科幻情報 Vol.13


 ことし2回目の科幻情報です。今回はいろんなニュースがありますので、最初に目次を付けておきましょう。
  1. この夏中国を訪問したこと
  2. 第28回日本SF大会のこと
  3. 四川の作家劉興詩からの書簡のこと
  4. その他のニュース

中国訪問記

 この前の科幻情報で、今年の夏に『銀河奨』授賞大会に招かれていることを書きました。その後、六月四日に北京天安門で、ごぞんじのような騒ぎが勃発、どうなるとかと案じていたのですが、四川からわざわざ国際電話が入り、心配ないから来てくださいといってきました。まさかSFコンテストの受賞式に出たからといって反革命よばわりされることもあるまいと思い、予定通り行ってきたわけですが、そのときの報告をいたします。
 今や海外旅行というと、飛行機で行くのが普通なのですが、私は船で行ってきました。神戸から上海まで、『鑑真号』の一等船室に乗ってまる二日、費用は約六万円也。飛行機の三分の一です。経費を考えれば断然安い。もっとも、日程に十分な余裕が必要ですが。  出発は七月二五日。途中、まる一日くらいは船酔いで寝ていましたが、ともかく二七日の昼には上海へ着きました。心配していた手荷物の検査も、まったく普通の観光客同様、ほとんど何もなくて済んでしまいました。迎えに来てくれたのは、科学文藝雑誌社の譚楷氏と、通訳を担当して下さる李有寛氏。李有寛氏は、本職は高校の先生なのですが、アルバイトで観光客の通訳をしたり、星新一さんのショートショートを翻訳出版したりしていて、いまは日本へ留学中。さっそく市内の観光名所をいくつか案内していただき、夕食後、譚氏と李有寛氏のお世話で、かねて会員諸氏もごぞんじの葉永烈氏のアパートへうかがいました。上海へ上陸するというので、葉永烈氏と会見する可能性も考えないではなかったのですが、日程がどうなるかわからなかったため、連絡しないままでしたから、ちょっと恐縮してしまいました。
 葉永烈氏は、最近はSFの創作から離れて、もっぱら報告文学や人物の伝記のほうに筆力を注いでいて、相変わらずの売れっ子ぶり、たいへん忙しい中で時間を割いて下さったわけです。
 いま、氏の著作で話題になっているのは、いわゆる『四人組』それぞれの伝記。二千年の昔から人物によって歴史を構成するのが中国の伝統ですから、『文革』を振り返るためには欠かせない作業なのですね。これはたちまち香港でも出版されました。日本ではまだ出ていないようですが、本をいただいてきたので、もし出してくれる出版社があれば、紹介したいところです。
 このほか、葉永烈氏のお宅では、ドイツ・フランス・アメリカで翻訳出版された作品集とか、かつて上海に留学していた武田雅哉氏が預けていった蔵書とか、いろんなものを拝見しました。
 翌日は、市内見学の合間を縫って、上海の新聞『文学報』の劉放氏からインタビューを受けました。といっても、ほとんど車の中で話をしたわけで、メモするほうもやりにくかったと思います。昼食は、葉永烈氏の招待宴ということで、「中外比較文学」の陳槇氏などを交え、奥様の昔の教え子が調理師をやっているレストランで御馳走になったのですが、詳細は省略。
 午後、飛行機で成都へ飛びました。約二時間。わりあい空席が多く、後部座席はかなり空いていました。外国人の観光客が来ていないせいでしょう。そういえば『鑑真号』も思ったより空いていたし、上海の街で外国人の姿はほとんど見かけませんでした。  二九日は科学文藝雑誌社へいってスケジュールの打合わせ。おととし日本へ見えた人たちと久闊を叙して、午後は成都市内の見学。露店の雑誌売場で、日本のアニメやSFドラマを連環画にした、『恐竜戦隊コセイドン』や『アトム』、『トランスフォーマー』『宇宙戦艦ヤマト』などを発見、しかし絵はあまり面白くなかったので、見本として数冊手に入れるだけにとどめました。
 三〇日は市内見学と「川劇」の観賞。夜は譚楷氏宅へお邪魔します。
