フリーマンの随想

その63. 一票の格差(その2)

* 4年間の活動を振り返って *

(Aug. 30, 2004 )


***

 中学生時代からの旧友で作曲家の すぎやまこういち氏 からの要請で、 彼が作ろうと考えていた 「 一票の格差を考える会 」 の事務局長を引き受け、設立に携わったのは、2000年の初めのことでした。

 つたないものですが、会のホームページを自力で制作し、 立ち上げたのが同年の9月上旬のこと。 以来4年、増補改定を繰り返してきましたが、 このページを訪ねあてて読んで下さる方は次第に増え、今日までに累計26,000人近くに達しました。  1日平均18人ほどとなります。

 これまでの4年間の活動ですが、

(1)産経、朝日、読売、週刊文春、週刊新潮などの新聞、週刊誌上への意見広告掲載、

(2)各界の有識者を招いての座談会開催とその内容の新聞紙上での発表

(3)ラッピングバスを仕立て巡行させての首都圏道路上での呼びかけ、

などのどれかを、すぎやま氏の私財の拠出により、毎年欠かさず実施してきました ( 時には見知らぬ方からの寄付も頂きました )。

 また、外部との連携活動としては、

(4)同じ考えを持つ経済同友会との連携による座談会その他の活動を行いました。

(5)櫻井よしこ氏、猪瀬直樹氏ほか多くの方々が私どもの活動の趣旨に賛同して、繰り返し各方面で論陣を張って支持してくださいました。

(6)前衆議院議員柿沢弘治氏、現衆議院議員松原 仁氏、現神奈川県知事松沢成文氏など、多くの政治家が当会を応援してくださり、 2001年には、公明党以外の各政党 ( 自民、民主、自由、保守、社民、共産 ) 所属および無所属の有志衆議院議員100名以上が賛同して、 「 一票の格差の是正をめざす議員連盟 」 が作られました ( その後の政党の合同や選挙での当落などにより、 メンバーは変っています )。

 今年1月14日には、2001年7月の参院選の定数配分 ( 一票の格差 ) が違憲かどうかについて、最高裁が判決を下しました。  今回も、5.06倍もの格差は合憲とされてしまいましたが、裁判官15人中6人は違憲との反対意見を述べました。  従来の判決と画期的に違う点は、 合憲と判断した9人の裁判官のうち4人が 「 次回選挙も現状が漫然と維持されるなら、 違憲の余地が十分にある 」 と厳しく指摘したことです。 違憲と判断した6人とあわせれば、過半数になります。

 「 現状の一票の格差は、憲法違反である 」 と、最高裁がようやく認めようとしているのです。  詳しくは、ここをご覧下さい

 ついに、最高裁内部でも 「 違憲 」 の意見が多数派になろうとしているという事実は、 長い間この活動を続けてこられた多くの日本中の各種団体、個人の方々の努力の集積の成果と考えます。  私どもの4年間の活動も、これに対してささやかな一助になったのであれば、大変嬉しい事です。

(7)この間に日本中から寄せられた多くの激励や反論、質問を頂き、それらにも、一つ一つ答えてきました。

 私のような、毎日特に定職のない人間にとっては、いずれも、刺激のあるそれなりに楽しい仕事でした。

 今回、上記のような活動の体験の中で学び理解したことを基にして、特に多かった質問 ( FAQ ) に対して私が作った 「 会としての回答 」 を、もう一度分かりやすく整理し直して、私のホームページにも載せようと考えました。  1人でも多くの方に、この問題へのご理解とご支持をいただきたいからです。 
*******************
1.「 一票の格差 」 とは何のことでしょうか

 衆議院、参議院などの国政選挙だけでなく、都道府県会議員の地方選挙においても、日本では、諸先進国では考えられないような、 3倍、5倍、あるいはそれ以上の格差があります。 「 一票の格差 」 とは、一人の議員を選出するのに必要な有権者数に、 選挙区ごとに大きな差があるということです。 たとえば、つい先日行われた参議院議員選挙の選挙区選挙を例にとると、 493,898人の選挙人名簿登録者がいる鳥取県から1人の議員が選ばれるのに対して、10,186,916人の東京都からは、 4人が選ばれています。

