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"WORKING QUADS" News Letter 2001
『脊椎脊髄ジャーナル』、1992年07月号
脊髄損傷リハの到達目標 on July 4, 2001
by Seike


『脊椎脊髄ジャーナル』、1992年07月号
脊髄損傷リハの到達目標


WQNL2001-脊椎脊髄ジャーナル

清家一雄@WORKING QUADSです。



読んでいただければ幸いです。



"WORKING QUADS" News Letter
on July 4, 2001


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

『脊椎脊髄ジャーナル』、1992年07月号
脊髄損傷リハの到達目標


清家一雄




「脊髄損傷リハビリテーションの到達目標」
Goals of rehabilitation of Spinal cord injuries


就労など社会的到達目標
Social Goals of rehabilitation of the quadriplegocs by Spinal cord injuries

脊髄損傷(ポリオを含む)による重度四肢麻痺者の生産活動参加過程 に関する日米比較研究とハイテクの活用による新しい可能性
Comparative Study of Japan and the U.S.A. on the participation into the process of the productive activities of the quadriplegics by spinal cord injuries and the new possibility by efficient utilization of High Tech


[キーワード] 脊髄損傷リハビリテーションの到達目標 Goals of rehabilitation of Spinal cord injuries 高い生活の質の自立生活 high quality indepenhdent living 障害をもつ人々の生産活動 productive activities of people with disabilities

「財団法人 トヨタ財団」研究助成 重度四肢まひ者の就労問題研究会 代表  清家 一雄 Kazuo Seike Prsident Research Association on Work of the persons with severe disabilities By the Research Grant of " The Toyota Foundation "


As for utilizing high tech, Japan does not delay compared with the U.S.A., but very few people with the severely physical disabilities work as professionals. In America not a few the quadriplegics by spinal cord injuries participate into the process of the productive activities, at the background, as well as a various support system using high tech, the social consensus, such as in the Americans with Disabilites Act, not to accept discrimination against people with disabilities is a significant factor.

In this research, through fact-finding inquiries on the productive activities of the quadriplegics by spinal cord injuries in Japan and America, including researcher who is also a quadriplegic by spinal cord injury, it will be compared the social background, and it will be considered the possibility of using high tech for the productive activities of the quadriplegics by spinal cord injuries, from the point of view of the individual with severe disability.




『脊椎脊髄ジャーナル』、1992年07月号
脊髄損傷リハの到達目標




『脊椎脊髄ジャーナル』、1992年07月号

p.495

脊髄損傷リハの到達目標

脊髄損傷者の就労など社会的到達目標*
脊髄損傷(ポリオを含む)による重度四肢麻痺者の生産活動参加
過程に関する日米比較研究とハイテクの活用による新しい可能性




清家一雄**

Key words :
脊髄損傷リハビリテーションの到達目標
高い生活の質の自立生活
障害をもつ人々の生産活動
( Goals of rehabilitation of Spinal cord injuries /
high quality indepenhdent living /
productive activities of people with disabilities )


*
Social Goals of rehabilitation of the quadriplegocs by Spinal cord injuries :
Comparative Study of Japan and the U.S.A. on the participation into the process of the productive activities of the quadriplegics by spinal cord injuries and the new possibility by efficient utilization of high tech


**
重度四肢まひ者の就労問題研究会
(〒814 福岡市早良区昭代*−**−**)
Kazuo Seike
Research Association on Work of the Persons with Severe Disabilities





 はじめに



 著者自身,C5レベルの頚髄損傷である.1973
年7月,高校2年の時,ラグビーの試合中の事故
により受傷し,現在に至っている.

 頚髄損傷者(脊髄損傷者)リハビリテーション
の就労など社会的到達目標というテーマに関し,
著者は,これまで日本リハビリテーション工学協
会が主催するリハ工学カンファレンスにおいて,
1989年以降の4回にわたり,「頚髄損傷者と生産
活動」@〜Cを発表してきた.

 また,1990年,著者は,トヨタ財団の研究助成を
得て,「高度技術社会の進展と外傷性重度四肢麻
痺者の生産活動参加過程に関する日米比較研究お
よびハイテクの活用による新しい可能性に関する
研究」というテーマで,調査研究する機会を得た.
ハイテクの導入では日本も米国に遅れていないが,
専門職の重度四肢まひ者は少ない.アメリカでは
重度四肢まひ者が知的生産の過程に参加している
例は少なくないが,その背景には,ハイテクを利
用したさまざまな支援システムと並んで,障害ア
メリカ人法にみられるような障害者差別を認めな
いという社会的合意も大きな力となっている.

−改段−

 本論では,著者自身が障害を持つ立場であり,
障害者の視角から,著者本人も含む日米の四肢麻
痺者の生産活動の実態調査を通じて社会背景など
の比較を試みるとともに,ハイテクの活用可能性
も検討する.



 脊髄損傷リハビリテーションと社会的到
 達目標




 障害には,視聴覚障害,精神障害,肢体障害,
あるいは内部臓器障害といった身体部位別分類が
ある(大橋正洋).一方,機能障害,能力障害,社
会的不利といった階層的分類もある(大橋).

 脊髄損傷では,疾患( disease )は,脊髄に加え
られた外傷による脊髄の切断,挫滅,あるいは2
次的循環障害による壊死であり,1次的な障害で
ある機能・形態障害( impairment )は,ある高
さ(髄節)以下の運動機能と感覚の喪失であり,
同時に排尿便の障害,発汗,体温調節機能などの
障害である.2次的な障害である能力障害( dis-
ability )は,起立・歩行不能という形で現われる.
3次的な障害である社会的不利( handicap )は,
せっかく車椅子と自動車を駆使して移動能力を再

p.496

獲得したにもかかわらず,適切な職場がないため
にその能力を発揮できず自宅や施設にとじこもっ
てしまうことも含まれる(上田敏).

