World SF Report

 なんのかんのと言いながら、ロシアはここ数年、あらゆる意味で世界中の注目を集め続けている。
 二年前に民主化の砦とも言えたホワイトハウスが保守派のアジトになってしまった例の事件とか、大統領の来日、核廃棄物騒動などなど、いろいろと事件があった。あぁ相変らずロシアは今日も元気なんだなぁと安心さえしてしまう。
 さて、SFのほうはというと、ここ数年は停滞しているとか、アメリカSFに乗っ取られているとか伝えられている。事実、筆者もそのようなことを書いた覚えがある。
 だが、これは外からの観察にすぎないうえ、一年以上も前の情報である。そこで今回は、実際のところを知るためにも、ロシアに住み、ロシアのファンタスティカ(ロシア流のSFをアメリカ流のSFと区別してこう称する)に直接携わっている人に最近の状況についてレポートしてもらうことにした。
 筆者はサンクト・ペテルブルグ在住の作家、アンドレイ・ストリャーロフである。名前だけなら昨年二月号で少し紹介したが、日本語に翻訳された作品もないため、名前を知らない読者の方が圧倒的に多いことだろう。そこで、本論の前にストリャーロフとは一体何者なのか、略歴を紹介しておくことにする。ロシアの現状を報告してもらうにはうってつけの人物だということがわかってもらえると思う。
 アンドレイ・ミハイロビッチ・ストリャーロフは一九五○年、サンクト・ペテルブルグに生まれ、現在も同市で暮らしている。一九六八年に名門の物理数学専門学校を卒業したのち国立総合大学に入学して胎生学を学んだ。大学卒業後八年間、科学研究大学で研究員として最初は奇形発生の研究に、さらには人工受精と人工子宮の研究に携わった。
 ストリャーロフが創作を始めたのはかなり遅く、彼が三十才のとき、一九八○年からである。そのときにはSFを書くなどとは思ってもみなかったとストリャーロフは言う。また、出版社に原稿を持ち込んだときにはあきらめるように説得されたともいう。
 その当時はブレジネフの絶頂期で、ファンタスティカは一般にうさんくさいものとして認識されており、たとえ誰の作品であろうとも出版そのものが難しかったのだ。
 それにもかかわらず、ボリス・ストルガツキーの強力な推薦によって、ストリャーロフの処女作「マーモット」(単行本「事故の原因」に収録)は一九八四年に発表された。
 そして一九八六年にはそれまでの仕事を辞めて専業作家となるのだが、この時の決断を本人は「破滅への第一歩」だったと称している。さらにはその頃を思いだして「いままでどうして生き残ってこれたのかもわからない」とも語っている。実際に印税が入ったことなどなく、奥さんの給料で一家を養っていたという。
 しかし、その「第一歩」から始まった苦労は一九八八年にやっと実を結び、最初の作品集「事故の原因」を発表する(七万五千部)。しかし、あまり完成度の高いものではなく、作者自身も現在の在庫で絶版にすると言っている。
 そのころより始まったペレストロイカとグラスノスチ、そして民主化のおかげで第二の単行本「悪霊退散」(ストリャーロフ自身はこれを処女作品集だと考えたがっている。表紙の写真は昨年二月号参照)を発表。彼の作家としての成功はこの時から始まる。
 この本はベスト作品作家賞と一九八八-九年度最優秀作品賞の二つの賞を受賞した。結局、「悪霊退散」は二度にわたって発行され(四万五千部および十万部)、その後も何度となく重版されている。
 それからは「ド阿保アルバム」(三万五千部。表紙の写真は昨年二月号参照)や「ミニ・アポクリファ」(五万部)などを発表し、最新作は本人が最も気に入っている「月の修導士たち」(九三年秋刊行)と、最も権威ある文学誌「ネヴァ」に掲載された最新の長編「私…二十日鼠の王」(九四年刊行予定)である。
 最初、ストリャーロフは古典SF(ボリス・ストルガツキーはハードSFだと定義した)に手を染め、その路線で「悪霊退散」を発表したのだが、その後すぐにみずからそのジャンルを捨て、ファンタズム(悪霊退散)またはマジック・リアリズム(ミニ・アポクリファ)と呼ばれるジャンルに移行した。
 この路線変更は、一見何の関連もない変更に見えるが、本人にとっては当然の流れだった。
