徒然日記 第四回  by 渡辺 英樹



1995年5月3日
 SFセミナー。川合さんのスライド上映の途中で到着。インターネットの話と小谷・大原対談を聞いて退場。飯田橋の喫茶店へ行き、中野、磯、都築、田中、田波らと歓談。中野、磯と別れて合宿へ。参加したのはリストの部屋、ハイペリオンの部屋(司会の牧さん、困らせてしまってゴメンなさい)の二つ。後は大広間でグタグタ。伊藤典夫にメリルの年刊傑作選の原題を質問したことをきっかけに、しばらくお話を聞く。「アインシュタイン交点」の話をしていたら、横から質問する人あり。内容も的確なので、てっきり伊藤さんの知り合いの人かと思ったら何と初参加とわかり驚く。それが新潟の岩野さんでした(レタールーム参照)。まだまだ隠れたSFファンっているんだなあと認識を新たにする。藤元さんに創元の古本探求をお願いしたら、後でかなりの数を探して下さった。感謝、感謝。久しぶりに徹夜して中野善夫や山岸真とお話をする。SFマガジン編集の塩沢さんもいたので「SFマガジン」をどうすれば良いかという話になる。皆スキャナーを復活させようとか小松左京の連載を載せろとか好き勝手なことばかり言うので全く参考にならなかっっただろうなと反省。

5月4日
 新宿をぶらぶらしてから磯宅へ一泊。いつものようにプログレを聴く夕べを楽しむ。

5月5日
 朝、磯くんと別れて名古屋へ戻る。名駅でリュック・ベッソンの「レオン」を観る。前半は良かったのになあ。後半やや盛り上がりに欠ける。
 磯くんはその後谷山の家(横浜)に行っていたらしいが、その帰り道、中野と新宿で別れた。中野は一人新宿駅を歩いていたが、何か様子が変だ。地下鉄構内が封鎖されている。元ジャーナリストとしての勘がひらめいたのか、中野は人気のない方へ向かった。と、突然シャッターが開いて中から防毒マスクをかぶった捜査員が出現。あわてて手持ちのカメラのシャッターを切る中野。他に写真を撮った者は皆無であった……。これこそ5日夜に起きた新宿青酸ガス噴出未遂事件であり、中野の写真がビデオジャーナリストの肩書きつきで毎日新聞に載り、本人が翌日のテレビニュースにも出演したという事件のあらましである。テレビを観た大森望がすぐさまパティオで情報を求め、それを読んで私は中野に電話し、事の顛末を知ったという次第。いやあ、それにしてもビックリしました。

5月21日
 蛸井さん、来名。今回は私、山田、敬一、睦夫というメンバーで会う。山田は4月から名古屋へ転勤となり、相変わらずの姿を皆に披露した。主にコンピュータの話とシミュレーション小説の話をする。それにしても山田のコンピュータに対する造詣は深く(今回の連載参照)、持ってもいないコンピュータのトラブル処理がわかるのには驚かされた。

5月22日・23日
 立山にて山スキー。初体験であったが、なかなか爽快。癖になりそうである。もちろんリフトなどというものはないので、スキーをかついで山を登り、わずかな距離を滑るだけなのだが、これが良いんだなあ。

5月29日
 ジュールズ・シアーのライヴ。その後、今池の居酒屋でニフティのロックフォーラム、ギターポップ部屋のオフ会に混ぜてもらう。ピンクの大町さんにも久しぶりに会うことができた。どこの世界でもマニアは凄いという事実を確認。二次会では飲み屋で生ギターをバックにニール・ヤングの「オハイオ」を歌う大町さんの姿が見られたというが、私は一次会で帰ってしまい、見られなかったので残念。

6月3日
 磯くんが来名。山田と私で会う。ここでも山田はコンピュータに関する深い知識を披露していた。

6月24日
 明日のために一日早く来名した中野、磯を迎えて早川、私、睦夫の5人が栄で歓談。

6月25日
 敬一の結婚披露パーティー。東京から四国から多数の参加あり。お相手の千永美さんは中学校の同級生である。中野のデジタルスチルカメラが活躍、閉会時には写真入りの新聞が参加者全員に配られていた。当日参加していた関係者は次の通り。睦夫、清水崇、都築、新井、筒井、谷山、早川、中野、磯、浜田、原科。敬一、おめでとう。と集まった皆は心から思ったことだろう。

7月11日・12日
 衛星放送でヒチコックを観る。「白い恐怖」は二度目だが、やはりダリの夢のシーンが良い。ここに「顔のない男」が出てくるんだけど、これとベスターの関係について述べた人っていないよねえ。

7月16日
 いろいろと考えた末、デルのLatitude XP450cを購入。MSオフィスがついて23万円。バッテリーの持ち(10時間!)とキーの打ち易さを主に考えた結果である。これでやっと喫茶店でも原稿が書けるようになった。いやあ、やっぱりノートは便利だなあ。



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