 また,障害のこのような分類に“重度障害”と
いう概念を追加するものもある.病院で行われる
リハビリテーション治療と並び,重度障害者にとっ
ての真のリハビリテーションは,病院退院後の自
立生活獲得であるとも考えられる(大橋),とす
る.脊髄損傷(頚髄損傷,胸腰髄損傷者のどちら
も)は,わが国の身体障害者福祉法(身障法)と,
労働基準法および労働者災害補償保険法(労災法)
による最重度障害(1級)である(大橋).

 脊髄損傷者のなかでも,@胸腰髄損傷者,A運
転可能なC6B2以下の頚髄損傷者,B電動車椅子
適用のC6B1以上の頚髄損傷者,C人工呼吸器が
必要なC1〜C3頚髄損傷者では,障害の程度は,まっ
たく異なり,社会的到達目標も異なっている.さ
らに,受傷年齢,受傷時の社会的身分により,そ
の到達目標は,就学(復学,進学),就労(復職,
再就職,新規就職)などに分化する.

 リハビリテーションにおける到達目標(ゴール)
とは,目的が示している方向線上における,ある
定まった一点をさすものである(上田),とされ
ている.脊髄損傷リハビリテーションの目標の第
1は,ADLの改善による退院であろう.

 1992年4月,現在,日本での代表的な専門病院で
ある福岡県飯塚市の総合せき損センターでの退院
までの期間は,胸腰髄損傷者が8か月から1年,
頚髄損傷者で1年半,退院先は,“自宅復帰,更生
施設等,他病院への転院”である(年齢別社会
復帰状況『総合せき損センター開院十周年記念
誌』).C3以上での人工呼吸装置利用の頚髄損傷
者で,自宅退院のケースも予定されていてる.

 退院に関しての最重要の課題は,胸腰髄損傷者
では住居であり,頚髄損傷者では介助者であり,
C3以上での人工呼吸装置利用の頚髄損傷者では
病院との連係である.

 退院後の社会的到達目標は,ADLの改善より
もむしろ生活の質( quality of life; QOL)が
中心となる.

−改段−

 著者は,頚髄損傷四肢麻痺という障害(1次的
な障害,WHOのいうimpairment)をもって19
年近くになる.受傷以来,移動能力や書字能力な
どの日常生活動作能力の不足(2次的な障害,
WHOのいうdisability)に苦労してきた.

 リハビリテーションの(全人間的復権)の究極
の目標は,社会的不利( handicap )の最大限の除
去である(上田),とされる.脊髄損傷リハビリテー
ションの到達目標は,ADLに関して disability
があっても,障害を持たない個人と同じQOLを
享受できる環境,機会の平等を得ることであろう.
しかし,ゴールとは,何よりも到達可能な現実性
をもったものでなくてはならず,しかもそのなか
でできるだけ高いものであることが望ましい(上
田),とされる.

 脊髄損傷リハビリテーションの到達目標は,こ
れまでも時代により推移してきた.Guttmann は,
1944年オックスフォードに近いストークマンデ
ビル英国国立脊損センターの初代院長に就任し,
1967年引退するまで約4,000人の脊髄損傷患者
の治療を行い,車椅子スポーツをリハビリテーショ
ンの有力な手段として活用し,最終目標を有給就
職において新しい脊髄損傷リハビリテーションを
確立した(赤津隆).

 日本では,1963年から1983年までの20年の脊
髄損傷の治療とリハビリテーションの歴史を,@
1963年日本リハビリテーション医学会発足まで
の戦中戦後の開拓期,A1964年第2回国際パラプ
レジア医学会と同時に開催された東京パラリンピッ
ク,およびそれが契機となって1966年発足し
た第1回日本パラプレジア医学会以後の発展期,
さらに,B1971年以後,1983年に至る rehabilita-
tion co-worker が充足し脊髄損傷リハビリテーショ
ン体系が充実した時期,という3つの時期に分け
られる(赤津),とされている.しかし,この充実
期にはこれと重複して頚髄損傷四肢麻痺の増加と
リハビリテーションの困難性という新しい問題に
直面することになり現在に至っていると考えるの
である(赤津),ともされている.

 胸腰髄損傷者に関しては,1965年10月,社会

p.497

復帰の施設として,別府市に太陽の家が開設された.
また,1957年5月には,御殿場市にムサシノ電子
工業株式会社富士事業所が開設され,主として国
立箱根療養所から民間の現在の福祉工場の草分け
ともいえるこの事業所に,多数の脊髄損傷者が就
職した.1965年を境として,わが国でも明らかに
リハビリテーションの最終目標であった脊髄損傷
者の社会復帰就労の流れが始まった(赤津),と
される.

 しかし,有償雇用に就いているC6B1以上の頚
髄損傷者はきわめて少ない.1987年の報告によ
ると,就業しているC6B1以上頚髄損傷者は,対
象者数322名中,33名の10%にすぎない(C6B2
以下頚髄損傷者176名中44名,25%.対麻痺者
628名中167名,27%).しかもそのうち民間企
業は18%約6名で(C6B2以下頚髄損傷者27%,
対麻痺者35%),後は,自営45%,授産所12%,
福祉工場3%,その他21%となっている(松井
和子).


 [1] ノーマリゼーション

 「ノーマリゼーション」は,現在の日本の高齢
者福祉,障害者福祉の新しい流れを示す言葉であ
るが,この思想は北欧のデンマークにおいて誕生
し,スウェーデンに影響を与え,英語圏(1990年
の「障害をもつアメリカ人法(ADA)」)にも広
がっていった,

 具体的には,デンマークの「1959年法」にお
いて「ノーマリゼーション」の思想が制度化され,
「知的ハンディキャップをもった人々にも可能な
限りノーマルな生活を創造する」という考え方
が盛り込まれた.

