【仏陀観】 初期は仏の二身が説かれた。
- 二身 生身仏(しょうしんぶつ)・・・父母生身の歴史上の人である釈尊をいう
- 法身仏(ほっしんぶつ)・・・仏陀の説かれた常住不滅の法・真理をいう
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- 三身
- 法身仏(ほっしんぶつ)・・・所観の理・・・観じられる真理・・「いろもなし かたちもましませず」
- 人間の思議を絶した根源的実在
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- 報身仏(ほうじんぶつ)・・・能観の智・・・理智不二であるところの観ずる智・・阿弥陀仏
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- 応身仏(おうじんぶつ)・・・報身仏が衆生済度のために人間の体をもってこの世に出た・・釈尊
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- 四身 三身に化身仏(けしんぶつ)を加えたものをいう
- 化身仏(けしんぶつ)・・・一切の生きとし生きるものを済度するための異類身
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【一切衆生悉有仏性】 (いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)
大乗『涅槃経』に「生きとし生きるものはすべて仏性を有し、その仏性如来蔵(真如の理を悟って仏になる可能性)を開発して、本来自性清浄の仏であることを自覚する成仏を目指す道」を説く。
- 仏性=大慈大悲・大喜大捨・大信心・一子地=如来
- 成仏=われわれの中に蔵する仏性如来蔵(仏になる可能性)を開発して、本来、自性清浄の仏であることを自覚する
宗教的内観から、善なるものも清浄なるものも全くない私が、罪深いが故にこそ救われると説くのが阿弥陀仏の本願の教えである。
【親鸞聖人の二種法身】
- 法身 法性法身=法身仏
- 方便法身=報身仏=阿弥陀仏
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- 「一如宝海よりか
たちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無碍のちかひをおこしたまふ
をたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、報身如来と申すなり。これを尽十方無碍光仏となづけたてまつれるなり。この如来を南無不可思議光仏とも
申すなり。この如来を方便法身とは申すなり。方便と申すは、かたちをあらは
し、御なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。すなはち阿弥陀仏な
り。この如来は光明なり、光明は智慧なり、智慧はひかりのかたちなり、智慧
またかたちなければ不可思議光仏と申すなり。この如来、十方微塵世界にみち
みちたまへるがゆゑに、無辺光仏と申す。しかれば、世親菩薩(天親)はs十
方無碍光如来となづけたてまつりたまへり。」(一念多念文意)
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- 「法性すなはち法身なり。法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。」(唯信鈔文意)
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- 「この一如よりかたちをあらは
して、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可
思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ御かたちをば、世親菩薩(天親)は「尽
十方無碍光如来」となづけたてまつりたまへり。この如来を報身と申す、誓願
の業因に報ひたまへるゆゑに身如来ニ申すなり。報と申すはたねにむくひた
るなり。この報身より応・化等の無量無数の身をあらはして、微塵世界に無碍
の智慧光を放たしめたまふゆゑに尽十方無碍光仏と申すひかりにて、かたちも
ましまさず、いろもましまさず。無明の闇をはらひ、悪業にさへられず、この
ゆゑに無碍光と申すなり。無碍はさはりなしと申す。しかれば阿弥陀仏は光明
なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし。」(唯信鈔文意)
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