SF Magazine Book Review

1996年4月号


『フラックス』スティーヴン・バクスター

『時間泥棒』J・P・ホーガン

『ペガサスで翔ぶ』アン・マキャフリイ

『魔法』クリストファー・プリースト


『フラックス』スティーヴン・バクスター

(1996年1月31日発行/内田昌之訳/ハヤカワ文庫SF/720円)

『天の筏』『時間的無限大』に続くハードSF期待の新鋭バクスターの翻訳第三弾、『フラックス』が刊行された。時空を超えた人類と異星種属の闘いを描いた『時間的無限大』の壮大さ派手さに比べると、重力定数が十億倍の世界で暮らす人類の末裔を描いた『天の筏』に近い地味かつ渋目の雰囲気を漂わせているものの、本書『フラックス』が、またもやハードSFの醍醐味を味わわせてくれる力作であることは間違いない。
 時は、人類と異星種属クワックスとの闘いが終了して十万年後。中性子星内部で暮らす全長十ミクロンの人類がいた。彼らの肉体は水素や炭素の代わりに錫の原子核で形成され、その中をエアと呼ばれる中性子ガスが細管を通って循環している。この組成のおかげで、中性子星内部のマグフィールドをウェーブして移動することができるのだ。彼らは、パーズ・シティと呼ばれる建築物内に定住する人々と、都市を離れて遊牧民のような生活をしているアップフラックス人とに別れていた。物語は、グリッチという星震現象によって住みかを失ったアップフラックス人の娘デュラが、弟のファー、老人のアーダとともにシティに辿り着く所から始まる……。
 まずは、この最新の科学知識を駆使したユニークな設定に圧倒される。直径二十キロの超高密度の天体の中に住むミクロな人類。思いつくのは簡単かもしれないが、それを矛盾なく描き、ストーリーに組み入れ、クライマックスまで持っていくというのは並の力量ではない。バクスターは本書で、クレメントの『重力の使命』やフォワードの『竜の卵』に匹敵する偉業を成し遂げたと言ってよいだろう。ただし、その中で展開されるドラマは相変わらず下手。『天の筏』が炭坑夫の少年の成長物語だったとするなら、こちらは都会に出てきたインディアン姉弟が古老の教えを受けながら成長するといった趣で、全くの新しい世界を舞台にしている割には余りにも既存のイメージに頼りすぎなのである。市場経済や学校教育が全く地球と同じように成されている場面を読むと思わず首をひねらざるを得ないし、姉と弟の離別そして再会というストーリーの基軸が全然ドラマティックでない、などの欠点も目につく。しかし、それを補って余りあるアイディアの魅力、途方の無さこそがバクスター作品の身上である。本書もその例外ではない。クライマックスで明かされる中性子星とそこに住む人々の秘密には、おそらく誰もが唖然とさせられるのではないだろうか。『天の筏』と同じく、少年(少女)の成長物語と世界の成り立ちの解明とが結合され、一人の少年(少女)が世界の運命を変えてしまうという物語の骨格には、いつだって、どうしようもなくサイエンス・フィクションの衣裳が似合ってしまうのだ。ハードSFファンにもそうでないSFファンにも、とにかく一読をお勧めしておきたい。

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『時間泥棒』J・P・ホーガン

(1995年12月22日発行/小隅黎訳/創元SF文庫/400円)

 少々遅れてしまったが、年末にドカドカっと出た本の中から三冊程紹介しておこう。近年こんなに薄い文庫本も珍しい。ホーガンの『時間泥棒』は、余分な人間ドラマ、情景描写を極力排してアイディアのエッセンスのみを示したコンパクトな一編である。
 ニューヨークで突如時間の異変が起きる。局所的に時間の進み方が遅くなってしまうのだ。この怪事件の捜査担当となったニューヨーク市の刑事ジョー・コペクスキーは科学者、哲学者、司祭など様々な専門家から意見を聞き、一つの仮説を得る。どうやらこの時間を盗んでいるのは別次元の虫のような生物で、彼らは時間を盗んでいるのではなく、食べているのではないかというものだ。この説は本当に正しいのか、また、正しいとしたらどうやって彼らを防げばよいのだろうか……。
 解決法は実にあっさりとしたもので、いささか拍子抜けしてしまうが、この物語の分量では仕方がないかもしれない。時間の進み方がズレるという話を語る際に一番面白いのは、時間通りに動いている人間の行動のズレを滑稽に描き出すことではないかと思うのだけれど、ホーガンは風刺に向かわずに、あくまでも科学の王道を突き進む。仮説、実験、検証という課程をこれほど忠実になぞった作品もないだろう。発展よりも帰納に向かうホーガンの特色が良く出ているとも言える。人間くさい商売であるはずの刑事を主人公に置きながらも、科学ジャーナリストのようにしか描かない(描けない?)というのもホーガンらしいところ。よほどのホーガン・ファンならともかく、一般読者はいささか食い足りなさを感じるのではないかと思われる。