 高齢者や障害をもつ人の「ノーマリゼーション」
とは,「ふつうの生活ができるように環境を整え
る(大熊)」ということを意味している.


 [2]自立生活運動(ILM)と自立生活センター
  (CIL)の発生と展開


 米国では障害をもつ個人の自立生活の実現,維
持,発展のために,自立生活サービスの組織化と

−改段−

自立生活運動 ILM ( Independent Living Move-
ment ) が,障害をもつ個人たちとリハビリテー
ション専門家などの支援者たちの努力によって,
障害の種類別を越えて展開されている.運動の中
核となっているのは、地域のなかでの諸ライフス
タイルの選択肢を提供するために、唱道と援助サー
ビスのシステムを供給する障害者によって方向づ
けられる自立生活センター CIL ( Center for Inde-
pendent Living ) である ( Laurie ) .

 1962年と63年に四肢麻痺者の学生のロバーツ
とヘスラーがカリフォルニアのアテンダント・
ケア立法を利用してバークレー大学に入学した.
卒業後,二人はチームを組んで四肢麻痺者にサー
ビスを提供するために身体障害学生のプログラ
ム ( PDSP ) を作った.学生プログラムの成功で,
身体障害をもつ人々が地域社会における障害を
もつ人々のための同様なプログラムに関して仕事
を始めた.その結果、1972年 CIL バークレーが
設立された.CILはカリフォルニアにとどまらず,
国の至るところで発展した( Laurie ).

 ILM の源流としては,@市民権運動 ( the civil
rights movement ),A消費者運動 ( consumerism ),
B自助運動 ( the self-help movement ),C脱医
療 ( demedicalization ),セルフケア運動,D脱施
設 ( deinstitutionalization ),ノーマライゼーショ
ン,本流化の運動,が指摘されている ( Dejong ).
その後、ILM は,法制度的に,1973年リハビリテー
ション法,1978年修正法,1990年障害をもつア
メリカ人法へと展開していった ( DeJong ).

 ノーマリゼーション,ILM の考え方は,徐々に
日本にも影響を及ぼし、所得保障に関し,生活保
護法の他に国民年金障害基礎年金,特別障害者手
当が法制化され,在宅介助サービスに関しては,
高齢者保健福祉十か年戦略が推進されている.

 現在の日本でも,初のパソコン使用による受験の
機会が与えられ,医師免許取得例が新聞で大きく
報道されるなど,重度四肢まひ者の生産活動参加
に関する社会的な関心が高まりつつある.

 本論では,以上の背景を踏まえて,脊髄損傷
(ポリオを含む)による重度四肢麻痺者の生産活


p. 498


動参加過程に関する日米比較研究によって,日米
間の差や相違の背景や要因を解明することと,ハ
イテクの活用と重度四肢麻痺者の生産活動の新し
い可能性に関する実証的研究によって,生産活動
参加の現状と実態を解明し,その必要諸条件と社
会的整備に関する検討を行なう.


 対象と方法


 [1] 調査対象

 1.日本での調査対象


 調査対象は,日本国内各地の病院,施設,在宅
の重度四肢まひ者で,著者自身を含み,特に頚髄
損傷による重度四肢まひ者が中心である.

 著者が主宰する重度四肢まひ者の就労問題研究
会会報『就労問題研究会・会報』は,総発行数
245部(1992年4月10日,現在),対象は重度四
肢まひ者で83人である.

 今回、この『就労問題研究会・会報』」発行対象
者のなかから,著者自身を含む,有償の生産活動
を行っている重度四肢麻痺者の生産活動に関する
5つの事例を取り上げた.発行対象者のなかには,
この5つの事例の他にも,有償の生産活動を行っ
ている重度四肢麻痺者(運転免許を取得していな
い者)が含まれている.大学生時代の事故による
頚髄損傷による重度四肢麻痺者で,両親の介助を
受け,自宅で学習塾を経営している2つの事例.
精神科医師として勤務している事例.ビル経営者,
アクセサリー店経営者,家族専従,ワープロ請負,
などの例である.

 2.米国での調査対象

 本研究では,米国で知的生産活動を行っている
重度四肢麻痺者の実態を,面接,電話,郵便によ
り,障害の種類・程度,現在の生産活動(活動の
内容など),所得保障,人的介助,ハイテク機器の
使用状況(自立生活支援機器,知的生産活動支援
機器),その社会的背景(社会的援助,教育,就業
までの経緯など)を分析変数として調査した.

 今回の調査研究で,著者が聞き取り調査を実施
した電動車いす適用の重度四肢まひ者は12例で

−改段−

あった.そのうちの,@C1-2損傷者(事例6),A
リスピレーター・電動車いす適用のポリオ後遺障
害者(事例7),BC3-5損傷者(事例8)の3名を
を分析対象とした.

 [2] 方法

 著者自身に関しては,体験を基にしている.日
本の他の4事例に関しては,電話による事前の了
承を得て,『就労問題研究会・会報』への寄稿原
稿と,数回にわたる面接,電話による聞き取り調
査,およびその他のメディアによった.

 米国の3事例に関しては,著者がトヨタ財団90
年度研究助成を受け,1991年10月に,渡米し,サ
ンフランシスコ湾岸地帯を中心に,生産活動を行っ
ている重度四肢麻痺者を対象として,@生産活動
の種類,A使用機器類,B各種支援体制,C日常
生活の流れ,D生産活動に対する考えなどを,面
接,ビデオ,写真により記録したものによってい
る.また,事例7と8は、著者が1985年〜86年
に,米国の重度四肢麻痺者を対象とし,米国の在
宅介助システムと ILM の調査研究をアメリカで
行った際,著者が直接自宅まで訪問し,数回の聞
き取り調査を実施できた対象者である.