 ですから、議員一人当たりの有権者は、493,898対2,546,729となり、これは1:5.16です。  つまり、東京都の有権者の5.16票が、鳥取県の有権者の1票に相当するのです。 言い換えれば、東京都の有権者は、 国政に対する権利が1人1票なのに、鳥取県の有権者は、1人が5票以上持っているという不公平 ( 格差 ) があるのです。  このような格差のことを、「 一票の格差 」 と言います。

2.「 一票の格差 」 は、現在どれほど大きいのでしょうか

 参議院選挙については上に述べました。衆議院選挙ではどうでしょうか。 世論に動かされて2002年の7月に見直しが行われた結果、 それまでの2.573倍が縮小しました。 最大の格差は高知1区 対 兵庫6区で、2.124倍となりました。  それでも、2倍以上もあるのです。  高知1区に対して2倍以上の格差をつけられている選挙区は他にも8つありました ( その後の人口変化により、 更に多くなっているかも知れません )。

 意外に知られていないのが、都道府県会議員選挙における 「 一票の格差 」 です。 私どもが昨年、埼玉、神奈川、 千葉の3県について計算したところ、いずれの県でも、選挙区の間に約3倍から5倍の格差がありました。 これも大きな問題です。

3.なぜ 「 一票の格差 」 が大きくてはいけないのですか

 私どもが日ごろ不思議に思っているのは、日本の初等教育における参政権についての教育の在り方です。  そこでは、多くの事実が教えられていますが、一番大事なことなのに、 「 投票価値の平等こそが、民主主義の原点 」 であるということが、 しっかり教えられていないのです。 「 参政権という国民の一番大切な権利は、 すべての国民に平等に与えられなければならない 」 という基本的な理念が教えられていないのです。

 若い人たちの中にはご存じない方もいるかも知れませんが、日本でも、戦前は女性には参政権が全くなかったのです!  また、華族と納税額が特に多い人以外は、貴族院議員に立候補できなかったのです。  今 「 女性には1票、男性には2票与える 」 などという法案が出されたとしたら、ほとんど全部の国民が真っ赤になって怒るでしょうに、 現状では県ごとに、選挙区ごとに、もっと大きな差別が存在しているのに、怒る人が少ないのはなぜでしょうか。  昔、性別により参政権に差別があった頃、それをなくそうと、多くの先人たちが弾圧されながら闘いました。  しかし、その差別を一気に解消してくれたのは、米占領軍だったのです。  日本人が参政権の格差に鈍感なのは、このあたりに原因が在るのでしょうか?

4.諸外国では 「 一票の格差 」 はどうなっていますか

 日本人はすぐに 「 欧米ではどうですか? 」 と聞きたがりますね。  「 良いことだとは思うけど、欧米先進国でもまだやっていないのだから、 もう少し様子を見たら 」 とか・・・。 私は、欧米がどうであろうと、何事も悪いことは率先してやめ、 良いことは率先してやるべきだと思います。

 それはともかくとして、欧米先進国は、さすがに立派です。  経済同友会の資料によると、米国の慣例では、ほぼ10%以内の格差ならやむをえないとしています。  イギリスは基準人口に対する偏差がイングランドで4%、ほかのところは17%以内に納まっています。  英米以外では、ドイツは偏差がおよそ15%以内であり、25%を超えると区割りが変更になります。  フランスは10%以内で、20%を超えると違憲。 イタリアは15%以内。 カナダは最大25%以内です。  このように、欧米先進国の許容範囲は、おおむねプラスマイナス15%程度、あるいはそれ以下です。  衆議院で2倍以上、参議院で5倍以上という日本の格差をこの偏差値に換算すると、 それぞれプラスマイナス約35%と約67%にも達します。

 米国では、国政調査は、日本と違い、主に各種選挙の州ごとの定数や選挙区の区割りの変更を行うために実施されると聞きました。  国勢調査を行うたびに、すぐにその結果にもとずいて大統領選や下院議員選についての修正が行われ、格差の縮減が実施されます。

 一方、米国の上院議員は、大きな州でも小さな州でも2人づつと定められています。 これを持ち出して、 「 日本でも ( 参議院は ) 大きな格差が有っても良い 」 と言い出す方が、時々います。 しかし、 それは米国の上院というものの性格を理解していない考え方です。 米国は夫々の州兵や夫々独自の法体系を持った、 半独立国のような51の州の連合体( UNITED STATES )です。  米国の州と日本の県とでは、発生の歴史にも、持つ性格にも、非常に大きな違いがあるのです。  米国の上院と日本の参議院とは、似て非なるものです。

 逆に、残念ですが、発展途上国では非常に大きな格差、差別があることが多いようです。 以前、フィリピンでは、マルコス大統領が、 自分の地盤の選挙区の投票だけを2倍に数えるという、とんでもない 「 一票の格差 」 を実施しようとしたのがその一例です。  でも、日本の衆議院議員選挙では、2倍以上の格差が現存しているのです。 日本人はマルコスの所業を笑えるでしょうか?

