最終更新日 98/08/30
京都のガラス製造(戦後編) (有)昭和硝子製造所
〔営業期間昭和25年〜57年〕
はじめに、私が入社したのは昭和30年でした。創立は昭和25年に佐々重一、矢野三三郎 両氏によります。所在地は東山区一の橋野本町94番地300坪の敷地に立つ小さな工場でした。
同所以外には硝子工場は〔手吹工場として〕
(株) 相互理化学硝子製作所 〔薄物 厚物 工場〕・(株) 協立硝子製造所。又昭和23年ごろまで戦前から在った掘さんの工場が河原町松原上がるに在りました。
ガラス細工〔ガス加工〕では、〔お得意様〕
左京区の二条付近に、金子・山口・長谷部・阿波屋・大西・大川勝・北条・山口友・石本・広瀬・定元製作所等が在り、岡崎に高尾新・吉田に高尾・山下・製作所・西の京に田村・下京区に中村・安部製作所、他に粟津・勝田・斎藤・北村・小月・並木製作所等が在りました。
その他にガラス管等を納入していた会社は、
(株)堀場製作所・太陽精機(株)・(株)大興製作所・(株)井ノ口製作所・(株)内橋製作所・(株)木屋・(株)大田鉄工・(株)山本製作所・(株)井上ガラス 様でありました。
硝子計量器では
(株)柳本製作所・(株)栗本硝子計測器製作所・協栄製作所・松岡製作所・定元製作所
大阪には、(株)宮原計量器製作所・(株)奥井製作所・(有)山田製作所・(株)大計
上地製作所・北本製作所・(株)村田計器・(有)日根野製作所・(株)清水硝子製造所
福岡には、(株)大和製作所・(株)冨士製作所・釘島計量器製作所
東京には、柴田理化学器工業(株)・北海計量器(株)・高橋理科量器工業(株)・新日本計量器製作所 等にガラス素材を提供していました。
当時の昭和ガラスは京都のガラス加工の素材として手吹ガラス管・棒を全製品の50%ほかに医理化学用のガラス器・ガラス計量用の素材〔メスシリンダ−・円錐・円筒・メスフラスコ・チャプマン〕等を製造して最盛期には30人余の人が働いていました。
主な職人さんの名前挙げますと
山本清行・手塚幸悟・須藤善二郎 さんは戦前からの職人さん、鈴木フキさん 達が居られました。
製造方法
ジャパン100斤坩堝 5本・30斤坩堝 2本 のピチ−ス式窯で燃料は石炭後に重油に変わる。矢野さん手作りの窯で当時は盆暮れ2回 窯の築造を全員で行った。
ガラスの分類
無色硝子 Soda-Lime Glasecs 〔ソ−ダ・石灰硝子〕珪酸+ソ−ダ灰 、 無色硝子 Boro−Silicate Glasecs 〔硼珪酸硝子〕珪酸+硼砂・硼酸を主力に随時色硝子を製造しました。
昭和30年代昭和硝子調合表
品 名 | 軟 質 | 硬 質 | 軟質茶 | 硬質茶A | 硬質茶b | 玉色 |
珪 砂 | 30kg | 30kg | 30kg | 30kg | 30kg | 11k250 |
ソ−ダ 灰 | 10k900 | 1k300 | 15kg | 3kg | 1k680 | |
石 灰 | 3k750 | 3k750 | ||||
硼 砂 | 1k125g | 12k750 | 11k250 | 12k750 | ||
硼 酸 | 560g | 1k680 | 3k750 | 1k680 | ||
硝石又はカリ | 860g | 225g 〔300g〕 |
225g | 3k750 | ||
ゴス〔コバルト〕 | 375g | 56g | ||||
螢 石 | 150g | 1k120 | ||||
硫化アンチ | 56g | |||||
アンチモン | 18g | 41g | ||||
炭酸バリウム | 450g | 450g | ||||
酸化アルミナ | 1k500 | 375g | 1k500 | |||
亜砒酸 | 75g | 67g | 56g | 75g | 1k120 | |
長 石 | 7k500 | 2k620 | ||||
硝酸鉄液 | 165g | |||||
硫 黄 | 63g | |||||
松 ヤニ | 318g | |||||
酸化鉄 | 1k120 | 5k600 1k570 |
||||
マンガン | 11k800 2k625 |
|||||
骨 灰 | 1k230 | |||||
光明丹 | 13k120 |
上記の調合でした。
当時としては終戦後の品物不足の時代で硬質硝子の製造には、大変苦労しました、品質は日電硝子のBC管に適合しました。
手吹硝子管・棒の製法
鉄製のバイプ竿で坩堝の生地を巻き取り鉄リンで形を作り鉄板の上で転がして細長い下玉を作りその上に生地を巻いて同じ作業を繰り返し窯でアブリ返して柔らかくし、ポンテ役と二人で伸ばして冷めたところで必要な長さに切りそろえる。
手吹きシリンダ−円錐等の製法
作業を手早く行う為ガラス管の友竿を使用する、坩堝の生地を巻き取りブロを容れて下玉を作り、その上に生地を巻き鉄リンで形を整える。型に吹きこんで形を作り台を付けて除冷炉にいれ一晩かけて歪をとりました。
円錐の作図
仕上げ製法
作業炉の両側に炎の噴き出し口を作り燃料は石炭後に重油。
仕様 10ミリの鉄棒を焼いてガラスの切断面に合わせて曲げて素材にガラス切りダイヤで切断の長さに筋を入れて焼けた鉄棒を押し当てて切り落とし、ガラスを噴き出し口から中に入れ焼きあがった品物にコボシ口をつけて仕上げた、その後サンソを使って切断仕上げ作業に変わる。
以上の方法で一時期は栄えた手吹ガラス製造もブロマシン等の発明で機械製法に押されてその上に第一次・二次のオイルショク、若年労働者の不足等で次々と廃業して現代では相互理化学硝子製作所の厚物窯一つが手吹ガラスを伝えるのみと成りました。協力して頂いた業種は市原木型・酒井鉄工所で型製作を致しました。
1998年8月
大重 忠
昭和ガラス製造作品及び、分布図