 結果と考察

 [1] 日本の事例調査の結果

 【事例1:C4損傷者(図1)】


 重度四肢まひ者の、在宅での知的生産活動の自
営業による就労の事例.



 1947年生まれ,男性.1981年,交通事故により,C4
損傷者となった.

 生産活動の場は,在宅で,コンピュータ・グラ
フィック,執筆,講演などの知的生産活動により,
収入を得ている.著書も出版している.

 就労形態の分類としては,自営である.

 有償の知的生産活動に関する経緯は,1985年
に,学研発行の月刊誌『ベルママン』の「子育て
論文」に応募,入賞した.1986年,中部事務機械
化協会のOA論文コンクールに応募,二席に入賞

p.499

図1 事例1:C4損傷者

a:KBマウスによるパーソナルコンピュータ使用

b:ECS (環境制御装置)

し,自信と,将来に対する生き甲斐と希望を得た.
その後も続々と,論文,作文などの,応募作品が入
選している.また,1989年から1991年末まで,
コンピュータグラフィック作品が月刊専門誌『作
業療法ジャーナル』の表紙に継続的に掲載された.

 自宅は,エレベーターの設備があり,浴室など
も使いやすいものにしている.日常生活に関して
は配偶者の介助を受け,環境制御装置,電動ギャ
ジベッド,移動式手動油圧リフター,手動式車椅
子,チンコントロール電動リクライニング車椅
子,配偶者の運転する1ボックスカーを利用して
いる.

 知的生産活動に関しては,パソコンシステム,
固定ディスク,KBマウス,一太郎V3,ART.X,
エスキース,カード3,花子V2,モデム,ページ
めくり器などを活用している.コンピュータ操作
は,1983年にワープロから入り,マニュアルなど
により,独学で習得した.KBマウスシステムや,
ハードの設置などに関しては,リハエンジニアの
協力を得ている.

 1985年の論文応募以降,6年間の自営勤続年数
で,現在,1日4時間から10時間,週30時間以
内の生産活動である.週に,1日から2日は安静日
として,ベッドで休息を取る.

 生産活動による発病,再入院は,なく,健康であ
る.


 【事例2:C5-6損傷者】

 重度四肢麻痺者の雇用による福祉的就労の事例.




−改段−

 1949年生まれ,男性.1966年,海岸へ泳ぎに行き,
飛び込みの事故により,C5-6損傷者となった.

 生産活動の場は,1982年から,トーコロ情報処
理センターで,コンピュータを利用した,情報処理
業務に従事し,知的生産活動に参加している.現
在、システムエンジニアとしてシステムの設計を
行なっている.係長である.

 就労形態の分類としては,雇用・新規採用であ
る.

 生産活動に関する経緯は,1982年,東京コロニー
がオフィスコンピュータ処理事業部・トーコロ情
報処理センターを開設し,授産者の募集行ない,
その第一期生として講習を受けた.

 職場に近接した都営住宅への入居により,電動
車いすでの通勤を可能としている.

 日常生活に関しては,配偶者の介助を受け,電動
リフター,電動車いすを利用している.

 有償の知的生産活動に関しては,職場のコンピュ
ータシステムと,自宅のラップトップコンピュー
タ,固定ディスク,各種のBASICを使用してい
る.1982年から,9年間の勤続年数で,現在,週5日
間の勤務労働で,水曜日が在宅勤務である.

 生産活動による発病,再入院に関しては,9年
間,褥創を持ったまま仕事を続けている.腎臓結
石で,1か月入院した経験を持つ.

 仕事は,彼にとっては,自立プログラムのワンス
テップであると言う.


p.500


図2 事例4:C3-4損傷者

パーソナルコンピュータ使用による職場での就労の
様子.


【事例3:電動車いす適用のポリオ後遺障害者】

 奨学金を得て大学院で研究活動を行なっている事
例.





 1956年生まれ,女性.1958年,ポリオ後遺症によ
る両上下肢機能障害者である.

 生産活動の場は大学の研究室と自宅で,コンピュ
ータを利用して,教育心理学に関する研究活動と
論文作成という知的生産活動を行なっている.

 生産活動に関する経緯は,ポリオ後遺症後も進
学し,台湾の中国文化大学哲学科を卒業後,日中
交流協会,ロータリーの奨学金試験に合格し,奨
学金を得て日本の大学院で教育心理学を学び始め
た台湾からの留学生である.

 大学に近接した公団住宅に入居し,電動車椅子
で通学している.

 日常生活に関しては有料介助者と,日本の公的
ヘルパー制度も利用しつつ,手動式車いす,電動
車いすを使用している.

 知的生産活動に関しては,パソコンを利用し,
日本語ワープロソフト・一太郎で,論文を作成して
いる.その他に,アシストカード,大学の自家製
の統計ソフトを利用.

 1984年から,7年間の日本での研究継続年数で,
1日8時間から16時間の研究活動時間である.

 他の障害をもたない大学院生に比較して,体力
面では不利であるが,障害をもつ人の心理に関す
る研究においては,体験を通して深く考えること

改段

ができ,研究テーマの設定などにおいて有利であ
る.

 生産活動による発病,再入院に関しては,1989
年7月,および199年5月に,眼底出血.通院治
療を続けている.健康管理で気をつけていること
は,無理なく充実して行える仕事計画の立案につ
いてである.


事例4:C3・4頚髄損傷者


 重度四肢まひ者の公務員復職の事例.





 通勤途中の交通事故という場合であるが,終
身雇用制度を利用して元の職場に復職し,配偶者
のタクシーによる送り迎え,昼食・トイレ介助で
の,頚髄損傷による重度四肢麻痺者の,F市役所
下水道局への復職という事例である.


