★オオムラサキ恋歌★


 時は流れて1988年、私はついにクロダイすらも手にしていた。また個人的にも「向かう所敵無し(?)」の状況にあった。訳あって大量に買い込んだ書籍の中に、「蝶に魅せられて」という本があった。明けて1989年、正月休みに読んだこの本の中にも、オオムラサキのことが出ていた。しかも中学校のクラブで、夏休みに人ってすぐに、山梨県の日野春(ひのはる)というところに、2泊3日でオオムラサキの採集に行ったと書かれていた。私は踊りあがって喜び、1989年の目標の第一に、「オオムラサキを見ること」をかかげた。

 夏休みを7月の25、26にとることを決意し、山梨県の地図を買って、オオムラサキヘの挑戦を具体化していった。しかし、これはかなりの冒険だった。第一に、7月末は、1年のうちで2番目に忙しい時期である。あるいは、原水禁大会に大量の代表を派遣することになれぱ、年末より忙しいことになる。しかも、23日には参議院選挙もあったから、まさに思いきった選択であった。不安の2つめは、時期が遅すぎないかということである。しかし選挙との関係では、これ以上早くすることはできなかった。不安の3つめは、逆に梅雨の末期の嵐にかち合わないかということであったが、これも、これ以上後にのぱすわけにもいきそうになかった。不安の4つめは、現地の状況がちっとも分からないことである。地図をみて、日野春が八ケ岳のふもとにあることと、中央高速のインターの近くであることは分かったが、ガイドブックにもこんなマイナーなところは載ってないし、旅館があるかどうかさえ分からなかった。だから私は念のため、寝袋を借りて持って行った。不安の第5は、現在でもここにオオラサキがいるかどうかである。本に載っていたのは、今から20年も前の話である。逆にもしオオムラサキがいっぱいいて、あっさりつかまえられたら、残りの時間をどうしようかという不安もあった。これについては、河口湖での釣りを準備した。

 選挙等でろくな準備もできないまま、運命の時は近づいてきた。悪いことには同僚の家族に不幸があって、19日から1週間休みをとるといって来た。私はよっぽど予定を延期しようかと考えたが、事務長達が薬局に支援に人ってくれそうなので、思い切って決行することとした。最後の最後までケチがつくどころが、いかにも私らしい。しかし昆虫、特に蝶に対する私の思い入れを、理解してくれる人が現われたことは、とてもうれしかった。私は前々日にセブンイレブンで、伸び縮みのできるオモチャの玉網を買った。500円だった。

 2日後の25日、私は5時に起床し、カメラと玉網と寝袋とルアーをもって出かけた。海岸沿いに平塚に出て、厚木をとおって相模湖に抜ける道である。厚木で若干道に迷ったが、わりとスムーズに中央高速にのることができた。ところが、茅ヶ崎あたりから眠くてしょうがなかったのが、いよいよひどくなってしまった。はじめは寝不足のためだと思ったが、要するに持病の微熱が始まってしまったのだった。茅ヶ崎で少し寝て、ガムを買って噛んでいたのだが、すぐにまた眠くなってしまう。いっものように談合坂パーキングエリアに人ったときは、もうぐったりしていた。しかし、どうにか勇気を奮い起こし、食事をとり薬を飲んで出発した。半分居眠り運転でフラフラしながらも、9時前にはインターを降りることができた。しぱらくして、地図をみるために車を止めると、花壇の花に蝶が訪れていた。カメラを出して近づくと、キアゲハだった。別に珍しい蝶ではないが、一応カメラに納めておいた。さて、いよいよ日野春駅に近くなると、道路のまわりはこんもりとした木立に覆われている。どこからオオムラサキが飛ぴ出してきてもおかしくなさそうだ。そうこうしているうちにガードをくぐって、日野春駅前に出た。なんと、大きな看板に「オオムラサキの里」と書いてある! ああやっばりここに来て正解だったと、胸をなでおろした。観光案内の掲示板には、自然遊歩道が書かれていて、ああここを徘徊すれぱ、オオムラサキが居そうだなと思った。実際、オオムラサキの絵が2個所に描かれていた。先に宿を確保しようと思ったが、例によってハラの具合が悪くなってきたので、先にトイレに駆け込んだ。トイレでよく考えたら、やっぱりすぐにつかまるといけないから、宿をとるのは一まわりしてからにしよう、いや夕方でも大丈夫だろうという結論に達した。トイレから出ると、すぐに旅館が目に入った。ああこれで野宿は避けられそうだ、とほっとする。もういちど案内飯をみてから出発しようとしたら、駅から本格的な採集スタイルをした2人連れが出てきて、案内板の前のペンチに座ってしまった。私は、オモチャの玉網が恥ずかしかったので、そのまま出発することにした。

