悪魔の揺りかご
特別編


みつけてくださってありがとう。
悪魔の揺りかご特別編の[3]です。
[3]

「また人死にが?」 と言うミリアムの声が聞こえた。
シッ、と口止めするように音を立てたのはウェイファだろう。

──人死にとは穏やかじゃないな──とレオンが胸の内でつぶやいた。
ウェイファのあの態度も妙だった。
ただ避けられた、というのとは違う気がする。
レオンを見た時、彼女の顔に恐怖の色が浮かんだ。
疑われているのか。
とんだとばっちりだ、と思いつつも、レオンはそれだけでは流せないことに気づいた。
痛くもない腹を探られる前にこの館を出たいが、それではいっそう疑われる。
かといって潔白を証明できるか? 
ディアという悪魔を伴っている自分たちが潔白と言えるのか?
レオンは軽く唇をかみ、足早にディアの眠る部屋へ入った。
「おい……!」
垂れ幕を乱暴に開いてレオンはディアの休んでるベッドへと歩み寄った。
カイがまた甘やかしてディアの器の体に添い寝をしている。
「どうしました? レオン様、そんな怖い顔──」
カイが驚いて上半身を起こした。
「悪魔、起きろ。おまえ……俺のいないところで食事をしたのか?」
レオンはカイ越しに、まだ眠っているディアに話しかける。
「ん……、な、に……」
 ディアが不機嫌な声で言った。
 少し眉をひそめてまばたきを繰り返し、それからレオンの姿を見極めたのか、いっそう不機嫌な顔になった。
「レオン様? それはどういう……」とカイが問い返した。
どこで誰が聞いているかわからない。
だから悪魔が人間を殺したのか、とは言えない。
「言葉通りだ、その箱で操って、餌を狩ったのか?」
「は? ……何の、こと?」
 ディアはまだ夢うつつで、その意味も理解できていないようだ。
 しかし、カイの顔からいつものにこやかさが消えた。
「まさか……、ディアちゃんはずっとレオン様やボクと一緒だったじゃないですか。ボクたちの知らないところで、なんてそんな暇はなかったはずですよ」
確信を持って断言するカイに、レオンが少し安堵する。
「間違いないな、カイ」
「ええ……、でも、何故? 何かあったんですか」
「いや……俺の考えすぎだったようだ」
 そこは珍しく、レオンが引き下がった。
「近隣で人死にが出たらしい」
「え、……どういう人が死んだんでしょうか」とカイが訪ねるが、レオンもそこまでは知らない。
「わからない。俺は警戒されていて、詳しいことは何も」
「そうですか……でも、ディアちゃんは関係ないですよ」
「ばーか」
 意味が掴めないながらもディアが何か侮辱された気配を察してののしった。
「ディアちゃん!」
 カイがたしなめる。
 レオンはむっとした顔になったが、ふと思い出したようにディアに向き直り、腕を伸ばした。
 ディアがびくっと身をすくめた。
 レオンがその額に手を当てる。
 薬が効いたようだ。
 そう。器の体に罪はないのだ。
 この娘の心は既に死んでしまったのだろうが、体まで死なせてはならない。
 レオンは悪魔への怒りを向ける場所が、時々わからなくなって戸惑う。