 1943年生まれ,男.1985年,通勤途中の交通事
故で,C3・4不全麻痺頚髄損傷者となった.

 生産活動の場は,市下水道局で,パソコンを
利用した,ワープロソフト・一太郎V4.3による
各種文書作成,表計算ソフト・ロータス123によ
るデータ整理,および施設見学者に対する説明で
ある.

 就労形態の分類としては,雇用・復職である.

 復職の経緯は,1年10カ月の入院生活と,その
後1年の自宅療養後に職場復帰を人事当局に申し
入れた.半年間の試用期間を経た後,「ハンコ」
が使えるかなどの実技テストが行われ,3年以上
に及ぶ休職と重度障害者の復帰が最終判定会で認
められた.

 出退社の通勤は,すべてを配偶者の介助により
タクシーで行なっている.また,配偶者は,昼の食
事介助と排尿のために職場との間を往復し,1日
に3往復している.

 日常生活に関しては,自宅で,配偶者の介助を受
け,手動式車いすを利用している.

 有償の知的生産活動に関しては,自宅ではNEC
のPC-9801VX.職場では,NECのPC-9801DA
(40MB固定ディスク)を,ファイル管理用を含
めて9種類のソフトと使用頻度の高いデータファ
イルをインストールし,必要なものを適宜呼び出

p.501

して使用している.パソコン操作の学習に関して
は,総合せき損センター職業部と医用工学研究室
で,BASICとMS-DOSを学習し,それが職場復
帰への強い意欲へとつながっていった.

 1988年12月の復職以降,2年半の勤続年数で
ある.職場の障害をもたない同僚と同じ労働時間
で,現在1日8時間労働,第2,第4土曜日,毎日曜
日が休日である.

 生産活動による発病,再入院はなく,健康であ
る.


 【事例5:C5頚髄損傷者(著者)】

 C5頚髄損傷者の自営での有償の知的生産活動の事
例.



 1957年生まれ,男.1973年,ラグビーの試合中
の事故でC5損傷者となった.

 有償の知的生産活動の場は自宅で,パソコンを
利用して,執筆,翻訳を行なっている.

 就労形態の分類としては,自営である.

 生産活動に関する経緯は,1975年自宅退院,高
校に復学し,1977年卒業.1978年九州大学法学
部に進学し,1984年卒業.985年〜86年に,ミス
タードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事
業で,米国の在宅介助システムと自立生活運動の
調査研究を米国で行なった.1990年,福岡通訳協会
に入会.同年,トヨタ財団の研究助成を得て,「高
度技術社会の進展と外傷性重度四肢まひ者の生産
活動参加過程に関する日米比較研究およびハイテ
クの活用による新しい可能性に関する研究」とい
うテーマで,調査研究する機会を得た.

 住居は,親の持ち家で,出入口はスロープである.

 日常生活に関して,パートタイム複数体制有料
介助者などから介助を受け,電動ギャジベッド,
移動式手動油圧リフター,電動リクライニング車
椅子,ローホークッションを利用している.

 国民年金障害基礎年金,特別障害者手当を受給
している.

 生産活動に関しては,パソコンシステム,固定
ディスク,ノート型パソコンシステム,FAX,コ
ピー機,モデムなどを利用している.使用ソフト

改段

は,MS-DOS Ver3.3C,一太郎Ver.4.3,アシストカ
ルク,WTERMである.

 1984年の大学卒業以降,7年間の自営勤続年数
である.1日の生産活動時間は,電動リクライニ
ング車いす,ローホークッションの導入を契機に
延長してきており,現在は,8〜15時間である.

 生産活動による発病,再入院は,なく,健康であ
る.


 A.米国の事例調査の結果(1991年11月現在)


 1.事例6:C1・2損傷者





 自力呼吸肺活量400〜500t・人工呼吸装置利
用・C1・2損傷者の自営での有償の知的生産活動を
行い,一人でアパートを借りて生活している事例.


 1960年生まれ,男.1976年1月,高校生の時,自
転車交通事故によりC1・2損傷者となった.Santa
Clara Valley Medical Centerに入院,気管切
開.同年5月,両肺に横隔膜神経ペーサーの手術.
1977年,自宅退院.


 有償の知的生産活動の場所と内容は,自宅でパ
ソコンシステムによる執筆活動と絵画創作を行っ
ている.


 就労形態は自営である.


 生産活動の経緯は,1977年高校復学.1982年,
カリフォルニア州立大学バークレー分校に入学し
た.アクセシブルな大学であることと,障害学生
プログラムをもっていることが選択の理由であっ
た.最初の学年は学生寮に入所した.自然資源経

p.502

済を専攻.1986年同大学卒業.アパート生活を開
始した.現在,有償の執筆活動,(雑誌『Rehabi-
litation Nursing』,新聞『Sacrament Bee』)と,
有償の絵画製作活動を行なっている.


 住居と通勤,通学手段は,自宅は民間アパート
で,木造2階建ての1階である.1寝室,浴室ト
イレ,台所,仕事部屋,居間から構成されている.
改造個所は,玄関のリモコン操作システム,スロー
プである.浴室トイレではシャワー椅子を使用す
る.


 日常生活は、人工呼吸装置,自立生活支援機器,
在宅有料介助者制度を利用してアパートでの一人
暮らし生活である.母親は5年前に死亡.父親は
健在である.兄弟は独立している.現在の生活費
は,アメリカ合衆国のSSI(所得保障制度)を利用
している.


 人工呼吸装置として,夜間8〜9時間の就寝時
は横隔膜神経ペーサー,日中の電動車いす使用時
はニューモベルト(pnemobelt)を使用する.朝晩,
肺に10分か20分,高気圧の空気を入れる.昼に
も入れることがあり,1日に2・3回行なう.肺活量
は,ニューモベルトを使用すれば800〜900ml
増加し,横隔膜神経ペーサーを使用すれば1200
ml増加する.装置使用は,有資格ではない3人
の介助者によって行なわれる.操作は簡単にできる
そうである.人工呼吸装置をつけての事例6の発
声は,非常に鮮明であった.


