フリーマンの随想

その79. 7回目のイタリア


*その1.シチリア最南端の岬カーポ・パッセロ*

( June 18, 2008 )



 2008年6月のある日、私はシチリア島最南端 ( ということは、イタリア最南端 ) の岬 「 カーポ・パッセロ ( Capo Passero ) 」 *1 にいた。 ここは緯度的には北アフリカのアルジェリアの首都アルジェよりさらに南に在る。 周囲には殆ど何もない。 数 km 離れた街には商店も銀行も、小さなホテルさえも有り、おそらく数千人は住んでいるだろうが、岬の周辺には殆ど何もない。 この地方はイタリア料理に不可欠なサクランボ大のパキーノ ( Pachino ) トマトの主産地であると同時に、昔からマグロ漁の盛んな土地でもあった。

*1

 こんな、イタリアの 「 僻地中の僻地 」 に、ハイヤーを何時間も飛ばして私がやってきた理由はと言えば、昨年ローマ郊外のオスティア・アンティーカにある美しい宿に2泊した際、オーナーのマッシモ・チェンチ ( Massimo Cenci ) 氏と仲良くなったからである。 彼はこのカーポ・パッセロの岬の付近にも昔の貴族の別荘を改造した豪華な Villa Bruno di Belmonte というリゾート*2 を所有していて、パソコンで開いたそのホームページの写真を私に見せながら 「 来年はぜひここに泊まりに来い 」 と、その時誘ってくれたのだった。

*2

 すでに8日間シチリア各地をめぐり、前日までアグリジェントで神殿群や考古学博物館を観ながら2日間を過ごしていた私は、この日、贅沢にも*百ユーロを払ってハイヤーを1台雇い、朝8時半に出発して途中ジェラ ( Gela ) やラグーザ・イブラ ( Ragusa Ibla ) などの歴史の古い町をゆっくりと観光しながら、このカーポ・パッセロに夕方5時頃着いたというわけである。 途中、英語の出来る運転手が 「 お客さんは何でまたあんな辺鄙なところに行くんだ。 あそこには何もないですよ。 貴方は刑務所に入りに行くようなもんだ 」 と、私をからかい、脅かした。

*3

 運転手があちこち迷った末、漸くのことで辿り着いたこのヴィラでは、汗臭い黒のTシャツ姿で色黒のアンジェロ ( Angelo ) とサルヴァドーレ ( Salvadore ) という30歳すぎの二人の兄弟が私を待っていた。 通された部屋は真っ青な地中海が目の前に180度広がる200u ほどの青いタイル敷きのテラス*3 の付いた、このヴィラでは最高の部屋 ( 私は一番安い部屋の料金しか事前に払い込まなかったが、きっとCenci氏の好意だろう ) で、面積は都心の最高級ホテルのそれの2倍以上、100u は優にあるだろう。 もちろん、ベッド*2 や家具は豪華な年代物だし、大理石の浴槽、トイレ、ビデも付いている*4。

*4

 だが・・・本当に周囲には全く何もない。 散歩がてら1時間ほど歩いてみたが、紺碧の海*3 と、ところどころにフィキディンディア ( Fichidindia ) #1 が自生している荒涼とした砂地と、すでに崩れきった遺跡と、人が住んでいるのかどうかさえも怪しい幾つかのあばら家と・・・だけである。*5 車は時々通るが人どおりなど、全くない。

*5

 ここで私は、広いテラスに持ち込まれた快適なデッキ椅子に横たわり、地中海の紺碧 ( いわゆる Azzuro ) の海面の潮目*6 の動きを眺め、写真に撮る ( 実際、この写真のような鮮やかな色をしている )。 新井豊美の 「 シチリア幻想行 」#2 をもう一度読み直す。 そして、なぜかこのシチリアとは全く縁もゆかりもない藤沢周平の文庫本を持ち出したりもする。 そうこうしていると、あの汗臭いTシャツを真白なジャケットに着替えたサルヴァドーレが大きなグラスに入った甘く冷たいアーモンドミルク ( Latte di mandorla ) を恭しく運んでくる。*7  彼と手真似を交えて片言のイタリア語で意思疎通を図ろうとするが、なかなか難しい。 こんな事の繰り返しを私はあしかけ3日間やっていた。 ここには電話もないし、TVはあるけれどサッカーくらいしか分からないから一度も点けなかった。

*6

*7

 ふと思いついてサルヴァドーレを呼び、彼のオンボロ自動車に乗せてもらって約7km 離れたマルザメミ ( Marzamemi ) という漁村に行く。 そこにはアデルフィオ ( Adelfio )*8 という名のマグロ ( やイワシやトマトやアーモンド ) の加工食品のメーカーの直販店があって、広いガレージ風の店内にはこれらの珍味の袋詰め、瓶詰め、缶詰がたくさん並んでいる。*9 この店は私が日本で買った本にチラッと紹介されていたのだ。

