”燃える闘魂”アントニオ猪木引退試合

1998.4.4 東京ドーム(観衆7万人 超満員札止め)

アントニオ猪木引退試合
 ○アントニオ猪木(4分9秒 グランド・コブラ)ドン・フライ×
IWGPヘビー級選手権
 ○藤波辰爾(21分18秒 原爆固め)佐々木健介×
IWGPタッグ選手権
 ○蝶野正洋・武藤敬司 1−0 橋本真也・西村修×
   蝶野(18分27秒 羽根折り固め)西村
IWGPジュニアヘビー級選手権
 ○獣神サンダーライガー(15分28秒 片エビ固め)ケンドー・カ・シン×
THE FINAL INOKI TOURNAMENT決勝戦
 ○ドン・フライ(5分0秒 TKO)小川直也×
○大谷晋二郎(12分10秒 飛龍原爆固め)安良岡裕二×
○高岩竜一(17分5秒 片エビ固め)金本浩二×
○越中詩郎・後藤達俊・小原道由 1−0 平田淳二・山崎一夫・安田忠夫×
           越中(9分26秒 エビ固め)安田
○中西学・小島聡 1−0 天山広吉・ヒロ斉藤×
 中西(12分4秒 ハイジャック式背骨折り)斉藤
THE FINAL INOKI TOURNAMENT準決勝
 ○ドン・フライ(3分57秒 KO)イゴール・メインダート×
 ○小川直也(3分30秒 腕ひしぎ逆十字固め)ブライアン・ジョンストン×

 私は比較的冷静に、この日を迎えた。私の中では猪木の引退については一応の決着が着いていたからだ。私の事実上の猪木の引退試合は1988年8月8日の藤波とのフルタイムドローだ。あのとき一つの時代の終わりを感じた。以降の猪木はレスラーとしては幻影のようなものだ。もう10年も前から猪木引退の心の準備は出来ていた。
 恐らく、ほとんどの猪木信者は同じ思いだろう。それぞれに心の引退試合を持っていることだろう。ホーガンの斧爆弾に沈んだあの試合かもしれない。長州のラリアート6連発に完敗した試合かもしれない。チョチョシビリに異種格闘技戦の初黒星を喫したときかもしれない。
 だから今回の引退試合は、単なる節目というふうに私はとらえている。それに、例えリングに上がらなくとも、猪木が終わってしまうわけではない。おぼろげながら「世界格闘技連合」という新たな形も見えている。
 引退試合も過去の大物ライバルとのメモリアル・マッチではなく、これからを感じさせる顔ぶれによるトーナメントの開催となった。となれば、やはり小川とやってもらいたい。流れからしても小川以外は考えられなかった。しかし、猪木のことだから、最後まで私たちを驚かすようなことをするかもしれない。それはそれでいい。本当は相手など誰でも良かったのだ。猪木の最後の試合を見届けられるだけで満足だった。

東京ドーム
 正午にはドームに着いた。空いているうちにグッズを買っておこうと思ったからだし、そもそも、とても家でじっとしていられなかったからだ。午後4時の試合開始までまだ間があるというのに、当日券は既に売り切れており、人があふれていた。1500枚の立ち見席を求めて300人の徹夜組がいたそうだ。観衆は結局7万人。ドーム史上最多、国内の格闘技大会での新記録である。試合後、退場規制となって待っていたときに、本当は入れてはいけない人数を入れてしまったので7万人以上入っているけど、消防法違反になるから内緒ですとケロちゃんが教えてくれた。掛け値なしの超満員だ。
 グッズを買って、山下書店を覗く。店頭は猪木一色になっていた。関連の書物を買い込んで、天気が良かったのでドーム前の広場でそれらを読んで時間を潰した。3時に仲間と落ち合って会場に入った。

試合開始
 平成4年4月4日午後4時。「炎のファイター〜オーケストラ・バージョン」が流れた。雰囲気は過去のドーム興行と比べても最高の盛り上がりだ。
 トーナメントの決勝は予想通り、小川対フライの顔合わせとなった。STOで攻勢に立った小川だったが、フライのパンチ1発でダウン。馬乗りになられてパンチの連打を浴びる。セコンドの佐山が白いタオルを投げ入れたとき、ドームには失望の溜息があふれた。
 IWGPタッグ戦で入場して来た橋本は、力道山のガウンを脱いで、花道に置く。その下には「闘魂伝承」のガウンを来ていた。闘魂伝承ガウンも脱ぎ、花道に置いてリング・イン。パートナーは西村、相手はnWo蝶野&武藤。いつもはnWoを応援している私だが、猪木引退のこの日は、橋本と西村に勝って欲しい気がした。
 IWGPヘビー級選手権は健介対藤波。藤波は懐かしいあのテーマ曲「ドラゴンスープレックス」で入場した。館内は藤波を応援するムード一色。期待に応えた藤波はジャーマンで王座を奪取した。秘かにドラゴン・スープレックスの復活を願っていたのだが、それは適わなかったものの、藤波の勝利は本当に嬉しかった。

