SF Magazine Book Review

1996年11月号

『母なる地球』アイザック・アシモフ

『重力の影』ジョン・クレイマー

『星海への跳躍』K・J・アンダーソン&ダグ・ビースン


『母なる地球』アイザック・アシモフ

(1996年8月31日発行/冬川亘・他訳/ハヤカワ文庫SF/660円)

 アシモフの初期短編集が、三冊目『母なる地球』で完結している。原書では一冊にまとめられていたものだ。当時の短編集未収録作品を全て網羅し、作者の解説を付した大変丁寧な作りの短編集である。それにしてもアシモフの記憶力(むしろ記録力と言うべきか)は本当に大したもので、何月何日に作品を編集部に送り何日に採用の通知が来たという記述を始め、細かな記録を基にして当時の雰囲気が生き生きと再現されている。三冊目の本書には四三年から四八年までに書かれた作品が収められているが、この時代がアシモフにとっても、当時のアメリカにとっても、大きな転機を迎えた時期であったことは本書の解説に詳しく書かれている通り。太平洋戦争は言うまでもないが、アシモフ自身の結婚、そして博士号取得および就職という人生の節目が全てこの時期と重なっているのだ。また、この四〇年代というのは、アシモフが代表作〈ファウンデーション〉シリーズを書き進めて初期の習作から大きく飛躍を遂げた頃でもあり、本書に収められた作品群も、それまでの作品に比べれば、作風がぐっと洗練され完成度を増している。筆者の好みで言えば、歴史改変を試みたタイウッド教授の実験結果をめぐって見事な論理が展開される「赤の女王のレース」、探偵もので人気のミステリ作家の前にその探偵が現れるというユーモラスな「著者よ! 著者よ!」がベスト。しかし、内容の興味深さでは、表題作「母なる地球」も見逃せないものがある。
 六〇億の人口を抱えて宇宙への移民を望む地球と、それを拒否する宇宙国家とが戦争状態となり、いったんは地球側の敗北に終わる。だが、その裏には地球側のしたたかな計算と謀略があった。パシフィック計画と呼ばれたその計略の全貌とは……。アシモフ本人はこれを『鋼鉄都市』や『はだかの太陽』を予告した作品だと言っているが、筆者にはこれは裏返しの〈ファウンデーション〉であるように思われた。つまり、バリバリの人種差別主義者であったキャンベルを気にしてか、〈ファウンデーション〉シリーズが単一種族から成る銀河帝国を舞台としているのに対して、本編では、異なる星のもとで育った種族から形成された多様性を持った銀河帝国というヴィジョンが登場するのだ。この発想を基にした、書かれざる銀河帝国シリーズを読んでみたかったと思うのは筆者だけではないだろう。
 また、後に続編が書かれることになる「再昇華チオチモリンの吸時性」は、水が加えられないうちに溶解してしまうという架空の物質チオチモリンの性質について報告したユニークな論文である。最後にもっともらしい参考文献が挙げてあるが、当時チオチモリンの実在を信じた多くの若者がニユーヨーク市立図書館にその参考文献として挙げられた偽雑誌を借りに来たというエピソードには思わずニヤリとさせられてしまった。

ページの先頭に戻る


『重力の影』ジョン・クレイマー

(1996年8月31日発行/小隅黎・小木曽絢子訳/ハヤカワ文庫SF/780円)

