2003年08月01日 金曜日 西日本新聞記事 15 生活・ヒューマン 「私の視線」 公的支援、どこまで認めるか 四肢まひ者の就労
August 1, 2003




2003年08月01日 金曜日

西日本新聞記事

15 生活・ヒューマン

「私の視線」

公的支援、どこまで認めるか

四肢まひ者の就労

清家 一雄 せいけ かずお 1957年生まれ。 ヘルパー派遣会社 「ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者)」取締役社長。 佐賀医科大の非常勤講師。

 私は高校時代、ラグビー の試合中の事故で頚髄(けいずい)を損 傷し、四肢まひの重度障害 を負ってから、どう就労し、 自立生活を送るかが身に迫 るテーマとなった。

 親元を離れ、福岡市の賃 貸マンションで一人暮らし を始めて約十年。障害者年金 のほか、大学非常勤講師と しての報酬や寄稿、翻訳な どの収入で暮らしている。

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 介護保険が始まって公的 ヘルパーのすそ野が広が り、障害者への支援費制度 も導入された。けがをした 当時から考えれば、制度は 整ってきた。しかし、公的 サービスだけでは足らず、 自費で別にヘルパーを雇っ ている。経済的には大変だ。 ヘルパー確保のねらいもあ って、有限会社を設立し、 五月からヘルパー派遣事業 を始めた。

 さて、私と同じような四 肢まひ者で、資格や技能を もとに就労する知人も増え てきた。

 内科の研修医のとき事故 に遭ったが、患者との対話 が仕事の心療内科医として 再起した人。事故後、家庭 教師をしながら資格を取 り、司法書士事務所を開い た人。パソコンを学びシス テムエンジニアとして在宅 勤務の会社員生活に入った 人もいる。

 しかし、一般会社や官公 庁に通勤するケースはまだ 少ない。法定雇用率があっ て、障害者の雇用は一定程 度進んだが、介助なしで通 勤できる軽度障害の人たち がほとんどだ。

 四肢まひの通勤例がない わけではない。コンピュー ター会社に勤める若者がい る。事故後、市役所に復職 した人も知っている。しか し、いずれも、母親や妻ら がマイカーなどで送迎し、 昼食介助もする。家族の献 身的な協力があってこそ、 ようやく成り立っているの だ。逆に言えば、家族に負 担をかけることなく、ヘル パーを雇って、一人で通勤 し就労する例は知らない。

 障害者の自立生活運動の 発祥地・米国カリフォルニ ア州バークレーを過去三回 訪ねた。日本との違いを痛 感するのは、障害者が就労 して、健常者と対等に競え るように支援すべきだ、と いう社会的な合意があるこ とだ。「ADA法」がそれ を裏付ける。四肢まひで人 工呼吸器が手放せない、極 めて重い障害のある人物 が、二千人の部下をもつ州 政府機関の管理職を務める 姿は、衝撃的でもあった。

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 さて、今、四肢まひ者が 能力に応じて就労したいと いう意思を、日本社会は受 け入れられるだろうか。少 なくとも、健常者と同じ土 俵に上がるための支援に税 金を使うことを、認めるこ とができるだろうか。

 特別な財産や才能を持た ない四肢まひ者が、家族に 頼らず、それぞれの能力に 応じて就労し、誇りをもっ て生きることができる社会 的な仕組みがつくり出せな いか。私はそんな夢を思い 描いている。

 当面は、ヘルパー派遣と いう仕事を通じて、ささや かながら、障害者支援シス テムづくりに加わっていけ れば、と考えている。




2002年12月04日、佐賀医科大学医学部で講義。
November 4, 2002 The Lecture at the Saga Medical Schoo.l


清家 一雄
SEIKE, Kazuo



  
清家 一雄 
有限会社ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者)
     重度四肢まひ者の就労問題研究会・代表
   『ワーキング・クォーズ』編集部
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