もう一つの“snow drop”

文章:DORO(2000年2月28日)


「おお、新潟に、勝利の雪よ降れ、ララルララ...」
スタジアムに足を運ばれている方々にはもうおなじみの歌詞であろう。「ラルク・アン・シエル」の曲「snow drop」を使った、アルビレックス新潟の選手が入場してくるときにゴール裏サポーターによって歌われている歌詞である。
この歌が使われはじめたのは1999年シーズンの途中からだ。その頃、ゴール裏に行きはじめたばかりの私は、歌詞カードを渡されていなかったために、この歌詞をこう聞き取った。

「おお、新潟に、勝利の勇気をくれ」

ちょっとだけ考えると、単なる間抜けな話である。
しかし、私は自問自答した。
「何故、“勝利の勇気をくれ”という言葉が私の中に生まれたのか?」
すると、自分の中にある、ふるさと新潟のイメージの一部が、無意識の中から浮上してきたのだ。

ふるさと新潟のイメージの一部、それは「新潟は“どうせ”勝てない」であった。
アマチュアスポーツでもプロスポーツでも、日本一になった新潟県のチーム・人をいくつかでも挙げることが出来るだろうか。
スポーツに限ったことではない。例えば大学進学率もそうだ。(今はどうだか知らないが、私が中学生だった頃は)中学からの進学先として国立工業高専がトップだ(った)。そんなのは、新潟県だけだ。「高校を出たら働くのが当たり前だから、普通高校より国立工業高専」と社会が思っているのだろう。
そしてそういった状態が長く続いていることによって、新潟の人々は、「勝つ」ということを「忘れて」「恐れて」あるいは「悪いことだと思って」いないだろうか?

恐らく、こんな事に思い至った私自身が一番、そう思っていたのだろう。
ところが、そんな無意識下の意識を変えたのが「アルビレックス新潟」である。

スポーツ観戦なんてほとんどしたことが無かった。
1999年の開幕・対川崎フロンターレ戦。第3戦・対FC東京戦。前年の成績ぐらいは調べて行ったので「善戦できるのか、見てみよう」という程度の気持ちだった。
優勝候補相手に望外の勝利。続く連勝。かつて経験したことのない、膨らむ期待。
そしてナビスコカップ・柏レイソル戦第2戦。実力の差からか、押しまくられ、防戦一方のアルビレックス新潟。
スタンドで雨にうたれながら、いつのまにか叫んでいた。
「新潟!何なってんだぃや!勝たんばねんだろ!攻めれ攻めれ!」
この頃から少しずつ、私の中の「新潟」は「勝っていい」ものになったのである。

夏の新潟、限りなく勝利に近い引分けだった、第20節・札幌戦。
そして、限りなく敗北に近い引分けだった、第22節・甲府戦。
終盤戦ではVゴール勝ちを連発、土壇場の競り合いで勝てるまでに成長した。
アルビレックス新潟は「勝てる」チームになった。

2000年3月12日、アルビレックス新潟の新しい戦いが始まる。
彼らが勝つという事は、新潟が変わるという事だ。
彼らを応援することは、新潟を変えるという事だ。
だから私は、スタジアムへ行き、“snow drop”を歌う。
「おお、新潟に、勝利の勇気をくれ」と思いながら。

(了)


コラム 私設アルビレックス新潟関東広報室