フリーマンの随想

その71. 下北半島の旅


* 一度は行ってみたかった本州のテッペン *

(June 15. 2006)


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 日本地図を眺めながら、青森県の下北半島、ことに恐山に一度は行ってみたいと、以前から思い続けていた。  何年も前から、何回も計画を立てては挫折していたが、母の体調の問題で恒例のイタリア旅行を今年は断念したので、 代わりに下北半島をレンタカーで一周してみたいという強い気持がわいてきた。 カホルがあまり気乗りしないので、 「 それなら1人でも行くぞ! 」 ということになった。 インターネットで十二分に調査も重ねた。 いざ決行!

 いよいよ出発。 下北半島はご承知のように左向きの 「 マサカリ 」 の形をしている。 マサカリの背は東側、 つまり太平洋に面しているので、海は荒いし風も強い。 今回も、6月も半ばというのに気温は摂氏10度くらい、 おまけに強風による横なぐりの雨のため、車から1分とは出ていられない。 そんな中でも尻屋崎の灯台のそばで、 野生の寒立馬 ( かんだちめ ) たちは、平気で草を食んでいた。


 一方、津軽海峡やむつ湾に面している、刃 ( 西 ) やその下 ( 南 ) の部分は、気候がやや穏やかなように思われた。  それでも、長袖のシャツの上に薄手のセーター、さらに薄手の上着を重ねないと、震えてしまう。 この日は昼間でも13度くらいだったろうか。

 最初の晩は半島の北の方にある山奥の薬研 ( やげん ) 温泉というところに泊った。 同宿の客も少なく、泉質は良く、 快適な一夜を過ごす事ができたが、終日の雨で、奥薬研温泉までの美しい渓谷の道を散歩できなかったのが大変心残りだ。


 翌日はマグロ漁で有名な大間へと車を向けた。 「 ホテルの前の道をまっすぐ行き、 突き当たって左折したら最初の信号を左に曲がりなさい 」 と言われて、最初の信号と言えば数百m先かと思って走っていたら、 なんと10km近く先にあった。 都市の常識はもはや通用しないと悟る。  ところで、マグロ漁は8月から1月くらいにかけて行われるらしい。  今回は従っておいしいマグロにはありつけなかったが、その代わり 「 キタムラサキウニ 」 漁の最盛期だった。


 ひと気 も くるま気? も殆どない海岸でレンタカーを走らせていると、 海女さんたちが3人ほど道ばたに座り、獲ってきたばかりのウニの殻を割って身を取り出す作業の真っ最中だった。  車から降りて近寄ると、私の物欲しそうな顔色を察してか、「 一つ食べるかい? 」 と親切に声をかけてくれる。  もちろん、二つ返事で頂戴する。 「 もう一つどうだ? 」 にも断る理由などない。


 強い磯の香りと海水の塩味がついている、まだ動いている生ウニをスプーンですくって口に入れた瞬間の味は 「 絶妙 」 以外の何者でもない。  「 おいくらですか? 」 と念のため訊ねたが、「 いらないよ 」 の一言。  彼女らと話しているうちに分かったことだが、この辺りでは今日 ( 6月10日 ) が、漁解禁の最終日なのだそうだ。  明日からは獲れたてのウニはもう食べられない。 運の良いことだった。


 大間からは、用地の整備が始まったばかりの大間原発 (*1) を左に見ながら制限速度を無視?して車を飛ばし、 佐井の港に向かう。 名勝 「 仏ケ浦 」 まで往復する観光船が10時半に出るので、朝電話で予約してあるのだ。  辛うじて出航に間に合い、「 神のわざ 鬼のてづくり 仏宇陀 人の世ならぬ処なりけり 」 と大町桂月が詠った、 奇岩怪岩の景勝地 「 仏ケ浦 」 に上陸し30分歩き回ることが出来た。 朝方からの小雨もやみ、ここでも運に恵まれた。


 佐井の港に戻ったらウニ祭りをやっていて、ちょうど昼時分だったので、ウニ・イクラ丼を食べた。 これがまた絶品。  どこが絶品かと言うと、ウニもイクラも、まったく臭わないのだ。 一旦冷凍し輸送後解凍した、都会で食べるウニには、 ごくかすかなアンモニア臭がありがちだし、イクラにもかすかな生臭さが伴うことが多いものだが、 共にそういう匂いとは100%無縁である。 不思議とも思えるほどのすがすがしい新鮮な味だった。