入場シーン
 オーロラビジョンに過去の名場面が流された。シンの腕折り、小林戦のジャーマン、ハンセンへのダイビングニー。ホーガンの斧爆弾のシーンでは悲鳴が上がった。
 まずドン・フライが入場。もちろん大ブーイングだ。続いて「アリ・ボンバイエ」のテーマに乗って、タキシード姿のモハメド・アリが登場、入場ゲートの横に用意されていた聖火台に聖火を灯した。そして「イノキ・ボンバイエ」が流れ、猪木の入場だ。7万人の観衆のボルテージは頂点に達した。闘魂ガウンは白地に赤のふちの新しいものだった。長いドームの花道を小走りにやってくる。橋本がロープを上げて待っていた。

引退試合
 午後8時26分。運命のゴングが鳴らされた。フライがパンチで責めてくる。猪木は押されながらも離れた瞬間に浴びせ蹴りで撹乱する。フライの水車落としからグラウンドの展開へ。猪木の技術がフライを圧倒する。フライが仕掛けたヒールホールドを簡単に同じ技で返し、フライは慌ててロープブレーク。猪木の魔性のスリーパーを何とか返したフライは馬乗りパンチ。しかし、猪木は体を入れ替えると逆にマウントパンチを見舞う。さらに離れ際、顔面に強烈な蹴りを入れる。立ち上がったフライに延髄斬りから弓を引くストレート。この一瞬、あの頃の興奮が蘇った。4分9秒。最後はコブラツイストからグランドコブラに移行して、憎きフライからギブアップを奪った。コブラツイストは若き猪木の必殺技だった。十分にフィニッシュホールドとなり得る技なのだ。

引退セレモニー
 東スポの桜井氏らマスコミ、関係者から記念品の贈呈。日プロOBからは力道山のガウンが贈呈された。新日の選手がリングに上がり、一人ずづつ花束を贈呈。最後の西村はビンタを食らっていた。そしてゲストが登場、ウイリエム・ルスカ、ボブ・バックランド、勇利アルバチャコフ、ジェフ・プラトニック、アンディー・フグ、エリック・ビショップ、キラー・カーン、アニマル浜口、天龍源一郎、前田日明、長州力、藤波辰爾、坂口征二らがリングに上がって、猪木と握手を交わした。前田は長い間、猪木に語りかけていた。猪木は笑顔で頷く。何を話していたかは 内緒だそうだ。

 そして最後はやはり、モハメド・アリがリングに上がった。猪木は笑顔でボクシングの構えをする。アリから花束を渡されて握手。そしてしっかりと抱き合った。
 代読でアリのメッセージが読み上げられた。「アントニオ猪木と武道館で闘ったのは1976年のことでした。私たちはリングでは強豪の敵同士でした。その後は双方、信頼と尊敬に基づいた慈愛、友情を築きあげました。それだけにアントニオ猪木がこのたび引退することになったのは、ちょっと寂しい気がいたします。でも、あれから22年間、私の良き友人でありますアントニオ猪木とともに、ここでリングで一緒になれたことは、大変な光栄であります。私たちの将来は明るく、ビジョンはハッキリしております。スポーツを通じて、私とアントニオ猪木は手を携えて世界平和を推進し、男女の差別、民族、そして文化の違いを超越して、人類はひとつであることを立証するために一緒に努力します。本日はここに来ることが出来ましたことを心から喜んでおります。アントニオ猪木、お疲れ様でした。どうぞお元気で。

