SF Magazine Book Review

1996年12月号

『ハッカーと蟻』ルーディ・ラッカー

『モロー博士の島』H・G・ウエルズ

『ナイチンゲールは夜に歌う』ジョン・クロウリー


 生命を人工的に創り出すことは、その種の研究に携わる科学者のみならず、人類全体の見果てぬ夢でもある。不完全なものを創造してしまった結果、苦悩した被創造物に創造主が殺されてみたり、完全なものを創造した結果、創造主と被創造物との立場が逆転してしまったり、肯定的にせよ否定的にせよ、人工生命テーマは古くからSFの主要な主題として様々に扱われてきた。今月はそのテーマを扱った古典的作品の新訳と新たなヴァリエーションとが同時に刊行されている。まずは新しい方から紹介していこう。

『ハッカーと蟻』ルーディ・ラッカー

(1996年9月30日発行/大森望訳/ハヤカワ文庫SF/720円)

 ラッカーの最新長編『ハッカーと蟻』は、自伝的な色合いを多分に含んだ『空を飛んだ少年』や『セックス・スフィア』の流れを汲む作品。自伝的とは言っても、そこはそれ、奇才ラッカーのことだから、一筋縄ではいくはずがない。主人公に妻と三人の子供がいて、シリコンバレーでコンピュータプログラミングの仕事をしているという設定は著者自身と同じではあるけれど(ただし、小説のように妻や子供と別居中であるかどうかは知らないよ)、その現実的な設定からサイバースペース内に蟻の形をした人工生命が流入するという奇抜なストーリーが生まれてくるわけだ。
 主人公ジャージー・ラグビーは、カリフォルニアのソフトウェア会社でパーソナルロボット用のソフトウェア開発を担当している。妻子とは別居中で、会社の試作品であるロボットのスタッドリーと暮らす寂しい毎日だ。ある日、サイバースペース内の仮想オフィスで一匹の蟻を見つけるジャージー。どうやらその蟻は、会社の創業者ロジャーの作り出した人工生命であるらしい。自分のマシンにだけ潜り込んでいるのならまだいいが、蟻がネットワーク全体に感染して広がってしまうと大変なことになる。スタッドリーを操りファイバーネットに侵入して、瞬く間にデジタルTV網に溢れてしまう蟻たち。その罪を着せられてジャージーは警察に追われることとなる。いったいロジャーと蟻たちの目的は何なのか……。
 蟻たちの巻き起こす珍騒動とそれに巻き込まれてあたふたするジャージーの姿がユーモラスに描かれていくが、物語の結末には「人工生命の種としての進化」という壮大な主題が立ち現れることになる。蟻を作り出した創造主ロジャーは、現代版フランケンシュタインであり、リニューアルされたモロー博士なのだ。彼らを襲った悲劇的な運命をロジャーもまた辿ることになるが、本書自体に悲劇的色彩が薄いのは、ひとえに物語をロジャーの視点からでなく、極めて現代的かつ陽気なアメリカ人であるジャージーの視点から語っている故であろう。妻子に家を出ていかれ、会社を突然解雇されても、くよくよせずに新たなガールフレンドを見つけてはデートに勤しみ、自らの運命に向き合うジャージーの姿勢は、悪く取れば能天気なだけだが、実に軽やかでカラリとしている。このカラリとしたユーモアこそが、ラッカー作品の身上。本書にふさわしい読み方は、壮大な主題を突きつけられた主人公がひらりと身をかわし問題を解決していくというそのかわし方を楽しむことではないだろうか。サイバーの語源に始まり、LISP言語やC言語、デジタルTVなどのコンピュータ関連用語についてのラッカー独特のユーモアに満ちた解説が含まれているのも楽しい。コンピュータ文化の最前線に立つ作者の手による優れた現代小説としてもお勧めの一冊である。

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『モロー博士の島』H・G・ウエルズ

(1996年9月27日発行/中村融訳/創元SF文庫/430円)

