ワールドSFレポート

 ロシアの経済崩壊もある程度落ちついてきたらしく、コンベンションの開催が危ぶまれるようなことはなくなった。
 昨年までは次年度の大会ができるのかどうかという、いささか情けない知らせしかなかったが、今年は「来年こそは来い!」という頼もしい知らせを受け取っている。また、大都市の大型コンベンションばかりでなく、地方コンベンションも定期的に催されているようだ。今年、筆者の元に突然サハリンからコンベンションの招待状が舞い込んできて驚かされた。開催の一月前に開催場所も滞在先のあてもないまま日時だけが書かれていて、電話での連絡先すらなかったため、どうすることもできなかった。つくづく残念である。
 筆者の予定では、経済の崩壊さえなければ来年は大型コンベンションの一つには参加するつもりである。
 とか言っていたら、今まさに一ドルが四〇〇〇ルーブル突破するか!という、とんでもないニュースがテレビで放送された(十月十四日現在)。一ルーブルが〇.〇二五円である。確かロシアにはカペイカという単位もあったはずだが、ロシア人すらそのことを忘れているかもしれない(そんなことはないか・・・)。全く、予断を許さない国である。このまま行ったら、コンベンションの開催どころか本すらもでなくなってしまう。日本の感覚では、そんな状態など想像すらできないが、手紙で聞いている限りでは前回の経済崩壊以来、恐怖としてずっと心に残っているようだ。
 どうやら、ロシアとワールドSFレポートとは変な因縁があるらしい。この原稿のネタを用意する時期にかぎって大事件が起こっている。昨年はホワイトハウス攻防戦が、一昨年は経済大パニックが、その前にはソ連の完全崩壊があって原稿を書いている時点で状況がめまぐるしく変わり、何を書いても間違いという運命にさらされてきた。と言うわけで今更驚くことでもないのだが、やはり心配である。

●ロシアの各SF賞発表
 現在ロシアで最も大規模なSFイベント、インタープレスコンが今年の初夏、サンクトペテルブルグ郊外で行われた。インタープレスコン-94ではロシアのSF賞がいくつか発表されるが、その結果は以下の通り。
<九三年度 カタツムリ賞>
 この賞は九三年度に発表された作品の中からボリス・ストルガツキーによって選定された。
 長編 重力航行船<皇帝位継承者号>
    ビャチェスラフ・ルィバコーフ
 中編 該当作なし
 短編 木乃伊
    アンドレイ・ラザルチューク
 評論 ソビエト・ファンタスティカ史
    Р・С・カーツ
<九四年度 インタープレスコン賞>
 この賞は九三年度に発表された作品の中から、インタープレスコン参加者の投票によって選ばれた。ヒューゴー賞や星雲賞のようなものだ。
 長編 重力航行船<皇帝位継承者号>
    ビャチェスラフ・ルィバコーフ
 中編 人類にひそむ悪魔
    С・ヤロスラフツェフ
 短編 木乃伊
    アンドレイ・ラザルチューク
 評論 ソビエト・ファンタスティカ史
    Р・С・カーツ
 ちなみに、中編を受賞したС・ヤロスラフツェフはアルカジイ・ストルガツキーのペンネームである。
<九四年度 遍歴者賞>
 この賞は今年から新設された賞。九二年、九三年に発表された作品の中から、ロシアSFの専門家九人で構成される審査委員会によって選ばれた。ネビュラ賞や日本SF大賞のようなものである。審査員は以下の通り。エドゥアルド・ゲボルキャン、アンドレイ・ラザルチューク、エブゲーニ・ルーキン、ウラジミール・ミハイロフ、ビャチェスラフ・ルィバコーフ、アンドレイ・ストリャーロフ、ボリス・ストルガツキー、ミハイル・ウスペンスキー、キール・ブリーチョフ。
 長編 とある天国
    アンドレイ・ラザルチューク
 中編 コリント人への手紙
    アンドレイ・ストリャーロフ
 短編 小さな灰色のロバ
    アンドレイ・ストリャーロフ
 評論 ソビエト・ファンタスティカ史
    Р・С・カーツ
 出版社 テラ・ファンタスティカ
 編集者 エフィン・シュール
     <SF雑誌MEGA>
 アート セルゲイ・シェーホフ
 翻訳 アレクサンドル・シシェルバコフ
   「月は無慈悲な夜の女王」
    R・ハインライン
 ちなみに、この賞では事前にノミネートが発表されていたので、参考までにそれも紹介しておく。
 長編 「とある天国」
     アンドレイ・ラザルチューク
    「月の修道士たち」
     アンドレイ・ストリャーロフ
    「クロノス川」
     キール・ブリーチョフ
 中編 「民警特殊部隊<オモン・ラー>」
     ビクトル・ペレーヴィン
    「コリント人への手紙」
     アンドレイ・ストリャーロフ
    「人類にひそむ悪魔」
     С・ヤロスラフツェフ
 短編 「木乃伊」
     アンドレイ・ラザルチューク
    「国家計画王子」
     ビクトル・ペレーヴィン
    「小さな灰色のロバ」
     アンドレイ・ストリャーロフ

