★憧れの接食観測★


情熱part13「いて座ρの接食」(1995年11月13日)

 意外と迷信深い私は、13という数字が二つ重なった事に、何となく気味悪さを感じている。おまけに、自分の名前を入力する際、最後のOを間違えて左隣のIと入力してしまい、「たなかたかい」を変換すると「田中他界」と出てしまった! 先日過労死しそこなった事もあり、とてもいやな気分である。げん直しに、キ−ボ−ドの掃除をした。

1.星食とは何か?

 それはそれとして、標題の説明である。情熱part10で、接食の説明は行なっているが、どうも誰も理解できなかったらしい。月はご存じのように、約1か月かけて地球のまわりを回っている。その速度は日周運動の1/30程でしかないので、月も他の星と同じく、東から昇って西へ沈んでいく。しかし、背景にある星座を固定してみると、月はやはり、27日ほどかけて西から東へと移動していっているのである。これでもまだ分からなければ、月が昇る時間を思い起こして欲しい。毎日少しずつ月の出が遅くなっている事は、誰でも知っているであろう。逆に星座の星は、ほんのわずかずつだが出るのが早くなっているのである。これで少しは、月が星座の中を移動していく様を頭に浮かべてもらえたであろうか? 次に、月と星ではどちらが地球に近いか? いうまでもなく、それは月の方が近い。月までの距離は平均38万キロだが、星までの距離は、一番近い星でも40兆キロ以上ある。つまり1億倍以上遠いのである。そうすれば、月が星を隠すことが理解できるであろう。それでもまだ分からなければ、日食を思い浮かべてほしい。太陽より手前にある月は、太陽を覆い隠すことがある。ここで太陽を星に置き換えれば、星食の起きる理由がご理解頂けるであろう。
 夜空には、「星の数ほど」星があるのだから、星が月に隠れることなど、日常茶飯事に起きそうなものである。事実その通りではある。しかし、月は星に比べ、とてつもなく明るい。だから、あまり暗い星では、月に隠れるさまを観測することができないのだ。明るい星ほど数は少ないから、星食の起きる確率は、それほど高いものではない。

2.接食とは何か?

 ところで、月の見える位置は、地球のどこから見ても同じであるかといえば、これはそうではない。先程も言ったように、地球から月までの距離は平均38万キロであるのに対し、地球の直径は1万3千キロばかりあるので、地球の端と端では、月の見える位置が随分違ってきてしまうのである。たとえば、10月24日の日食について考えてみよう。ニュ−スでも報道されていたように、この日食はタイやインドでは皆既日食となったが、日本では部分日食となり、東京では16.7%しか欠けなかった。サハリンまで北上すれば、太陽は全く欠けなかったのである。日食で起こるこの現象は、星食についても全く同様である。つまり、南限界線上で見れば、星は月に隠れるか隠れないかのギリギリのところを「通過」するように見える。このような現象を接食と呼ぶ。これはそんなには見られない現象で、本年中に起こる接食のうち、日本から条件よく見られる                   のは28回ほどで、このうち首都圏を限界線が通過しているのは3回だけ。神奈川県内では、1回しか見られない。そんな訳で、私も今まで接食を見た事がなかったのである。 < BR>  キリスト教によると、天体は神が作りたもうたものであるから、完全な円形をしていなければならないのだが、私のようなバチあたりの人間には、現実の天体はどうしてもそのようには見えない。表面がアバタだらけの月は、当然の事ながらそのフチもギザギザになっている。もし月が完全な円であるのなら、接食を観測した時に、限界線の内側では1回の潜入と出現だけが起こるのであり、限界線の外側であれば、星は何事もなく月のわきを通過するだけである。逆に言えば、接食の様子を観測すれば、月面の様子を詳しく知ることができるのである。接食の時に知ることができるのは、月面の極地方の地形であるから、普段望遠鏡では見えないし、                探査機でも調べにくい。接食の観測が珍重される所以である。