改段

 人工呼吸器なしで約7時間生存可能である.安
全装置またはバックアップシステムとして,夜中
でも,電話をかければ来てくれる介助者が3人い
る.1500Wの発電機を所持している.ニュー
モベルト用のバッテリーは,12V,70Aで,電動
車いすに駆動モーター用のバッテリーとは別に装
備されている.


 装置の保守管理システムに関しては,ニューモ
ベルトはライフケア社のレンタルで1月700ド
ル,2か月に1回のメンテナンスである.横隔膜
ペースメーカー手術による後遺症や合併症はない.
再手術は,受信機に関し,4年ごとに4〜5回の
再手術を受けたが,最近は10年間の保証になっ
た.電極は最初の手術だけである.横隔膜神経刺
激装置の手術ができる専門病院は全米にも数カ所
しかない.保守管理はニューヨークのドベル研究
所が行なう.リスピレーターの24時間使用による
メンタルストレスはひじょうに大きいそうである.


 横隔膜神経ペーサー手術の費用に関しては,平
均,受信機1個1万ドルを2個,送信器1個1万
ドル,手術料2万ドルである.医療費に関しては,
最初は父親の民間企業の医療保健,1981年以降
はMEDICAL(カリフォルニア州の医療保障制
度)を利用している.


 自立生活支援機器として,電動ギャジベッド,
チンコントロール電動車いす,マウススティック,
スピーカーホン,暖房器具リモコン装置付き,
AVリモコン,照明などの各種リモコンスイッチ,
水を飲むストロー付きポット,ひとりで食事可能な
テーブルの上のサンドイッチなどを活用し,日中,
一人で生活できるように工夫している.電動車椅
子は予備を所持している.


 介助者は,1日7時間半,朝3時間,昼1〜2時
間,晩2時間,有料他人介助者である.その費用
負担は,IHSS(カリフォルニア州の介助者サー
ビス・プログラム)を利用している/ため自己負担
はない.


 勤続年数と現在の生産活動時間は,1977年の高
校復学以降,1991年10月現在までの14年間で
ある.1982年,カリフォルニア州立大学の障害学

p-.503

生プログラムを利用しての知的生産活動開始以降
は,9年間である.生産活動時間は,1週間7日,
朝7時に起きて夜11時ごろベッドに上がるという
生活で,絵画製作活動も含めると1週間約60〜
70時間である.


 生産活動による発病はなく,健康である.


 【事例7:リスピレーター・電動車いす適用の
ポリオ後遺障害者(図5)】





図5 事例7:ポリオ後遺障害
自宅での鉄の肺、ECS(環境制御装置)使用の様子


 ポリオによる重度四肢麻痺者で,リスピレーター
を使用しながら,専門職・管理職としてILMを
展開し,米国社会に影響を与える活動を続けてい
る事例.


 1939年生まれ.男.1953年,14歳の時にポリ
オの障害をもった.結婚し,現在は離婚している
が実子の男子がいる.

 生産活動の場所と内容は,民間の非営利リサー
チセンター世界障害問題研究所で,障害問題調査
研究に関する専門職,管理職として勤務している.

 就労形態は,代表,雇用.


 生産活動の経緯は,1962年,カリフォルニア州
のアテンダント・ケア立法を利用してカリフォルニ
ア州立大学バークレー校に入学.1969年,政治学
博士号取得.1972年,CILバークレー設立.1973
〜1975年,CILバークレー所長.1975〜1983年,
州知事の任命によりカリフォルニア州のリハビリ
テーション局局長.1983年,世界障害問題研究所
設立.1991年10月現在まで,世界障害問題研究
所の代表をしている.


 住居と通勤,通学手段は,住居はバークレーに
所在.スロープ付木造家屋.リフト付きの自動車
所有.

 日常生活は母親と同居.鉄の肺,マウススティ
ック,環境制御装置,電動リクライニング車椅子,
リスピレーター,スピーカーホン,リモコン付電
気製品を活用している.有料介助者サービスを利
用している.


 生産活動支援機器としては、世界障害問題研究
所が彼のオフィスとして機能している.

 勤続年数と現在の生産活動時間は,1973年の
CILバークレー所長就任以降,18年間である.


 【事例8:C3・4・5損傷者】


 ILMにおいて,他の障害をもつ人々のために
管理職として働く事例.






 1937年,セントルイス生まれ.男.1959年,22
歳の時,交通事故でC3-5を損傷し頚髄損傷者と
なった.メディカルリハビリテーションセンター
の初期治療終了後,自宅退院して,母親の介助で
生活していた時期もあったが,両親が離婚し,経
済的,身体的理由から,その後ナーシングホーム
へ入所し,約10年間そこで生活していた.


 1973年,理学療法士の女性と結婚し,1975年
ナーシングホームを出て,その女性と生活を開始
した.彼は,結婚しても子供をつくる能力がないこ
とを彼女に話し,彼女の了承を得て結婚した.そ
の子供に関しては,養子縁組で彼女の要求に応え
ている.米国の裁判所に対し,夫婦で子供を育て
る能力があり,しかも子供にとっても良い環境で
育てられることを申し立て,納得させて養子縁組
を行った.1991年10月現在,3組の養子縁組を
完了し,11歳長女,5歳長男,2歳次女の3人の
親である.


 生産活動の場所と内容は,パラクォッド所長と
して,セントルイスのC.I.L.に出勤し,障害をもつ
人々へのサービス提供業務の管理職として勤務し
ている.パラクォッドの職員は25人であり,障
害を持もたない人に対しても,教育などの仕事をし

] p.504

ている.