●受賞作はどんな話なのか?
 さて、タイトルを紹介するだけではあまりにも不親切なので、ここで受賞作の概略を紹介しておく。
 ダブル・ルラウンとなったルィバコーフの「重力航行船<皇帝位継承者号>」は一九一七年に革命が起こらなかったロシア帝国が舞台である。帝国防諜局の大佐にして公爵のトルベツコイ(この人物は十九世紀に実在した)が皇帝位継承者の所有する宇宙船が大破した事故を調査するうち、もう一つの現実が存在しているという事実に突き当たるのだが・・・というストーリーである。
 同じくダブル・クラウンとなったラザルチュークの「木乃伊」は非常に短刀直入でわかりやすいストーリーだ。レーニンは死後、不思議な力によってゾンビとして甦えるのだが、レーニン記念日(レーニンの誕生日が記念日になっている)を境として愛すべき同胞の生命力を吸い取らなければ生きて行けなくなる。それから時折、人々は自分たちの子供を遠足にでも行くかのようにレーニン廟に連れて行き、子供の生命力を全世界のプロレタリアートの指導者に供出するようになったという話だ。ソビエト時代とはどんなものだったのか、非常によくわかる小説である。昔なら間違いなく発禁ものだ。
 少し脱線するが、当局によって発禁が行われていた頃の小説は、なぜ発禁になったのかよくわからないものもあった。それだけ表現が巧妙で、文学に鋭いロシア人でないとわからないくらい磨かれ、隠し込まれていたのだろう。それが全て解禁になった途端に凄くわかりやすい小説が出てきたのを喜ぶべき事と言って良いのかどうか、未だに判断がつかない。表現が認められたことは、喜ぶべき事だし、言いたいこともあるだろう。だからといってあまりに露骨すぎるのものを素直に受け入れる気にはなれない。小説としては十分に面白いので構わないのだが、こんなのばかりになったら紹介しづらくなくなってしまう。
 さて、同じラザルチュークの「とある天国」は、いわゆる「もう一つの歴史」物だ。ロシアは第二次世界大戦で破れ、モスクワはドイツ軍に占領されてスターリンは処刑される。だが、同時にゲーリングがクーデターを起こしてヒトラーを退け、ゲルマン人とロシア人による第三ドイツ帝国という民主国家が成立する。そして現在、帝国はテロリズムと諜報部の暗躍により崩壊の道をたどりつつあるが、テロリストや諜報部の狙いがどこにあるのかはわからない。本書の主人公は諜報部の職員である。彼は重要な任務を遂行中、思いがけない事実をつかむ。影に本当の支配組織が存在し、それが致命的な崩壊を始めているという・・・。
 ストリャーロフの「コリント人への手紙」は、ロシアにサタンが出現するところから始まる。サタンは国を破壊し、サタンを退治しようとした軍隊も破壊する。その結果、サタンは国家権力を手中にした。クレムリンは壊滅、モスクワは悪魔どもに乗っ取られ、周囲の森には化け物がさまよい歩くようになった。だが、サタンの権力は長続きはしなかった。新しいキリストが誕生し、悪魔が組織する秘密警察の手を逃れてロシアの奥地に身を隠す。そして、光と闇の一大決戦の時を迎えるのだが・・・。
 同じくストリャーロフの「小さな灰色のロバ」。このタイトルには「チビで無学な阿呆」という意味がある。どう考えても常軌を逸した話だが、理解できるような気もしてしまう話である。簡単に言うと、モスクワの単科大学に属する科学研究者が政治的権力の絶頂から転落し、その後に死を迎えるというストーリーだ。権力は思いがけず人々の愛すらも奪ってゆくということだ。この作品は、ソビエト時代に生きた人々の、非常に馬鹿馬鹿しい悲劇である。
 この紹介では、何だこんなものかと思われるかもしれないが、これらの紹介は思いっきり単純化したものだ。なにしろ中編一本が日本の長編の長さになる世界の長編・中編なので、当然、実際のストーリーはもっと複雑で、表現も磨かれている。

