悪魔の揺りかご
特別編


みつけてくださってありがとう。
悪魔の揺りかご特別編の[2]ですよ。
[2]




「ウェイファ、あの方はとても美しいわね」
 ミリアムが庭を見つめながらうっとりと言った。
 庭に誰かがいるというわけでもなく、その視線は宙を漂っている。
「病気の娘さんですか?」
 召使いの女が答えた。
「ええ。それと一緒にいた男の人よ。──あまりものを喋らないほうの──」
「髪の長い、背の高いほうのお方ですか」
「ええ。あんなに凛とした美しい人を見たことがないわ」
 ミリアムは胸に手を当てる。
 館の主人の不在時に突然現れた旅人──。
 怖いほどきれいな青年と、生命観の薄い人形のような少女、そして唯一人間らしさを感じる暖かみのある少年は従者だろうか。
 どういう人たちなのだろう。恋人同士と、その従者?
 レオンと名乗った青年は、感情を露わにしない質なのだろう。
 動かない表情なのにその眼差しは深く物憂げだ。
 見つめられると、痛いような視線。
 だがそれは恋とは少し違う。畏れに似た感情だ。
「殿方が美しいのは、ただ罪なだけですよ、ミリアムお嬢様」
 夢想から呼び覚ますような声でウェイファが言った。
「だいたい私はしょっぱなから反対でしたよ。素性のわからない殿方を邸にお泊めするなんて! それも旦那様のいらっしゃらない間にですよ。物騒な事件があったばかりなんですから、気をおつけになりませんと、お嬢様。それにですね──」
 一気にまくしたててから、息苦しくなって肩で呼吸し、彼女はまた続けた。
「それにです、殿方の容姿が光り輝いているからってとりたてて騒ぐのはよくありませんね。……男がきれいで世の中の役に立つことがありますか? ありゃしません、悪さをしようと思いつくのが関の山ですよ」
 ウェイファの熱弁に、ミリアムが思わず笑い声を立てた。
「それは、あなたの経験からの言葉?」
「ま、なんてことをおっしゃるんですか。お嬢様を心配して申し上げておりますのに」
「どこの人とも知れない美しい人に、私が恋に落ちてしまうという心配? そんな心配はいらないことよ。私だって分をわきまえるってことぐらいできるわよ。輝く太陽の陰で、自分がどれほど色あせてしまうか、なんてことはね。ちょっと興味がわいただけ。あの三人は、どういう関係だと思う? 兄妹? それとも夫婦と従者?」
「お嬢様……! そんなふうに思っておいでなんですか? お嬢様はお美しいですよ」
 ウェイファが力を込めて言った。

                    *   *   *

 レオンは羊皮紙を広げ、鵞ペンをインク壺に差し込んでは文字を書き連ねた。
 自分の家領、オタールの城代に宛てて。
 あとわずかで帰ることができるだろう、と。
 これが旅先からの最後の手紙だ。本来ならとうの昔に城に着いているはずだが、ディアという病がちな少女を伴ったために随分遅れてしまった。
──ジャノットは無事か。
 無事なわけはないと知りつつ、ついそう書いた。
 許嫁のジャノットは、数ヶ月前、レオンの城館で倒れた。
 どこが悪いということもわからず、突然屍のようになってしまったのだった。
 苦痛を訴えることもなく、むしろ微笑んだまま──。
 あの時は何が起こったのかわけがわからなかった。
 だが、今はわかる。
 悪魔に遭遇して、それを捕らえ、飼い慣らそうと腐心している今なら。
 悪魔に魂を喰われた人間をこれまで何度か見て来たが、みな、ジャノットのように微笑んで──それも至福の極みといった笑みを浮かべて──時が止まったようになるのだ。
 屍のように。
 そして食い残された体は、ただの器となり、日に日に衰弱していく。
 一月ほど前、指定した宿へ預けられた城代からの手紙では、やはり予想通りジャノットは衰弱の一途をたどっていたが、まだ死に至るほどではなかった。
 ディアと名乗る悪魔を飼い始めて、レオンにはわかりかけてきた。
 おそらくジャノットが快復することはないのではないか。
 ディアならそれを知っているかもしれない。
 だが、ディアに気づかれてはならない。
 悪魔なのだ、あいつは。
 決して手の内を見せてはならないのだ。
 
