Outline of Psychic TV

 英国音楽界最高のカルトヒーロー、ジェネシス P-オリッジ、その彼が推進力でありインダストリアル・ミュージックを創始し前衛的な活動を展開したグループ、スロッビング・グリッスルの解散後、1981年から現在までメイン・プロジェクトとして展開しているのがサイキックTVである。
(追記:ジェネシスPオリッジ・オフィシャルホームページによると「He terminated his Psychic TV and T.O.P.Y. Cultural Engineering experiments in 1996 and 1990 respectively. 」from http://www.genesisp-orridge.com/html/biography/bio-p2.html 1996年にサイキックTVでの活動を停止している。ただその後現在に至るまで頻繁に彼自身の監修による編集アルバムや再リリースアルバムおよび未発表ライブアルバムがリリースされている。また、1999年4月と5月に2回イギリスでサイキックTVとしてライブを行っている。ただしこれは1992年にイギリス国外追放処分になった後に、1999年頃帰国が許可されたため一時的にイベントを行ったもののようだ。現在は彼自身の様々なアート活動の他、音楽ユニットとしてはThe Majestyを立ち上げて活動している。 また、T.O.P.Y.(テンプル・オブ・サイキック・ユース)は彼とは別に現在でも活動している→ホームページhttp://www.topy.net/ 2003/04/27記述)

1996年頃のジェネシスPオリッジ

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 サイキックTVのリーダーであるジエネシス・P.オーリッジは、1950年2月22日に生まれ、イギリス、ヨークシャーのハルという港湾都市の大学で社会行政学を学ぶ。ちなみにGENESISとは創世記、P0RRIDGEはごった煮の意。1969年に、メイル・アート、パフォーミング・アート、フィルム等の制作をするアート集団「C0UM TRANSMISSI0N」を、ウェールズに近いシュールズべリーの街で結成し、その後ハルとロンドンで活動。

 1971年にヌード・ダンサーであったコージー・ファニー・トウッティが参加。その後、ピーター“スリージー”クリストファーソンが参加する。彼はピンク・フロイドやビートルズのジャケット制作で知られるイギリスの写真家・デサイナー集団「ヒプノシス」のメンバーである。76年にクリス・カーターが参加して、「THR0BBING GRISTLE」(スロッビング・グリッスル)というバンドとなる。このバンド名は、C0UM TRANSMISSI0Nの74年のパフォーマンス「THR0BBING GRlSTLE」(「震える軟骨」の意、男性器のアナロジー)から取られた。

スロッビング・グリッスル メンバー写真

 スロッビング・グリッスルは、自らの音楽を“インダストリアル・ミュージック”と名付ける。彼らのスローガンは“Industrial Music for Concrete People”(*注)であり、産業、工業化社会をテーマとして、具体音やノイズを含む多様な音源をシンセサイザーとシークェンサーによるリズムの枠組みに乗せたその音楽は、シーンに大きな衝撃を与える。彼らは、当時起こり始めていたパンク・ロックの動きに呼応するように数々の活動を行う。セックス・ピストルズをプロデュースしたマルカム・マクラーレンとビピアン・ウエストウッドのブティックから過激なTシャツを発表したり、ドン・レッツによるフィルム『パンク・ロック・ムービー』に収録されたのもこの頃である。

 スロッビング・グリッスルは、75年秋から81年までの問に、3枚のアルバム、6枚のシングル、35本のカセット・テープ、数本のビデオ・テープを発表している.代表作としては、『HEATHEN EARTH』(1980)『20 Jazz Funk Greats』(1981)等。また、ラフ・トレードからペスト盤『Greatest Hits』(1981)が発表されている。

