「日本チャンピオンになって、ブラジルへ行くのが夢です」
1960年9月30日 台東体育館でのデビュー戦後
ブラジルで猪木を見いだした力道山は、いきなり「おい!裸になれ」と一言、猪木の肉体に納得した力
道山は「よし、日本へ行くぞ!」と一言。その迫力に飲まれたまま猪木の運命が決まってしまったとい
う。
力道山は猪木をブラジル帰りの日系二世として売り出した。猪木は東京プロレス旗揚げの際に、初めて
それを否定したが、それまでは力道山の方針に従った。親戚や友人が訪ねて来ても会わなかった。
そうした背景もあっての発言であろうが、猪木にはブラジルが第2の故郷という意識があるのも事実で
ある。新日プロ旗揚げ後に、ようやく念願のブラジル遠征を実現している。
日本人対決がタブーだった頃の日プロ時代に、敢然と馬場への挑戦を表明し、時期尚早と却下された
り、オールスター戦でBI砲を復活させたときにリング上で対戦を迫り、強引に馬場に承 諾させてしまっ
たり、ファイナル・カウント・ダウンが進む中でも「馬場さんの死に水は俺が取 る」と発言したり、猪木
はことあるごとに馬場に挑戦を表明してきた。その初の宣戦布告がこれである。
周囲の目がそうさせるという部分もあって、猪木は敢えてこうした発言を繰り返してきたが、 実際には
アリ戦のあたりで、進む道が違うことを感じたという。
「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」猪木の最も有名な言葉の原点は、東京プロレス旗揚げ時にさかのぼ る。前述のコメントと考え合わせると、馬場は挑戦を受けないが俺は受けるという意味あいも感じられ る。
東京プロレスが挫折し、古巣である日プロへの復帰は、猪木にとって屈辱ともいえた。最終的 に猪木に
復帰を決断させたのは、仲介に立った日本プロレス・コミッショナーで当時の自民党副 総裁、川島正次郎
氏の「日本プロレスの発展ために小異を捨てて大同に就け」という言葉だった という。
日プロ首脳は猪木のプライドを傷つけない配慮を見せ、猪木もプライドを貫く発言をした。
日プロを追放となり、新日プロの旗揚げを発表した後、記者との歓談中での言葉だったが、坂 口にも伝
わり「自分は3分間とは言わない。10分あれば反対に猪木さんを潰してみせます」と 応じた。結局、日
プロのストップにより、このときの対戦は実現しなかった。
猪木の発言は常に強気である。苦境に立たされらたときにはなおさら強がって見せる。そのため時とし
て人に対して痛烈な言葉を発することになる。高田がヒクソンに敗れたときの「一番弱 いやつが出た」も
そうである。
後に黄金コンビと呼ばれ、ともに新日を支えた坂口に対しても、こんな発言をしている。
この有名な言葉は、当時の常識を打ち破る日本人エース対決となったS小林戦後に発せられた 。「過激
なプロレス」とも称された猪木のプロレススタイルを現す名言でこの試合には十分な説得力もあった。
結局、猪木の引退は様々な事情により、遥か後のこととなるが、猪木のファイトが過激でなく なったわ
けではなく、実際、猪木の体は満身創痍の状態である。
史上最高のヒール・レスラーといえば、タイガー・ジェット・シンで異論はないだろう。猪木 との抗争
は実に刺激的だった。
新宿路上襲撃事件、猪木の左目を焼いた火炎殺法、そして鉄柱攻撃とアーム・ブリーカーでシ ンの右腕
を折った、この腕折り事件に行き着いた。
試合後の猪木の発言がこれである。その後、猪木は「俺の右腕を、どう痛めつけられたか記憶はない
が、あの瞬間、腕を折ってやろうという気持ちになった。本能的なものだと思います。でも今までのこと
を考えれば徹底的にやって再起不能にしてしまうところだったが、レスラーとして使いものにならないの
も可哀想だなという気も起きた。攻撃を止めたのは日本人の弱みだろう 。とにかく後味が悪い」と続け
た。
大木金太郎の必殺技である頭突きを、敢えて何発も受け、最後にカウンターで右ストレートを 叩き込
み、バックドロップで勝利したこの試合は、猪木の名勝負中の名勝負となった。猪木はゴ ング前のレフリ
ー・チェックの際、大木の顔面に右ストレートの先制攻撃を見舞っている。その ことに対する発言であ
