SF Magazine Book Review



作品名インデックス

作者名インデックス

Back to SFM Book Review Homepage



1998年5月号

『タイム・シップ』スティーヴン・バクスター

『虚数』スタニスワフ・レム

『魔法の猫』J・ダン&G・ドゾワ編

『ライズ民間警察機構』P・K・ディック


『タイム・シップ』スティーヴン・バクスター

(1998年2月28日発行/中原尚哉訳/ハヤカワ文庫SF/上下各680円)

『タイム・シップ』は、『虚空のリング』など独自の未来史をハードに描いた《ジーリー》シリーズで知られる英国期待の新鋭スティーヴン・バクスターによる、H・G・ウエルズの『タイム・マシン』の公式な続編である。本誌の読者で『タイム・マシン』を読んでいない人はいないと思われるが、一応あらすじを紹介しておこう。時間航行家と呼ばれる男がタイム・マシンを発明し、一八九一年から八〇万二七〇一年の未来へと旅をする。そこでは、地上に生息する優雅なエロイ族と地下に住む野蛮なモーロック族とに人類は分化していた。時間航行家が親しくしていたエロイ族の少女ウィーナがモーロック族にさらわれ、いったんは一八九一年に戻った時間航行家は再びウィーナを救うために未来へと向かう……。ウエルズの数ある作品の中でも一、二を争う傑作であり、SFジャンルに与えた影響は計り知れないものがある、この『タイム・マシン』の続編に挑戦したバクスターの手腕はどうだろうか。パロディかパスティーシュ風に軽くまとめてあるのではないかと想像して読み進めたのだが、軽いなどとはとんでもない、人類の行く末や無限の時空に関する深い考察、量子力学や多世界解釈をからめてタイム・パラドックスを説明してみせる語り口の鮮やかさ、太陽を取り巻く球殻を初めとする大道具のスケールの雄大さ、描写のリアルさ、どれをとっても、バクスターの単独作に匹敵する、またはそれ以上の本格的な作品となっていることにまずは驚かされた。
 ウィーナを追って未来へと再出発した時間航行家は、前回の旅とは違う光景を目撃する。地球の自転軸の傾きが矯正され、五〇万年未来において自転が止まってしまったのだ。さらに太陽が爆発し、殻のようなものに覆われてしまう。トラブルによって六五万七二〇八年でストップしてしまった時間航行家は、太陽を覆い尽くした巨大な球殻に住む、知性を備えたモーロック族の一人ネボジプフェルの教えによって、前回の旅で目撃した歴史とは違う、もう一つの歴史を学んでいく。未来には可変性があることを知った彼は、自分がウィーナの住む世界を抹殺してしまったのだと思い込み、もう一度過去に溯ってタイム・マシンの発明を阻止しようとする。一八七三年のイギリスで若かりし自分と会うことに成功して説得を続ける彼とネボジプフェルの前に突如として現れたのは、ドイツとイギリスが戦争を続ける一九三八年の「未来」からやって来た巨大甲鉄艦だった……。
 以上が上巻のあらすじである。舞台は六五万年未来から一九世紀末へ、さらに下巻に至っては五千万年前の暁新世から時間と空間の始まりへとめまぐるしく変化し、息をもつかせぬ勢いで物語が展開していく。その間に鰐との死闘やジャングルでのサバイバル生活といった冒険あり、女性陸軍大尉とのラブ・ロマンスありと、物語の面白さはバクスターの諸作の中でも群を抜いている。解説で詳細に触れられているように、他のウエルズ作品から多くの固有名詞やイメージを転用しているので、それらを読み解いていくのもまた一興だろう。もちろん、光がその中を時間差なしで移動していく架空の物質プラトナーライトをタイム・マシンの作動原理として創出したり、ビリヤードテーブルに似た多様性発生装置から太陽を覆う球殻、軌道エレベーターに至るまで様々な小道具・大道具を案出してリアルに見せてくれる場面などは、ハードSFの旗手としてのバクスターの面目躍如といったところだ。本書には、十九世紀末に書かれた『タイム・マシン』を、その後に完成された不完全性定理と量子力学によって見事に補完してみせたという一面があるが、それだけでなく、『タイム・マシン』がエロイ族とモーロック族の形を借りて提出してみせた人類の精神性と肉体性の葛藤という主題を発展させ、精神が到達し得た無限の時空の始まりを見せることによって、肉体を超えた知性の勝利を高らかに謳い上げた点にこそ、本書の意義があると言える。クラークがステープルドンを引き合いに出して褒めたのも当然と言うべき見事な作品だ。小説とアイディアのバランスも程良くとれており、少なくとも現時点ではバクスターの最高作であろう。

ページの先頭に戻る


『虚数』スタニスワフ・レム

(1998年2月28日発行/沼野充義ほか訳/国書刊行会/2400円)