 *   *   *

失礼しますよ、と言ってミリアムが入って来た。
「お嬢さんの容態はどうですか?」
彼女は先刻と同じ色の薬を持って来た。
先刻と同じ青いドレス、結い上げた清楚な髪は水に濡れたような艶があった。
叔父の留守を預かっててきぱきと差配する姿は立派な女主人のように見える。
それでも、若い客が来るのは珍しいのか、ミリアムを覗き込む時は好奇心に満ちた少女らしい表情になる。
「ごめんなさい、急にお医者様が来られなくなってしまって、このお薬を差し上げるしかありませんの」
ミリアムの顔には、召使いのウェイファのような恐怖の色はない。
女主人として肝が据わっているのか、警戒心をにこやかな顔の下に隠しているのかはわからない。
「熱は下がりつつあるので、医者に診せるまでもないかと」
レオンの簡潔な物言いを補うように、カイが言い足した。
「本当にお陰様で助かりました。ほら、ディアちゃん、随分顔つきも楽そうになってきたんですよ、あのお薬苦いですけど効きますよね〜。少し体力が戻るまで、もうしばらく休ませてもらえれば……」
「もちろんですわ! うちはいつまでだってかまいませんのよ。きれいな若い方がいるとお屋敷が明るくなって心強いくらいです」
「あ〜そうですね、威勢だけはいいですからね、ディアちゃん。レオン様も頼もしいし」
「そしてあなたは優しいのね。どちらがこのお嬢さんの恋人?」
ミリアムが無邪気に瞳を輝かせて訊ねた。
「えっと、あのう……」
カイが返答に窮し、レオンに目をやる。
「どっちでもない」とレオンが言った。
冷えた声にミリアムがはっと目を上げる。
「あ、保護者はレオン様ですよ。ボクは世話係、っていうか」
ミリアムが不思議な物を見るように、レオンとカイを交互に見つめた。
二人の男を見て何をどう解釈したか、ミリアムは困ったような顔をして立ち上がった。
「変なことを訊いてごめんなさい。……他に何か必要なものがあれば仰ってくださいね」
ミリアムが客室を出て行く。気まずい空気が流れる。
カイがミリアムの後を追った。
「あのっ、すいません、ちょっとお話が」とカイが慌てて言う。
「はい?」
ミリアムが振り返る。
客室の外の通路では従者のウェイファが待っていた。
ミリアムを守るかのようにさっと立ちはだかり、カイを一睨みする。
「おっ、と……すみません。ボク、何か失礼なことしましたか?」
カイがウェイファにおずおずと訊ねた。
レオンの無愛想さに匹敵する冷たい視線を浴びた理由は何かと。
「ミリアムお嬢様に気安く声をお掛けにならないでくださいまし」
ぴしゃりとウェイファが言った。
カイが言葉に詰まる。
レオンが警戒されている、と言ったのはこのことか。
「だめよ、ウェイファ。失礼なのはあなたよ。席を外して頂戴」
とミリアムがきっぱりと言った。
「お嬢様……!」
ウェイファが不満げにそう言ったが、ミリアムは決然と見やる。
それ以上はもう何も言わせないという態度で。
ウェイファは仕方なく引き下がり、廊下を歩き去った。
「ごめんなさい。ウェイファが失礼な態度をして」
「いいえ……ボクの方こそ……。あの、お話というのはですね」
カイが一瞬躊躇した。
ミリアムが興味深げにカイの目を凝視する。
「つまり、この近隣で何か事件があったとか……」とカイが切り出した。
ミリアムの表情がとたんに曇った。
カイは急き立てることはなく、ただ黙って答えを待った。
ミリアムは少し悩ましい表情を見せた。
「実は、さっき呼びに遣ったお医者様は……その娘さんが急死したそうで、来られなくなりましたの」
「えっ」
「やはり、お医者様を捜した方がよろしいんですよね。他のお医者様を当たってみましょうか」とミリアムが苦しげに言った。
「や、ディアちゃんの熱は下がってきてますから、ご心配なく。ってか、それ、大事件じゃないですか!」
「どうか動揺なさらないで。私も怖いんです……今は所用で叔父もいませんし、……数日前にも若い女の人が殺されたんですの……」
「そ、それは心細いでしょうね。ボクたちの滞在が少しでもあなたを心強くできたらいいですけど」とカイは言いつつも、逆に不安がらせているのかもしれない、と思った。
ウェイファの態度を見ればわかる。
自分たちが疑われているとすれば、この館の人々にとって、カイたち一行は恐怖の的以外のなにものでもないだろう。
「あの〜、こういった状況であなたの気持ちを推し量ると、ボクたちの立場って微妙かと思うんですけど……、でも、ボクらは……その、もしかすると犯人と思われてる、みたいな」
「まさか! 疑ってなんかいませんよ。あんなか弱いお嬢さんを守っていらっしゃるのに」
ミリアムが毅然として言った。
「ミリアムさん、ってすごくいい人ですね〜。ボク、安心しました。っていうより感心しました」
「あら、どうしてですか」
「ボクが逆の立場だったらそんなふうに言えないですもん」
「私、人を見る目は持っているつもりですわ」
カイは探るようにミリアムを見つめる。
育ちが良いから疑うことを知らないのかもしれない。
それとも本当に人を見る目に自信があるのかもしれない。
いずれにしても、強さともろさが背中合わせになっているような、どこか危うい感じも否めない。
ウェイファが彼女を守ろうとするのも、この純粋な貴婦人を汚れさせたくない、という一心であろう。
ミリアムは本当に自分らを疑ってはなさそうだ。
「心から、そう思っています。そしてあのお嬢さんがうらやましいですわ」
「うらやましい、ですか」
「ええ、二人の男の方から愛されていますもの」
おや、そう理解したのか、とカイが驚く。
「いや、レオン様には恋人、いるみたいですし。ボクは確かにディアちゃんに惚れてますけど」
「じゃああなたが恋人?」
「いえ、そういうことでもなくて。……ですから、世話係っていうか」
「二人とも照れ屋さんなのかしら。いずれにしても、彼女を放っておく人はいないと思うわ」
「ま、かなり破天荒な子だから……ちょっと目が離せないんですけども。もう少し良くなったら、ディアちゃんと話してみたらわかりますよ。レオン様のディアちゃんへの冷たさっつったら尋常じゃないし。恋人への遠慮?みたいな。ボクたちがどっちも恋人じゃない、っていう感覚っていうか」
何をムキになって否定しているんだろう、とカイは自分でも妙だと思う。
ディアちゃんは普通の女の子じゃない。
魔性の女が男の心を弄んでいる、みたいに誤解されるのは悲しいのだ。
ま、悪魔だから魔性といえば魔性なんだけれども。
「わかりましたわ。ではまた後で、もう一回お薬を持ってきますね」
「いろいろ、ほんとにすみません、ミリアムさん」