5.日本ではなぜ 「 一票の格差 」 が大きくなってしまったのでしょうか

 歴史的に考えると、太平洋戦争直後の混乱期には、疎開の影響、食糧難その他の影響で、地方に住む人が、 現在よりずっと多かったのです。 その後現在まで一貫して、地方から都市部へ向っての人口の移動が50年以上も続いているので、 多少の手直しをしてもすぐに 「 一票の格差 」 は、また大きくなってしまうのです。

 制度的な点では、竹下元総理の時代に、衆議院の議席は、まずすべての都道府県に、人口に関係なく1議席づつ与え、 残りの議席を人口比率で配分するというやり方が採用されました ( 衆議院議員選挙区画定審議会設置法 )。  これが、世上 「 タケマンダー 」 と非難されている、彼一流の抜け目ない方法でした。 この方式がある限り、 そして県境を越えた選挙区を認めない限り、どんな工夫をしても、「 一票の格差 」 を2倍以下にすることは、もはや出来ないのです。  彼の出身地島根県が、その後一貫して、「 一票の格差 」 の点で、最も優遇された選挙区の一つであり続けたのも、このためです。

 今後は、行政区 ( 県境など ) を無視して選挙区を変更し設定することも視野に入れてゆく必要があります。 欧米諸先進国では、 これは通常、当たり前のこととして行われています。 日本でも、良い人、良い政党を、 全国民が公平で平等な権利のもとに選ぶことさえ出来れば、選挙区の境界などにこだわらないという時代の到来が待たれます。  選挙区の変更に頑強に抵抗するのは、票目当ての地元への利益誘導にのみ汲々としている一部の現職議員と、 それに期待して群がったり、地縁血縁をことさらに重視したりする周辺の人たちだけではないでしょうか。

6.地方は都市部に比べてハンディがあるのだから 「 一票の格差 」 が大きくても良いのでは?という疑問

 確かに地方と都市部とでは、それぞれに優れた点と劣った点とがあります。  私たちの活動の過程で寄せられたまじめな反論の多くは、次のようなものでした。 「 地方は都市部に比べていろいろの面で遅れており、不便であり、しばしば貧しい。 だから、 初心者にハンディキャップをあげるような意味で、議員定数を多く与えないと、都市部との競争においてますます不利になる 」

 これに対しては、次のようにお答えしたいと思います。

A.地方の 「 遅れや貧困 」 への対応は ( 適切な範囲内の ) 地方交付税の供与や、 ( 適切な内容に限った ) 公共事業投資のような経済的施策で行うべきです。  この対応を議員定員増により行うというのは、見当はずれ、ないしは問題のスリカエです。  下記のような国会議員による選挙区への利益誘導を是認する考えであるだけでなく、これをますます奨励する結果になります。

B.国会議員は、誰かさんのように、出身の地元や出身グループへの利益誘導することが主な仕事なのでしょうか。  確かに、政党政治というからには、出身グループ、階層などの利益代表という考えも基本の一つでしょう。  しかし、議員自身だけでなく、有権者までもがそれが国会議員の主務であると誤解していて、 いろいろと利権誘導を 「 せびる 」 ところに、政治の貧困と腐敗の原因の一つがあると思います。  日本全体を大所高所から見ながら、地域エゴなく適切に財や権益を配分して行くことができるのが、真の国会議員です。

C.国会議員の大事な仕事は、財や権益の配分だけではなく、もっとほかにある筈です。  安全保障、教育制度、エネルギー供給、少子化、年金、財政再建ほか幾多の、日本の将来を左右する 地方にも都市にも共通の全国的な課題への取組みと解決が、もっと大切な職務です。

