NWA北米タッグ選手権

 日プロを退団した坂口征二は新日マットに参戦。猪木とのタッグは黄金コンビと呼ばれ、BI砲に次ぐタッグチームとして注目されていた。その黄金コンビとともに歩んだのが、このNWA北米タッグ選手権である。
 1974年8月16日、ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムでカール・フォン・ショッツ、クルト・フォン・ヘス組から奪取したが、当初のマスコミ発表ではNWF世界タッグ選手権と発表されていたということもあり、このベルトの正確な出所は不明である。
 アンドレ・ザ・ジャイアント組、タイガー・ジェット・シン組などと防衛戦を行い、猪木のNWFヘビー級王座と並ぶ新日本の看板タイトルに成長したが、1976年、猪木はウイリエム・ルスカとの異種格闘技戦に専念するため王座を返上した。
 以降、ベルトは坂口&ストロング小林組、シン&上田馬之助組、ヒロ・マツダ&マサ斉藤組、坂口&長州力組へと引き継がれ、1981年IWGP開催のため返上された。

1973年(昭和48年) 8月24日 米ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアム *反則含みで王座奪取ならず
 猪木 坂口(2−1)ジョニー・パワーズ パット・パターソン
1973年(昭和48年)12月 7日 大阪府立体育会館 *反則含みで王座奪取ならず
 猪木 坂口(2−1)ジョニー・パワーズ パット・パターソン
1974年(昭和49年) 6月 7日 札幌中島スポーツセンター *反則含みで王座奪取ならず
 カール・フォン・ショッツ クルト・フォン・ヘス (2−1)猪木 坂口
1974年(昭和49年) 8月16日 米カリフォルニア州ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアム *王座獲得
 猪木 坂口(2−1)カール・フォン・ショッツ クルト・フォン・ヘス
1974年(昭和49年) 9月10日 愛知県体育館 *初防衛
 猪木 坂口(2−0)ニコリ・ボルコフ シーク・オブ・シークス・オブ・バグダット
1974年(昭和49年)12月 5日 大阪府立体育会館 *V2
 猪木 坂口(2−1)アンドレ・ザ・ジャイアント ロベルト・ソト
1974年(昭和49年)12月19日 ブラジル・ロンドリーチ・モリンゴン・スタジアム *V3
 猪木 坂口(2−1)アンドレ・ザ・ジャイアント トリー・チャールス
1975年(昭和50年) 3月18日 愛知県体育館 *V4
 猪木 坂口(2−1)タイガー・ジェット・シン マイティ・ズール
1975年(昭和50年) 6月16日 宮城県スポーツセンター *V5
 猪木 坂口(2−1)アンドレ・ザ・ジャイアント ザ・プロフェッショナル
1975年(昭和50年) 7月30日 大阪府立体育会館 *V6
 猪木 坂口(2−1)ハンス・シュミット ブルート・バーナード
1975年(昭和50年) 8月 1日 米ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアム *王座はコミッション預かり
 猪木 坂口(1−1からノーコンテスト)ジェリー・ブラウン バディ・ロバーツ
1975年(昭和50年)10月 2日 大阪府立体育会館 *王座決定戦で勝利
 猪木 坂口(2−1)ジェリー・ブラウン バディ・ロバーツ
1975年(昭和50年)12月 4日 大阪府立体育会館 *初防衛
 猪木 坂口(2−1)イワン・コロフ グレッグ・バレンタイン
1975年(昭和50年)12月19日 米ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアム *V2
 猪木 坂口(2−0)インフェルノス2号・3号
*猪木が王座返上