 道路を渡ってトンネルを抜けたら・・・ああこの瞬間、1989年7目25日、午前9時5分を私は永遠に忘れないだろう。私が22年間追い続けてきたものとの出会いの瞬間を! 地面から何かがバサバサと音をたてて飛び立った。私は、地面にとまっていたその姿も、空中に舞いあがったその姿も、ほとんどまともには見ていないが、わずかな残像が、私に電撃ショックを与えた! オオムラサキだ! 舞いあがった蝶は、すぐ近くの木の枝にとまった。羽化したてで、遠くへ飛べないのかも知れない。私は、飛びあがって網を振ったが、網の中は、木の葉しか人らなかった。ちくしょう、惜しいことをしたな、と思ったら、彼はまた舞い戻ってきて、隣の木の枝にとまった。全く同じことを繰り返し、今度こそ逃げられただろうと思ったとき、何と彼はまた舞い戻ってきて、さらに隣の木の枝にとまった! やはり羽化したてのようだ。高鳴る胸を押え、呼吸を整えて、三たびジャンプ。地面に振り下ろした玉網の中には、見事にオオムラサキが入って暴れていた。ついにやったぞ! まずは網の上から写真をとる。オスの蝶で、ブルーの模様が鮮かだ。夢にまで見た裏面は、羽化したてのためか、薄黄色いだけで何の模様もない。また、このときには興奮していてわからなかったが、後で写真を見たら、羽の模様以外はゴマダラチョウとうり二つだった。玉網の中での暴れ方は、他の蝶と変わりがない。これも羽化したてのためかな、とその時は思った。さらに網から出して、羽を広げさせ、様々な角度から写真を撮った。後ぱねの赤い斑紋が美しい。そっと手をはなしても、しぱらくはじっとしていて、写真を撮らせてくれた。やがて空高く舞いあがった蝶に、私は礼を言った。

 このあとどうしようかと、ふと迷ったが、せっかく来たのだから、一応遊歩道を一周することにした。また羽化したてでないオオムラサキは、少し違った風情をしているかもしれないからな、と思った。少し歩いて行くと、遊歩道は舗装した道に出てしまった。そこを左折し(後で考えたら、全く逆の方向だった!)、少し歩いて行くと、沢に降りていく道があったので、そこを降りた。しかし、オオムラサキはいそうもなかったので、途中で引き返してきた。そんなことをもう一度くり返して、これはおかしいなと考え始めた。あたりには、カワトンボの類いしか飛んでいなかった。駅まで引きかえして、案内板を見直し、逆の方向に行ったことに気づいた。また、神社と農業学校の所に、オオムラサキの絵が擶かれていることを確認した。さっき道を間違えた所まで出て、神社を捜したがなかなか見つからない。要するに、舗装した道路を横切って、細い道に入っていくらしい。やっと遊歩道らしい道に戻り、少し行くとめざす神社があった。しかし境内を見まわしても、オオムラサキが現われる気配が全くない。ここはあきらめて、次の場所に向かうことにして神社を出ると、また道に迷って、時間をだいぶ浪費してしまった。もとの道に戻りまた少し先に進んだとき、何かが目の前を横切った。タテハチョウ特有の飛び方と、あのイエローとブルーのコントラストは・・・やはりオオムラサキだった。(彼は旋回して近くのケヤキの幹にとまり、樹液を吸いはじめた。私は望遠レンズを付けたカメラを向けてファインダーをのぞいたら・・・いるわいるわ! オオムラサキが3頭も群がって樹液を吸っていた! どの蝶も裏面はただ黄色いだけなので、きっと羽化して時間がたっても、模様は浮かんでこないのだろう。しぱらくすると反対側のクヌギの梢から、またオオムラサキが飛んできた。必死で玉網を振るが、ー向につかまらない。しかし飛び方をよく見ると、羽を静止させて滑空する時間がけっこう長いので、原始的なイメージの中に蝶独特の気品が感じられて、実に美しい。そこでしぱらくねぱったが、つかまえられそうにないので写真だけ撮って、先を急ぐことにした。すると、かたわらの案内板が目に入った。そこにはオオムラサキの生態が、詳しく説明されていた。

