東海自然歩道(養老ノ滝〜関が原)
また久し振りに東海自然歩道の再開。今回は前の続きで関西版の仕上げの関ヶ原まで。相変わらず現地へのアクセス悪く、車とMTBの使用となる。
自宅を7時40分出発したが途中渋滞で関ヶ原に9時過ぎ。そこに車をデポしてMTBで養老ノ滝まで。これまた道を間違え、更に養老付近で何処か主催のウォーキングハイキングの列と鉢合せ。しかも前を歩いていた婦人が急に貧血か何かでぶっ倒れる。
その日は蒸し暑く、私でさえ汗だくだった。
慌てて近くを歩いていた婦人達とで救助の手を差し伸べたが、これまた単独参加の人のようで誰も知り合いもなし。関係者の人も見当たらず困惑していたら、その婦人達が「私達が暫く様子を見ていますから」と云ってくれ、一応その婦人達に託す。
そんなこんなで結局出発が11時となってしまった。予定より大幅に遅れてしまったな〜。
【山  域】養老
【日時】平成15年7月27日(日) 曇り
【行程】自宅=名神=関ヶ原9:10〜MTBで
養老ノ滝11:00〜柏尾寺11:48(食事)〜
桜井白鳥神社13:57〜広瀬橋15:22〜
平井聖蓮寺14:35〜松尾山15:12〜
関ヶ原18:10以下MTB回収〜名神=
自宅20:30
【歩行距離】20キロ
【メンバー】単独

軌跡とその3D。クリックで拡大

軌跡図。クリックで拡大

当初の予定はMTBを養老ノ滝付近にデポして歩くつもりであったが、出発も大幅に遅れた事だし、後半は舗装道路の短調な歩きがあるから今回はMTBと伴に歩く事にしよう。そこで、前日用意したGPSをセットし、いざ出発。
しかし、MTBに乗れたのは僅かの区間のみ。後はず〜っと山麓の山道が続き、道が荒れているので乗る事も出来ず。ひたすらMTBを押しながら歩く方が多かった(ー_ー)  平坦な道だったら良いのだが、登っては下りの繰り返し。イヤハヤ参った参った。
「たき道」を振返る 柏尾寺

でも養老から結構見るべきものも多かった。多芸七坊の一つで織田信長に焼け討ちされた柏尾寺跡やその先100m行った処にある木立の中に、明治に廃寺跡を発掘した際出てきたという千体地蔵が安置されていた。何やら薄暗いところに沢山の石蔵が処狭しと並べられていると異様な感じもした。
更にルートは日吉神社から竜泉寺跡へと続くが、殆ど山麓に作られた道がかなり荒れており、道標を見失うとロスタイムも出る可能性あり。幸いGPSで予めコースを読み込んでいたからそれに頼る事が多かった。

千体地蔵 荒れ道を喘ぎながら登る

暫くすると桜井白鳥神社に着く。この神社正面の右側に涌き水が涌き出ていた。地元民家のやかんが沈められており、多分お茶を冷やしているのだろう。昔はこんな光景はあちこちに見られ、何か懐かしい感じがした。丁度飲み水も無くなったので、この水を飲んでみると非常に美味かった。看板もあり「桜の井」と書かれていた。昔日本武尊が伊吹からの帰途ここで休んで泉を汲んで飲むと、「水質甘味、香桜の如し」と誉められ、桜の井と名付けられ、この付近の地名を桜井となったと記載されていた。美味しい筈だ!

桜井白鳥神社の「桜の井」 涸れた侵食谷を渡る

ここを過ぎると、通常は涸れている侵食谷を渡るのだが、大雨の後は増水し渡れない時もあるらしい。注意書き看板も出ていた。最後にくねくねと小尾根まで登れば眼下に牧田川が見えてくる。

ここから平坦な道路が続くのでMTBの出番だ。
広橋川を渡り、川沿いに沿って道が続く。春には桜並木で綺麗だろうな〜。そんな風情が支流の藤古川橋の畔まで続いていた。しかし、今須川沿いの車道に出ると道標も疎らで退屈な道になる。
平井集落の聖蓮寺の横から松尾山へ登るルートがあるが、ついつい快調に車道を走ったものだから行き過ぎてしまった。
MTBを登り口に置いて松尾山に登る。関ヶ原到着したら、車で回収するつもりであった。

牧田川支流に沿って道が続く 松尾山山頂。正面に笹尾山が見える

松尾山は、293mの低山だが、歴史的にも有名な山である。かの関ヶ原の戦いの時、西軍から東軍へと寝返った小早川秀明の陣がここである。見晴らしの良い山頂から見ると、正面に石田光成の陣がある笹尾山、右手に徳川家康の陣がある桃配山。
何時までも古の戦いを連想したくなるような気分であったが、時間も遅くなるので関ヶ原方面に向かって下山。

不破関跡資料館前を通るが、今は時間も遅いから閉館していた。残念!
朝、駐車していた車を回収し、MTBも平井に戻り回収。
1日タップリ有意義に過ごした東海自然歩道でした。


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