 明けて三一日は授賞大会、そしてそれに先だって四川省宣伝部長の許川氏と会見。といっても、特別堅苦しいものではなく、出版関係者や作家も同席して、和やかに行われました。宣伝部長は多忙のため、大会には出席せずに去ります。いよいよ銀河奨授賞大会です。残念ながら、今回は事情により外地の関係者は呼ばず四川省在住者だけに限ったとかで、参加者はわずか四〇名足らず、ちょっと寂しい大会になりました。この前と同様、主催者とゲストの報告が続き、最後に授賞が行われるという、ごく地味なものです。報告の詳しい内容は、あとで印刷物になるはずなので、いまは簡単に済ませておきます。楊瀟女史と譚楷氏によるゲストの紹介に続いて、楊瀟女史によるWSF会議報告・童恩正氏の挨拶(身体不調のためこれから病院へ行くというので短いものになった)などがあり、私も日本のファン活動の報告をして、おおむね好評。
 終了後は主催者とゲストを招いての昼食会。いつものことながら、豪勢な宴会になり、日本の中華料理屋でこんなメニューを注文したら財布がどうなるか、とか、食べきれないほどの料理を運んでくるのはもったいないな、とか、複雑な気持ちでした。
 午後は受賞者や編集者、作家たちとの座談会。SFについていろいろな質問がありました。おもなものを挙げておきます。
 ……などなど。一時間半ほどで終わりました。どう答えたかはご想像にまかせましょう。
 三一日からは二泊三日で峨眉山へ。当初の計画ではパンダのいる自然保護区へ行くはずでしたが、今年の四川は大雨が続き、道が崩れているため変更になったものです。八月二日に成都へ戻り、三日には上海へ。こんどはイラストレーターの向際純氏がついてきてくれます。
 上海を発つ前の晩、意外な人に会うことができました。上海市在住の作家、姜雲生・姜亦辛父子です。松江県という郊外の遠いところから、師範大学の宿舎まで、はるばる訪ねて来てくれたものです。わずか一時間足らずしか話ができませんでしたが、たいへん有益な時間を過ごしました。
 中国SF研究会では、もともと香港・台湾の状況については、よく分りませんでした。作家や編集者と直接コンタクトする機会がなかったためです。以前、香港の杜漸という編集者から深見さんのところへ連絡が来たことがありますが、こちらから出した『科幻情報』その他は、届いたのかどうか、返事が来ないため分りませんでした。『資料之三』の付録で、倪匡を「台湾」と紹介してしまったのも、このためでした。そんなわけで、まして大陸の人たちが台湾の作家とコンタクトを取っているとは思っていなかったのですが、姜雲生氏から、台湾との連絡を取っているか、いなかったら紹介しよう、と言われて、絶句してしまいました。
 よく聞いてみると、姜氏の父君は台北在住で、その関係で台湾とのコンタクトはしばらく前から取り続けているとのこと。台湾の作家のうち黄海にいたっては、昨年大陸へ「里帰り」までしているというのですから、驚きました。そういえば少し前から、台湾政府が大陸への里帰りを黙認するというニュースは聞いていましたが、はやそこまで進んでいたとは。さっそく黄海氏の連絡先を教えてもらったのは、いうまでもありません。もっとも十月末現在、黄氏とはまだ連絡をとっていません。連絡を取らなくてはならない人がかなりあって、気にかけながらも手がまわりません。できるだけ早いうちにと思ってはいるのですが……。
 こんなわけでこの夏の中国は、戒厳令の敷かれている北京を除いてはすでに落着きを取り戻したといってよいでしょう。もっとも、人の心までのぞいたわけではありませんから、誰もが心底から安心しているとは限りません。SF界の人達にとって不安の種は、以前からSFに理解を示してくれていた作家評論家の鮑昌氏が今年のはじめに亡くなったことです。これでまた上層部からの援助がどうなるか心配です。またしても批判にさらされるようなことにならなければよいがと、私も内心案じている所です。


