科幻情報 Vol.29.5(緊急版)


遅叔昌氏の訃報

 遅叔昌氏が亡くなった。2月5日のことだという。享年74歳。
 遅叔昌といっても、たぶん古い人しかご存じないと思う。中国SFの草分けの一人で、1940年代に慶応大学に留学。1950年代から科幻小説を書き始め好評を博していたが、〃文革〃のころ再び日本に来てその後帰化。川崎市に住んでいた。日本で翻訳・紹介された作品は意外に多く、太平出版社から単行本『鼻のないゾウ』(挿絵は松本零士!)が出ているほか、SFマガジンにも初期の作品が載った。詳しくは中国SF研究会の「中国SF資料」の巻末リストをご覧いただきたい。
 なぜここに紹介するかというと、中国SF研究会発足のおり会場として姉にあたる馬遅伯昌女史(料理研究家)のレストランを提供して下さった上、即座に名誉会員として登録、「DAICON4」にも「はまなこん」にも参加したことがあるという、浅からぬ因縁のある人であったからだ。TOKON9以後、日本のSFには違和感を感じていたようで、SFと界の接触は少なくなっていたが、長男である遅方氏が天津から来てしばらく滞在していたりして、林久之個人との接触はその後も続いていた。去年、医療保健のことについて問い合わせのあったのが最後である。どんな病気だったのか、まだ詳しいことはわからないが、名前を覚えていた方はどうか合掌していただければと思う。

中国のSF大会・続報

 来年中国で開催されるWSF大会および科幻節について、昨年8月のコクラノミコン会場で公表して以来、方々に連絡してはいたのだが、この度四川省成都市の『科幻世界』雑誌社から、日程変更の連絡がFAXで届いた。参加するつもりで8月末のスケジュールを空けて待っていた人があるといけないので、以下に翻訳して掲載しておきます。
 8月に日本SF大会が開かれるという事情を考慮して、私たちは中国で開催される国際SF会議を7月に挙行することに決定しました。あらましは次の通りです。
 なお、北京での会議の後、成都市において、中国のSFファンと四川への観光旅行に参加する日本および各国の友人たちとの、盛大な交歓会や民族歌舞などのアトラクションを予定しています。その後、希望者に対しては、九寨溝(連合国保護人類珍奇遺産)、楽山大仏、峨眉山などへの観光旅行の手配をいたします。
 日本の友人たちに特にお願いしておきたいのですが、今回の北京会議には中国の出版関係者が多数参加することになっていて、版権取得などの件について知りたがっているということです。日本の出版界の方が参加なさるならば、大いに歓迎されることでしょう。
 以上が’97国際SF会議のニュースですが、正式な文書はまた近いうちにお送りします。
 科幻世界雑誌社 1997.1.20

 その後届いた「正式の」招待状によると、ゲストとして、ブライアン・オールディス、フレデリック・ポール&ハル夫妻、柴野拓美夫妻、チャールズ・ブラウン、といった名前があり、主催者の「科幻世界」としてはこの企画に相当な力をこめていることがわかる。それにしても、日本のSF大会の日程を考慮して向こうの計画を変更するとは(それだけが理由だとしたら)思い切った配慮。今のところ10名ほどのかたが参加表明しておられますが、どうか一般のファン、作家、編集者を問わず、参加表明をお願いしたい。締め切りは3月10日。大会に関する連絡・問い合わせ・参加表明などは林久之あてにどうぞ。

金庸『書剣恩仇録』の魅力

 徳間書店から出ている金庸の武侠小説『書剣恩仇録』の面白さは、ただごとではない。香港のカンフー映画の原作、などというスケールの小さなものではなく、緻密かつ堂々たる構成のドラマである。A・デュマ『三銃士』(だけではなく『フロンド党』『ブラジェロンヌ伯』までを含めて)の豪快さと風太郎忍法帳の奇想天外を兼ね備えた、現代冒険小説なのだ。香港で映画化されたものもいくつか見たが、2時間そこそこの枠には到底収まりきらないので、当然ながら原作のごく一部しか映像化されていない。題名がそっけないので損をしているが、内容はまさに波乱万丈。
 あらすじなど説明してしまうと、これから読む人の興を削ぐことになるが、ごく簡単な紹介だけはしておこう。清の皇帝の中で名君のほまれ高い乾隆帝は、お忍びで浙江省へたびたび出かけている。この史実をもとに、皇帝が庶民に変装して水戸黄門漫遊記よろしく悪代官や盗賊の親分をやっつけたという伝説が生まれた。また、ウイグルから香妃とあだ名された美女を迎えながら、母大后の気に入らず、自殺・暗殺・病死のいずれかで失ったという逸話もある。とかく行状記を作るに事欠かない皇帝だったらしい。これを、異民族である清が天下を取ったことに怒って漢民族の王朝を復興させようとする秘密結社、紅花会の英雄豪傑たちの側から描く大活劇なのである。
 背景となる世界にも触れておこう。武芸の伝統は、日本では武士という階級がこれを伝えてきたが、中国では体制側ではなく「江湖」と呼ばれるアウトローの世界で形成され伝承されている。また、そこは男だけの世界ではなく、男勝りの女達も存分に活躍しているし、男女の恋も決してタブーではない。恋に泣き夫や妻のために泣く男女がいても、決して女々しいなどと非難されることはない。このへんが日本の剣豪小説と決定的に違う。それともう一つ奇妙に思われるのは(奇妙だと思うのは僕だけかも知れないが)武器を作った職人がまったく尊敬されていないことだ。誰だれの使っている刀、とは言っても、どこの何という刀鍛冶が作った名刀、というのはいっこう登場しない。武術は武芸者の技術のみによって成り立っているような印象さえうける。むろん名刀というのは登場するが、作者については言及がない。妖刀村正も関の孫六も水鴎流胴田貫もないのである。
 武術の基本は気功だというのも、日本には見られない発想である。気功というといかがわしい健康法くらいに思っている方もあると思うが、これを武術に応用したのが武功である。「いまお前の秘孔を突いた」「ひでぶっ!」などというのは当たり前のこと、軽功といえば脚が軽くなりとてつもない早さで走ることができる、ということになる。鍋やザルの縁を走ったり、豆腐を崩さずにその上を走ったりする。もっと進むと飛功といって空中を飛ぶこともできる(こう書いてみると、やっぱりいかがわしい)。気功の理論上、そういうことが可能だということになっていて、香港のカンフー映画にはよく見られる。山田風太郎が人体の生理機能を誇張して、とかげ舌・赤不動・筒涸らし・肉太鼓などという奇想天外な忍法を考え出したのと同様に、中国では気功の理論を思いっきり誇張して、ほとんど忍法みたいな奇怪な武術も可能だということになっているらしい。違うのは、そうした忍法まがいも武術のうちと認められ、おもな登場人物の誰もが身につけているのだという点なのだ。
 『書剣恩仇録』だけでハードカバー4冊という分量は半端ではないが、京極夏彦にハマった人ならば、苦痛に感じないはず。あれよりは余程読みやすい文体である。だまされたと思って、一度読んでみてください。