Live at Tokyo P/N
1992年1月18日汐留 生活実験劇場東京パーン
ジェネシス・P・オーリッジは、今回のショウを次のように語っている。
「サイキックTVはトランス・メディアだ。今回のスペシャル・プロジェクトは、エイリアンのビールスが入り込んだ状態でのトータル・エクスペリエンスになるだろう。」
宇宙より飛来したビールス=言語であり、人間はそれに支配されている。フィリップ・K・ディックやウィリアム・S・バロウズが描いたイメージを彷彿させる発言である。人間のコミュニケーションあるいは意識のあり方そのものが、人間にとっての異物ではないのかという、20世紀末に生きる我々にとってある意味でじつに切実な問を彼らは投げかけているのだ。しかしここで最も重要なのは、そうしたまったく異なる観点から、人間とその社会、さらには宇宙のあり方そのものを見直すための非日常的な旅へのいざないにほかならない。ジェネシスは続けてこう語っている。
「そのような状態はつまり、現在規制されているさまざまな事柄が、果たして本当にそうした規制に価するものなのかどうか、価値の変換のための文化の破壊・再構築ということを改めて考え直してみることにつながる」
今回のショウは、まさにそうした覚醒の可能性を、参加する者に拓く、かけがえのない時間となるはずである。
「何も予期せず、ただ私達がプレゼンテーションする、楕報のCHAOSの中に足を踏み入れなさい。
そして、 C H A N G E Y O U R M I N D ! 」
(以上は、会場配布のチラシより引用)
開演になるまで会場への通路に並ぶことになるのだが、数秒置きに点滅するライトに照らされている段階からすでにショーは始まっていた。しばらく待たされてから入り口が開けられる、ホール内に入ると周りが見えない、、そう、ミストマシンによって霧が発生していたのだ。(スモークかもしれない)
白い照明によってぼんやりと包まれた空間にビートが刻まれ出すと、前方の空間に数人が何やら機材を操作している姿が浮かび上がる。DJによるダンス・ビートが展開してしばらく経つと、徐々に毒を持ったノイズがコラージュされていく。異様な空間が形成されつつあることが観客にも感じられていく。
霧が薄れ、各所に配置されたプロジェクターが異形のイメージ〜それは死、宗教、幻想をモチーフにしたもののカットアップだ〜を放ち、この場が儀式の空間なのだということを告げる。黙示録的光景の中でジェネシス
P-オリッジが叫ぶように歌う。私は初めて見るサイキックTVのステージに、高揚するものを感じた。
ハウス・ビートからロックバンド・サウンドを混ぜつつアヴァンギャルドなサウンドは進行していく。ジェネシス P-オリッジは終始聴衆を煽り立てる祭司の役割を果たしているかのようだ。途中ジェネシスのフリーキーなオーヴァードライヴベースのソロがあり、彼の集中力が並のアーティストの比ではないことを見せつける。
そして、「Bliss」のシンセベースが躍動する中、ジェネシスは観客の中へ飛び込んできた!! 聴衆の一人一人に視線を向けジェネシスは踊る、人に潜在している何かを呼び覚ますかのように。
延々と続くダンス・ビートの中、私の近くまで来たジェネシスと目が合った。距離にして2メートルくらいか。得も言われぬ楽しさを感じるのは、そうそうあることではない。生きている実感を味わったと言ったら言い過ぎだろうか。ストロボライトがフラッシュする中、会場はピークを迎えた。それから、ジェネシスはステージに観客何人かを連れ上げる。自分からステージへ上がって踊り出す者もいる。
そして、ちょっとしたお遊び、ジェネシスがなにやら叫んで観客後方を指さすと、体育館の2階の観客席みたいなところにミキサーやスタッフがいて、ヒモの先にライトを付けたものを8人くらいでクルクル回していた(笑)。
すでに緊張感は越え一体感と安堵が広まり、よく覚えていないが、普通のコンサートが終わるようにステージが終了したように記憶している。なにしろ、ステージの上で吉川晃司(懐かしいな)のようなダンスをする方がいて、すっかり和んでしまっていたのだ。(笑)
東京パーンは松下電器が生活実験劇場として期間限定でオープンしていた多目的施設。サイキックTVのライヴは、パーンホールという平面型壁面スピーカーとデジタル音場制御装置を用いた比較的小さなスペースで行われた。トータル・エクスペリエンス=総合体験という環境を設定するには打ってつけの場所だったのではないだろうか。様々な仕掛け(霧やモニター等々)が凝らされ、ショーとしては周到にプロデュースされたものだと言える。
今回のライヴ・プロジェクトは、アメリカ、ロンドン、バンコク、東京を結んで制作が進められ、4時間分のビデオテープ、1時間分の16m/mフィルム、3時間分のDATテープ、3時間分のオーディオテープ、さらにレコードの一部は、今回の2日間のためだけに、ロンドンで制作・編集され二度と使われることのないものだそうだ。また、それを表現するためのハードウェアは東京でデザインされ、同じくこれも今回だけに限られて使われたとのこと。儀式性というか一回性の中に意味を浮上させるという前衛的とも神秘主義的とも言える彼らならではのコンセプトだ。
会場での体感として、平面スピーカーの特性なのか、サウンドは必要以上にクリアーな気もしたが、CDで聴くサイキックTVのサウンドとはやはり別次元の音だった。おそらく他のライブハウスやクラブではもっと低音主体な音なのだろうけれど、それでも低音でシンセベースがうなる快感は直接的なもので、観念的なものとして受けとめていたサイキックTVの音が、体感レベルにおいても強度を持つものであると認識できたのは嬉しい発見だった。
また、サイキックTVはライヴアルバムによってはバンドの演奏が稚拙だったりするが、今回のライヴはかなり完成度が高かったように感じた。ジェネシス P-オリッジのベースソロは、ルーリードのギターソロにも通じる鬼気迫るものがあり、パフォーマーとして高レベルにあるのがわかった。
個人的には、ずっと薄く霧がかかった状態だとおもしろかったのだが。最初の神秘的な雰囲気がとても良かったから。あと、ステージでポーラ・P-オリッジ(ジェネシスの奥さん)が霧で薄暗い中、口にペンライトをくわえてテープ操作している姿がなんとなく異様だった。