第28回日本SF大会と『資料之三』

 今年のSF大会が愛知県蒲郡市で行われたことは、ご存じの通り。たまたま私の家から近い所なので、愛用のスズキのアルトで行ってきました。
 事前にSF大会に参加する会員はいませんかと呼びかけておいたのですが、あいにく会場で見かけたのは寄木ゆかりさんお一人だけ。それも、他の企画のほうで忙しく、一度顔を合せただけで、あとの方は不参加だったのか、見えたけれどディーラーズルームまで顔を出さなかっただけなのか、お目にかかれませんでした(私も電気羊のお店に招かれたのに、とうとう行けなかった。寄木さん、ごめんなさい)。
 そんなわけで、こちらはディーラーズルームからほとんど出られず、恒例のファングループ連合会議にも行けませんでした。今年こそは顔を出さなくてはと、思ってはいたんですが……。どうもわが研究会も発足以来すでに八年、当時学生で暇があった人たちも、おおかたは堅気の社会人、SFなんかに手を出してはいられない、のかどうか、とんと音信不通という人が多くなりました。比較的暇のあるわずか数名がコツコツやっている状態です。なんとか新入会員の獲得を考えないと、寂しい限りです。
 中国SFの部屋、という企画を出したのも、そのために少しは役に立つかなというつもりだった次第です。でも、現実は厳しい。夜八時台という、いわばゴールデンタイムだったのに、いやそれがかえってあだとなったのか、見に来てくれた人は20人程度という、小じんまりしたものとなりました。行きたいけど、ほかにぜひ見たいところがあって、などと寂しいことをいう人も……。しかし来て下さった人たちは、少数ながら、スクリーンに映し出されるスライドを見て何かと質問を浴びせてくれたので、たいへんよい雰囲気の中で進行することができました。数は少なくても、深い関心を持ってくれる人がある限りは、中国SF研究会は不滅です(でも、やっぱり誰か手伝ってほしい……)。新会員の獲得とまではいかなかったものの、まずまずの企画だったといえるのではないでしょうか。
 一方、ディーラーズルームのことです。「中国SFの部屋」のチラシを三百枚刷って持っていき、通りかかる人ごとに渡しているうちに、夕方ごろにはすっかりなくなってしまいました。チラシを受けとった人の一割も来てくれれば上出来だな、などと言っていたら、やっぱり一割は来なかったわけですが、しかし売子をやっているだけでも面白いものですね。客寄せのため、中国から持ち帰った『科学文藝』(加藤さんの絵が表紙を飾っていた!)や『トランスフォーマー』をテーブルに並べておくと、けっこう手に取って見ていく人がいます。売物とまちがえて、買っていこうとする人もいたりして。それから、中国SFの企画は何時からですか、などと尋ねてくれる人や、去年SFマガジンに載った記事を覚えていて、『西遊新記』の翻訳はまだ出ないんですか、なんて熱心に尋ねる人もいたりして、関心のある人は意外に多いんだなあと感じたものです。
 さて肝腎の『資料之三』の売れ行きです。この前の『資料之二』は500部印刷して売れたのは200足らずという悲惨な結果に終わったので、今度はちょっと数を減らして300部でいってみることにしました。大会会場には『三』を60部、『二』も30部持ちこみ、顔見知りの人に進呈した分もあったものの、最終的にはぜんぶクリアすることができました。売上げ金から逆算すると、少なくとも60部は売れたことになります。まずまずの成果であろうと思われます(お隣の『イスカーチェリ』には、やっぱりかなわなかった)。
 『資料之三』は、会員の皆様にはすでにお送りしましたので、もしまだ受け取ってないという方、もっと余分に取り寄せてばらまいてやろうという方、どうかご連絡ください。本は、発行のたびにこちらから送る分は無料です。会員の方からの追加注文については、送料を無料とします。本が届いてから、冊数×500円だけ、為替や郵便切手などで送っていただければ結構です。
 今回収録したのは台湾の作品ということで、いままで紹介したものとはまた違った感想をお持ちの方もあろうかと思います。感想、批評など聞かせていただければさいわいです。


おたよりコーナー

 ひさしぶりのコーナーです。『科幻情報』の発行が遅くなりましたので、あまり古くなったお便りは残念ながらカットさせていただき、最近のものから行きましょう。

四川省成都市在住の作家、劉興詩氏から

 「前回成都へいらした時も、今回の銀河奨授賞大会も、膝をまじえて歓談する機会がなく、たいそう残念に思います。
 中国SFははやったりすたれたり、三度のピークと三度の低迷を経てきました。問題はいろいろあると思います。貴君をはじめ皆様がたのご指摘をたまわりたく存じます。  88年10月、安徽省黄山で、文化部少年児童司及び中国科学普及協会少年児童委員会の主催により、全国的な会合が開かれ、中国SFの第三次のピークをめざして決起することが提案されました。ねがわくば成果が上がってほしいものです。
 会のあと、いろいろな計画が出て来ました。全国20の出版社および刊行物の主催による「中国SF評論奨」(成都の「銀河奨」は「科学文藝」だけの主催によるもので、全国的なものではありません)、いくつものアンソロジーや新作の出版、新人作家を育てるための努力などなど。
 ご存じのように、中国SFは現在、いくつもの困難に直面しています。
  1. 作家の層に断層を生じている。統計によれば、50年代の作家でなお創作を続けているのはわずかに一〜二名で、新人はにわかには育てられないこと。
  2. 理論面の仕事にも断層を生じていること。
  3. 出版の場が少なく、提唱してもなかなか受入れられないこと。
 ただただ88年の黄山会議および91年のWSF大会によって促進されるよう願うばかりです。
 この期間に私は山西・四川・重慶・湖北・安徽・北京・上海などいくつかの出版社との約により、アンソロジーを一つ編集し、SF作品集を一つ出しました。今回見えたときに差上げた二冊の本はその一つです(注)。最近、中国SF年鑑を編集することになりました。仮題はSF選刊、毎年発行する予定です。
(中略)
 ところで、日本のSFファンクラブのようすを友人たちに話したところ、大いに興味を持ったようです。安徽少年児童出版社の李利氏からの伝言ですが、もしも日本のSFファンのほうで興味があるようでしたら、安徽省黄山へ観光旅行にいらして、中国のファンと会ってはどうかとのことでした。貴君および日本の中国SF研究会の秘書長の安徽省における費用は全額負担するとのことです。
 それから、(日本の)SFファンで成都へおいでになるかたはありませんか? 四川の作家に会ったり、中国のファンクラブ(大学生たちです)と交歓をおこなったり、また四川省の名勝、三国演義の古跡などをたずねたりなさってはいかがでしょうか。学生たちを同行させてもよいと思いますが。
 貴君の中国SFに対する研究には感謝しております。私も中国SF年鑑を編集する立場になり、その中には中国SFの関する内外の主なできごとも取上げていこうと考えています。そこで、中国SF研究会の成立期日、おもな活動内容(どんな作家あるいは作品を翻訳してきたか)等について教えていただけないでしょうか。もし私の作品や私について紹介したものなどありましたら、お送りいただけないでしょうか。
 十分意を尽くしませんが、ひとまずこれで筆を置きます。