 ストリャーロフはこんなことを言っている。
「(アメリカ流の)SFは、元来、商業主義に身を置くジャンルであり、エンターティメント的な要素が強く、文芸的な意義が軽視されがちである。私はゴーゴリやマルケス、ブルガコフのように主流文学の手法でファンタスティカを書こうとしてきた。それゆえに私の作品は純文学誌に掲載され、いわゆるSF雑誌には掲載してもらえなかった。実際、ロシアにいるファンタスティカ作家の多くは、私と同じようなスタンスで活動している。私の原則は『リアリズムであればあるほど良い』だ。これは私にとって非常に重要な指標であり、同時にファンタスティカ全体にとっても大きな意味を持ってくることだろう」
 誤解のないように補足しておくと、ストリャーロフがここで問題にしているのは、エンターティメント性の強い小説の否定でも、アメリカSFとファンタスティカとの優劣でもない。  現にストリャーロフはファンタスティカを執筆するにあたり、アメリカSF的な作品とリアリズムに徹した作品を意識的に書き分けている。
 最近出版された前出の「ミニ・アポクリファ」には五本の作品が収録されているが、そのうち三本(「ミニ・アポクリファ」、「ド阿保アルバム」、「庭と運河」)はエンターティメント性の強いSF小説であり、残りの二本(「からす」、「天上のチベット」)は確かにSFなのだが、リアリズムに徹した作品で、ゴーゴリやドストエフスキーのファンタスティカを思わせる。
 ここで問題としているのは、もともとアメリカSFとファンタスティカは発祥も発展も別の道を歩んできたジャンルであり、根本的な部分で相違があるということだ。つまり、多くのファンタスティカ作家の作品の傾向は、アメリカ流のSFを好んで掲載している雑誌の方針とはお互いに相入れないのだ。もちろん、アメリカ流のSFを好んで書く作家も少なからずいる。
 先のストリャーロフの発言でもわかるようにロシアの作家達にとってリアリズムは重要な問題なのである。最近では新しい流れとして、ファンタスティカを「ターボ・リアリズム」と呼ぶ運動が起こっている。
 さて、説明が長くなってしまったが、ストリャーロフがどんな作家なのかわかってもらえただろうか。先にもふれたようにストリャーロフはアメリカ流のSFとロシア流のファンタスティカをはっきりと区別している。それがレポートの論調に影響を与えている部分があるもしれない。
 また、一部に強烈なナショナリズムを感じさせる記述もあるが、それはロシアがファンタスティカの牙城であるというプライド、そしてストリャーロフ自身がファンタスティカの旗手であるというプライドによるものだと筆者は解釈している。


夜明けまでの系譜
(ファンタスティカがおかれている状況)

 ロシア・ファンタスティカが壊滅したのは、まだたったの2年前のことだ。
 ロシアにおいて自由な出版形態による本が登場して以来、それまでひまだった人々、なかでもぎりぎりの生活を強いられていた人々が(手軽で手堅いビジネスとして)出版に熱中し始めた。新しい出版社が数えきれないほど創設され、またたく間にもの凄い量のアメリカSFを市場にばらまいた。
 それ以前には、アメリカSFはわずかしか出版されていなかったため、読者はわれ先にと書籍売り場にまきちらされた本に殺到した。
 その結果、ほとんどのロシア・ファンタスティカはこういった一連の流れによって市場から掃き出されてしまった。雑誌の発行が停止してロシア人作家の発表の機会が極端に少なくなり、予定されていた選集や単行本が中止となったばかりでなく、書籍販売業者は海外の作品のみを欲しがった。
 ただ、例外的に、世界的に有名なアルカジー&ボリス・ストルガツキーなどは発禁になっていた作品が見つかったような場合には確かに出版されていたが、若い世代の作家などはそのような対象にはならなかった。
 まさにロシアのファンタスティカはその時消滅したのだった。状況は絶望的だった。
 ただ、同時に、冗談としか思えないほど徹底的になくなってしまったがために、それがかえって後に良い結果をもたらすことになった。