 本誌八二年十月号に「まえがき」が掲載されてから一六年。ついに人工知能GOLEM]Wの講演を日本語で読める日がやって来た! スタニスワフ・レムの『虚数』は、架空の書物の序文を集めた原著(一九七三年刊)に『GOLEM]W』(一九八一年刊)の二編を加えた完全版である。既に架空の本の書評を集めた『完全な真空』は翻訳が出ているので、これで、日本の読者も七〇年代初めにレムが到達した地平をようやく概観することができるようになった。想像力の極北に挑むレムの姿勢は、『ソラリスの陽のもとに』のような物語性豊かな小説においても、本書のようなメタ文学においても共通している。ただし、キャラクターや物語性をいっさい排した序文集である本書には、余分な贅肉をこそぎ落とした鍛え抜かれた肉体が持つような硬質さとしなやかさが感じられる。心して読まねばはじき返されてしまいそうな強さが本書にはあるのだ。だからと言って、本書は退屈な学術書のようにつまらないかというと、決してそうではない。X線によって撮影されたセックス写真集、モールス符号を操って「こんにちは」と挨拶するバクテリアを作り出した男の報告書、コンピュータが著した文学を研究する「ビット学」全集、など架空の書物の無類の面白さが、本書を知的ユーモアに満ちた魅力溢れる書物にしている。とりわけ、コンピュータが作り出す文学の歴史を辿ったビット学の分析には、惑星ソラリスに関するソラリス学同様、レムの真骨頂が発揮されていると言えよう。ドストエフスキー自身の作品よりドストエフスキーらしい作品を書き上げるコンピュータ、人間の限界を超える膨大な作品を産みだし続けるコンピュータ、いずれにおいても、レムは現実を極限まで敷衍して「虚」の存在を一瞬確信させる、あの手法を見事に操って壮大な嘘をでっち上げてみせる。しかも、今回はあろうことか、そのコンピュータが語った講演まで収録することによって「虚」がついに「実」の領域に踏み込んできているのだから、本当にレムは凄い。この講演がまた、ここまで人類を突き放した視点から語ることができるのはコンピュータしかないのではないかと思わせるほどの完成度の高さなのである。愚かなる人類に対してレムの見せるこの冷ややかさにもかかわらず、それでも我々読者がレムの作品にどうしようもなく惹きつけられてしまうのは、「無限の飢餓、あらかじめ定められているかのような渇望こそがわれわれの接点なのだ」(二四八頁)とGOLEMが語るとおり、到達し得ないものに到達しようとする姿勢が常に作品を貫いているからだ。飽くなき知性への追求を続けるレムの姿勢が如実に表れている本書は、間違いなく、SFファン必読の一冊である。

ページの先頭に戻る


『魔法の猫』J・ダン&G・ドゾワ編

(1998年2月28日発行/深町真理子ほか訳/扶桑社ミステリー文庫/667円)

 J・ダン&G・ドゾワ編の『魔法の猫』は、いずれも猫を主役に据えた作品ばかり、全一七編を集めた好アンソロジー。IQ一六〇のスーパー仔猫ガミッチが活躍するライバーの「跳躍者の時空」、C・スミスの「鼠と竜のゲーム」など折り紙つきの名作(ただし、どちらも改訳されているのでマニアは要チェック!)から、S・キングの「魔性の猫」のように比較的新しい作品まで、ジャンルもSF、ホラー、ファンタジイと幅広く収録されており、飽きのこない構成となっている。個人的にうれしかったのは、E・ブライアントの連作長編『シナバー』(未訳)の一編が収録されていることだ。母性本能を増強された猫母が少年を救う「ジェイド・ブルー」は、退廃的な未来都市シナバーの雰囲気を良く伝えた佳作であり、ますます全篇が読みたくなってしまった。修道院に泊めた異星人を殺した犯人を探るシルヴァーバーグ&ギャレットの「ささやかな知恵」も、鮮やかな結末でベテランの巧さを見せつけてくれている。他にも、ペットの猫や動物たちがもし話し出したら……という趣向のP・サージェント「猫は知っている」、アンゴラ猫を父に持つ息子の数奇な運命を描いたH・スレッサー「猫の子」など、ひねりの効いたアイディア・ストーリーの楽しさを満喫できる作品が多く、お買い得な一冊である。

ページの先頭に戻る


『ライズ民間警察機構』P・K・ディック

(1998年1月30日発行/森下弓子訳/創元SF文庫/720円)

 ディックの『ライズ民間警察機構』は、以前サンリオ文庫から出ていた『テレポートされざる者』の改稿版。かなりの改稿が施され、しかも結末は全く異なっているので、別の本と考えても良いくらいだ。詳細な解説やサンリオ版にあった欠落部分も収録されており、サンリオ版を持っている人も購入する価値は十分あるだろう。

ページの先頭に戻る