 就労形態は,雇用,代表者,


 生産活動の経緯は,1970年ナーシングホーム
に入所中,障害者の自立生活サービスを目的とし
たパラクォッドをセントルイスに設立した.1973
年リハビリテーション法が成立し,1973年に結
婚,1975年ナーシングホームから出た.1978年
にカーター米大統領がリハビリテーション法改正案
に署名したことにより,1979年連邦政府の資金援
助を得た.1979年リハビリテーション法に基づ
く資金援助,年30万ドルを連邦政府から得るこ
とができ,同時にセントルイス大賞も受賞したた
め大企業の資金援助も受けやすくなり,パラクォッ
ドの財政的基盤が確立された.1986年6月まで,
自立生活全国評議会(NCIL)の初代代表.


 住居と通勤,通学手段は,4階建てのエレベー
ター付きの木造住宅と,セカンドハウス.移動手
段は,電動車椅子とリフト付1ボックスカーであ
る.


 日常生活は,7時に電動車椅子に移乗し,夜11
時にベッドに上がる生活である.自立生活支援機
器としては,電動リクライニング車椅子,リフター,
マウススティック,スピーカーホン,リフターな
どを利用している.


 彼も要介助者であり,身体的介助は有料介助者,
配偶者,パラクォッド職員から受けている.朝2
時間,晩30分の介助の他,出勤中パラクォッド
の秘書や職員から受ける介助(物を取ったり,運
んだり,排尿処理)などを考慮すると,実質1日
5時間の人的介助を必要とする頚髄損傷者である.


 パラクォッドの所長として働く収入で家族の生
活を支え,4階建てのエレベーター付きの住宅と
セカンドハウスを持つ生活である.


 生産活動支援機器は,パラクォッドが彼のオフィ
スとして機能している.パラクォッド内で,パソ
コンをマウススティックで操作する.


 勤続年数と現在の生産活動時間は,1970年の
パラクォッド設立以降,21年間の勤続年数であ
り,1979年に連邦政府の資金援助を受けての活
動以降は12年間である.パラクォッドでの執務 改段

時間は,1日10〜12時間である.


 生産活動による発病,再入院はなく健康であ
る.長時間の坐位を可能にするため,殿部の褥創
対策としてローホークッションを使用している.


      B.考察


 【3】日米の比較



 頚髄損傷(含む,ポリオ)による四肢麻ひとい
う1次的な障害が,移動能力や書字能力などの日
常生活動作能力不足という2次的な障害の原因と
なり,さらに社会的生産活動過程への有意味な参
加において社会的不利という3次的な障害を引き
起こす可能性があることは,日米に共通している.


 1.最重度者への対応


 事例6のC1・2損傷者は1976年の受傷である.
当時も現在も,身体障害としては最重度であるが,
最高の医療,リハビリテーション,教育を受けて
きた.

 事例7のリスピレーター,電動車椅子適用のポ
リオ後遺障害者も1953年の発病であり,当時,
身体障害としては最重度であったが,当時の最高
の医療,リハビリテーション,教育を受け,当時
も現在も,C.I.L所長,カリフォルニア州リハビリ
テーション局局長,世界障害問題研究所代表と最
高の就労状態である.

 これに対し日本では,自力呼吸の困難な高位頚
髄損傷者は,病院生活あるいは病院との密接な協
力によって,在宅生活をやっと可能にしている現
状である.


     /教育の場としてのカリフォルニア州立大学/

 また,大学での教育にしても、カリフォルニア
州立大学の障害学生プログラムは,重度四肢麻痺
者に対して制度としての高等教育の機会を保障し
ている(事例6,7).日本の場合,大学内の介助
者の確保は,学生の負担である(事例3,5).その
他にも、米国には公的介助者サービスプログラム
があり,事例で6は,カリフォルニア州立大学時
代は障害学生プログラム,現在は,IHSSを利用
している.これにより,安定的に,朝,電動車椅
子に移乗し,夜,ベッドに上がることができ,生
産活動の基盤が形成される.


p.505

 2. ILMを通じての環境整備型の対応


 ILMの中心,また,雇用の場としてのCILが機
能している.たとえば,事例7,8は,ILM,調査
研究啓蒙活動における管理職として活動している
が,米国では,重度四肢麻痺者が情報処理という
有償の知的生産活動過程への参加のみではなく,
障害をもつ人々へのサービスの提供という生産活
動過程への参加,さらに,政策立案決定過程への
参加が,ILM,CILの日常業務を通して行なわれて
いる.


 むすび



 本調査研究で得られた知見は以下の2点である.


 1つは,日本の重度四肢麻痺者の生産活動参加
の現状と実態を,就労問題研究会の活動を通じて
調査した結果,大学教育や職業関係の資格取得に
関しては,重度四肢麻痺者に対しても道が開かれ,
それらの知的能力とハイテク技術を活用した就業
例を明らかにすることができた.しかし一人で
(介助なしに)通勤できない重度四肢麻痺者は,
終身雇用制度を利用した復職者の例を除き,一般
労働市場での雇用機会はほぼ遮断状態であること
が明らかにされた.


 2つ目は,米国との比較研究の結果,米国の新
たな法律の制定による環境整備重視型に対して,
日本の重度四麻痺者の生産活動参加は,なお全
面的に個人的な努力に委ねられている傾向が強く
示された.日米の障害者雇用政策での最大の違い
は,最重度障害者に対する取扱いであり,米国
では,1973年リハビリテーション法と,1978年
修正法による,最重度の障害者に最も手厚い支援
という政策と,重度障害者のCILの職員としての
採用の実績がある.


