レーピノにある療養施設で開
催され、そこではロシアの幻想文学にとって権威ある賞が与えられて
いる。1991年にはミハイル・ウェレルとミハイル・ウスペンスキーが
受賞し、1992年にはビクトル・ペレービンとアンドレイ・ストリャー
ロフが、1993年にはビャチェスラフ・ルィーバコフとアンドレイ・ラ
ザルチューク、アンドレイ・ストリャーロフが、そして昨年の分は今
年の春、アンドレイ・ラザルチュークとミハイル・ウスペンスキーが
再び受賞した。しかもミハイル・ウスペンスキーは中編部門と長編部
門でダブルクラウンである。ここ数年の受賞では、他の作家達よりも
ターボの作家のほうが明らかに優勢であることがわかる。ターボの作
家達は特に苦労すること無く幻想小説のトップランキングの全部を
占めているような印象を与えている。そして目下のところ現実的にS
Fとターボを対比させてみることができるのか、それはよくわからな
い。

 ターボリアリストはより高度な文学の域へと向かっている。基本的
には、当然、ファンタジストであり続けるのだが、特に気高いファン
タジストなのである。ターボリアリストはどんな方向に進んで行くの
だろうか? その方角には素晴らしい本が輝いている星座があるの
だろうか? ターボムーブメントは文学史の中に足跡を残すだろう
か? それは近い将来にわかることである。