 1981年にスロッビング・グリッスルを解散した後、ジェネシスはいよいよ「PSYCHIC TV」(サイキックTV)を結成する。サイキックTVは、ステージ上に大きなAV装置を並べ数々のビデオを発表するなど、情報テクノロジーが圧倒的な発達を遂げた80年代を明確に捉えた活動を展開。また、人間の精神と宗教への興味と考察を深め、そのステージ、レコードを通してヨーロッパに脈々と流れるオカルティックな体系への共感を顕著に表現しており、ライブは「儀式」として行なわれる。まさにグループ名の通り、情報テクノロジーの時代における精神と生理のありようを探求しているのがその活動なのであり、ポスト・インダストリアル・エイジへと向かう現在を体現するグループとして、もはや神話的存在とすらなっている。
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(※-----内は1992年来日時のコンサートチラシより転載)
(*注) “Industorial Music for Concrete People”は上記コンサートチラシのままだが、インダストリアル・レコードのスローガンとして知られているのは“Industrial Music for Industrial People”および“Music from The Death Factory”である。スロッビング・グリッスルの音楽を紹介する文章ではMusic Concrete(具象音楽) を引き合いに出す場合が多いので、上記文章の作者は混同した可能性が高い。ただ、ジェネシスPオリッジがどこかで“Industrial Music for Concrete People”という言葉を使った可能性もあるので、あえてそのまま転載しています。(2003/04/27追記 なおIndustrialのスペルが間違っていたので直しました)

ライヴステージのジェネシスPオリッジ

 その成立は、テンプル・オブ・サイキック・ユースというジェネシス P-オリッジが構成した謎めいた教団と共にあり、人間の根源的なエネルギーの解放と意識の覚醒を唱えるものだった。

サイキックTV発足時のジェネシスPオリッジとピーター・クリストファーソン「サイキックTVは最大限に能動的であらんとし、人間の潜在能力を信念するという肯定的な信念を持つのである。そして、人間の心の底の暗黒に秘そむものを引き出し、そのものから昏い暗黒の部分を取り除くのを目的としている。」(*)

 サイキックTVの多面的な展開は、様々なレベルの実験、実践を持ち、これほどその実体を語ることが難しい存在も希である。呪術的、プリミティブな人間の原初衝動の復興。映像、音響メディアへの深く鋭い洞察とその戦略的展開。広範なアーティストとのネットワーク志向。1980年後半からのアシッド・ハウス〜レイヴシーンの隠れた司祭。アヴァンギャルドアートと神秘主義の危うい境界線上に位置する独特の存在感。これらクロスポイントに浮上するのがサイキックTV。

 リリースされた膨大な量の作品は数量限定のものが多くを占め、もともとメジャーリリースではないことと相まって現在では入手困難または入手不能のものが大半であり、彼らの全貌をトレースすることは極めて困難な状況となっている。

1986年、来日時のライヴステージ


サイキックTV活動概略
1981年 ジェネシス P-オリッジとピーター・クリストファーソンによりサイキックTVが組織される
1982年 ヴィデオ『ファースト・トランスミッション』を発表
ファーストアルバム『フォース・ザ・ハンド・オブ・チャンス』リリース
1983年 セカンドアルバム『スイートレス・ドリーム』リリース
  世界各地で精力的にヴィデオスクリーンやテープ・オペレーションを駆使したライヴ・パフォーマンスを展開
1986年 初来日。来日時のライヴを収録したアルバムのライナーでは当時ポスト・モダンの旗手とされていた浅田彰と対談
1987年 毎月23日にリリースし23枚リリースするライヴアルバムシリーズを1月からリリース開始。
様々な変名ユニットでイギリスのアシッド・ハウス・シーンを興隆させる。
1990年 東京芝浦ゴールドでジェネシス P-オリッジと妻ポーラの衝撃的ボディ・パフォーマンス
1991年 ロサンゼルスのDJ達と共同作業の『ウルトラハウス LAコネクション』リリース
1992年 壁面スピーカーに取り囲まれた東京パーンのホールで、トータル・エクスペリエンスとして構成されたライヴパフォーマンスを行う。
ジェネシス P-オリッジの家族が迫害を受ける。イギリスを離れアメリカ、サンフランシスコへ。
サンフランシスコで水族館のイルカ解放運動を起こす。
サブ・カルチャーの雄ティモシー・リアリーらと交流がさかんになる。
1993年 クジラ-イルカを題材にしたアルバム『コンドール』リリース
1994年 過去のアルバムをリパッケージした作品のリリースが相次ぐ
1995年 サンプリングを駆使したものやハウス〜トランス系のアルバムを多種リリース
1996年 久しぶりにバンドスタイルでスタジオ録音した『トリップ・リセット』リリース
1998年 未発表音源を含む、1990年頃のハウス・チューンをリモデルした『オリジン・オブ・ザ・スピーシーズ』をリリース

(*)「教団の教理と声明(後編)」フールズメイト83年6月号より引用

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