る。
この大木戦と重なるのが、Uターン参戦したUWF代表としての藤原喜明との一戦である。藤 原の頭突
きにカウンターで見舞ったエルボーが反則のパンチに見えたため前田日明が「猪木なら 何をしても許され
るのか」と抗議した。
猪木は、ここ一番では奇襲攻撃や反則すれすれのことをしでかしている。フェアではないという意識は
持っていない。猪木の闘う姿勢をこの言葉が現している。
全日本プロレスが主催した「力道山13回忌追善合同大会」に参加を呼びかけられた猪木だっ たが、同
時期にビル・ロビンソンとの一騎打ちが決定していたため不参加を表明したため、力道 山家から破門を宣
告された。
猪木は、この言葉で反論し「名勝負をファンに提供することが最大の供養だと信じている」とし、ビ
ル・ロビンソンと歴史に残る名勝負を展開した。
アリに対戦を迫る猪木は世界中のマスミから注目を集め、柔道金メダリストのウイリエム・ル スカが逆 に挑戦してきた。猪木の異種格闘技戦の原点がこの一戦であり、この言葉である。
ビッグ・マウスで世界のスーパースターとなったアリとも、猪木は互角以上に渡り合った。ニ ューヨー
クでの調印式には羽織袴姿で登場し、アリが来日したときには松葉杖をプレゼントして いる。
ニューヨークでの記者会見では、アリの「ペリカン野郎」という挑発もあり、アゴに関する質問があっ
たが、この言葉で軽く切り返した。
一時はアゴの長さを悩んで病院で検査を受けたこともあるというが、「卍固めを掛けると同時 に俺のア
ゴが相手の肩に突き刺さる」「アゴを引くと手が掛からず、スリーパーが決まらない」 「すぐに顔を覚え
てもらえる」とアゴの利点も語っている。
NWA王座が絶対の権威であった頃、NWAが馬場の全日プロと太いパイプがあったこともあり、猪木 とはまったくの無縁だった。それでもNWAに加盟し、王座挑戦を狙っていた猪木だったが、遂にNWA 脱退を宣言し、世界統一構想を語った。この3ケ月後にはIWGP組織委員会 が開かれた。
古舘伊知郎により「逆下克上宣言」と呼ばれた名言である。ホーガンの斧爆弾の前に失神KO負けの失
態を演じ、事業の失敗から新日プロのクーデター騒動も巻き起こった。
失神KO負けからの復帰戦、真夏の田コロで、猪木は強烈なアピールを行った。
猪木がよく口しする「紙一重」の原点がここにある。維新軍の首領として猪木のライバルにまで成長し
た長州との大一番をグランドコブラで制した猪木は自分の勝利を「紙一重」と称した。
「紙一重の差」とは、骨を折ってしまうのかまで絞って、最後の決断をできるのかという分かれ道のこ
とを言う。
長州ら維新軍が大量離脱したとき、猪木はこの冷たい一言を発した。もちろん本心ではなく、 強がりで あろう。
新日プロに電撃移籍したブロディは猪木との初対面で「猪木の目にバーニング・スピリットを感じた」
という名言を残した。「バーニング・スピリット」はその後、新日のシリーズ名にも使われた。
そして迎えた両国国技館での初対決、ブロディの代名詞ともいえるチェーンの使用に国技館がクレーム
をつけたこともあり、ブロディは試合前に猪木の控え室を襲撃し左ヒジを負傷させた。
大一番に意気込んでいた猪木は、ブロディの行為を涙を流して悔しがった。当時、猪木の付き人を務め
ていた若き頃の蝶野正洋のみが、その姿を目撃している。
維新軍の大量離脱、全日本への参戦。その頃、藤波にも引き抜きの手が伸びていたという。常に猪木と
ともに歩んできた藤波は、新日残留を選んだ。
そんな背景の中行われた師弟対決、リング中央で藤波の足4の字固めが決まった。必死に耐える猪木
は、この言葉を言い放った。結局、猪木が卍固めでレフリーストップ勝ちを納めた。
試合後、猪木は「藤波は俺の足を折れなかったが、俺は藤波の腕を折る気でいた。勝負に徹しきる、そ
の非情さが紙一重の差なんだ」と語った。
UWFが新日にUターン参戦し、猪木との対戦を賭けてトーナメントが開催され、優勝した藤原が猪木
に挑んだ。UWFの登場で、にわかに脚光を浴びたのが関節技である。中でも、それまでまったく注目さ