●最近のロシアSF状況
 先に挙げた九四年の各SF賞では、アルカジイ・ストルガツキーは別として、アンドレイ・ストリャーロフ、アンドレイ・ラザルチューク、ビャチェスラフ・ルィバコーフの三人が独占している。特に遍歴者賞を受賞したストリャーロフは、ここ数年、毎年必ず何らかの賞を得ている。他の二人も本を出すごとに何らかの賞を得ている。実は、この三人は人気でも、実力の面でも他の作家たちを圧倒しており、三巨頭と呼ばれている実力者達なのだ。この三巨頭にビクトル・ベレーヴィンを加えて四人組(このネーミングは印象が悪いから他の呼び名を考えておきます)と呼ばれているらしいが、ストルガツキー兄弟以後のロシアSFはこの四人が方向付けたと言ってしまってもいいかもしれない。ロシアSF復活の直接の功労者である。
 次の日本SF大会「はまなこん」には、四人組のうち、サンクト・ペテルブルグ在住の二人組、ストリャーロフとルィバコーフがゲスト参加する予定である(当初はボリス・ストルガツキーを呼ぶ予定だったが、問い合わせてみたところ高齢のため来日不可能という返事が来たため、この二名を招待することにした。かえって正解だったのかもしれない)。
 この四人組の中で、特に注目すべきなのはビクトル・ペレーヴィンである。ペレーヴィンは昨年、中編「民警特殊部隊<オモン・ラー>」と短編「国家計画王子」(正確な原題は「国家計画委員会の王子」)ですべての賞を独占した感もあったが、今年は名前が出ていない。だが、現在のロシアでジャンルを問わず最も注目されている作家だ。ボリス・ストルガツキーをして「ペレーヴィンの実力は群を抜きすぎている」と言わしめたほどだ。日本のロシア関係者の中でも、徐々に「ペレーヴィン・ショック」が広まりつつある。果たしてペレーヴィンは日本でもブームを起こすことができるだろうか。

●根付くか? ターボ・リアリズム
 現在、ロシアのSF界ではターボ・リアリズムと呼ばれる大きなムーブメントが起こっている。混沌の時は遠の昔に過ぎ去り、ターボ・リアリズムで完全に固まった。このムーブメントは停滞・低迷していたロシアのSFを復活させ、さらには翻訳SFを非主流に追いやってしまった。
 そればかりでなく、いわゆる主流文学をも席巻しようとしている。復活以降のロシアSFを代表する作品は、もう少し大きく現代ロシア文学を代表する多くの作品は、ターボ・リアリズムだと言ってもいいのかもしれない。事実、ターボ・リアリズムの作家の多くはSF雑誌ではなく、主流文学の雑誌に作品を発表している。
 日本やアメリカのSFに、あるムーブメントを起きたとき、そこには必ず旗手たちがいた。現在のロシアもその例に漏れない。ターボ・リアリズムの先頭に立っているのは、先に名前を挙げた四人組である。この四人の他にもエドゥアルド・ゲボルキャン、ミハイル・ウェレル、セルゲイ・ルキヤネンコなど多くの作家がいるが、先の四人組がほぼ主導権を握っているようだ。
 面白いのは、ターボ・リアリスト(この呼び方は他称、本人達はファンタジストと自称している)四人組に役割分担のようなものができていることだ。まず、ターボ・リアリズムの名付け親にして旗手ペレーヴィンと大御所ストリャーロフ、そして急進派のラザルチュークと理論派のルィバコーフということになっているらしい。
 ターボ・リアリズムがムーブメントという形で顕著化したのはそれほど古いことではなく、一九九二年のことだ。サンクト・ペテルブルグで開催された第一回インタープレスコンにおいて、ディベートの最中に興奮したビクトル・ペレーヴィンがターボという名称を使ったところからこう名付けられた。この時からロシアの新しいSFがターボ・リアリズムという具体的な名称で呼ばれるようになったわけである。そして、その年に新設されたカタツムリ賞は、ターボ・リアリズムの作家、ミハイル・ウェレルの「パリに行きたい」と、同じくターボ・リアリズム作家、ミハイル・オウスペンスキーの「鉄の馬男」に与えられ、ターボ・リアリズムの力を見せつけた。
 ちなみに、カタツムリ賞に限っていえば、過去三回のうちターボ・リアリズム以外の作品では、昨年のキール・ブリーチョフが「恐怖について」で短編部門を獲得したのみである。また、今年から始まった遍歴者賞のノミネートでもアルカジイ・ストルガツキーとキール・ブリーチョフが一作づつ入っただけで、ほかは全部ターボ・リアリズムの作家で占められた。
 これほどまで大がかりなムーブメントを起こしているのだからターボ・リアリズムの作家自身にも注目が及ばないわけはない。多くの作家がテレビやラジオに出演しているらしい。それも小さな特集というわけではなく、文学番組に出ているというのだから本物である。