3.いて座ρの接食

 さて、標題の接食であるが、月に隠されるのは4.0等星で比較的明るい。月は満月に近くないので、程々の明るさであるし、食が起こる時刻には空は充分暗くなっているし、月の高度もそこそこである。極めて条件のよい接食と言えるであろう。この接食の限界線は九州を通過したあと、伊豆半島と房総半島を横切っているが、その間にわずかに三浦半島をかすめている。こうなってくると、観測に成功するかしないかは、天候の問題と、「シャバ」の問題だけである。

 当時私は、2人の職員と一緒に、時々星を見に行っている。だから当然この接食も、一緒に見に行こうと考えていた。しかしここで、「シャバ」の問題が立ちはだかった。10月2日のこの天文現象は、K君にとっては保険請求中の事であり、とても7時までに、三崎まで行けそうにない。人間に見やすい時間であった事が、裏目に出てしまった。さらに悪い事には、Sちゃんの勤務も準夜である。私の方も、月曜日はO先生の外来が遅れるし、翌日の準備のために残業しなきゃいけないし、さらには、二交替問題の団交まで入ってしまった! これだけ悪条件が重なれば、もはや見事と言う他はない。

 そんな訳で、9月の25日には、私はこの接食の観測を完全に諦めていた。天気の週間予報を聞いても、10月2日は低気圧の通過で晴れそうにない。しかし26日になって、私は少し欲が出てきた。天気だって、万が一という事もある。そこで私は急きょデ−タ集めに乗り出した。天文年鑑のデ−タでは、まず限界線の正確な位置が分からないし、現象が起こる正確な時刻もわからない。時刻の予報は潮岬のものであり、毎秒0.6キロ(マッハ2)以上で走る「月の影」の到着時刻を予想することは、素人には至難の技である。そのため、まず海上保安庁水路部航法測地課星食国際中央局から詳細なデ−タを貰わなければならない。住所は分かっているが、郵便のやりとりで間に合うはずがないから、電話番号調べから始めなければならなかった。104で海上保安庁を聞いたら、「横須賀のでよろしいですか?」ときた。とりあえずそれを聞き、そこに電話して水路部の電話番号を尋ねると、けげんそうな声で、「何のご用ですか?」と聞いてくる。私はここで、かように4ペ−ジも費やした説明をしなければならないかと背筋に冷たいものを感じたが、幸いにして相手は「星食」の意味を理解していてくれた。それで星食国際中央局に電話をし、詳しいデ−タのFAXでの提供を申し出たのである。ここでも相手は、コンピュ−タ−を立ち上げるのに時間がかかるだの、FAXはそちらからアクセスしろだの、面倒な事を要求してきた(一番面倒な事を要求しているのは、この私なのだが...)。これらをどうにかクリアし、必要なデ−タを入手したのが28日のお昼だった。しかし限界線のデ−タは、緯度と経度で示されている。このままではどこだかちっとも分からない。接食の観測では、数キロの誤差が致命傷になるのだ。もちろんその場合でも、貴重なデ−タは得られるが、見て面白いものにはならないじゃないか!
   29日の午後は休みをとって、横須賀の図書館に調べに行ったり、三浦市役所に電話したりして緯度・経度を調べようとしたが、たいした情報は得られなかった。しかし家に帰って地図帳を調べると、県単位の地図ではあるが、緯度と経度が載っていた。ここで限界線が、城ヶ島から松輪を通過する事を割り出した。
 それから私は、重要な観測デ−タが載っている可能性があるので、29日午後、天文ガイドを買ってみた。接食ガイドの欄を見ると、実に細かいデ−タが掲載されている。宮崎南部と銚子付近での予想月縁図まで載っていた。しかし私は、ここで再度愕然とした。今回の接食では、予想月縁は平均月縁よりかなり低く、限界線より3キロ以上北に行かないと通過してしまう可能性が高いというのだ! 私は、銚子での予想月縁図より、限界線は理論値より3.9キロ内側になると予測し、以前描いた限界線を書き直してみた。新たな限界線は、黒崎で三浦半島に上陸し、北下浦へと抜けていた。その限界線の付近の地形を調べ、新たな候補地を池代の清泉小学校自然教室に定め、当日を迎えた。

4.いざ観測!

