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2001年5月号

『エンダーの子どもたち(上・下)』オースン・スコット・カード

『二十世紀SFB一九六〇年代 砂の檻』中村融・山岸真編


『エンダーの子どもたち(上・下)』オースン・スコット・カード

(2001年2月28日発行/田中一江訳/ハヤカワ文庫SF/上下各660円)

 オースン・スコット・カードによる《エンダー》シリーズ第四作『エンダーの子どもたち(上・下)』(原著九六年)は、九四年に翻訳された『ゼノサイド』(同九一年)の続編である。先頃刊行された『エンダーズ・シャドウ』が『エンダーのゲーム』の別ヴァージョンであり枝編でしかなかったのに対し、本書は時系列で『ゼノサイド』のすぐ後に位置する正真正銘の続編であり、デビュー以来二十年以上に渡ってカードが書き続けてきたライフワークとでも言うべき《エンダー》シリーズ堂々の完結編となっている。ただし、前作の刊行から原著でも五年のタイムラグがあり、翻訳は七年ぶりだ。前作までのあらすじを忘れてしまった方もいるかもしれないので、ここで簡単にまとめておこう。

 惑星ルジタニアに棲息する知的生命体ピギーの生態を研究していた異類学者ピポがピギーに惨殺される。ピポの死を代弁するためにルジタニアに来たエンダーは、異生物学者ノヴィーニャに隠された秘密とともに、ピギーの生態の秘密を明らかにする……(『死者の代弁者』)。ルジタニアに存在する致死性ウィルス、デスコラーダが人類に広がることを恐れたスターウェイズ議会は、ルジタニア殲滅を決定し粛清艦隊を派遣する。エンダーは、妻となったノヴィーニャやその子供たち、姉ヴァレンタインらと協力して艦隊を防ごうとするが……(『ゼノサイド』)。

 前作では、中国系の植民惑星パスに住む信仰深き人々が新たに登場し物語に広がりを与えていた。とりわけ、壁の木目をたどらずにはいられない強迫神経症の少女チンジャオには強烈なインパクトがあり、本当の自由意思とは何かという主題を読者に強く訴えかけていたように思う。「人間というものは、遺伝子の筋書きどおりに行動する単なる肉体ではないからこそ自由なのだ」という前作でのエンダーの主張は、老境を迎えた彼自身ではなく、他の登場人物によって体現されていく。例えば本書では、前作の結末で登場したエンダーの分身二名が彼に代わって、艦隊を止める方法を模索したり、ピギーが棲める新たな植民惑星を探したりと大活躍するのだ。

 また、今回は惑星神風(ディヴァイン・ウィンド)に移民した日本人たちが重要な役割を担って登場している。カードは障害者の息子を持つ共通点から大江健三郎に共感を寄せ、独特の日本観をもとにして惑星神風の人々を描いているのだが、我々から見るとカードの日本観にはかなり偏りがある。この辺のギャップも本書の読みどころの一つだろう。  物語の途中でエンダーの人生は大きく変転し、他の登場人物も落ち着くべきところに落ち着いてシリーズは大団円を迎える。ルジタニア生態系の秘密、人工知能ジェインによる超光速航行の実現などSF的な道具立ては前作までですべて解明済みであり、今回新たに付け加えられたものはない。そうした意味で本書は物語の展開を楽しむ小説というよりは、異類皆殺しの贖罪、神と人との関係、家族の問題などシリーズ全体のテーマを再び考察し、思索を深めるための小説になっているように感じた。

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『二十世紀SFB一九六〇年代 砂の檻』中村融・山岸真編

(2001年2月10日発行/中村融・山岸真編/河出文庫/950円)

 年代別SF傑作選も三冊目となり、ますます快調である。『二十世紀SFB一九六〇年代 砂の檻』は、バラード、ゼラズニイらが英米で活躍しニューウェイヴの嵐が吹き荒れた六〇年代の傑作十四篇を集めている。冒頭のゼラズニイ「復讐の女神」一篇を読んだだけでもこの頃のSFが内容はもちろん技法においても格段の進歩を遂げていることがわかる。ディレイニーはデイッシュとゼラズニイの作品を評して「文学的、歴史的、神話学的な示唆に富み、同時代性を感じさせる」と語ったことがあるが、それはそのまま彼自身の作品や六〇年代SF全般にも当てはまる。ディレイニー「コロナ」ではニューヨークのスラム街が、ディッシュ「リスの檻」では戯画化された作者自身が、シルヴァーバーグ「太陽踊り」ではベトナム戦争が、それぞれくっきりと浮かび上がり、現実の諸問題をSFは否応なしに抱え込んでいく。でもその方がアイディア重視の四〇・五〇年代よりもずっとずっとSFを面白くしているのだ。英米SFの発展形は六〇年代でいったん完成し頂点に達したのだと言っても過言ではないだろう。

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