フリーマンの随想

その79. 7回目のイタリア


*その5.パンタリカの古墳を訪ねる*

( June 26, 2008 )



 世界遺産の数ではイタリアが世界一だそうですが、ここシチリア島にも現在5つの世界遺産があります。 そのうち最も新しく2005年に指定されたのが 「 シラクーサとパンタリカ岩壁古墳 」 ( Siracusa e la necropoli rupestre di Pantalica ) です。 今回この両方を観てきましたが、前者は多くの方がすでに観ておいでだと思うので、後者の 「 パンタリカ古墳 」 ( Necropoli di Pantalica ) について書いてみたいと思います。

 ここはシラクーサ ( Siracusa ) から西に内陸部に約50km入ったところ、カターニャの南約60kmに在ります。 「 在ります 」 と簡単に言ってしまいましたが、50kmと言っても、途中からは狭い、ところどころ未舗装の急で曲がりくねった道を登り、馴れた運転手でも片道1時間以上かけないとたどり着かないという、山また山の奥の僻地です。 下の写真では、はるか下の方に登ってきた道路が見えますが、観光バスなどで気軽に行ける場所ではありません。 道標もガードレールも不十分ですし、危険なのでレンタカーで行くこともお勧めできません。


 パンタリカは、ギリシャ人がシチリアに初めて渡ってきた紀元前7世紀より更に前の紀元前13〜7世紀頃の原始時代のシチリアの重要地のひとつだったと考えられています。 イタリア本土から侵攻してきたいくつかの種族からの攻撃を避けようと、シチリアの先住民族が海岸の地域からこんな山奥まで逃げて来て住み着いたのだと、現地に立っていた解説の立札 ( 英文 ) には書かれています。 ネクロポリ ( Necropoli ) とよばれる古墳には、岩肌に洞窟のように掘られた500以上の四角い穴の墓跡があります。 ロッククライミングのような事をしなければたどり着けないと思われるものもあり、「 なぜこんな場所に? 」 と首を傾げてしまいます。




 ほかにこの地域の中心部の小高い丘の上には、より新しい時代 ( 紀元後4世紀〜 ) のビザンティン時代のものとされるアナクトロン ( Anaktoron ) と呼ばれる当時の王宮跡地も残っています。 この時期にふたたび人々が住むようになったのでした。 ひたすら荒涼としたこの王宮跡地には石灰岩の基礎部分しか残っていません。 周りには野生のセージ、ミント、フェンネルなどのハーブがたくさん自生していました。 石灰岩の上の黒や黄色の斑点は、カビというかコケというか、そういう植物性の生物の寄生に因るものだそうです。




シチリアの他の土地についても、順次掲載します

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