れなかった技「アキレス腱固め」が一躍クローズアップされた。猪木と藤原の アキレス腱固め合戦は「元
祖」と「本家」の闘いといわれた。
藤原が猪木にアキレス腱固めを決める。しかし、猪木は平然と指さしながら、こう言い放った 。猪木の
関節はルーズジョイントといわれるもので関節技が極まり難い。
猪木が突然、坊主頭で登場し、周囲を驚かせたことがあった。アンドレから腕固めでギブアップを奪った
ときもまだ坊主頭だった。
その理由がこれである。写真誌に女性同伴の写真を掲載されたからという理由だった。マイナス要因をパ
ワーに変えてしまう猪木らしい言動である。
猪木対マサ斉藤というベテラン同志で行われたIWGPの決勝戦。猪木の勝利後、リングに駆 け上がった 長州は「俺達には今しかないんだ」と叫び、藤波、前田らに共闘を呼びかけた。猪木 もこの言葉で応じ、坂 口、マサ斉藤らと手を組み、世代闘争が巻き起こった。
名言というよりは迷言である。何故か敬語なのもらしくない。猪木対長州の一騎打ちが発表さ れており、
ファンも期待していた。そこへビートたけし率いるあのTPGが登場。「我々が用意 したベイダーと戦え」
とアピールした。猪木は「受けてやるかこの野郎。どーですか」と叫び、 カードを変更してしまった。結局
は長州戦、ベイダー戦と2連戦したが、その内容が納得できる ものではなく、怒ったファンが暴動騒ぎを起
こした。
「どーですか、お客さん」というフレーズは、その後たけしがギャグとして使い、有名になってしまった
が、実際には「お客さん」とは言っていない。
ちなみに、同じく、たけしがテレビなどで取り上げて有名になった「こんばんは。ラッシャー 木村です」
も実際は「こんばんは」としか言っていない。
「飛龍革命」と呼ばれる藤波の決起は、沖縄・奥武山体育館の控え室での猪木とのやりとりから始まっ
た。
初代IWGP王者に就いた猪木は4度の防衛に成功し、ベイダーとの2連戦が決定していた。この強行日
程に藤波が異議を唱えた。
「2連戦は無理。もう何年続くんだ。何年これが」「だったら破れよ。何で俺にやらすんだ、 お前」「だ
ったら、やりますよ、俺が」「遠慮することはないって。リング上は闘いなんだから よ。先輩も後輩もな
い。遠慮されたら困る。何で遠慮するんだ」「これは新日本プロレスの流れ じゃないですか。そうじゃない
ですか」「じゃ、力でやれ、力で」「やります」「やれるのか、 おい」というやり取りの後、猪木が立ち上
がって張り手。藤波も張り手。そして藤波はハサミを 出して自分の前髪を切り始めた。
猪木は藤波の言い分を認めたが、いづれにせよ、左足骨折のアクシデントで欠場することにな る。藤波は
ベイダーとの王者決定戦でIWGP王座を獲得する。そして王者・藤波に猪木が挑ん だ60分フルタイムド
ローのIWGP戦へと流れていく。
突然の参議員選挙出馬表明でファンを驚かせた猪木だったが、出馬の理由として、猪木独特の この表現を 使った。
「猪木さんと電流爆破マッチで戦いたい」大仁田の発言はあったが、誰も本当に実現するとは思わなかっ
た。しかし、大仁田は猪木に直訴という行動に出た。猪木は、電気療法で怪我の治療をしていることに掛け
て、この言葉で応じた。
結局、実現はしなかったものの、この嘘のような対決は、会社レベルでかなり具体的な条件の話し合いま
で発展していたという。観たかった気もする。
ファイナル・カウント・ダウンとして行われた格闘技トーナメント。ジェラルド・ゴルドー戦に辛くも勝
利したものの、ゴルドーのローキックに左足を剥離骨折し、次くスティング戦の入場時には、ドームの長い
花道の途中で猪木はうずくまってしまった。
スティングにも辛勝した猪木だったが、試合後は弱気な発言をした。このときの猪木は気力、体力とも低
調で、本当にいよいよかという気にさせられた。
引退試合後の挨拶で、ファンに対する最後のメッセージとして朗読した。一休和尚の言葉であり、新日の 道場訓にもなっている。猪木がよく口にする「一歩踏み出す勇気」のもと、猪木の人生感のもととなってい る言葉だ。
世紀の因縁マッチ橋本対小川戦で、レフリーを勤める案もあったが「もっと面白いことをやる」と語った猪木が勤めたのはリングアナだった。暗転後、スポットライトに浮かび上がったのはタキシード姿の猪木。そしてお馴染みの挨拶の絶叫から型破りの呼び込みを行った。