 古舘伊知郎のナレーション。「闘う旅人、アントニオ猪木。今、相手のいないリングにたった一人でたたずんでいます。思えば38年に及ぶプロレス人生。旅から旅への連続であり、そして猪木の精神も旅の連続であった。安住の場所を嫌い、突き進んでは出口を求め、飛び出しでは次なる場所に歩を進め、ドン底からの新日旗揚げ、世界王者とのストロングマッチ、大物日本人対決、格闘技世界一決定戦、IWGP、巖流島、人質解放、国会に卍固め、魔性のスリーパー。決して人生に保険をかけることなく、その刹那、刹那を燃やし続ければよいという生き様。猪木はこの後の舵をどの方向にとろうというのか。ひとりひとりのファンの胸には今、どんな闘いの情景が写し出されているのか。猪木は、すべての人間が内包している闘う魂をリング上で代演する宿命にあった。しかし、この瞬間をもって猪木はリングから姿を消す。我々はどうやって火を灯していけばいいのか。物質に恵まれた世紀末、商業主義に踊る世紀末、情報が豊かでとても心が貧しい世の中、一人で闘うことを忘れかけた人々。もう我々は闘魂に癒されながら時代の砂漠をさまよってはいられない。我々は今日をもって猪木から自立しなければならない。闘魂のかけらを携えて、今度は我々が旅に出る番だ。闘魂は連鎖する。1943年2月20日、鶴見に生まれしひとりの男の子。姓名、猪木寛至、闘魂の火ダネ。貴方を見続けることが出来たことを光栄に思います。燃える闘魂に感謝。ありがとう、アントニオ猪木!

 猪木が挨拶。「私は今、感動と感激そして素晴らしい空間の中に立っています。心の奥底からわき上がる皆様に対する感謝と熱い思いを止めることが出来ません。カウンドダウンが始まってからかなりの時間がたちました。いよいよ今日がこのガウン姿が最後となります。思えば右も左も分からない青年が力道山の手によってブラジルから連れ戻されました。それから38年の月日が流れてしまいました。最初にこのリングに立ったときは興奮と緊張で胸が張り裂けんばかりでしたが、今日はこのような大勢の皆様の前で最後のご挨拶が出来る ということは本当に熱い思いで言葉になりません。私は色紙にいつの日か闘魂という文字を書くようになりました。そしてある人が燃える闘魂と名付けてくれました。闘魂とは己に打ち勝つことそして闘いを通じて己の魂を磨いていくことだと思います。最後に私から皆様にメッセージを贈りたいと思います。人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに年老いていくのだと思います。この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けば分かるさ。ありがとう!」

 すかさず10カウント。ベートーベンの「運命」の曲に乗ってドームの花道を引き上げて行った。入場ゲートにはいつの間にか巨大スクリーンが設置され、古代ローマのコロシアムのイラストが写し出されていた。入場ゲートの舞台で立ち止まった猪木は「1、2、3、ダー」。7万人 の大合唱となった。 「イノキ・ボンバイエ」が流れ、遂にフィナーレが訪れた。

今後
 世界格闘技連合は、UFO(ユニバーサル・ファイティングアーツ・オーガナイゼーション)に改名される(仮称)。モハメッド・アリが名誉会長となる。秋口にはスタートさせたい意向で、インドで興行を予定。さらには中国、そしてアメリカ進出も構想に入っているという。
 不思議と悲しい気持ちにはまったくならなかった。やはり私の中ではレスラー猪木には決着がついていたのだろう。それは多くの猪木信者にとっても同じだったのだろう。まったくといっていい程ウエットな雰囲気はなかった。引退試合というより、新日本の卒業式という感じだった。
 国内引退試合と報道している新聞もある。引退前から、どうせ復帰するんだろうという噂も囁かれている。でも、猪木の中では、そして猪木信者の中では、レスラーとしての猪木はとっくに終わっている。リングに上がろうと上がるまいと、猪木は猪木だ。私はこれからの猪木を応援していく。

 

THE FINAL INOKI TOURNAMENT1回戦(1998.3.22 愛知県体育館)

公開スパーリング
 アントニオ猪木vs角田信明

 猪木は黒いショートタイツ、いつものリングシューズに新日のガウンを着て登場した。「炎のファイター」も 流れた。
 レフリー不在、制限時間なしで行われた正道会館の角田とのスパーリングは、角田が正拳、キックを見舞い、 猪木も張り手、アキレス腱固めなどを披露。実戦さながらの激しい展開の4分30秒だった。

○小川直也(5分15秒 腕ひしぎ逆十字固め)デイブ・ベネトゥー×
○ドン・フライ(5分11秒 KO)山崎一夫×
○ブライアン・ジョンストン(7分49秒 TKO)藤原喜明×
○イゴール・メインダート(6分33秒 KO)藤田和之×