D.こういう仕事の出来る人材を全国から探し出し選ぶ事こそが、国政選挙の本来の姿でしょう。  こういう仕事を安心して任せられる、広い視野、高い理想、高潔な人格を持った議員が少ないのが、残念ながら現状ですが、 こういう課題のための国会議員であるなら、それは全国から有権者数に比例して選ばれるべきです。

参考:有権者への質問「 あなたが投票する候補者に、地元と国家のどちらに力点をおいて活動してほしいですか 」

青森・・・地元 61 %; 国家 25 %
東京・・・地元 33 %; 国家 55 % ( 前回総選挙中の毎日新聞世論調査より )

E.これに対して、地方の道路だ橋だ空港だという問題は、各県知事、県議会に任せるべきです。 そのために必要な金は、 国から地方に与え、それを何にどう配分しどう使うかは、国会議員ではなく県知事や県議会が考えて決めるべきことです。  これこそが真の地方分権でしょう。

7.「一票の格差」が大きいと、どういうことが起きるのでしょうか

 前項では 「 地方には都市部に比べてハンディキャップがある 」 と、頭から決め込んだ質問への答を述べたのですが、 本当にそうなのでしょうか。  都市部には都市部特有のハンディキャップがあります。児童保育の待機児童数などは、明らかに地方の方が低く、 都市部では高くなっています。 狭い道路の渋滞、通勤地獄、高い土地や住宅の価額など、 都市部のハンディキャップはたくさん思いつきます。  まあ、こういう 「 どちらが損をしているか 」 という論争は、互いにキリがないのでやめるとして、 次の2点だけは、はっきりさせておく必要があります。

A.都市部が地方から羨ましがられている点のほとんどは、民間のセクターによって都会に作られたものであって、 国の税金で作られたものは、考えてみると非常に少ないという事実です。 一流百貨店や高級専門店、電鉄網、巨大レジャー施設、美術館、 各種の劇場、プロ野球やサッカーの本拠地などが前者です。  税金を使って主に都市部に作られたものと言えば、国公立の大学や病院、博物館くらいなものです。  高速道路や旧国鉄などは、都市部の人にも地方の人にも、それぞれ役立っています。

B.経済同友会がおつくりになった、大変興味ある日本地図があります。 ご好意により転載させていただきました。

地図はここから Adobe Acrobat Reader で

   最初の図は、各都道府県民1人あたりに対して政府が支出する普通建設事業費を、約10づつの5段階に分け、色分けして示したものです。 赤い都道府県は、1人がもっとも多くの金を受け取っているところで、39.6とは、 1年間に1人が24.8万円から39.6万円まで受け取る県を示します。  もっとも多く貰っているのは島根県です。これに対し、白い都道府県は、1人が年間10.8万円以下しか貰えない地域で、 中でも最も少ない神奈川県は、3.5万円に過ぎません。  最大と最小の差が、11倍以上もあることに注目してください。 ある地域の住民が、他の地域の住民より、1人あたり11倍以上も、 種々の建設をしてもらい、その恩恵を受けているということです。

 2番目の地図は、衆議院議員選挙における一票の格差を、都道府県ごとに同様に5段階に分け、色分けして示したものです。  もっとも一票の価値の 「 高い 」 のは、これまた島根県です。 これを 1 とし、他の都道府県は、1人の議員を選ぶために、 その何倍の有権者数が必要かで示してあります。 白色の都道府県が、一票の格差が最も大きい、つまり、 一票の価値が低く、選挙で一番損をしているグループです。  1.98とは1.75倍から1.98倍までの大きな格差があるグループで、中でも東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県などが、 1.90台の大きな格差をつけられています。  これに対し、赤色の都道府県が、もっともトクをしているグループで、1.21とは1倍から1.21倍までの格差のグループを示します。

 この二つの地図を比較して、何か気がつきませんか? そうです。両者はほとんど同じ色分けです。  まったく良い相関関係にあるのです。 これは、とりもなおさず、 一票の格差を利用して少ない票数で当選してきた地方議員たちが、自分の選挙区に国の建設予算をたくさん割り当ててきた結果です。  まさに 「 利益誘導 」 そのものです。

 都市の住民も、地方の住民も、同じように共に額に汗して働いています。 しかし、その見返りに国が与えてくれる金は、 同じではなく、1人あたりでは地方の人に最大で10倍以上も多く与えられているということです。

