★ゴジラの誘惑★


情熱エッセイPart4(1990年1月)

 昔は逗子にも映画館があった。今は無き逗子海岸駅(京浜急行)には、東映の映画があって、ここの立ち食いそばは、駅と映画館の兼用の店だった。えらくうまかったような気がする。もうひとつは日活の映画館で、なぎさ通りにあった。初めて見た怪獣映画はrモスラ」で、たぷん5つぐらいだっただろう。内容は覚えていないのに、ザ・ピーナッツの歌だけよく覚えている。その後は、どちらかというとガメラの方が好きになり(子供受けする内容だったから)、第1作から、すべて見逃さずに見たような気がする。

 高校のとき、同じクラスに、えらく怪獣好きな奴がいた。彼は落研で、女の子にすごく人気があって、私はそのことがうらやましくて、よく彼と女の子たちの会話に聞き耳を立てていたものだ。ある日、女の子が彼のところに来て、何かテレビ番組のことを話しかけていた。そうしたら彼は、「いや一ぽくはラドンを見ていてね・・・」と言ったので、私は彼と怪獣の話をするようになったのだ。そのとき私は、「ラドン」をみそこなって、そのことがすごくくやしくてたまらなく思っていたのだ。彼が言うには、第1作目のゴジラ程すぱらしい映画はないとのことだった。しかし、もうフィルムがボロボロなので、上映されることも、テレビで放映されることもないだろうとのことだった。まず、ゴジラの顔もいちぱん恐ろしくできているし、ゴジラ誕生の経過も、ビキニ水爆により目覚めたことになっており、きわめて社会的な作品になっているということだった。彼が言うには、「ゴジラの放射能火炎によって、東京が火の海になるんだけれども、それは、もし水爆を使えばこんなになるぞという警告になっていたんだそうだ。ラドンも、「確定はできないが、度重なる核実験が、彼等の眠りを呼び覚ましたのではないか」としていると言った。第2作の「ゴジラの逆襲」もなかなかのもので、アンギラスの動きを速く見せるために、フィルムを早回ししたことなども教えてくれた(このためか、私はアンギラスが一番好きになってしまった)。怪獣が襲撃した都市も、ゴジラ・モスラは東京、ゴジラの逆襲は大阪、ギャオス(ガメラシリーズ)は名古屋、ラドンは福岡であること、その後は、セットを作るのが面倒なために、怪獣同士の決戦は、すべて富士山になったこと、オイルショック後は縫いぐるみが作れなくなって、怪獣映画が作られなくなったこと、ゴジラとは、ゴリラとクジラから、アンギラスはアンキロサウルスから、ラドンはプテラノドンからつけられたことなども教えてくれた。しかしテレビでは、いっもおなじ映画しか放映しなかった。それは今考えれぱ、対決ものの方が子ども受けするからなのだが、当時の私には、ものすごく不満だった。だから私にとって、うっかり見逃してしまった「ラドン」と、友人が誉めちぎっていた「ゴジラ」を見ることは、生涯の課題とも思えることだった。この気持ちを、姉の怪獣好きがさらに過熱させた。

 大学に入学すると、私は朝日新聞をとった。そして、毎日映画の欄を見逃さないようにしていた。そしてある日、おそらく5月頃だったと思うが、念願の「ラドン」が上映されることを知った。そこで私は、池袋まで出かけていった・・・が、天性の方向音痴のために映画館にたどり着けず、あきらめて帰ってきてしまった。どうしようもなく悔しかった。しかし、チャンスは思いがけずに降って沸いた。ゴジラ25周年と、日劇のとりこわし記念をかねて、夏休み期間中、ゴジラシリーズを全部上映することになったのだ! 私は当然のことながら、毎日のように逗子から日劇へ通った。待望の『ゴジラ」を見た後は、あまりの感動で、しばらくポーツとしてしまった。この映画を見ることは、もう一生ないと思ったので、全神経を集中してスクリーンに見入っていたのだ。あのゴジラの精悍な顔付き、あの、腹の底からゆさぷられるようなゴジラの足音(その後の映画では、この足音はほとんど登場しない)、そして、不気味なあのテーマ音楽。しかしなんと言っても、芹沢博士が、オキシゲンデストロイヤーを軍事利用させないために、自らの命を断ってしまう潔さ! 科学者の卵を自認していた私にとって、これ以上の衝撃はなかった。その後、ラドン、ゴジラ対キングコング、ゴジラ対モスラ、3大怪獣地球最大の決戦、ゴジラ対キングギドラ、ゴジラ対メカゴジラ、ゴジラ海外版を見に行った。念願の「ラドン」は、期待にたがわず素晴らしい映画で、しばらくは、口を開けばラドンの話ぱかりしていたのを覚えている。しかし、「ゴジラの逆襲」と「モスラ」だけは、他の行事と重なったために、見ることはできなかった。今だったら、自分の好きなことを優先するだろうけど、19歳の田中君は、あまりに純枠だった。

 みそこなった「ゴジラの逆襲」や「モスラ」を見たのも、もう2度と見ることはないと思った「ゴジラ」や「ラドン」を繰り返し見れるようになったのも、昨今のビデオレンタルブームのおかげである。しかし当初は、「モスラ」を借りるために駅から30分以上歩いたり、「ゴジラの逆襲」を借りるために上大岡まで行ったり、他のビデオを捜しに追浜まで行ったり、教習所の帰りにいいピデオを見つけて、仮免で会員にしてもらったりと、現在では考えられないような苦労をした。まだまだビデオレンタル屋が少ない時代だったのだ。

 1985年正月、10年ぷりに作られた怪獣映画を見に、これも今は無きテアトル鎌倉に行った。新作「ゴジラ」はそれなりに楽しめたが、ストーリーを全然覚えていない所をみると、それほど面白くもなかったようだ。だから今回、「ゴジラ対ビオランテ」のことを知ったときも、それほど心を動かされはしなかった。だが、ゴジラ細胞からバイテクによって新怪獣が作られたというので、一応機会があれぱ見に行こうかぐらいに思っていた。そして、メジナがあまりに釣れないので、その「機会」が巡ってきたわけだ。「ゴジラ対ビオランテ」は、最新のSFX技術やストーリーの面白さはもとより、マッドサイエンティスト白神博士が、細胞融合技術の恐ろしさ、バカバカしさに気付くところが、第一作目に匹敵する作品の重さを醸し出している。核兵器のように、単純に否定できる技術ではないが、基本的な考え方(どんな方向に事態が発展するか、全くの未知数であること)が、見事に描き出されていたと思う。ハードでアダルトな怪獣映画が、今後も登場することを願って止まない。