引退までの経緯

1997.12/27 猪木引退報道

 テレビ、新聞等で猪木引退が報道された。以下に東スポの記事の内容を記す。
 アントニオ猪木が正式引退を決意。来年4月4日に新日本プロレス東京ドーム大会でファイナルマッチに臨むことが決定的となった。
 自ら「オレの引退?もう済んでいるじゃないか」と口にしていた。引退へのカウントダウンを進めながら、中途半端な状態にあることは猪木自身が誰よりも気にしていた。
 長州が引退し、「現場責任者」に集中することで、ビッグマッチの度に巻き起こった猪木待望論が、今後は鎮静化しそうなことが、まず決断の理由に挙がるだろう。もちろん現役プロレスラーとしての自身の体力、気力は限界にきたこともある。長年の夢であった世界格闘技連合構想が、衛星テレビとのドッキングで本格的に動き出したことも大きい。
 「オレ自身は今このままリングに上がらなくてもいいんだ。でも、猪木信者という人たちがいて感謝の気持ちを表したい」と7.6札幌大会後も、しもじみと話していたが、4.4東京ドームがその場として選ばれたようだ。
 対戦相手には、元プロボクシング世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマン、柔術最強の男ヒクソン・グレイシー、小川直也、橋本真也ら多彩な顔ぶれが浮上。
 引退後の猪木は、世界格闘技連合構想の実現に向け、プロデューサーに専念することになるが、来年6月の参院選出馬も確定的。
 なお「引退発表」は来年1.4東京ドーム大会のリング上で、猪木自身の口から明らかにされる。
 この時点では、猪木の引退が確定的になった模様であるといった内容で、猪木サイドからの正式発表ではなかった。
 私自身は、猪木引退の覚悟は既にできているし、遂に来るべきときが来たかという気持ちだった。レスラーとしてリングに上がっても、もう往年のファイトが望めないことは分かっているし、リングに上がろうが上がるまいが、猪木は猪木であり、猪木が何かをすれば、私たちに夢を与えてくれることは間違いないし、その猪木をこれからも応援していくことに変わりはない。
 今の猪木がリングに上がる姿を観るのは、嬉しさと寂しさの入り混じった気持ちではあるが、やはり嬉しさの方が大きい。しかし、物事には必ず初めと終わりがあるのだ。猪木が私たちファンのためにケジメの場を用意してくれるというのであれば、こんなにありがたいことはない。以上が私の「猪木引退」に関する見解である。


1998.1/5 リング上から猪木が引退を表明

 1月4日、新日ドーム大会、第5試合の長州引退試合後、休憩時間前にリングに上がった猪木は、まず長州と握手、ねぎらいの言葉をかけ、長州にマイクを渡した。長州がファンに挨拶し、退場した後、自らの引退を正式に表明した。

猪木の挨拶完全再録

「私と長州のカウントダウンが逆さになってしまいました。今年は新日本プロレスにとって、また日本の格闘文化が世界に進出していく大事な年だと思います。その中で私のカウントダウンも最後になりました。4月4日、この東京ドームにおいて最後の試合をさせていただきます。よろしくお願いいたします。今日このリングで皆さんにご報告を申し上げる。あとは4月4日のリングで素晴らしい自分の最後が飾れるような試合をさせていただきます。いつ何時誰の挑戦でも受ける!最後まで胸を張らせていただきます。よろしくお願いします!」

 オーロラビジョンに猪木引退、4月4日、東京ドームの文字と猪木の名場面のビデオが流れ、 2月15 日、日本武道館で発売と表示された。BGMは炎のファイター〜INOKI BOM− BA−YE〜<オ ーケストラバージョン>。
 最後はもちろん「1、2、3、ダー」で締めくくった。


1998.1/15 ファイナルマッチに向け猪木が始動

 記録的な大雪にみまわれたこの日、多摩川べりと新日本道場で、猪木は小川、佐山とともにトレーニングを行い、久し振りに闘魂トリオが揃い踏みした。小川は今後もプロ格闘家として世界格闘技連盟を活動の拠点とする方針が明かになった。また、小川は「ファンが認めてくれるなら」としながらも猪木の最後の相手に名乗りを上げた。翌16日、猪木は無期限の単独キャンプを張るためロサンゼルスに旅立った。


1998.1/27 猪木が一時帰国

 1月26日、猪木がロサンゼルスから帰国した。猪木を追ってロス入りし、ともにトレーニングを行っていた小川には、一人での修行を命じ、アメリカに残して、単身での帰国となった。


1998.2/9 引退試合の対戦相手はトーナメントで決定、アリが来場

 猪木の引退試合の対戦相手を決めるトーナメントが開催されることが決定した。8人が参加し、優勝者が4.4東京ドームで猪木と対戦する。小川直也とドン・フライが名乗りを上げている 。
 また4.4東京ドームにモハメッド・アリが特別ゲストとして来場することも決定した。なお カール・ ゴッチ、ルー・テーズ、ドリー・ファンクJr、ショータ・チョチョシビリの来場も予定されている。