 3つ目は,米国の重度四肢麻痺者の生産活動参
加事例,すなわち人工呼吸器をも含んだハイテク
環境装置の効果的な活用による自営業1例,研究・
管理職1例,自立生活支援サービス業務の管理職
1例を分析した結果,一定の環境や雇用制度の条
件整備による重度四肢まひ者の専門職・管理職と

改段

しての,生産活動へ参加の可能性を実証するこ
とができた.


 今後の課題として,専門職・管理職への就労を
可能とする教育,就職の機会,人的介助,物的資
源による支援システムとならび,重度四肢麻者の
生産活動参加による生活および労働環境に及ぼす
影響の解明が問題となる.


 今回の調査研究に協力援助されたトヨタ財団に深く
感謝します.


1992年4月 福岡


引用文献・参考文献


Ohasi Masahiro,大橋 正洋,「リハビリテーションのニューフロンティア」,特集リハビリテーション医学の新しい流れ−その3,メディカル・ヒューマニティ 通巻第19号 VOL.5-NO.4,57-61,1991.4 ,蒼きゅう社,東京,1991.4


Ueda Satoshi,上田 敏,『リハビリテーションを考える』,青木書店,1983年


Tsuyama Naoicdhi,津山 直一,「序」,『標準リハビリテーション』

Ueda Satoshi,上田 敏,「2 @リハビリテーション医学序説」,『標準リハビリテーション』

Ogata Hajime,緒方 甫,「脊髄損傷のリハビリテーション」,『標準リハビリテーション』

『標準リハビリテーション医学』,[監修]津山直一・国立身体障害者リハビリテーションセンター総長,[編集]上田敏・東京大学教授,大川嗣雄・横浜市立大学教授,明石謙・川崎医科大学教授,医学書院,198


Akatsu Takashi,赤津隆,「脊髄損傷リハビリテーションの20年」,学会創立20周年記念論文,リハビリテーション医学,第20巻 第4号 別刷,1983年7月18日発行,1983(昭和58),医学書院,(41)255頁−(46)260頁


Matsui Kazauko,松井 和子,・在宅頚髄損傷者・,東京都神経科学総合研究所,1987,33頁 Ma tsui Kazauko,松井 和子,「身体障害者雇用政策に関する一考察」,季刊社会保障研究(19(4),414-431),


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 Rubin, Roessler;"FOUNDATION OF THE VOCATIONAL REHABILITATION PROCESS" Second Edition,p.210以下


Brian Hogan , Cathrinre , 'Vol. 1: The Management of High Quadriplegia', edited by Gale Whiteneck, Ph.D., Carole Adler, O.T.R., R. Edward Carter, M.D., Daniel P. Lammertse, M.D., Scott Manley, Ed. D., Robert Menter, M.D., Karen A. Wagner, Ph.D., and Conal Wilmot, M.D.,"Complihensive Neurologic Rehabilitation" ,,1989


 Seike Kazuo,清家 一雄:「アメリカの人々ともう一つの選択肢」, はばたき『自立へのはばたき・・障害者リーダー米国留学研修派遣報告1985 』日本障害者リハビリテーション協会,広げよう愛の輪運動基金,1986

 Seike Kazuo,清家 一雄:頚髄損傷者の米国留学生活,在宅頚髄損傷者−その生活と意識−(松井和子編):132-151,東京都神経科学総合研究所,東京,1987

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 Seike Kazuo,清家 一雄:「頚髄損傷者と生産活動」B,第6回リハ工学カンファレンス講演論文集,日本リハビリテーション工学協会,1991

 Seike Kazuo,清家 一雄:「頚髄損傷者と生産活動」C,第6回リハ工学カンファレンス講演論文集,日本リハビリテーション工学協会,1992(掲載予定)

 Seike Kazuo,清家 一雄:「トヨタ財団1990年度研究報告書−高度技術社会の進展と外傷性重度四肢まひ者の生産活動参加過程に関する日米比較研究およびハイテクの活用による新しい可能性に関する研究」,トヨタ財団,1991


 DeJong G : Independent living : From social movement to analytic paradigm. Arch. Phys. Med. Rehabili. 60 : 435-446, 1979.


 DeJong G : Attendant care as a prototype independent living service. Arch. Phys. Med. Rehabili. 60 : 477-482, 1979.


写真説明


写真1 1989年1月 著者の自宅にて


事例1 KBマウスによるパーソナルコンピュータ使用 ECS(環境制御装置)


事例2 パーソナルコンピュータ使用による就労 配偶者と


事例3 パーソナルコンピュータ使用による研究活動 学会での発表


事例4 パーソナルコンピュータ使用による就労(職場で) タクシーで通勤


事例5 パーソナルコンピュータ使用による活動 活動場所


事例6 電動車いす利用中(背景のパーソナルコンピュータはIBM) 横隔膜神経ペーサー(寝室,横はスピーカーホンとベッド)


事例7 自宅での鉄の肺ECS(環境制御装置) 21世紀に向けての自立生活カンファレンス


事例8 21世紀に向けての自立生活カンファレンス(配偶者と) 自立生活全国会議(NCIL)(1986年06月,Washington,D.C.,当時のブッシュ副大統領)



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ご意見、ご批判も多いと思います。
ご感想、ご助言をお聞かせいただければ幸いです。

2001年07月04日、福岡にて

清家 一雄
重度四肢まひ者の就労問題研究会; 代表
『ワーキング・クォーズ』編集部
"WORKING QUADS" HomePage 制作提供
http://www4.justnet.ne.jp/~seike/
http://www.asahi-net.or.jp/~YS2K-SIK/
seike@ma4.justnet.ne.jp
YS2K-SIK@asahi-net.or.jp
〒810- 福岡市中央区大手門
Tel +81-92-735-
Fax +81-92-735-

Kazuo Seike ( seike@ma4.justnet.ne.jp )
http://www4.justnet.ne.jp/~seike/



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