見沼の民話・伝説

【開かずの門】

 旧浦和市大字大崎にある国昌寺の山門にまつわるお話しです。国昌寺は曹洞宗の古刹(こさつ)で、山門の欄干には左甚五郎が彫ったとされる龍の彫刻があります。扉は「開かずの門」といわれ、ある言い伝えに基づきいかなることがあっても開くことがないとされています。その言い伝えとは・・・


 江戸時代、見沼田圃がかんがい用のため池だった頃、見沼は大雨でよく氾濫しました。これは、見沼の主である龍が、大雨が降ると水面をのたうち回り大暴れしたためで、ほとほと困った村人たちは、何か良い策はないかと考えあぐねていました。
 そんなある時、日光東照宮の造営が終わった左甚五郎がこの辺りを通りかかったので、村人たちは、龍を彫って魂を封じ込めてもらうようお願いをしました。
 甚五郎は、村人たちの依頼を快く引き受け、眠り猫を彫ったそのノミで、今度は力強い龍を短時間のうちに彫り進めました。そして彫り終わると、今にも飛び出しそうな龍の頭の部分に、太い釘を打ち込んで封じ込め、欄干にかけたのでした。
 それ以来、大雨が降っても、見沼の龍が暴れることはなくなりました。
 ところが、程なくして国昌寺の檀家が亡くなり、棺を担いで龍の彫り物のある山門をくぐったところ、棺が急に軽くなりました。不審に思って棺の蓋を開けてみると、中に収まっていた仏様がもぬけの殻になってるではありませんか。
 村人たちは、彫り物に封じ込められた龍が、仏様を食べてしまったに違いないとうわさし、恐れたため、それ以来山門は開かれなくなったということです。


(見沼たんぼくらぶ事務局から)
※ 以上は、言い伝えを元に、創作も交えて物語風に脚色したものです。
※ 山門に彫られた龍が暴れるのでくぎを打ったという話や、龍が作物を荒らしたためといった話など今回の内容とは違う言い伝えもあります。
※ 実際、国昌寺では、正月三箇日と昨年から龍神まつりの日は、参拝者のために山門の扉を開けているそうです。その他の日は一切開けないそうです。

みぬま通信 第10・11号(合併号)より