満月の長い夜
─月光少女アンティック・ナナ─
<富士見ミステリー文庫>

ストーリー

高校生諏訪(すわ)カオルのもとへ、突然叔父の省吾が奇妙なカバンを預けに来た。叔父はその直後、失踪する。叔父が言い残した、「開けてはいけない」という言葉に戸惑いつつもカオルはカバンの中で鳴った携帯電話をとろうと開けてしまう。そこには携帯電話などなく、美しいアンティックドールがあった。ナナと名乗るそのアンティックドールは、諏訪に「<悲しみ>を狩れ」と命令するのだった。









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プロローグ

「おかやんは?」
おかっぱ頭の少女が髪を揺らして問いかける。
ぺたんと畳に座り、少女が自分に似た市松人形に赤いかすりの着物をはおらせたり脱がせたりしている傍らで二つにもならない幼児がお手玉をつかんでは投げとばしていた。
「アワビとりに海に潜っとるんや。もうすぐ帰って来る」
と藍染めの着物の老婆が答えた。
膝に白い手ぬぐいをのせ、刺し子をしている。
「早うかえってきてほしい。朔也がおもちゃをいじる」
「これ、朔坊! おはじきを口に入れたらあかん。──小さいもんはしまっとき、ねえちゃん」
「朔也はいらんことばっかする」
「おかやん、もうすぐ帰って来はるで。けど『ともかずき』を見たらしいて言うとったで、今日は潜らんほうがええのに。ほやから、おばあやんがお守り作っとるん」
少女が老婆の手元をのぞきこむ。
白い手ぬぐいに五芒星紋の縫い取り。
海女たちに古くから伝わる魔除けのまじないだ。
「ともかずきてなに?」
「こわいおばけや」
「どんなおばけ? 一つ目のだんだらぼっち?」
「だんだら法師もこわいけど、あれはおばけやない。この間な、おかやんが海に潜っとる時に、他に誰もおらんはずやのに、おかやんそっくりな顔をした海女が目の前でアワビとっとったんやと。陸に上がっても、誰もそんなん知らん、言うしな。ほや『ともかずき』や、言うて、ここらの海女は二、三日潜らんようにしてたんや。おかやんは『ともかずき』を見た本人やから、まだ潜らんほうがええ、言うたが」
「もぐるとどうなるん?」
「潜ると危ない。爪切不動にお参りせなあかん。『ともかずき』は溺れて海で死んだ海女の幽霊やで。連れていかれてしまうこともあるで」
「おばあやん、こわい」
「ええ子にして待ってん」
 半べそかいて少女はうん、とうなずいた。         