 どういうことかと言うと、まず第一に、新興の出版社が最悪の本の出し方をしたということがあげられる。たとえば、ある出版社が人気のある作家の名前をいくつか知ったとすると、その作家の本ばかりがもの凄い勢いで出版され始めたのだ。(注:筆者もこの頃に出版されたアンソロジーを数冊持っているが、確かに何を考えて編集したのかよくわからない本が多い)
 その結果、本屋には同一の著者の、それも全く同じ作品が溢れることになった。本はたくさんあるものの読むべきものは何もなくなってしまった。まるでペレストロイカ以前のようにだ。
 そして第二に、出版社が海外作家の本をとにかく大急ぎで作るため(速く儲けたいという欲求によるものなのだが)、翻訳の品質や造本が最悪の状態だったことがあげられる。
 具体的には段落やページがずれているとか、または主人公の名前が変えられているとか、文中に莫大な誤植があるといった具合だ。
 その結果としてアメリカSFの翻訳本は人気を無くし、ここに及んでやっとロシア人作家に対する人気が定着したのだ。
 ビクトル・ペレビンの「蒼い火星」が人気を博し、アンドレイ・ストリャーロフの「ミニ・アポクリファ」やセルゲイ・イワノフの「轟音の翼」といった作品も良い売れ行きを見せた。これらは同種のアメリカSF以上に読者に受け入れられた。この変化は今後も強まってゆくだろう。
 要するに、根気良く書き続けてきたロシア・ファンタスティカの担い手たちの苦難の時期は終ったのだ。ボリス・ストルガツキーがロシア・ファンタスティカの復活を宣言するほど、数多くの傑作が出版された。
 一九九三年の三月に行なわれた「インタープレスコン93」においては、ロシア・ファンタスティカは消滅など全くしておらず、依然として活発であり、しかも全盛期を向かえつつあると総括されるまでにすら回復したのだ。
 この流れにのって、ついにはロシアの作家専門の出版社が発足するにおよんだ。その出版社とは「テラ・ファンタスティカ」のことである。今年、同社が出版した本は以下に示すとおり。
●アルカジー&ボリス・ストルガツキー
 「みにくい白鳥」
 表題作と、原稿の存在は知られていたがロシアの民主化がなされるまで発表されることがなかった「滅びの街」の二長編を収録
●ビャチェスラフ・ルイバコフ
 「重力航行船『皇帝位継承者号』」
 現代まで存続し続けるロシア帝国を描いた表題作と愛をテーマとしたファンタジー「塔の上のかまど」を収録
●アンドレイ・ラザルチュク
 「夏への道しるべ」
 たくさんの作品から構成されたような雰囲気の作品。世界の混乱と全世界が黙示録的な破滅へと向かう様を描いた壮大な叙事詩(表紙の写真は昨年二月号参照。ただし別のバージョンで再販されている)
●エドゥアルド・ゲボルキャン
 「ごろつきどもの時間」
 ロシアの破滅と専制主と戦士によって復活してゆく様を描く、波乱に富んだ長編
●アンドレイ・ストリャーロフ
 「月の修導士たち」
 退行した時代を描いた表題作とサタンの出現を描いた中編「コリント人へのメッセージ」を収録
 これらはみな現代ロシア・ファンタスティカの新しい方向性を示したという意味できわめて興味深い本であり、もしかしたら日本の読者にとっても魅力的な本になることだろう。
 そして最後に、長い不調和と動揺の時期を経てロシアのSFファンの新たな団結が生まれたこともあげられる。
 一九九三年三月、サンクト・ペテルブルグの新開地であるペピノにおいて第三回「インタープレスコン」またの名を「コンベンション・インペリウム」がアレクサンドル・シードロビッチとアンドレイ・ニコライエフによって開催された。
 コンベンションには旧ソ連の国々より優秀なSF作家が参加した。主なところではボリス・ストルガツキー(サンクト・ペテルブルグ、ロシア)、ミハイル・ベルリエフ(タリン、エストニア)、エドゥアルド・ゲボルキャン(モスクワ、ロシア)、アンドレイ・ラザルチュク(クラスノヤルスク、シベリア)、エブレニー・ルーキン(ボルゴグラード、ロシア)、ウラジミル・ポクロフスキー(モスクワ、ロシア)、ビャチェスラフ・ルイバコフ(サンクト・ペテルブルグ、ロシア)、アンドレイ・ストリャーロフ(サンクト・ペテルブルグ、ロシア)、ミハイル・ウスペスキー(クラスノヤルスク、シベリア)、ボリス・シテーリ(キエフ、ウクライナ)のほか、多数の出版関係者や評論家、ファンが参加した。総勢約百五十人といったところか。
