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[1] 住宅−居住空間
アパートは木造2階建ての1階で、かなり古い建物だった。1階の出入口に車椅子用のスロープが付いていたので電動車椅子でのアパートの出入りには支障はなかった。寝室が二つと台所、食堂、居間、バスルーム(風呂、トイレ、洗面台)があった。アパート内には段差はなかったが、バスルームは狭すぎて僕の電動車椅子では入って行くことができなかった。クーラーはなかったがガスのセントラルヒーティングがあった。冷蔵庫とオーブンがついていた。
僕は玄関の側の方の寝室を使った。レンタルの手動式ギャジベッド、渡米翌日に買った本棚とドレッサー、借りたテレビを置いて使った。本棚には、本の他、文書、コピー、手紙、紙タオル、ティシュペーパー、紙コップ、ストロー、コップ、やかんなども入れて置いた。アメリカにいる間、夜、寝ている時も腕時計はつけっぱなしにしていた。
バスルームは狭すぎて入れなかったし、実用的でなかった。ベッド用の使い捨ての収尿器として大きなジュースボトルの空瓶などを使った。排便はベッド上で行った。風呂も使えなかったので、寝室でスポンジバス(清拭)をした。洗髪は、浮袋のような形をしたシャンプー・リンス・トレイ(約15ドル)を買い、それを使ってベッドの上で頭から計量カップでお湯を掛けながら行った。
洗濯はコインランドリーで行い、乾燥機を使った。アパートでは洗濯物は干さなった。タオルやガーゼなど頻繁に使うものだけ寝室内にロープを張ってそれに干した。
居間に本棚、机を置いて僕専用の書斎として使った。机は電動車椅子で入りやすいように鉄製の本棚とテーブルの上に紙箱をおいたものを足として、その上に広い木の板を置いた。これらの材料はアッシュビーのフリーマーケットで買ってきた。
尿量を調節するためにも、一人でいるときに、自由にお茶、水を飲めるように、普通のストロー3本をセロテープでつないで長いストローを作り、大きなコップにさしていた。また、パンやクッキーのような手でつかみ易いものをテーブルの上に綺麗な紙を置いてその上に乗せて、好きなときに食べれるようにした。
[2] ドア・オープナー
僕は鍵を扱えない。米国は治安が悪いのでアパートの鍵を開けっ放しにしておくのは危険だ。しかし、一人で電動車椅子で帰ってきた時、鍵を使えないと、アパートの中に入れない。中に入れないと寒いし、アパート内の電話なども使えない。また、朝、介助者が来た時、ドアの鍵を開けなければならない。
それで、ドア・オープナーを、家主の承諾を得て、米人大工に注文し、玄関の鍵に取り付けた(約300ドル、自費)。これはワイヤレス・リモコン式の鍵の開閉装置で、発信機のスイッチを入れるとブザーが鳴って鍵が開く。発信機は二つで、一つは僕の電動車椅子、もう一つはベッドに取り付けていた。ドアの開閉は、外から帰ってくるときは電動車椅子で体当りでドアを開け、出かけるときはドアの取っ手に紐を付けていてその中に手を入れて引っ張る。
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[7] ワープロ
ポータブルタイプの日本語ワープロ(英文機能付き)を持っていって、研修報告などを書いて仕事をするために、あるいは手紙を書くために使った。僕の書く字はあまり実用的ではないのでワープロは大いに役に立った。
僕はどうしてもベッド上で過ごす時間が長いが、ベッドの上では書字道具が使えず字を書いてメモができない。横を向いて寝ている時はワープロを使った。総合せき損センターの井手さんに機能キーに簡単なロックをつけてもらっていたので横を向いても片手で操作できた。紙の入れ替えも何とかできたので、一人ででもベッド上で文書を作る仕事はかなりできた。しかし毎日何時間も、しばしば一日中、ワープロをやっていて本当に消耗した。
専用のワープロ用紙と熱転写用のリボンの補給も大変だった。日本から航空便で送ってもらった。
現在はパソコンを使っている。フロッピーディスク交換の手間を省くためにも20メガのハードディスクを導入した。補助登録機能付きのワープロは速記のようなもので僕のような頚髄損傷者には便利だと思う。
ペンホルダー式の書字道具も、面接でメモを取ったり、文書にアンダーラインを引いたり、チェックしたり、小切手、クレジットカードにサインしたりするために必要たった。電話のダイヤルを回すのに便利だ。小切手、クレジットカードのサインは、ベッドに寝ていたときなど、口で書いたこともある。
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