橋本・飯塚対小川・村上のダブル遺恨マッチの立会人として、白いトレーニングウエアに身を包み、闘魂棒を持った猪木が登場すると場内のボルテージは一気に上がった。恒例の「元気ですかーっ」の後、新年のメッセージとしてまたも名言を残してくれた。試合が一度は混乱のうちにノーコンテストとなった時「俺が立会人だ。正々堂々とやれ。試合続行」と猪木裁きを見せることも忘れなかった。
出版した初の詩集に収録された一編で、標題作ともなっている。引退を賭けて小川に敗れた橋本に贈った詩としても話題になった。
久々に新日マットに登場した姿は、何故かホームレス・スタイル。そしてこの一言。場内を爆笑の渦に巻き込んだ。面白コメントがさえわたり「この格好で木戸をくぐろうとしたら入れてくれないので、このバカヤローッ!!」と続く。そしてなんとマイク・タイソンの招聘決定を電撃発表。最後は闘魂棒を振り回すパフォーマンスを見せた。
すっかり恒例となった「元気ですかーっ?!」の挨拶に続く言葉。元気がなくなってしまった世の中に喝を入れるという最近の猪木の理論につながっていく。4.9大阪ドームでは「元気があればホームレスもできる」という変形バージョンも披露した。
格闘技ファンとして知られ、格闘技の試合をするとも噂されていたプロ野球読売巨人軍の清原選手が観戦に訪れていた。挨拶のためリングに現れた猪木が何かアクションを起こすかと期待されたが、いきなり大馬鹿者扱いでリングに呼び入れた。そしていきなりのピンタを見舞う。清原選手は頬を押さえながら「めちゃ痛いわ。猪木さん、ありがとうがざいました」と言い残し退場。野球界の番長も形無しだった。
「INOKI BOM−BA−YE」の記者会見で「紅白の裏ですが・・・」という質問に対して反論した言葉。閉塞した世の中に風穴を空けるため、猪木は本気でK−1と同時に、紅白歌合戦、NHKにも喧嘩を売るつもりだった。ホームレス姿での全国キャンペーンなども展開し、結果的に14.9%の好視聴率を残した。
新日ドーム大会のリングにアルミのゴミ箱を背負って登場。手書きっぽいリサイクルマーク付きだった。お馴染みの「元気ですかーっ」で始まり「猪木が歩けば世界が騒ぐ」「人生はまさに闘魂ビジョン、表があれば裏がある」など面白コメントを連発。「今まさに苦しみの中から立ち上がろうとしている男」として負傷欠場中の藤田を呼び込み、「ちょうど1年前、ゴミ箱の中に捨てられていた男」としてバンナに勝利した安田を呼び入れ、猪木軍ワールドを展開。最後は「俺の心はオープン24時間」で締めてダーッ!TシャツにはOPEN24の文字もあった。心はいつでも開いているからいつでも来いという意味だろうが、前後のつながりがなかったので何だという感じだったが、後日放映された「おしゃれ関係」で娘の寛子さんからの手紙の中に「私の心は24時間開いているよ」というコメントがあり、そこから取ったものと思われる。
武藤らの退団騒動に揺れた新日本。何かが起きる雪の札幌に猪木が来場。蝶野が猪木とのリング上公開討論を宣言していた。そして蝶野が「新日本の神」として猪木を呼び入れ、超異色の猪木劇場が展開された。蝶野を新日の現場責任者に任命し、永田、中西らもリングに上がり、新日の結束を示した。リングを降りてからのインタビューで蝶野への期待を改めて表明し、最後は得意の駄洒落で締めた。
UFOが東京ドームで格闘技イベント「LEGEND」を開催。小川がガファリと対戦し、ヒクソンがゲストとして来場、猪木はタイソンも来日すると発表したが、やはりタイソンの来日は中止となった。生中継が開始される午後7時にホームレス姿の猪木が入場。やはり掴みは猪木だ。「元気ですかーっ!元気があれば何でもできる。元気があれば一歩踏み出す勇気。小さな常識ぶち破れ。家がなくても、金がなくても、おなごがいなくても、ボロは着てても心は錦。俺の心にでっかい夢がある。誰が得する今夜の東京ドーム。出ればタイソン、戻ればヒクソン。今日のお客に損はさせない。8.8は熱い夜。燃えに燃えて燃え盛れ!いくぞーっ!イチ、ニー、サン、ダーッ!