「──ということでした、レオン様」
カイは聞き出した情報を報告した。
「年頃の娘が立て続けに、か」
そして今は再び眠っているディアの器を一瞥し、それからその枕元に置かれた木箱をぐっと睨む。
「悪魔の好みそうな魂だな」
「それを言っちゃダメですよ。レオン様」
「だが、関係ない。ここの館の者にどう思われようと俺には関係ない」
彼はひたすら旅をする。先を急いでいる。
ディアの熱が完全に下がったら明日にでも出発すると言い出しそうだ。
「犯人がちゃんと見つかるまで、ここに居た方がいいんじゃないですか?」
「そんな悠長なことはしていられない」
オタールのシャロワ家の当主になったばかりという彼が、城を空けるのがこれ以上長くなってはいけない、それは正しいが。
「むしろ疑っているなら、俺たちが早く出て行くことを願っているだろう。望み通りに去るまでだ」
「そんなっ……やってもないのに、疑われたまま去るなんて」
レオンの切れ長の目がカイを見つめた。
おまえがその口で言うのか、とでも言いたげに。
そうだった。
ついこの間まで、カイは暗殺団にいたのだ。
そのカイが、濡れ衣とか、潔白とか……そんなことを思う資格もない。
カイだけじゃない。
悪魔の最低限の給餌のために、人が喰われていくのを見逃す自分を、レオン自身が嫌悪しているのに違いないのだ。
悪魔を飼うとはそういうことだ。
ではやはり、レオンの言う通りに、ディアの熱が下がったらすぐこの館を出るべきかもしれない、とカイは納得した。

*   *   *

その深夜。
ディアの容態が安定したので、カイはつい気が緩んでしまったのだ。
彼女の眠るベッドに寄りかかって、居眠りをしてしまった。
レオンは垂れ幕を隔てた隣の部屋に眠っている。
だが、彼も抜け目のない人だから、その時には既に目覚めていたかもしれない。
暗殺団に狙われていたはずのシャロワ家で唯一生き残った後継者なのだから。

カイがディアのベッド脇でうたた寝をしていた時、
蝋燭の明かりがふと翳るのが瞼を閉じていてもわかって、目を開けた。
その視線の先に、白い手が伸びていた。
あ、と声を出しそうになった。
ミリアムだ。
夜の分の薬を届けてくれる約束だった。
カイが眠っていたので起こさないように、そっとやって来たのだろう。
目の前にミリアムの夜着だろう、黒い袖と白い華奢な腕が見えて、その手は何かを掴もうとしている。
悪魔の揺りかごだ。
ディアの木箱の上に、金色の欠片が浮かんでいる。
──ミリアムが望んでいるものだろうか。
目を懲らしてそれを見極める。
コインだ。
半分に切断された、コインの片割れのようだ。
なぜ、そんなものを求めるのか。
ミリアムは、カイが目覚めたことにも気づかない。
切実な表情で、コインの片割れを掴もうとしているが、それは決して人の手には触れない。
幻だからだ。
ミリアムは思いあまって、木箱に手を掛けた。
彼女はこれまでにディアが喰った盗賊たちとは違うのに。
悪魔の揺りかごを開けようとしている。
──だめだ……!
カイが止めようとした瞬間、別の細い手が伸びてミリアムを妨げた。
ひっ、とミリアムが驚きの声を上げた。
──ディアちゃん……。
黒い大きな瞳を開いて、ディアの器がミリアムを見ていた。
まだ完全に熱が下がっていないようで、目が潤んでいる。
ディアはミリアムの手を寝ぼけたように掴んでいた。
「……おくすり?」
と彼女は無邪気な声音で言った。
「おくすり、飲む。……ちょうだい」
ディアがミリアムに催促をした。
コインの幻はたちまち消え去る。
悪夢から覚めたように、ミリアムが我に返った。
「え……ええ、……あるわ、ここに」
サイドテーブルに杯が置かれていた。
「ごめんなさいね、起こしてしまって」
ミリアムの声が震えていた。

 (【4】につづく)
ごめんなさ〜い、近日【4】をアップします。今日はこれにて……。