 江戸時代にはヒバ材や海産物を積み出す弁財船とその乗組員、商人たちでにぎわったという佐井の港を後にして、 海岸沿いに今日の宿のある下北に向かったが、ニホンザルの住む北限の地の脇野沢まで行く道は工事中で通れないというので、 途中で左折したらカーナビを信用し過ぎか道を間違えてしまい、いつの間にか未舗装の細い村道に入り込み、 泥んこ道に時々車の下腹をこすりながら30分ほど悪戦苦闘した。 戻ろうにも向きを変えるだけの幅もない山道で、 本当に心細かったが、道が下りになったので 「 ままよ 」 と遮二無二進んでいったら突然広い舗装の国道に出ることができ、 事なきを得た(*2)。 後で聞いたら熊が頻繁に出没する地域なのだそうだ。 3回目の幸運と言えるかどうか・・・。

 夜は下北の街に出てインターネットで見つけておいた小さな下北の郷土料理屋にでかけた。  あとからあとから、食べきれないほどいろいろな海の幸が出てきて、どれも皆旨かったが、 ウニをふんだんに使った有名な 「 みそ貝焼き 」 が、地酒の熱燗にはやはり一番合ったようだ ( 下の写真。 左はタコの頭の粕漬 )。


 他に誰も客のいない中、なかなかインテリなご主人と、よもやま話に花が咲いた。  小さな下北半島に二つもの原発が計画されている (*1) が、電力需要が今後あまり増えない見込みと分かるや、 たちまち計画が延期され出したという。 「 下北語 」 で延期とはほとんど中止を意味するのだそうで、 町の経済にすでに影響が出ているとも聞いた。


 翌朝は早起きして恐山に向かった。 7時過ぎに着いたおかげで、日曜日だというのにまだほとんど人が居なかったので、 十分にその独特の雰囲気を味わうことが出来た。 暗い曇り空もむしろ効果的だった。 お土産屋のおばさんによると、昔は、 それはそれは 「 おどろおどろしい 」 場所だったのだが、「 若い人にも来てもらおうというので、 これでもずいぶんと明るい雰囲気に変わった 」 のだそうだ。 しかし、荒涼とした岩ばかりの荒地を、周りに誰もいない中、 時折、亜硫酸ガスや硫化水素の匂いにむせながら歩き、1100年以上も前にこの極北の僻地を探し当てて寺を開いた慈覚大師のことをあれこれ考えていると、 一種異様な感慨に襲われるのだった。 やはりここは 「 恐山 」 ・・・ その情景を十数枚の写真でお目にかけます。 まさに本州最果ての地、 いや、そう言っては失礼なら本州のテッペンの地です。


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(*1):人口密度が低く、経済的にも豊かでない下北半島は、原子力発電所の建設地として狙われやすいのだろう。  東北端の尻屋崎の近くには東通原子力発電所があり、110万kWの沸騰水型軽水炉がすでに1基完成、ほかに 138.5万kWの同型3基の建設が計画されている。 一方、西北端の大間崎の近くには大間原子力発電所が計画され、 138.3万kWの同型のものが1基、本年8月着工の予定である。 その他にも、原子力船の寄港の可否で以前もめたむつ港は、 半島の入口にある。

上記の小料理屋のご主人の話だと、現在八戸まで通じている東北新幹線は、近い将来青森駅まで開通するのだが、 途中、下北半島行きの大湊線が出発する野辺地 ( のへじ ) 駅はなぜか避けて通る計画だ。 地元の人たちが話し合っていると、 「 万一原発にトラブルが起きたとき、下北半島の住民たちが東北新幹線に殺到するのを防ぐためではないか 」 「 いや、野辺地で鉄道も道路も閉鎖され、俺たちは半島に閉めこまれるんじゃないか 」 という 「 オチ 」 になるのだという。  恐山よりずっと怖〜い話だ。

(*2):あとで家に帰ってから気がついたのだが、カーナビがあるのだから、今通っている道の先のほうがどうなっているのか、 車を停めて調べられたのだ。 必死で運転していて、そんな簡単なことに気がつかなかった点に猛反省。

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