*8

 そのページを若い主人に見せると、写真とローマ字の店名、住所などは理解できたので彼は大喜びし、そのページをぜひコピーさせてくれと言う。 一方、私は手当たり次第棚に並んだ珍味を買い込んだ。 彼が案内してくれたマグロの冷凍庫*10 を見た後、ふと外を見ると、彼が経営する広いが質素な大衆食堂が道の向い側にあった。 「 今日の夕食はここで食べようか 」 とサルヴァドーレに言うと、主人に話して割引価額で食べさせてくれることになり、8時からの席を予約した。

*9

*10

 まだ明るい7時50分、今度は兄のアンジェロの運転する車で夕食に向かった。 ところで、彼らの車は一度だってガソリンが満タンだった事がない。 1リッター1.5ユーロ ( ¥250 ) もする高いガソリンを50リットルも買う事など、貧しい彼らには到底出来ないのだと推測できた。 助手席の床に落ちていたスタンドの受領書を見ると、彼らは毎回5リットルしか給油していない。 だから彼らの車の燃料計には、すぐに橙色の残量警告ランプがつく。 気の毒なので、私は乗せてもらうたびに10ユーロづつ渡した ( それでも都会のタクシーよりはずっと安い )。 目的の大衆食堂には8時に着いたけれど、まだ店内はテーブルの支度が終っておらず、中には入れない。 この種の事には、もう馴れているから驚かない。

 そのうちに準備が終って8時15分に着席できた。 私はいつものように各種の魚のマリネの盛り合わせ、フリット、イワシのスパゲッティ、などを注文し、日本から持参の練りワサビと醤油も使いながら白ワインを飲む。 と言っても、ここにはシチリアの銘酒プラネタやドンナ・フガータどころか、ワインリストさえなく、500ccか1リットルかと聞かれるだけである。 500ccだと食事の最後の方で物足りなくなることがあると思い、残ってもよいからと1リットルを頼むが、デカンター入りのこのワインがなまぬるくて少々酸っぱい。 でもここは最果ての地だからと諦めて、グイグイと呷っているうちに何となく気分が良くなってくる。

 周囲を見渡すと、漁師風の男たちの懇親会、一族郎党らしい家族連れ、若いカップルなどさまざまである。 素材100点、調理60点のまずまずの料理と、最後にすすり込んだグラニータ #3 で満腹となった私が外に出ると、アンジェロが頃合いを計って迎えに来てくれている。 この村には電車もバスも、そしておそらくタクシーもないのだから、こうしてもらうより仕方がないのだ。

*11

 朝7時頃目を覚まし、洗面して髭を剃り、テラスに出て眩しい地中海を眺めていると、サルヴァドーレが朝食を運んでくる。 このヴィラには今は私以外の客はいないから、彼は私のためにだけ朝早くから出勤し支度をしていたのだ。 メニューは熱いコーヒーとミルク、冷たいレモンティーとアーモンドの果汁、クロワッサンと丸い普通のパン ( 勿論温かい )、バターにママレード、それにびっくりするのが朝から出されるコーヒー風味のグラニータに生クリームをかけたものだ。 これを丸いパンを割った中に思い切り押し込み、ハンバーガーのように横からかじると、その旨さときたら本当に癖になってしまいそうだ。 もちろん冷たいアーモンド果汁も一気に飲む。 太陽の高さの変化とともに刻々とその青味を変化させて行く地中海の水の色を眺め、今から2,500年前頃にここで起っていたさまざまな歴史上の出来事を思い浮かべながら、私は30分以上もかけてゆっくりと朝食をとるのだ。*11

#1:フィキディンディア ( Fichidindia ) とは、和名 「 ヒラウチワサボテン 」。 fichi は fico ( いちじく ) の複数形、d'india は 「 インドの 」 という事だから、直訳するとインドイチジクである。 イタりア南部各地に自生し、6月頃黄色の花を咲かせ、9月頃赤い実をつける。 実は食用になる。 5枚目の写真のまん中あたりに見える。
#2:新井豊美さんは私の旧友の奥さんであり、非常に著名な詩人である。 私がシチリアに行くというので、この詩と紀行文的随想の散文からなる本を送ってくださった。 私は詩は全く分からないが、この散文のすごい所は、日本語が 「 完璧 」 だという事だ。 日本語の文章の 「 アラ探し 」 については自信があるこの私が感心するほどの、こんな完璧な日本語には、数年に一度しか出会うことがない。
#3:グラニータ ( Granita ) について、今更説明の必要もないと思うが、日本の氷水ともシャーベットともはっきり違うので、訳しようがない。

シチリアの他の土地についても、順次掲載します

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