 地方、とくに過疎地では、人口に比例する以上にいろいろな建設事業を行わないと、地域の荒廃が起こりかねないという事情は、 確かにあります。 しかし、5倍も10倍もの金を、毎年毎年投じなくてはならないのでしょうか。  最近各地で問題になっている、本当に必要なのか、地域環境に有害ではないかと指摘されている 幾つものダムや干拓工事、ほとんど使われない高速道路などの例を見てもわかるように、 地方選出議員がゼネコンに国費を与えるためとしか考えられない建設事業も少なくありません。  こういう悪徳と不合理を遡って行くと、一票の格差にたどり着くということを、この二つの図は、はっきりと示しています。

 多くの方から 「 都会は沢山のお金を国から貰っているのに・・・ 」 というご意見を頂きましたが、 それが全くの 「 思い込み 」 に過ぎず、事実は正反対だということを、ご理解いただけたでしょうか。

8.裁判所は 「 一票の格差 」 を是正してくれないのでしょうか

 長い間、多くの団体、組織、個人が、「 大きな一票の格差 」 は違憲であると訴え、法廷闘争を行ってきました。  しかし結果はと言えば、いつもいつも敗訴で、多数派の最高裁裁判官たちは 「 この程度の格差は違憲とは言えない 」 という、 時の権力に媚びているとしか思えない判決を出し続けてきました。

 興味ある事ですが、最高裁の裁判官の中では、裁判官、検察官などの出身の9人が、いつも 「 合憲 」 だと判断し、 弁護士、外交官出身の5人の判事は毎回 「 違憲 」 だと言っていることです。 同じ事実について、 裁判官の出身の違いが判断の違いに直接結びつくという、裁判官の政治的中立性を疑わせるような極めておかしな事実が続いているのです。  この出身の構成比が当面変わらない以上、今後も期待が出来ません。

 と思っていたら、今年の1月14日、01年7月の参院選の定数配分 ( 一票の格差 ) が、違憲かどうかについて、 最高裁が今までとはだいぶ違う判決を下しました。  今回も、5.06倍もの格差は合憲とされてしまいました( 但し、裁判官15人中6人は違憲との反対意見を述べました ) が、  従来の判決と画期的に違う点は、 合憲と判断した9人の裁判官のうち4人が 「 次回選挙でも現状が漫然と維持されるなら、 違憲の余地が十分にある 」 と厳しく指摘したことです。  詳しくは、ここをご覧下さい

9.最高裁の裁判官を変えられないのですか

 毎回の衆議院議員選挙の際、裁判官の一部が国民審査にかけられます。 ここで投票数の半分以上の×を付けられた裁判官は罷免されます。  しかし、過去の実績から見て、それはほとんど不可能と言えるほど困難なことのようです。

 毎回、約5000万人の有権者が国民審査の投票を行います。 このうち、約90%の人は、何も印を付けずに投票箱に入れます。  ×が付くのは 「 合憲派 」 裁判官が約550万票、「 違憲派 」 の裁判官が約500万票です。  つまり、500万人は全員に×をつけるのです。 意識的に 「 合憲派 」 の裁判官だけに×をつけて罷免させようと考える人は、 全体の1%程度 ( 約50万人 ) に過ぎないのです。 これを50倍 ( 2500万票 ) にも増やさないと、罷免には至りません。  当会もこれに向けて選挙前に周知のための活動を行った事がありますが、あまり効果がありませんでした。

 全員に×をつけるのは、本当は意味がないのです。 仮に全裁判官に20%の×が付いても、皆が同じなので、誰も痛痒を感じません。  A裁判官は1%×なのに、B裁判官は20%×という風に、裁判官の間に差が付いてこそ、国民の意思が伝わるのです。

 では、どういう観点で誰と誰に×をつけるのか・・・選挙広報の資料を熟読しても、 どの判決がどういう意味を持っているのか、理解することは、だれにとっても非常に難しいことです。  分からないから誰にも×をつけない人がほとんどで、結局、自動的に全員が承認されるしかないように出来ているといえます。  この制度 ( 最高裁判所裁判官国民審査法 ) 自体、全く形式的な制度です。 日本国憲法を作った米国にも見当たらないようで、 実に不思議な制度です。

この先 

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。