1998.2/15 猪木がドン・フライと乱闘

 新日本プロレス武道館大会に猪木が挨拶のため来場した。小川vsフライの前にリングに上がった猪木は「海外遠征に行っていましたが、今、成田から飛んで来ました。いつ何時、誰の挑戦でも受ける!という言葉が嘘にならないように4月4日にむけて調整しています」と話し、恒例のダーの後、放送席から小川vsフライを観戦した。小川がフライに関節技で勝利したが、試合後、フライは小川に背後から殴りかかったため、猪木がリングに駆け上がり、フライに鉄拳制裁を加えた。小川、セコンドも入り乱れ、乱闘となり、猪木はYシャツも脱いで、フライと睨み合った。館内は大猪木コールに包まれた。
 またこの日、4.4東京ドームの先行発売が行われ、雪にも関わらず、長蛇の列ができ、売れ行きは好調だった。


1998.2/18 引退試合は古舘が実況、フレアーと藤原が対戦に名乗り

 赤坂の全日空ホテルで引退会見が開かれ、4.4東京ドーム大 会が、4月6日午後7時から2時間枠で放映されることが発表さ れた。実況はかねてからの約束通り、古舘伊知郎が担当する。古館のプロレス実況は1998年8月8日の猪木対藤波(60分ド ロー)以来、9年半振り。
 またトーナメントは1回戦が3月22日名古屋で、準決勝と決勝が4月4日ドームで行われることになった。
 猪木は2月21日から滋賀県で第1次キャンプに入り、3月5 日に沖縄、13日にはアメリカに向かい、22日の名古屋大会で は公開スパーリングを行う。


1998.2/24 小川との練習を公開、藤田が対戦を直訴

 琵琶湖でキャンプ中の猪木が小川とスパーリング行い、チョーク・スリーパーを伝授した。また、同行していた新日本プロレスの藤田和之が対戦相手決定トーナメントへの出場を直訴し猪木もこれを快諾した。なお出場が噂されていた天龍源一郎は不参加を表明した。


1998.3/2 対戦相手決定トーナメント参加者、引退興行主要カードが決定

 対戦相手決定トーナメントへの参加者として既に決定していた小川、フライ、藤田に加え、藤原喜明、山崎一夫、イゴール・メインダート(PRIDE1出場)、ブライアン・ジョンストン(小川と対戦)、デイブ・ベネトゥー(アルティメット戦士)の8人が決定。また引退興行の主要カードとして、トーナメント準決勝・決勝、IWGP3大タイトルマッチなどが決定した。


1998.3/7 沖縄キャンプ打ち上げ

 小川とともに行っていた沖縄キャンプを打ち上げた。小川はK1戦士のアンディ・フグとスパーリングを行ったり、アントン牧場にて猪木の指令で牛にヘッドロックをかけるなど、実りあるキャンプとなった。猪木は13日に渡米し、ロスで最終調整を行う。小川は9日に藤田とともにミネアポリスのレイガンス道場に出発する。ともに20日に帰国し、22日の新日愛知大会で、猪木は公開スパーリング、小川はトーナメント1回戦に臨む。


1998.3/13 3.22名古屋のスパーリング・パートナーは角田信明

 3.22名古屋でのスパーリング・パートナーが正道会館の角田信明と決定した。


1998.3/20 猪木、小川、揃って帰国

 猪木と小川がアメリカから揃って帰国した。猪木は足早に都内のトレーニングジムに直行し、小川とは距離を置いている。猪木はアメリカでは、一人で練習する予定だったが、突然、小川のいるレイガンス道場に出現。しかし、小川のことはまったく無視の態度を取った。決戦に向けて、猪木流の駆け引きが既に始まっている。


1998.3/25 アリ、バックランド、ルスカがゲスト来場

 引退興行に来場する海外のライバルたちの顔ぶれが決定した。モハメッド・アリ、ボブ・バックランド、ウイリエム・ルスカの3人が来日する。
 また練習中に右足首を負傷したが、特に心配はない模様。


1998.4/2 エリック・ビショップ、勇利アルバチャコフら来場決定

 引退興行に来場するゲストとして既に決定しているモハメッド・アリ、ボブ・バックランド、ウイリエム・ルスカの他に、nWoオーナーのエリック・ビショップ、ロス五輪レスリング金メダルのジェフ・プラトニック、ボクシング元WBC世界フライ級王者の勇利アルバチャコフの来場が決定した。また日本勢では、天龍源一郎、前田日明、キラー・カーン、アニマル浜口、藤原喜明などが予定されている。