国立競技場でK−1とPRIDEが合体した格闘技イベント「Dynamaite」が開催される。猪木は3000メートルの上空からダイブで登場するというド派手な演出。東スポにダイブの心境として残した詩である。
高田延彦のラストマッチとなった「PRIDE.23」東京ドーム大会で、いつものように休憩明けに登場。高田に贈る言葉として、このところ連発しているダジャレまじりの詩(?)を披露。この後「道」も朗読した。
交際中の女性に刃物で背中を刺されるという不祥事を起こし、欠場中の新日プロ棚橋弘至をPRIDEのリングに上げ、闘魂ポエムを伝授。闘魂ビンタもお見舞いした。
サップ対高山、吉田対佐竹、藤田対ミルコなどで大成功した猪木祭り。年越しイベントのはずだったが、試合が終了したのは午後9時過ぎ、猪木が登場し、このセリフで強引にフライングのカウントダウン「ダー」を行い、3万人の観衆を唖然とさせた。
会場に行けないということでビジョンでメッセージを送った猪木だったが、直後に花道に登場「猪木は来るのか、コンドーム」という得意のダジャレも披露した。新日本に対して怒りを見せろというメッセージを送り、「ババさんにはなれなかったけど、じいさんにはなれた」という意味深なダジャレで締めた。
60歳の誕生日を迎えて読んだ還暦の詩。
IGFの旗揚げ戦にて、メインのレスナー対アングル戦終了後に、スタンドに設置されたステージに猪木が登場。最後はやはり1、2、3、ダーで締めた。
猪木酒場3号店の仙台店オープニングレセプションに参加した猪木が、自殺未遂をした安田を励ますために披露した闘魂ポエムの一節。
IGF第3弾興行は波乱の連続となった。レフェリーを蹴散らし安田を攻め続ける小川に猪木が鉄拳制裁から締め落とす。「男には手加減がある。やるなら殺せ!これから上がってくるやつ、そういう覚悟で来いよ。今日はよかったか悪かったか俺にはわからない。まさか俺もリングに上がるつもりはなかったし。一寸先はハプニング。まだまだこれからおもしろいことが起きるかもしれない。そんな期待に来年はすげえことを起こすぞ」とマイクアピールし、ダーで締め。IGFを象徴する一言である。
猪木65歳の誕生日4日前の記念大会ということで、リング上で猪木の誕生会が行われた。猪木がリングに上がると場内が暗転。この一言で笑いが起きた。バースデーケーキの形をした餃子タワーが置かれ、KYワカマツ、ガスパーズに扮したボブ・オートン・ジュニアと木村健悟、ハンセンが登場。亀田史郎も花束を贈呈した。
猪木がリングに上がると会場のボルテージは一気に上がる。恒例となった「元気ですかーっ!」で挨拶が始まる。猪木の祖父が、何でもいいから、やるなら世界一になれと言っていたのは有名な話しだが、そのおかげで「世界一元気な糖尿病になりました」とジョークを飛ばし、笑いを誘った。
猪木の新刊本のタイトル。ブラジル移住した少年時代、プロレス、議員生活を通じて様々な経験をしてきた猪木ならではの人生に対する珠玉の名言、格言集である。
休憩前に猪木がリングに上がり、時事ネタを取り入れた得意の駄洒落で挨拶。IGF認定ベルトの設立を予告し、ベルトデザインを公募するプランも明かした。
猪木がリングに上がり、書道を披露するパフォーマンス。直前に極秘入院して腰のすべり症の手術を受けていたことにかけて「腰の手術をしたら勝手にチケットが売れてしまった」として、この文字を書いた。
日本人と初のWWE殿堂入りを果たした猪木は、レッスルマニの前夜祭「ホール・オブ・フェーム」に出席。スタン・ハンセンの紹介の後「炎のファイター」のテーマで登場した猪木は英語と日本語でスピーチし、最後は英語版のダーで締めた。