 第一章 手紙が呼ぶし


『助けて! 殺される』

──ってなあ、いきなり言われても、困っちゃう、ボク。
どこにでもありそうな子犬の写真画像のついたカワイイ系の封筒。お揃いの便せん。
宛名が雨でにじんでいて読めない。
開けたら唐突にこの文面。
郵便受けに入ってたんだよ。
事務的な封書でもDMでもないみたいだったからてっきりオレ宛てだと思って──。
ラブレターかと思ったじゃん。
差出人、女──海堂時子って書いてあるから女だよな、多分──だったし。見覚えのない名前だったけど、オレの知らないところでひそかにあこがれてるやつとかいて、夏休みも終わりに近い。学校で会えなくって寂しいとかそういうシチュエーション期待したし。
確かに宛名がわからないのに開けたのは迂闊だったさ。
だけど開けたらいきなりコレだよ?
前略とか拝啓とか──あ、拝啓は女は使わないんだっけ──、いまどきそりゃ古いってか。にしてもお元気ですか、とかおひさ?、とか、なんか他に書きようがあるんじゃない?
殺される、ってそういう危急を要する内容なら携帯で言ってほしいのね。慌てるでしょうが、受け取ったほうとしては。
……ま、まあ、血染めの指で綴った文とかじゃなくてよかったよ。もしそうだったらすぐケーサツに駆け込んで泣くよ、オレ。
そうじゃなくても、持った指先から毒がしみこんできそうな感じがして、既に泣きたい気持ち。
──なのに。
くっくっ、と隣で笑ったヤツがいる。
クローゼットの隙間から漏れる不気味な含み笑い。
「──オマエか」
クローゼットの扉の隙間に足を突っ込み、三十センチくらいにこじ開けてオレは言った。
これくらいの幅で止めておかないと雪崩が起きるのだった。
うず高く積まれたオレのトレーナーとかシャツに半分埋もれた金髪が見える。
うんしょ、っとその腕をつかんで衣類の中から引っぱり出してやった。
笑ったのは自称超絶美少女ナナだ。
サーモンピンクの地色に花の刺繍を散らし、やたらフリルのついたケバいドレスなんぞ着て、共布の大仰な帽子まで被っていやがる。髪は金髪で縦ロール。まあ、ビジュアル系バンドのライブ会場にはうようよいそうなスタイルだが、オレの、男らしく整然と散らばった部屋にはふさわしくないので平素クローゼットにぶち込んである。
彼女はフランスで生まれて、親はブリューとかいって、まあいわゆる深窓の令嬢風で、マニアには垂涎モノらしい。オレには全然興味ないけど。こんなことをたとえばマニアが知ったらオレは袋叩きにあうかも。
ナナの身長は四十八センチ。スリーサイズは測ったことはないが、おそらくドラム缶タイプの体型だろう。
ばし──っ。
「いってーな! 人形のくせに叩くな、いっちょまえに。オマエの手、硬いんだよっ」
硬い手──。
ナナはアンティークドールである。なんでそいつがオレの部屋にいて喋ったり叩いたりするかというのはひとまず置いておく。
「ドラモ缶とは失礼だわ」
「ドラム缶だって。……って、おい、オレの心を勝手に読むな」  
フランス生まれでありながら、日本語で喋るナナは、『言葉はテキストに過ぎない』なんて言って、オレの言語体系の中から自分の思念に合った言葉を勝手に拾い出して喋る。テキストって、ほらパソコンでフォント関係なく送れる、アレか? よくわからんが、それに似たことをこの小さな脳みそでやってのけるらしい。
そんなふうで、時々文字化けもするのは否めない。
「あたしのボディはね、羊の皮でできてるの、高級仕立てなんだから。髪も人毛なの。安っぽい言い方しないでよね──それより……何してるの?」
オレを見てナナが言った。オレは恐ろしい手紙を机に置いて、自分のメガネのレンズを磨いていたんだ。悩んでいる時のオレの癖なのだ。
「磨いてんだよ、メガネ」
「ふうん……。メモンがついちゃった?」
「──は?」
「メモン」
「メモン?」
 フランス語だろうか?
「目紋よ、指紋ってあるでしょ。指の跡。目だと目紋って言わない?」
「言わん! オレの辞書にそんな言葉はない」
 だいいち、メガネのレンズに目がくっついたら痛いじゃねーか!
「ちょっと合成してみたのよ。怒らなくってもいいじゃない。あたしにはもっと大事なこと、あるのよ」
ナナは神妙な声で──人形だから顔は変わらないんだ、まばたきだけはするが──言った。
「『死と悲しみ』がやってきたわ」
「不吉なことを言うな。オマエが呼んだんだろーが!」
ああ、人形相手にムキになって怒鳴るオレは、どんどんアヤしい人物になっていくような気がする。
「『狩り』に行こうよ、諏訪?」
「カオルさん、と言え」
人形に名字を呼び捨てにされるオレって……(泣)?
「早く行かないと、殺されると言っているんでしょ? もう殺されちゃってるかもしれないけど」
「う……、そ、そんなこと言ったって、なんでオレが行かなきゃならないんだ」
「いいわよ、別に。だったらその手紙、持ち主に宛先不明で返送したほうがいいんじゃない?」
「ぐっ……」
なぜ開封した、オレ?
しっかりと確かめもせずに。
「諏訪が受け取らないで他の人が見ていれば、この人助かったかも知れないのにねー」
ナナがぐりぐりととどめを刺す。
「行く、行かないは自由だけれどね。夏休みに何もしないで、無駄に使うのも自由よね」
無表情のくせに、にっ、と薄笑いを浮かべた気がした。
──ヤバい……。
このあどけない笑顔が実は危険なんだ。
人形でありながら、ナナは話をするだけじゃない。もっと恐ろしいことをする。
「──だっ……、やめろっ」
ベッドがぐにゃりと歪む。
壁紙が渦巻き、ドアが溶ける。
吐き気がして、車酔いのひどいような状態になる。頭がくらくらして立っていられない。
──やめろ……ってば……。
オレが止めるのもきかずに、ナナはオレを見知らぬ土地へと投げ飛ばした。
そう、まるで悪魔のように。