 本邦初紹介、期待の新鋭ジョン・クレイマーの『重力の影』は、超ひも理論を基礎に置いた〈影宇宙(シャドウ・ユニバース)〉という舞台設定、ワシントン大学理学部教授という現役物理学者の作者肩書きなどからガチガチのハードSFではないかという恐れを抱く人もいるかもしれない。しかし、そんな心配はまったく御無用。本書は、もちろんハードな作品をお好みの方の期待にはしっかりと応えると同時に、難しい理論はちょっと苦手だという方にも安心してお勧めできる、ハードなアイディアと異世界冒険ファンタジイ風のストーリーを兼ね備えた大変読みやすい作品となっている。
 ワシントン大学理学部の非常勤助手であるデイヴィッドは、大学院生のヴィッキーとともにある研究に取り組んでいた。高温超伝導物質を移動するホロスピン波という波動の研究である。実験装置の異常を修正しようとしているうちに、デイヴィッドは装置そのものが目の前で消滅するのを目撃する。どうやらツイスター場と呼ばれる特殊な電磁場内部に入った物質は、場を回転させることによって自在に消滅させることが可能であるらしい。友人の物理学者ポールの理論では、これは消滅したのではなく、通常の素粒子が影の素粒子に変わることによっていわゆる〈影宇宙〉に移動したのだと言う。〈影宇宙〉とはどんな世界なのか。また、そこへ人間が移動することはできるのか……。
 という具合に、さすが現役の物理学者が書いただけあって、設定は大変本格的である。この手のハードSFは、得てして人物に魅力が欠けていたり、ストーリー展開がぎこちなかったりしがちなのであるが、本書はその辺り実にそつがない。主人公は恋に悩み、友人の子供たちにお伽話をしてあげることに喜びを見出す、等身大の人間として描かれている。物語も、後半、その子供たちと主人公がある陰謀に巻き込まれ、〈影世界〉に移動してからは(そう、人間は〈影世界〉に行くことができるのだ)、冒険ものの様相を呈し始める。現実の世界でも、ヴィッキーが悪徳企業の雇ったチンピラに誘拐されたりして、結構サスペンスフルな展開だ。はらはらどきどきしながら、最後のハッピーエンドまで一気に読み進めることができるリーダビリティの高いハードSF。ハードな作品を敬遠しがちな人にも是非お勧めしたい作品である。

ページの先頭に戻る


『星海への跳躍』K・J・アンダーソン&ダグ・ビースン

(1996年7月31日発行/嶋田洋一訳/ハヤカワ文庫SF/上下各660円)

 既に二作が邦訳されている合作コンビ、ケヴィン・J・アンダースンとダグ・ビースンの合作第一作が翻訳された。『星界への跳躍(上・下)』は、月軌道上のラグランジュ点に浮かぶスペースコロニーを舞台に人々の生き残りを賭した宇宙空間との闘いを描いた本格SFドラマである。
 二〇四六年、地球上で核戦争が勃発し、総人口の六〇パーセントが死亡した。産業基盤はほぼ壊滅、補給も断ち切られ、宇宙空間のコロニーに住む人々は孤立し、取り残されてしまう。残されたのは、五〇〇人が住むソ連のコロニー〈キバーリチチ〉、一五〇〇人が住むアメリカのコロニー〈オービテク1〉、七〇〇人が住む月面のクラヴィウス基地、そしてアメリカから貸与されてフィリピン人が住んでいる最大のコロニー〈アギナルド〉の四カ所の居住区のみ。かくして、人々のサバイバルが始まった。各コロニーはいかにして生き延びる方法を発見するのか……。
 宇宙とは、人間にとって、生と死がほんのわずかの差で隣り合わせた過酷な環境であるということが本書を読むとひしひしと伝わってくる。それだけに、キャンベルの名著『月は地獄だ!』でも描かれていたように、宇宙空間でのサバイバルを人間の英知で成し遂げていく物語は読む者の心を打たずにはいられない。本書の最大の特徴は、単に一所でのサバイバルではなく、いくつもの舞台でのサバイバルが同時に描かれるところにあると言えるだろう。あるコロニーでは、食糧調達の目処がつかず、多くの者が生き残るため少数の人間を強制削減してしまう(要するに殺してしまうのだ)。あるコロニーでは、逆に、自給自足のための食糧開発に成功する。合理主義の行き着く先の恐ろしさに少々無頓着な作者の手つきは気になるものの、各コロニーの対照がもたらす作劇上の効果は甚だしく、上下巻七〇〇頁の長丁場を飽きさせずに読ませる筆力は本当に大したもの。
 本書のもう一つの読み所は、ロケットやシャトルを使わずにコロニーからコロニーへと物質を運ぶために登場する様々な宇宙旅行の方法である。単分子繊維で織られた織物〈ウィーヴワイアー〉を使って人間がジャンプしたり、はたまた〈セイル・クリーチャー〉と呼ばれる生き物にくるまって宇宙空間を渡ったり、と魅力的なアイディアに満ちた手段が次々と登場して、ドラマを彩ってくれる。SFの醍醐味溢れる、良質なサバイバル小説である。

ページの先頭に戻る


作品名インデックス

作者名インデックス


Back to SFM Book Review Homepage