 当日はやはり曇り空で、再度観測を諦めた私は、望遠鏡を持たずに出勤した。仕事が延びた場合、当然直行でなければ間に合わない事になるので、この時点では完全に諦めきっていたのである。しかし天はとんでもない気紛れを起こし、夕方からは快晴となってしまい、心配されたO先生の外来も、定時に終了してしまった。私は団交をすっぽかす(もともと行けないとは言っておいた)事に良心の呵責を覚えながら、急いで自宅へ引き返し、すぐに望遠鏡を車に積み込んで、三浦へと向かった。幸い道路はさほど混雑せず、予定時刻の30分前には三浦に到着した。しかしここでまた困った事が起こる。清泉小学校自然教室はゲ−トが閉ざされていて、中に入れないのである。私は仕方なしに、第二の候補地である上宮田小学校へと赴いた。ここは限界線の理論値より3.5キロほど内側にあたるはずである。
 話しがだいぶ長くなったので、どんどんはしょっていこう。接食の観測には、時刻の測定が大切である。精度は0.1秒は欲しいところだ。本来なら短波放送のJJYと一緒に、自分の声で現象を実況中継し、録音したものを後で解析するのだが、何せ準備が間に合わなかったので、電話の時報に合わせた時計を、時々自分で読み上げなければならない。時計を見ている時に現象を見逃す恐れがあるので、どうしても助手が欲しかったのである。私は小学校の校庭に望遠鏡を設置し、月とρSgrを視野に導入した。校庭には、秋の澄み切った風が吹き渡り、虫たちの声が趣を添えている。何とも風流な星月夜である。私は予報時刻の10分前に録音テ−プを回し初め、5分前から30秒ごとに時報を吹き込んだ。すると予報時刻の4分程前、突然星が闇に消えた。私は「入った!」と叫び、すぐに時刻を読み上げた。7時27分22秒であった。月縁が低いため、縁の角度が鈍角になり、潜入が早まったものと理解した。その後、星は5回もの潜入と出現を繰り返し、途中2回もまたたきを見せた(この部分では、月の谷がギザギザになっているのであろう)人気のない校庭に、私のうわずった声がこだました。

 帰りの車の中で私は、有頂天に舞い上がっていた。天文学に興味を持ち始めてから26年にもなるが、学術的に意義のある観測は初めてだった。しかも何度も諦めたのに、まさに奇跡に奇跡が重なって、5回もの潜入・出現と、2回ものまたたきが観測できたのだ。これほどの観測結果は、いまだかつて聞いた事がなかった!

5.観測結果の解析

 しかし仕事と活動が多忙を極める中で、観測結果の解析は思うようにはかどらなかった。観測地の正確な緯度・経度・高度を調べるのに手間どり、さらには、一人で観測したために、時刻の精度を上げるのに苦労したのだ。助手がいれば、秒読みしてもらえて、観測精度が0.5秒は向上しただろう。また、120分テ−プを使用してしまった事も、テ−プの伸びにより、デ−タの再現性を悪くしたようだ。ちなみに時刻の測定には、運動療法室のストップウォッチをお借りした。

 そんなこんなで、海上保安庁と天文ガイドに観測結果を送ったのは、10月末の事であった。先方はすぐにデ−タ処理をしてくれて、特に後者は、他の人のデ−タとともに、私のデ−タを予想月縁に重ねてくれた。この日三浦半島では、私の他に4人が観測されていたが、やはり私が一番いい場所に当たったらしく、潜入・出現の数は一番多いし(2番目に多いのは、鈴木さんの4回)、他の人が観測しえなかったまたたきを2回も観測している。心配された精度も、他の人のデ−タに比べて遜色ない。我々の観測で、この部分の月の山は従来知られていたより小さいことが分かった。また、またたきの観測は、その部分の谷が従来知られていたより深い事を示している。私の観測だけが、この谷の深さを知らせてくれる。ちなみにこのデ−タは、天文ガイドに掲載されるそうだ。私の小学校〜中学校時代の夢が、20年の歳月を経て、初めて実現する事になる。わが20センチシュミットカセグレンに乾杯!