●ターボ・リアリズムとは?
 ターボ・リアリズムがどんなものか、語るのはたやすい。だが、作品を具体的にイメージするのは至難の業だと思う。実際、ここで何たるかを説明しようとしている筆者にも全貌はわかっていない。群盲が象をなでているだけにすぎないのかもしれないが、断片を説明することにする。
 ターボ・リアリズムを形作る要素は特に目新しいものではない。いわゆる伝統的なロシア文学やロシア特有の幻想文学ファンタスティカ、そしてサイバーパンクなどの要素が入り交じっている。それぞれの要素がわけへだてなく融合し、自然発生的に生まれたものである。決してそのようなイデオロギーが先に存在していたわけでもなく、発生してしまった形態に名前が付いただけのことであり、誰かが旗をふってそちらに導いたというわけではない。ましてやサイバーパンクをロシア人が自分たち流に模倣したという単純なものではない。ロシア文学やファンタスティカ、サイバーパンクといった各要素とは全く別の次元にある。言うなれば、ロシア文学とサイバーパンクを親とする鬼子である。
 無理矢理定義づけるなら、ターボ・リアリズムはロシア文学のキャラクター性や物語性を、サイバーパンクの世界設定の中に持ち込み、同じくサイバーパンクの文体でつづった小説であると言える。ロシアの伝統的な小説の本質を、サイバーパンクの器に盛った文学と言ってしまえばわかりやすいが、実際にはこれほど単純ではない。
 ターボ・リアリズムは従来の文学が陥っている無力感に支配されているわけでもなく、逆にハイテクノロジーに支配されているというわけでもない。事実、現代を舞台とし、スピード感のある文体で書かれた純粋なファンタジーも存在する。ストリャーロフの作品にこのような傾向のものが多く見かけられる。  また、逆にターボ・リアリズムは、SFやファンタスティカの中に分類されることを嫌がっているわけでもなく、逆に純粋な文学的手法にこだわっているというわけでもない。
 ターボ・リアリズムの作家が言うには、ターボの小説は「予言のリアリズム」なのだそうだ。つまり、ポストモダニズムの文学がファンタスティカという技法の利点を活かし、新たに創造した表現形態だと言えるかもしれない。ターボ・リアリズムの作家達は、今現在の現実とはかけ離れたものと、現実感という矛盾したものを最も自然な手法で昇華させることに成功している。したがって、ターボ・リアリズムは、ロシア文学とサイバーパンクを親として誕生し、結果的にはガルシア・マルケスやミハイル・ブルガーコフ、フランツ・カフカといった作家の系譜に合流した文学なのである。
 ここからは全く個人的な意見だが、ターボ・リアリズムの手法は、日本の境界小説の手法とよく似ていると言えるかも知れない。実際、作品の感触はよく似ている。境界小説が主に「いわゆる文学」の作家によって多く書かれているのと同じように、ターボ・リアリズムもアメリカ的なSFを書く作家によってではなく、ファンタスティカを書いていた作家の手によって世に出されている。
 ひょっとするとターボ・リアリズムは日本に受け入れられやすいのではないかとも思うのだが、実際にどうなるかはわからない。

●深見コレクション
 深見弾氏がこの世を去られて早くも二年が過ぎた。亡くなられて以来、氏の書斎を片づける作業を続けていたのだが、ロシア語の文献がひとまず片づいたのでここに報告しておく。
 いろいろ貴重な文献や資料があったが、それらのうちロシア語のSFについては早稲田大学の図書館に寄贈されることになった。重複した物を除き、約千冊がすでに引き渡された。
 その中に、なんと博物館級の資料があったので、ここで紹介しておく。なんと一八八〇年にサンクト・ペテルブルグ(今でこそサンクト・ペテルブルグという名に戻っているが、この当時はレニングラードになる前である)で発行されたジュール・ベルヌの「晴天の国」である。一八八〇年と言えば、まだ日露戦争すら起こっていない帝政ロシアまっただ中の時代、革命はまだ三七年も先の出来事だ。この時期はトルストイやドストエフスキー、チェーホフが現役で活動を続けていた頃である。旧字体のロシア語で印刷されており、銅版画の挿し絵が美しい。当時の限られた層の娯楽としてSFが読まれていたわけである。
 この本は、特に貴重だと思われたため、他の本と一緒にしていない。保存がしっかり行われるのなら図書館に寄贈してもいいのだが、一部の人の目にしか触れなくなってしまうようなことがあっては残念だ。現在、良い保管方法はないものかと思案している。
 この本の保存状態は悪くないが、個人での保管には限界があるため、しっかりとした施設で保管されるに越したことはない。どこかの博物館で死蔵しないことを条件に預かってもらえないものだろうか。