最近は駄洒落が多いが、この日もWWE殿堂入りをもじって「田道」と書道を披露。農業団体から表彰されたと話した。メインは小川&澤田対鈴木&丸藤だったが、試合内容はイマイチで、猪木はリングに上がると、鈴木、丸藤と握手を交わし、IGFの現状を的確に示す、この言葉を口にした。
あの猪木詩集からもう10年の月日が流れたということです。待望の文庫化がされ、そのあとがきで「謝」という詩を締めの言葉に使っています。
休憩空けの猪木のパフォーマンスタイムで、この日は何故かマグロの解体ショーを披露した。続いて書道を披露し、マグロにちなんでこの文字を書いた。ツナがソナになっており、客席から突っ込まれて「点が足りなかったな」
休憩空けの猪木コーナーで、挨拶中に2発の銃声、猪木が倒れ込む。起き上がった猪木が言った一言に場内は失笑だった。弾丸を口にくわえて、もう一発は手で受け止めたとのことだったが、意味不明の演出で、蝶野の登場、シンの乱入、2億円ベルトの披露など盛り沢山だったので、不要だったかもしれない。
新年早々、猪木が腹痛を訴え、東京都内の病院に搬送されていたことが分かったというニュースに驚かされた。IGFによると、精密検査で胆石が見つかり、内視鏡手術ですでに除去したとのこと。同社を通じて発表したコメントがこれだった。
蝶野正洋、鈴川真一、澤田敦士らIGF勢力を伴い、東日本大震災により被害を受けた福島県いわき市、宮城県東松島市にある避難所や防災センターを慰問した。
この日ばかりはいつもの「元気ですか?!」を言っていいものか迷ったという。それでも被災者たちは猪木の呼びかけに「元気です!」と応じた。「皆さんが思ったより元気だったので、こっちが元気をもらった感じ」と話すほどで、いつものように「1、2、3、ダァー!」、闘魂注入を行った。被災地の現状を見たら「軽はずみなことは言えない」が、猪木はこうメッセージを送る。
IGF恒例の猪木劇場で「猪木が笑えば世界が笑う」の精神で、駄洒落とお馬鹿なパフォーマンスに終始した。イスに座ろうとして転び「思いやりは見えるけど、痛みも感じなくちゃダメだよ」と震災後に放送されたACのCMになぞらえたパフォーマンス。
40周年試合に出場した藤波辰爾、品川区議選に当選した木村健悟に続いて「原発問題解決の最後の手はチョーノー力しかない」と蝶野を呼び込み、3人にキャンディーを渡して「キャンディーズ」の時事寝ネタを披露した。
IGF恒例の猪木劇場で、8.27武道館のプロレスオールスター戦に、あえてIGFの大会をぶつけた猪木は、主催者の東スポ仮面を一蹴するパフォーマンスを披露。力道山13回忌興行に、ビル・ロビンソン戦をぶつけた隅田川決戦にも触れ、今回も更に話題にように、そしてお互いがさらに盛り上がるようにという思いを明かした。
震災復興支援イベント、プロレスオールスター戦に対抗して開催された大会で、メインはバーネット対バンナのチャンピオンシップ決勝戦だったが、バーネットが契約トラブルによるドタキャンという異常事態を受けて、猪木劇場では、白装束で登場し、切腹パフォーマンスで沸かせた。その後は、ジャイアント馬場の代役にチェ・ホンマンを呼び込み、ブッチャー、シンに鉄拳制裁を見舞い、32年前のオールスター戦を再現してみせた。
猪木劇場に、先日来日し、美人の王女とともに、猪木と似ているということで話題になった、ブータンのワンチュク国王のコスプレ姿で登場した。プロレスファンとして知られる野田首相からの直筆のメッセージが届いたことも紹介された。