 その先にも何箇所か、オオムラサキの通り道になっている場所があって、私はしぱらく足をとめてチャンスを待ったが、なかなか低い所には飛んできてくれなかった。そのかわり、オニヤンマとテングチョウをつかまえることができた。テングチョウは、やはりエノキを食草とするタテハチョウで、鼻の頭がテングのように長くなっている。キザギザの羽には、黒地に赤い模様がある。結構小さいので、はじめはぺニシシジミかと思ったが、すぐにテングチョウだと気づき、さんざん追ぃまわして地面にとまったところをやっとつかまえ、写真を撮った。さらに先に行くと、玉網をもった親子連れがいた。あいさつをして通り過ぎると、またオオムラサキの案内板があった。ここて少しねぱつたが、オオムラサキが現われないので、先へ行くことにした。しかし農業学校は見あたらず、そのかわり高校のわきを通って、また舗装した道路に出てしまった。これではらちがあかないので、私は引きかえすことにした。補習授業を受けているいなかの女子高校生は、とてもかわいらしかった(ムフフ・・・)。さきほどの案内板の所に戻ると、オオムラサキがうじゃうじゃ集まってきていた!     私は、蝶の道を見きわめ、一番低く飛ぷ所に陣取り、小学校の頃のように地面に映る影で、オオムラサキを見つけた。そして何度も玉網を振るのだが、ちっともつかまらなかった。考えてみるのに、私は野球をやったことがないので、棒を振り回すのがひどく下手なのだ。網と蝶の間隔は、下手をすると50センチもあった!

 しぱらくすると蝶はいなくなってしまい、体の調子も悪くなってきたので、もう帰ることにした。途中の道で雨が降り始め、私は神杜のわきの、オオムラサキのいたケヤキの前で、少し雨やどりをすることにした。雨が降るというのにオオムラサキは、ときどきクヌギの梢から、ケヤキの樹液を吸いにやってきた。それを眺めているうちに雨がやんだので、私はまた駅に向かって歩き始めようとした。そのとき、ケヤキのかたわらの桐の木の幹に、手が届きそうに低いところで、樹液を吸うオオムラサキを見つけた。私はそっと近づいて、玉綱の先をよく見て、よく距離の見切りをつけてから、えいっとぱかりに、上から下へ幹をかすめて玉網を振った。オオムラサキは見事に網の中に入っていた。しかし、手がつけられないほど暴れることもなく、また、羽の裏面はやはり黄色いだけだった。私は一瞬、これは最初につかまえたのと同じ奴じゃないかなと思ったが、そんな偶然はめったに起こるはずがない。やはりオオムラサキは、羽化してから時間がたっても、こんなものなのだろう。もう写真を撮る必要もないので、私はすぐにその蝶をはなしてやった。彼は雨上がりの青空に、元気よくはぱたいて行った。駅に引き返して車に乗り、さきほどの、木がうっそうと茂った道を走っていると、目の前をオオムラサキがゆうゆうと飛んで行った。ここには、こんなにたくさんのオオムラサキがいるのだ。日野春よ、今日はどうもありがとう、今度また機会があったら、オオムラサキの幼虫を捜しにくるよ、と別れを告げて、私は河口湖へと急いだ。

P.S

 河口湖でも私は、比較的簡単に本命のブラックバスを釣り上げてしまった。冒険とは、あまりうまく行き過ぎても、少し拍子抜けするものである。しかし私は、本年の第2目標である1.5キロのクロダイ、さらに第3目標である1キロのイシダイをめざして、情熱の日々を送るのである。ああ、しかし、残された20代の時は、あとわずかである・・・