Secret Manifest of ACID-HOUSE

 サイキックTVの活動を大まかに分けるとアシッドハウス以前と以後になる。音楽的なスタイルは大きく変化することになった。しかしもちろん、その背後にあるジェネシス P-オリッジの存在感は同一。

オシャレなジェネシス P-オリッジ

「ACID-HOUSEの隠れた司祭」
 (アシッドハウスとサイキックTVの関連について)

 ジェネシス P-オリッジがアメリカへ行った際に、とあるレコードショップへ立ち寄ったところ、そこには聞いたこともないようなレコードが揃っていて、それらを試聴していたく気に入ったジェネシスは大量に買い込んで帰ったらしい。それらがいわゆるハウスと呼ばれる音楽だったようだ。

 ハウスは、1980年前半にアメリカのゲイのクラブで生まれたと言われている。伝説的に語られるのが、NYのクラブ「パラダイス・ガラージュ」で、ガラージュと書くとなんだかかっこいいが要するにガレージ=倉庫を用いたアンダーグラウンドなディスコにおいてのハードコアなダンス・ミュージックだったらしい。

エクスタシー(MDMA)の分子モデル
 しかも当時出回りはじめた新種のドラッグ、エクスタシーと結びついて、エクスタシーを服用したときにハマる音楽としてハウスは一つのカルチャームーブメントとなっていく。エクスタシーは服用すると多幸感に溢れフレンドリーになるためラヴ・ドラッグなどとも呼ばれたらしいが、ダンス・ミュージックと結びついた大きな要因はエクスタシーの摂取により何時間も平気で踊り続けることが出来ること、のようだ。
 また、60年代のサイケデリックアートがLSDによるものであるように、ハウスのレコードのアートワークには、エクスタシーによる独自のライトでポップな感覚が表現されており、それらは現在の様々な分野のアートワークに潜在した多大な影響を与えている。独自のフォント(字体)や、CGと結びついたところのサイケデリックな表現などなど。

 

 ハウスのレコードは、クラブでのDJプレイのための12インチシングルがほとんどで、しかもジャケットが白紙のものも多い。曲ごとにユニット名や変名が使われており、匿名性とも一回性とも言うような特徴を見ることができる。
 イギリスに戻りハウスの影響を受けた音楽を作り出し、1986年頃より多数の変名ユニットでジェネシス P-オリッジはシングルをリリースしていた。「TUNE IN (TURN ON THE ACID HOUSE)」 は当初匿名(アーティスト名が記載されていない。サイキックTVのシンボルマークであるサイキック・クロスはラベルに使われていたらしい)でリリースされたが、このレコードが初めて“ACID HOUSE”という言葉を使ったのだという。

 

『Jack The Tab / Tekno Acid Beat』のジャケット  ACID HOUSE(アシッド・ハウス)は、後にハウスの一ジャンル名ともなっているし、イギリスのハウスシーンの代名詞でもあったのだが、その火付け役はジェネシス P-オリッジだったということだろう。その時期の音源を集めた2枚組『Jaxk The Tab / Tekno Acid Beat』で当時の模様を聴くことができる。

『Jack The Tab』の中ジャケ このアルバムの多くの曲でジェネシス P-オリッジと共作しているR. NORRISとD. BALL(ソフト・セルのメンバーでもある)は後にグリッド(GRID)というハウスユニットでメジャーな存在となる。

 イギリスでのハウスムーブメントは、ドラッグ使用の関係からだと推測されるが当局によるクラブからの締め出しにより、郊外での野外パーティー形態を取るようになっていく。これがレイヴ(RAVE)と呼ばれる。このころにはエクスタシーによるハイな状態をより効果的なものにするために音像操作システム、ストロボライトやスモークなどが必需品として定着していたようだ。

 


『Beyond Thee Infinite Beat』のジャケット
 ハウス系アーティストの企画モノCD「Return to the Source」というコンピレーションや、KLFのヴィデオなどにオカルティックな祭祀的イベントとしてレイヴが捉えられている面を見出すこともできるのだが、それらはサイキックTVの指向性と似ているのが興味深い。当時サイキックTVがこういったレイヴ的な活動をしていたという話はないようだが、『Beyond Thee Infinite Beat』はRAVE MASTER MIXとサブタイトルされているのでレイヴシーンともなんらかの交流はあったのだろう。

 レイヴは当初は仲間内でのみ告知されるゲリラ的野外イベントであったらしいが、次第に巨大化して、60年代の野外ロックフェスティバル的なものになり、セカンド・サマー・オブ・ラヴと呼ばれるようになる。エクスタシーによって無垢な意識になった一人が、焚き火の中で焼けて死んでいくカタツムリを見て泣き出し、それに共鳴して会場じゅうの数百人が泣き出したというエピソードなども語られている。
 レイヴは60年代にヒッピーの漂流地であったスペインのイビサ島などへも飛び火する。また、やはり60年代からLSDの聖地(?笑)となっていたインドのゴアでのビーチ・パーティーと結びついて、ゴア、トランスといったスタイルの音楽を生み出している。


 音楽というものは小さな一つの流れが大きな潮流となり広範囲な影響を与えることがあるものだが、ハウス・ミュージックが越境的で広範な影響力を持ったことは音楽シーンを分析するならば現在でもその影響を見ることが出来る(例えば小室哲哉がレイヴについて言及するように)ことに明らかだと思う。

 ジェネシス P-オリッジが、ハウスというスタイルに潜んでいた越境的なパワーに、サイキックTVが指向していた戦略性、、それは例えば23カ国でライヴを行いアルバムを発売するというプランに見られるような、音楽を魔術的な高揚の場として地球規模で展開するというような指向や、神秘主義ネットワークとしてのテンプル・オブ・サイキック・ユースという組織など(ジェネシス P-オリッジが設立した自主制作レーベルもT.O.P.Y. =TEMPLE OF PSYCHIC YOUTHという名だ)に現れている、、と同質のものを感じとりそのスタイルを取り込んだことは当然と言え、またその洞察の鋭さは見事だ。

 ジェネシス P-オリッジは、1992年以降アメリカ西海岸サンフランシスコへ居住し、そこでのアンダーグラウンドクラブカルチャーシーンや、かつてのヒッピーの指導者的存在であり80年代に入ってサイバーカルチャーの祭祀として復活したティモシー・リアリーと交流していくことになる。

『Origin Of The Species』の中ジャケのライヴポスター

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