武漢旅行記
湖北省の省都・武漢に1999年10月中旬に行って来ました。 「郭店楚簡国際学術検討会」に参加するためです。
郭店楚簡は1993年、湖北省荊門市郭店の楚墓から発掘された竹簡群です。今本『老子』や『禮記』と近い内容を含んでいるばかりでなく、戦国時代の思想・歴史を考えるうえで、極めて重要な内容を含んでいます。また、そのテキストは近年、特に脚光を浴びてきた楚系文字で書かれており、文字学的に極めて重要な資料です。
ここで紹介するのはこの会議の次第ではなく、私が見てきた武漢を中心とした、湖北省の風景・建物についての記録です。
まずは武漢大学の紹介から。
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武漢大学正門・・・本来の正門はここではないそうです・・・
武漢は武昌・漢陽・漢口の三地域にわかれます。 武漢大学は武昌の東湖近くにあります。 |
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大学構内は非常に広くて美しいです。
坂が多いので自転車よりも歩いている学生が多いようです。 |
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構内は緑が多いです。公園のような大学です。
学内をタクシーが走っています。タクシーは赤いシトロエンばかり。武漢市内に提携工場があるとのこと。 ちなみに「麻木は進入禁止」の看板あり。 「麻木」については後に掲げた説明参照。 |
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学生の宿舎。 中国の大学では学生は構内の宿舎で生活するのが普通です。 歴史的な建造物です。ちなみにここは女子寮のようでした。 |
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新図書館。 三百万冊の蔵書があり、オンライン検索可能になっているとのこと。 旧図書館には宋版がたくさんあるそうです。 案内してくれた彭吉氏に感謝。 |
武漢市内
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武漢(この写真の地域は武昌)は車が多い。
車のナンバープレートは「鄂×××-×××」。 鄂は鄂州の略か。 すごい排気ガス。危険な通行人多数。 |
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麻木(マームー)と路上で食事する人。上の写真と同じ道の一風景。武昌起義で有名になった軍の元駐屯地近く。(元駐屯地には行ってません) |
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武漢から荊門市博物館に行く高速道路から撮影した湖北省の風景。5時間近く延々とこういった風景が続いた。
畑で栽培している農作物には綿花がよく目についた。 |
湖北省の博物館
(学会参加者でバスに分乗して見学。そのため各博物館で特別に見せてもらったものがいくつかあります。)
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湖北省博物館。武漢大学の近く(車で20分ほど)。
写真奥に写っているのは旧館。 左側に写っているのは土産物屋。 目玉は新館に展示されている曽侯乙墓の展示。 特別に雲夢睡虎地秦簡などみせてもらいました。 |
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湖北省博物館新館では曽侯乙墓から出土した編鐘の演奏をやっています。日本で何度か上演したことがあります。 |
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荊門市博物館。
武漢から高速道路(荊潛公路経由)で5時間かけて到着。 展示品は多くがレプリカ(だと思われる)。 但しここでみせてもらった郭店楚簡はきっと本物。 |
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荊州博物館。
荊門市から南下すること車で3時間ほど。 今回見た3つの博物館のうち、最もすばらしかった博物館。 戦国時代・楚に関する文物を多数所蔵・展示している。 しかもほとんど本物(だと思う)。 楚の漆器に関する展示はおそらく随一。 特別に張家山漢簡・天星観楚簡などをみせてもらった。 中には未発表のものもかなりありました。興奮。 |
郭店楚簡が発見された場所
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本当にここで発見されたのかという程の場所。
発見前から周辺の農民にはここに古い墓があることは知られていたという。 近くに数軒の農家。林のようになっているのは、後で木を植えたため。 この周辺に250以上の未調査の楚墓が確認されているそうだ(!)。 |
<日程> あまり武漢大学から外に出ていませんので、あまり名所は見てません。
第1日目(10/14) 成田→上海→武漢(天河機場)→武漢大学
第2日目(10/15) 武漢大学(会議)
第3日目(10/16) 武漢大学(会議)
第4日目(10/17) 武漢大学(会議) 湖北省博物館参観
第5日目(10/18) 荊州市博物館 荊門市博物館 郭店 参観
第6日目(10/19) 武漢大学→武漢(天河機場)→上海→成田
以上