 「インタープレスコン」は映画製作者会館というたいへん権威ある場所で開かれたのだが、会場に劣らずプログラムのクォリティも高く、興味深い報告と昨年の総括がいくつか行なわれた。
 同大会において、一九九二年のベスト作品であるとして、
  短編 キール・ブリーチョフ
   「恐怖について」
  中編 ビクトル・ペレビン
   「警察特殊部隊『太陽神ラー』」
  長編 アンドレイ・ストリャーロフ
   「月の修導士たち」
が「かたつむり賞」を受賞した。これは旧ソ連に属した国々における最高のSF賞であり、名称の元になった小説の作者であるボリス・ストルガツキーがみずから賞を手渡した。
 そして一九九三年四月にはシベリアのクラスノヤノスクでSF作家コンファレンス「シベリア二十一世紀」が開催され、作家数名と多数のファンが参加した。
 コンファレンスに参加した作家は、エドゥアルド・ゲボルキャン(モスクワ)、アレクサンドル・カバコフ(モスクワ)、オレッグ・コラベリニコフ(クラスノヤルスク)、アンドレイ・ラザルチュク(クラスノヤルスク)、セルゲイル・キヤネンコ(アルマアタ)、ビャチェスラフ・ルイバコフ(サンクト・ペテルブルグ)、アンドレイ・ストリャーロフ(サンクト・ペテルブルグ)などである。コンファレンスは大きな反響を呼び、テレビ中継や新聞報道で広く知れわたることになった。
 これらどちらのイベントも、今後も開催され続けることだろう。とりあえずは一九九四年に「インタープレスコン94」が開催されることはすでに広く知れわたっている。
 そもそも、たとえ外国のコンベンションであってもロシアの作家は招かれれば参加するものなのだ。
 なぜなら、これはロシアの文学者に共通して言えるのだが、普及のためには脇目もふらず努力するし、いつの時代であってもロシアがヨーロッパとアジアにおける文学の魅力的な中心地でありたいとつねに思っているからだ。


 ちょっと固めの話になってしまったが、最後にもう少し柔らかくて、誰でも簡単に参加できるロシア関連の情報を一つ。
 SFファンの中には読んでいる人も多いと思うが、「ファインマンさん、最後の冒険」(岩波書店)という本がある。ノーベル賞物理学者ファインマンを主人公として、ふとしたことからソ連の小さな自治共和国「タンヌ・チューバ(トゥーバ)」に興味を持ってしまったことから始まる努力の数々が書かれている。
 ちなみに、チューバはモンゴルの北に位置し、文化的には一部モンゴルの影響をうけているが、独自の素晴らしい文化を伝えている。特にフーメイというモンゴルのホーミーに似た倍音唱法は非常に印象的で美しい。
 だが、その当時はまだまだソ連が健在で、その頃は外国人が好き勝手にソ連国内をうろつき回るなど論外であり、たとえファインマンが世界的な物理学者であろうとも気楽に観光するわけにはゆかなかったのだ。
 筆者からすれば、この本は脳天気なアメリカ人二人がいかにソ連の官僚主義に立ち向かったかという冒険話として、または魅力的な異文化を理解するためにはどれだけの苦労が必要なのかを示す体験談として読める、たいへん楽しい、しかも全く洒落になっていない、お薦めの一冊である。
 この本の読者にはすでに周知のことと思うが、ファインマンが創設したチューバとの異文化交流・相互理解を目的とした「チューバ友の会」の正式な日本での代表が決定したのでお知らせしておく。これまではアメリカと直接やりとりしなければならなかったのだが、日本支部ができたことでより身近な会になったというわけである。
 連絡先:五五九 大阪市住之江区安立二丁目九-二三-一○三
   法貴様方
    日本チューバ友の会
 異文化交流を実践してみたい人にとっては、非常に興味深い内容の会だと思う。
 昨年はPKOだの、国際貢献だの、いろいろ言われた年だったが、そんな大上段に構えているだけで意義とか実体が全くわからない活動より、こういったごく身近な所から始まる、しかも本当に自分の生活のスタンスで実践できる相互交流のほうがよほど重要だと思うのだが、いかがだろうか?