☆SFの国際交流を広げる絶好の機会だと思います。関心をお持ちの方、ひとまず林までご連絡下さい。
(注)「中国少児科普作家伝略」希望出版社(山西省太原市)、「世界科幻小説協会中国会員作品選」希望出版社(同)

次のおたより

(前略)  中国SF研の最近の活躍は頼もしい限りで、「ルナティック14」掲載の「ペンフレンド」と「傾城之恋」掲載の「通訳絶唱」「陥落の日」、計三作を一気に読ませて頂きました。中国系SFの一気読みというのは始めての体験で、勉強させられるところもあり、楽しい体験でもありました。
 僕にはやはり、倪匡の「ペンフレンド」が面白く読めました。比べると張系国の場合は「SFするぞ」という意識が先に立ってか、プロットにもたつきが見られる感じです。張系国の作品二編では「通訳絶唱」が良かったです。アイデアふたつ、科学的な輪廻転生法と異星人間の言語学ですが、やはりどちらかひとつで纏めるべきだったでしょう。読んでいて面白かったのは、東洋的な輪廻転生とSFの組合わせでした。思想的な部分が強化されると、もっと面白く読めたでしょうが、(ここでひとつ思いつきましたが、草上仁の作品に「強制輪廻」というのがありまして、人間の魂を強制的に色々な生き物の中に入れて行くって短編ですが、あれ中国系のSFファンが読んだらどんな感想を持つか、興味があります)「陥落の日」は中国系SFには珍しい時間テーマ、貴重な作品でしょうが、僕には今ひとつって感じです。林さんの話では、中国系SFではこの分野が遅れているそうなんで、価値のある一作には違いないでしょう。
 で、倪匡の「ペンフレンド」ですが、これはよい作品でした。ストーリィテリングというのは、「読者をノセること」平井和正流にいうと「ベクトル感覚」ですが、この点、今までよんだ中国系のSFの中では、この作品が一番優れていたように思います。もちろん、悪ズレした日本の読者には(中略)話の展開は見えてしまうでしょうが、ストーリィテリングの才能というのは、そうした部分とは別のところにあります。倪匡の作品は他にも影絵ドラマで「蠱惑」を見ていますが、あれも面白かったです。キャラクター設定の配置が、この人の場合、実に巧い。前半を謎で引張る構成も巧みで、SFというジャンルが台湾で根を下ろせるかどうかは、こうした書き手の存在如何に掛っているといって、云いすぎではないでしょう。
(中略)
 やはり同じ東洋人の書いた作品なのでしょうか、今回三作品を通して読んでみて、英米SFには感じなかった「肌に合う」感触を得るところがありました。
(以下略)

☆ていねいに読んでいただき、有難うございます。張系国の全貌は「傾城の恋」だけで尽くされているわけではなく、もっとユーモラスなものもありまので、また機会を見て紹介していきたいと思います。
 ところで倪匡の「ペンフレンド」「蠱惑」はいずれも東海SFの会発行の「ルナティック」14号および8号に載っています。


その他のニュース

 お便りはまだありますが、それは次回で掲載することにして、ここでお知らせです。
  1. 香港の作家倪匡による「ペンフレンド」が、東海SFの会の会誌「ルナティック14号に掲載されました。
  2. 上海の新聞「文学報」に、この夏上海を訪れたときのインタビュー記事が載りました。十数部も送られて来ましたので、会員諸氏には同封しました。中国ではこんな紹介のされかたをしてるんだな、という参考までに。
  3. 葉永烈氏の話によると、日本で「中国科学幻想小説選」という本が出たはずだということでしたが、詳細は不明。ご存じの方ありましたら教えてください。
  4. 上記の劉興詩氏の本を出している希望出版社で、日本SFのアンソロジーを出す計画があるということです。どんな作品を収録したらよいか推薦してもらえないだろうかという話がありました。ご意見お持ちのかた、どうかお寄せ下さい。