猪木劇場に、グラジエーターの衣装で登場。鶴の恩返しの話をとアントン・ジョークを披露。木村健悟と藤原喜明に69歳の誕生日を祝福される。
恒例の猪木劇場にタキシード姿で登場した猪木。パキスタンでの興行開催を発表し、何で行くんだと聞かれるが、危ないから行くんだと語った。
坂口征二、藤波辰爾、前田日明、スタン・ハンセン、九重親方、野村克也夫妻、船越英一郎ら660人が出席した古稀を祝う会で、得意のジョークを交えて喜びを表現した。
国会内で記者会見を開き、石原慎太郎氏とともに日本維新の会から7月予定の参院選に比例代表で立候補すると正式表明。意気込みを駄洒落に込めた。
大晦日の猪木劇場で、スポーツ外交をアピール。IGFの北朝鮮進出や北方領土でのイベント開催の構想もぶちあげる。そして議院運営委員会の許可を得ずに北朝鮮を訪問し、懲罰を受けた自虐ネタで笑いを誘った。
メイン終了後、藤田和之がリングに上がり、石井慧にリベンジを要求。石井もこれを受諾した。藤田が去った後に猪木がリングに上がり、得意のダジャレで大会を締めた。
佐々木健介の引退に「引退は明日への第1歩」と書いた色紙を贈り第二の人生の門出を祝った。
GENOME30が開催された福岡国際センターのビジョンに、訪朝中のため異例の衛生中継で登場。得意のダジャレで闘魂外交の成果をアピールした。
GENOME35の猪木劇場にて。73歳を祝ってアメと「猪木が清原を救う」が1面となった東スポが用意されており、東スポを読みながらのブラックジョーク。
都内ノホテルで行われたISM.2の記者会見にて、生前葬ということで、永遠のライバルである故ジャイアント馬場氏との対決をジョークで語った。
ジャイアント馬場没後20年追善興行でリングサイドに登場したが、リングには上がらずオープニングコールを務めた。
藤波の若手時代の秘話として「オレは師匠力道山にどれだけ殴られたか分からない。だけど、一発も殴らなかったのが藤波選手」と語ったが、藤波に「私生活では殴られませんでした。ただ、練習で手を抜いているとプッシュアップボードで殴られたことがあります」と返され、ジョークで会場を笑わせた。
2010年からツイッターを始めているが、この頃頻繁に更新するようになり、得意のジョーク名言を披露。
2020年一発目のツイートは得意のジョーク名言だった。
ジョーク名言のツイートが続いたが、誕生日前日に自筆の書の画像を添えて久しぶりの闘魂ポエム。
コロナの感染拡大防止で緊急事態宣言の中、SNSやYOUTUBEで独特の発信を続ける。闘魂ジョークを交えた闘魂ポエム。
報道陣から菅新政権について思うことを問われると、アントンジョークで笑いを誘い、「世界のリーダーがみんな小さくなってしまった気がします。地球規模で物事を考えられるリーダーが誕生するために、菅さんには頑張って欲しいです」とエールを送った。
「アントニオ猪木 最後の闘魂チャンネル」で退院を報告し、元気になった姿を見せる。
闘病中に会社設立発表。IGFの復活と報じられる。敢えてありのままの姿を見せるという一貫した姿勢を貫く。
死去当日に続き、9月21日に撮影されたインタビュー映像が公開される。ベッドの上で様々な思いを語った。収録後にスタッフのいるリビングに車椅子でサプライズ登場し、ガリガリ君を食べ、スタッフにも振る舞う。ガリガリの猪木がガリガリ君を食べる姿を見せたかったという。
アントンジョークも飛び出す。笑わせるつもりはないが、いつからこんなキャラクターになったかとのことも、人を楽しませることを常に考えている。