 垂れ幕で仕切っただけの隣の部屋で、ディアとカイの話し声が聞こえる。
 まるで子どもをあやしているようだとレオンは思う。
──暗くなってきた。
 レオンは明かりを求めて机の上の燭台に手をのばしたが、ふと動きを止めた。
 そして、思い出したように自分の腰の飾帯に手をやった。
 革袋に手を入れ、何やら取り出した。
 暗くなりかけた部屋の片隅、うつむいたレオンの顔がやや明るくなった。
 三日月のような形をした鉤爪をつまんで机の上にのせる。
 それははじめ鈍い光沢を見せていたが、やがて光量を増し、ほどなく蝋燭にも負けないほどの光を放つようになった。
──便利な物だな。
 レオンは口もとを微かにゆがめた。
 軽蔑とも感慨ともとれる、わずかな表情の揺らぎ。
 悪魔の本体から切り離した鉤爪だ。
 そうして悪魔の一部を奪うことで、悪魔は服従するという。
 決して懐くことはないが。
 悪魔を飼う。
 それは、自分自身も悪魔と同じ罪を背負うということだと気がついた時には、既に自分の手は罪にまみれていた。
 いつかこの手でケリをつけなくてはならない。
 だが、それは、ジャノットのことを解決してからの話。
 そのためにだけ、ディアは──ディアボルスに魂を喰われ、乗っ取られた少女は──弱った体で過酷な旅を続けさせられている。
──あの娘が死んでしまう前に……。
 館に戻らなければならない。
 それがかなったからと言って、婚約者のジャノットが助かるあてもない。
 だが何もしないよりはまし。
 レオンはそうして旅を続ける。
 器の体には手を尽くしてやり、悪魔本体には最低限の給餌をして。
──悪魔はおれか……。
 悪魔の爪から放たれる光を頼りに、レオンは手紙を書き終え、飾り文字でサインをした。
 明日の朝、飛脚に運ばせよう、と考えながら手紙を巻いてテーブルの上に置いた。
 その時、部屋の外で物音がした。
 ぱたぱたと走る足音。
 取り乱した女の声。
 また厄介事か、と物憂い表情を浮かべて、レオンは席を立った。
 レオンのいる部屋の前を慌ただしく誰かが通り過ぎた。
「お嬢様! お嬢様……!」
 召使いの女の声だ。
「なあに、ウェイファ? 騒々しいわね」
「た、た大変でございます! 使いの者が戻ってきて言いますにはね」
「お医者様を呼びに行ったのでしょう。どうしたの?」
「こちらへは来られないそうでございますよ」
「まあ! どうして?」
「そ、それが……!」
 立ち聞きをするのもはばかられて、レオンは廊下に姿を現した。
 召使いの女が彼に気づいて、びくりと顔をあげた。
 その顔が、怖いものでも見たようにひきつるのがわかった。
「ウェイファ、続きをお言いなさい」
 レオンに気づかないようで、ミリアムが怪訝な顔をして催促した。
「いいえ……、いいえ……! なんでもございません! お嬢様もお部屋にお戻りになられたほうがよろしゅうございます」
 ウェイファが早口で言う。
 そしてミリアムをせき立てて廊下の奥へと姿を消した。
 レオンの双眸が暗がりを見つめる。
 避けられた……。
 歓迎されていないのはわかるが、あからさまだ。
 早々にこの邸を出るべきだな、と考えた。
 客室へと戻って扉を閉めようとした時、ミリアムの叫ぶ声が聞こえた。
──なんですって? また人死にが……!

([3]へつづく) ←ヒントは「キ○番」ですよ。