*   *   *                 
昭和五十二年、三重県波切──。

十九郎坂を登りつめ、港の見渡せる宝門丘端に出ると、青黒い海を眺めて猟師が潮を読み、あるいは木箱や椅子に座って老人たちが世間話をしているのが常だが、今は線香の匂いが漂い、黒服に身を包んで声もひそめがちに人が行き交う。
海堂の家の嫁はんはまだ二十八だった、『ともかずき』に出くわしたのに海に潜って命を落としたんや、などとひそひそ声で話している。
「下の子どもはまだ二才にもならんに」
「不憫やなあ」
今夜見送られる者と同じ年頃の女にしてみれば身につまされる。やや目を赤くして言い合ううちに、あたりがざわついてきた。
「あんなあ、朔也がおらんのやわ」
 喪服の上に白い割烹着をつけた中年の女が奥の厨房から出てきて言った。年老いた女が首をひねる。
「朔坊が? どこ行ったんやろ」
「さっきまで座敷で寝てたんやわ」
「土間で遊んどるとちがうんか」
「何もわからんと、おかやん探しとるのかもしれへんな」
古くからの漁港であるこの一帯では、風避けのため石垣に守られた前庭をもつ民家がほとんどだ。坂と細道の多い、入り組んだ村では、子どもは石段や踊り場を遊び場にする。
手分けして探したが、庭にも、小路にも子どもは見つからなかった。泣き声ひとつ聞こえない。
 忽然と姿を消したように。
幼子の行方はしばらくわからず、参列に来た客までが手分けして探した。
やがて一人の男がぎゃっ、と叫んだ。
「こ、こんな所におった……!」
座敷の奥正面、棺のふたを指さし、男は気味悪そうに見下ろしていた。
白装束の遺体の肩に寄りかかるようにして眠っている子どもがいた。赤く上気した丸い頬、健やかな寝息をたてていつものように、母親に添い寝していたのだ。
つい三月ばかり前につかまり立ちし、心許ない足つきで歩き始めたばかりの小さな子どもだ。
誰がいつのまに棺のふたを開けたのか。
白い緞子に金刺繍の被いもかかっていて、幼い子どもには重すぎるだろうに。
「どうりで見つからんわけや」
「あかん、早う出してあげな」
 身内らしい中年の女が言った。
お、おお、と男が棺に手を入れる。抱き上げて母親の遺体から引き離された子どもは、寝ぼけて聞き取れない喃語を発した。
しばらく奇妙な沈黙に包まれる。
「守り帯、誰かとってくれやん? わたいがおんぶするさけ。……朔坊、おかやん死んでしもたんやで──」
居合わせた親戚の者たちから、嗚咽が漏れた。
「達子が連れて行くとあかん。何か人形買うてきて、朔也の代わりに入れたげよな。──小さいお人形でええんやから。早う」
わらわらと人が動く。
再び読経の声が流れ始めた。
黒い紗がかかったように、全ての光景が色を失い、遠のいていく。

*   *   *            
──あ……!
線香の匂いが消えた。
「──戻って来た?」
ナナの得意げな声が聞こえる。
オレは体中の力が抜けて、ベッドにばったり倒れてる。
「ちくしょー、……勝手に飛ばすな」
時間にして一秒もたっていない、とナナは言うが、オレは何時間か、場合によっては何日もそこにいたような感覚で、「戻って」来た時、すげー疲れてる。このままたびたびナナに放り出されてトリップを続けていたら、オレは倍以上年とりそうな気がする。
「何か見えた?」
「あ、……えーと……、葬式……かな?」
「ソウシキ? あ、埋葬のこと?」
「しないしない、日本ではほとんど火葬だ……と思う。埋めるんじゃなくて燃やすの」
 具体的に説明してみると強烈だな。
「まあ! 恐ろしいわね」
「それがフツーなの、ここでは」
「とにかく、見たでしょ、悲しみが呼んでいるのよ。……わかった?」
「わかんねーよ!」
「わからないなんて! おばかさんねえ。困るわ、それならもう一回──」
「うわっ、やめろ! わ、わかった。わかったから、もうオレをわけわかんない世界へ飛ばすな」
「はじめからそう言えばいいのよ」
──くそー、……わかったよ行きゃあいいんだろう、休み明けにテストがあるのに勉強する暇も与えないんだな、オーラルなんて悲惨だったし次がんばらないと追試なんだ、でも行くよ行きゃあいいんだろう。だが言っておくが悲しみが呼んでるんじゃなくて、オマエが悲しみを呼んでるんだろう、それだけちゃんと訂正しろよ。
さあ、オレの心を読め。
青い硝子の目玉がくるんと動いた。
「早口すぎてわかんない」
ナナがしれっとそう答えた。
「でもね、今さら勉強したってしなくったって一緒なのよ、くだらない。英語だってフランス語だって日本語だっておんなじよ。所詮テキストなんだから」
読んでるんじゃねーか!
くうう……。
そーか、苦手の英語もテキストだと言うんだな、日本語と変わらないって言うんだな、勉強しなくったっていいんだな! 
……その言葉、信じるぞ。
「……諏訪カオル、いっきまーす」
オレはヤケになってそう叫んでいた。

        
(以上、「満月の長い夜─月光少女アンティックナナ─より抜粋)