フリーマンの随想

その79. 7回目のイタリア


*その2.マフィア*

( June 24, 2008 )



 帰国後 「 シチリアに行ってきましたよ 」 と言うと 「 マフィアが怖くなかった? 」 と、3人に2人くらいの割合で聞かれます。 帰国当初、マフィアについて書こうなどと全く思っていなかった私は、結局、この文章を書かないわけには行かなくなりました。

   シチリアに8年住み、現地のイタリア人と結婚した女性の話だと、彼女が来た当初は 「 マフィア 」 と云う言葉を街頭で口にすると 「 誰かその筋の人がそばにいたりしたら怖い 」 と言う感じがあったそうですが 「 現在はそんなことはなくなった 」 ということでした。 当局の取締りにより徐々に数も勢力も減っているといいます。

 シチリアのマフィアは、日本のある種の組織が 「 特定の業種の店を営業している人たちからだけ 『 ****料 』 というものを取り立てる 」 と言われているのとは異なり、広く商店、建設業、ホテル等の一般の企業すべてから一定額を納めさせるのだそうで、地域のすべての大中小企業をお得意にした巨大な権力機構のようです *1。 ともあれ、私たち旅行者は、今、マフィアをほとんど意識しないで過ごせます。

 マフィアを私が意識したのは、パレルモ国際空港に着いた時、その名が 「 Falcone-Borsellino 空港 」 *2 であった時と、タクシーの運転手の携帯電話が鳴ったら、その着メロが映画 「 ゴッドファーザー 」 のテーマ曲だった時と、車でワイナリーの見学に行くとき、遠くの山の険しい斜面にしがみつくようにして家が並んでいる集落 ( この写真は遠方を200mm望遠で撮ったので、霞んでいます ) を指して、ガイドが 「 あそこがゴッドファーザーの映画のロケを行った場所です。 実際マフィアが住んでいたわけではありませんが・・・ 」 と説明した時くらいなものでした。

 いまだに多くの日本人が 「 シチリアと云えばマフィア 」 と反射的に思うほどですから、本土のイタリア ( 人 ) にとってシチリアは経済的にお荷物なだけではなく、イメージ的にもお荷物のようです。 そこで、一部のシチリア人による分離独立の希望と裏腹に、本土、特に北部のイタリア人の中にはシチリア切り離し論も根強いのだと言われます。

 シチリア島のメッシーナ市と、対岸の本土のレッジョ・カラブリア市との間の海峡はたった3kmしかありません。 大昔はつながっていて、大地震で割れて別れたのだといいます。 現在、人も自動車も列車もフェリーで渡るのですが、ここに橋を架けるだけでしたら現在の技術ならちっとも難しいことはありません。 計画は何度も立てられるのに、いつになっても実現しない本当の理由は、大地震のたびにこの両市の距離や位置が10m近くもずれるからということらしく、確かに地震国イタリアで大地震のたびに巨大な橋が壊れていたらたまりません。 でも 「 橋でつないだらシチリアが本当にイタリアになってしまう 」 のが嫌だからだろうというヒガミというか、疑いは常にくすぶっているようです。

 本当にある笑い話ですが、その証拠?に、シチリアのメッシーナ市からフェリーで本土に渡ると、途端に 「 ようこそイタリアへ! 」 という大きな文字が目に飛び込んでくるのだそうです。 「 てゆー事は、シチリアはイタリアじゃねえってことかよ 」 とシチリア人は怒るわけです ( シチリアは特別自治州です。それがどういうものか私は正確には知りませんが、イタリアの一部であることに間違いありません )。

 以上はほとんどがガイドから聞いた話です。 私の想像や推測はほとんど入っていません。

*1: 2008年1月に発表された報告によると上記の取り立てなどによるシチリア島のマフィアの違法収入は毎年10億ユーロ ( 約1650億円 ) に達すると見られている。この額は同島の総生産の1.3%に当るという。

*2: 1992年5月、マフィア担当の判事ジョヴァンニ・ファルコーネがマフィアにより車ごと爆破され、同僚のパオロ・ボルセリーノも2カ月後に殺されたので、2人を哀悼、記念してこのように名づけられた。 高速道路沿いのこの爆破場所には、現在大きな赤い記念碑が建てられている。

 
シチリアの他の土地についても、順次掲載します

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