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『ペガサスで翔ぶ』アン・マキャフリイ

(1995年12月15日発行/幹遙子訳/ハヤカワ文庫SF/680円)

 それにしてもマキャフリイは良く翻訳されるなあ。別に悪くはないのだが、もう少しいろいろな作家が幅広く紹介されてもいいと思ってしまうのはいささか食傷気味になってきた証拠であろうか。本書『ペガサスで翔ぶ』は、超能力者が社会的な地位を確立するまでを連作短編の形で綴った『ペガサスに乗る』の続編で、今度は単独の長編である。
 北米東海岸にある超能力センター所長のリューサ・オウエンは、宇宙ステーション建設に従事する〈能力者〉の労働条件を良くするためにてんてこまいの毎日。そんな中で二人の子供がオウエンと運命的な出会いを果たす。一人は身障者の少年ピーターで、もう一人はスラム街で暮らす違法児の少女ティーラである。二人はオウエンの助力を得ながら教育を受けていたが、ある日そろって児童誘拐犯にさらわれてしまう。二人の運命や如何に……。
 不幸な境遇に育った子供が、他からの助けによって救われていくという典型的なシンデレラ・ストーリーは読んでいる間は気持ちが良いのだけれど、読み終わってよくよく考えてみると、どうも後味が悪い。原因はと言うと、〈能力〉の有無がもたらす持つ者と持たざる者との葛藤を作者が巧妙に回避し、〈能力〉を何でも解決してくれる万能な手段として描いているためであろう。前作での〈能力〉は、公民権運動の延長といった趣で扱われており、それほど特権的な地位を得ていなかったと思う。まあ、心地よさを追求した作品にこのような文句をつけるのは筋違いかもしれないが。

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『魔法』クリストファー・プリースト

(1995年12月15日発行/古沢嘉通訳/早川書房/2500円)

『ドリーム・マシン』や『逆転世界』とともに青春を過ごした者(筆者以外にそんな人がいたのかは不明)にとっては余りにも懐かしいプリースト、八四年の作品『魔法』が《夢の文学館》の一冊として刊行されている。
 フリーの報道カメラマンであるグレイはロンドンでテロに巻き込まれ、爆弾による被害を受ける。重傷を負っただけでなく記憶を喪ってしまったのだ。車椅子で療養生活を送る彼の所に現れたスーザンという女性によれば、彼女とグレイはかつて一緒に暮らしたことがあると言うのだが、グレイはそれを思い出せない。グレイは退院後も彼女とつきあい、自らの過去を思い出し始める。ところが、それはスーザンの記憶と異なるものだった。一体どちらが正しいのか……。
 メタフィクショナルな物語を流麗な文体で綴ったラヴロマンスであり、香り高い傑作である。冒頭から一気に作品世界に引き込まれ、あれよあれよと思うままに作者の導くままラストの仕掛けに辿り着くという読書体験は久しぶりに小説を読む楽しさを満喫させてくれた。薄暗く重々しいデヴォン海岸に始まり、きらびやかな陽光に彩られたナンシー、ディジョンなど南仏の町々の情景描写も素晴らしいもので、すっかり酔わされてしまった。基本的にはスーザンとグレイ、そして謎の男ナイオールを巡る三角関係の話なのだが、彼らが自分を人から見えなくしてしまう「魅する力(グラマー)」の持ち主であることから生じる様々なドラマこそが本書最大の魅力でもある。読んで損なし。プリーストの腕の冴えを存分に味わえる一冊だ。

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