 本誌先月号のウエルズ特集を興味深く読んだ。昨年が『タイム・マシン』誕生百年、今年はウエルズ没後五十年ということで、国内外でウエルズ再評価の気運が高まっているようだ。国内ではジャストシステムが短編集を出したばかりだが、映画「DNA」の公開に合わせる形で、その原作である『モロー博士の島』が創元SF文庫から新訳で刊行されている。
 一八八七年、海難事故によりボートで漂流中のエドワードは、一隻の小型貿易船に救われる。貿易船は、動物と二人の客をある孤島に運ぶ途中だったのである。結局、その二人に救われて孤島に立ち寄ることとなったエドワードだが、そこで見たものは人の形をした獣たちが徘徊する奇妙な生物学研究所であった。所長の名はモロー。傑出した生理学者であったが、犬の生体解剖が非難されて学者生命を断たれた後、この島に来て密かに研究を続けていたらしい。その研究とは、動物を改良し、人間の形を与えて教育し話したり考えたりすることができるようにすること、即ち獣から人間を作り出すことだった……。  言わずと知れた人工生命テーマの古典的傑作であり、何度か映画化されてきたので、実際に読んだかどうかはともかくとして、物語の内容を知らない人はいないだろう。本書の最大の特徴は、人間と被創造物との異質性よりも共通性と連続性を強調したところにあると言える。モロー博士の創り出した獣人たちは最初は人間らしい振る舞いをするのだが、次第に野獣の本能がよみがえり、動物に帰ってしまうのだ。しかし、その本能はまた人間にも存在するものである。つまり、人間もまた理性を失えば一匹の野獣に過ぎないという(当時としては)冷徹な認識。本書で戯画的に描かれた獣人たちによる原始的な宗教活動や「掟」に従おうとする行動は、人間の行う社会活動に対する強烈な諷刺と皮肉となっている。後続の作品にありがちだった、異質な被創造物が滅ぼされておしまい、という単純なパターンではなく、被創造物(獣人)が創造主(人間)を映しだす鏡として人間存在の本質を逆照射するのに成功している点に本書の傑作たる所以がある。二年後には『宇宙戦争』出版百年も控えている今、ウエルズ再評価の意義は十分あるのではとの思いを新たにさせられた。

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『ナイチンゲールは夜に歌う』ジョン・クロウリー

(1996年9月30日発行/浅倉久志訳/早川書房/2000円)

 先日NHKで放映されたフラクタルの特集番組でクラークがホストを務めた海外ドキュメンタリーが紹介されていた。フラクタルと言えば、マンデルブロー集合や1/fゆらぎがまず思い浮かぶ人が多いと思うが、これを複雑な社会現象に当てはめる研究というのも結構行われているようだ。何だかアシモフの心理歴史学みたいだけれど、本当にそんなことができるのかなあと首をひねりながら番組を見ていたのだが、その直後に、フラクタルから発展したと思われる「行動場理論」という架空の学に支配されたディストピア小説を読み、何だかぞっとしてしまった。その小説「青衣」を含む短編集『ナイチンゲールは夜に歌う』は、ファンタジイとSFの佳品四編を収めた良質の作品集である。
 世界の始まりを寓話風に描いた表題作や、新奇なものと堅実なものとの対立をテーマにした小説を書こうとする作家の話「ノヴェルティ」も悪くはないのだが、やはり本書中の白眉は百ページを越えるノヴェラ「時の偉業」と先述の「青衣」の二編にあると言えるだろう。前者では、著名なイギリスの植民地政治家セシル・ローズの死を分岐点とした改変世界を守ろうとする秘密結社とそこから逸脱していく男の物語が語られ、後者では行動場理論によって全ての社会的事象が予測された世界の支配者である青衣の幹部団とやはりそこから逸脱していく男の物語が語られる。つまり、この二編はともに、停滞と変化の対立を主題とした物語のヴァリエーションなのだ。改変世界の未来が海中の森に喩えられる永久に変化のない世界であるように、行動場理論により支配された世界もまた変化のない永遠の平和の続く世界である。主人公は意識的に、または無意識的にその世界から外へころげ落ちてゆくことによって、世界に対する否を唱える。だからと言って、両者ともに、必ずしも停滞を悪と決めつけているわけでもない。そうしたところに、実に文学的深みが感じられる作品群だ。特に「青衣」の方は、アイディアの妙だけでなく、よく練られた文章、ひねりのある人物造形とあいまって味わい深い印象を残す傑作となっている。秋の夜長にふさわしい必読の好短編集である。

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