フリーマンの随想

その62. 死ぬ前にナポリを見ておきました


* まさに 「 何でも有り 」 の都市でした *

(JUN. 30. 2004)


 イラク戦争も、年金問題も、北朝鮮関係も、問題山積で困難を極めているこの時期、遊んでばかりいて、本当に気が引けるのですが、 今年も、年に1回の休暇?をいただき、月の半分以上も南欧をあちこち一人でうろついていました。  主に南イタリアのナポリに腰を据え、そこのホテルに荷物を預けて、 ゆっくり他の町に2〜3泊で出かけては戻るということを繰り返していました。

 3台のカメラを持ち込み、500枚ほどの写真を撮ってきました。 感想をとりとめなく綴って見ましたので、 別添の8枚ほどの写真と共にご笑覧下さい。 なお、本欄の記事の真実性、公正性については、 100%の保証はいたしかねますので、予めご承知下さい。

 スリ+ひったくり+ゴミ+犬の糞

 10年前のサミット開催以降、警官の巡邏も増え、治安は昔よりだいぶ良くなって来たとは言われるものの、 名にしおう 「 スリとかっぱらいの町 」 ナポリです。 多くの地域では夜間外出しない方が良いことは勿論、昼間でも、 旅行者は絶対に入ってはいけない地域もいくつかあり、街頭で撮影中も手に持ったカメラを突然ひったくられないよう、 常に細心の注意が必要でした。  でも、少し離れた小さな町や離れ島に行けば、夜歩きも可能ですし、日本同様ポケットに財布を入れて歩くことだってできます。

  私は腕時計も出発前に古い数千円の安物にとり替え ( おまけに、盗られたときのためにもう一つ安時計を持参し )、 ポケットには常時小銭を千円程度しか入れず、クレジットカードと大きな紙幣は、007もビックリの特殊の方式で身につけていましたので、 何の心配も要りませんでした ( その詳細については、特許申請上の問題もあり、公表を控えさせていただきます )。

 「 夕食は行きは明るいから良いが、帰りは暗いから絶対に歩いてはいけない 」 と現地でも聞かされ、それを守りましたが、 今度は帰りのタクシーの運転手に料金を水増し要求され、それに反論できず口惜しい思いを数回しました。  本当にあの雲助運転手どもは、ほとんどもう 「 ゆすり 」 そのものだ! )。

   町中がゴミだらけという点でも、ナポリは壮絶という言葉が似合うほど凄いところです。  このままで地中海の汚染はどうなるのでしょうか?  でも、この点も、上記の小さな町や離島に行けば、日本並みに清潔なのですから、やる気があるかないかだけの話だと思います。  また、歩道は犬の糞だらけです。  ミラノの住宅街もひどかったが、その数倍はあります。  歩道を歩くときは、昔から 「 ナポリを見て死ね 」 と言われてきたほどの美しい景色には目をくれず、 常に 「 下を向〜いて歩こ〜う 」 と、口ずさみながら、ヒョイヒョイとまたいで行く必要があります。

 晴れた乾いた日に向い風が吹き付けて来たりしたら、埃の中身を想像しただけで、一瞬息がとまります。  タクシーを降りるときも、足を下ろす前にまず、犬の糞がないかどうか確認する必要があります。  とにかく、ホテルの部屋には靴のまま入るのですから、自分の前にいた客は犬の糞を踏まなかっただろうか、 メイドは床の電気掃除機を丁寧にかけてくれただろうか・・・と、気になるばかりでした。

 ブオン アッペティート!

 今回は特に 「 旨い物 」 探しにも精を出しました。  今まで敬遠していたミシュランの☆が ( たった一つですが ) ついている店も、3店ほど訪ね、さすがにそれなりの納得感を得ました。  しかし、以前から繰り返し申しているように、海外旅行で夕食に旨いものを食おうと思ったら、 ホテルのコンシエルジュにしつこく尋ねて ( もちろん多少のチップを渡して )、旅行者たちは滅多に訪れない、 町の人たちだけの 「 とっておきの 」 穴場のリストランテやトラットリアを教えてもらうことです。  値段は安い、量は多い、味はまた格別という次第で、その明るく活気ある雰囲気と共に、私にとっては旅行の最大の醍醐味です。

 たとえば、アマルフィという歴史の古い小さな美しい海辺の町に滞在したときも、そういうところに行きました。  ホテルから歩いてほんの10分くらいですが、他のリストランテの客席のど真ん中を通っている幅1m余の公道!を通り抜けたり、 薄暗いトンネルをくぐったり、町の男女が一杯やりながら騒いでいる広場を抜けたりして、たどり着きます。  要するに、観光客にぞろぞろ来て貰えるような立地ではないということです。  客はにぎやかな地元の家族連ればかり。 この種の店の魚料理はどれも絶品でした。  飛び切り新鮮なトマトとモッツァレラチーズのサラダにもはまりました。

   1本20ユーロ程度とまずまずの値段の地元の辛口白ワイン ( Greco di Tufo か Fiano di Avellino の系統の2000から2002年にかけての物ばかりを今回は連日愛用: とにかく、全く酸味を感じない )の冷えたのを、キューッと飲み干しながら、体重減量の件はとりあえず忘れ、 舌と胃の腑に連夜、至福の思いを味わわせてやりました。

 サミットのとき、クリントンがわざわざ訪れたという有名な店のマルゲリータピザにすら思ったほど感激しなかったので、 ナポリでの昼食は、意外と美味しかった地ビールを片手に、連日魚介類系の各種パスタに挑戦しました。  それにしても、この地方のパスタはどの店も聞きしに勝るアルデンテです。 アルデンテの字義通り、 噛み切るのに力が要ります。 ミラノあたりのパスタなんて、これに比べればもうフニャフニャでブヨブヨですよ。

 甘いものは好きではないのですが、ここまで来たからにはアイスクリームはもちろん、有名なスフォリアテッラやババとはどんなものかと、 有名店のものを数個ずつ比較賞味し、まあ、この程度のものかと・・・。  胸焼けするので、事後に用意の太田胃酸をのむ必要がありました。

 というわけで、帰国直後、体重は2kg増えていましたが、その日から禁酒節食と筋トレを再開したら、1週間で元に戻りました。  やはり、食べられるときには食べておかなくては・・・老い先短い身に悔いが残りますから。

 チップを二重取りしようとするカメリエーレ ( ウエイター )

 どのイタリア旅行案内書を見ても、食事後はまず勘定書きを要求し、そこにサービス料が書いてあれば、チップは不要、 あげるとしても小銭程度、もし書いてなければ、満足度に応じて10%前後を加えて渡すと説明されています。  実情はと言うと、今回の私の場合、ミシュランの☆の付くほどの高級なリストランテから、街角のトラットリアまで、 両者がほぼ1:2くらいの割合でした。 また、店の入口に掲示してあるメニューに 「 当店では15%のサービス料を頂きます 」 と明記してあるところもありました。

 注意しなくてはならないのがカードで支払う場合で、米国および一部の欧州の国では、カ−ドの支払用紙にチップを記入する欄があり、 チップ額を書いてから更に合計額も記入してサインするという方式ですが、イタリアでは、支払用紙にはチップ記入欄がなく、 チップだけは現金でその場で渡すことになります。 だから、カードだけでなく、 どんなチップ額にも対応できるよう、種々の紙幣やコインを持った上で食事に出かける必要があります ( 大きな紙幣を渡し、 「 いくらチップをやるからお釣りをくれ 」 と言う方法をとると、なぜか急に英語が分からないふりをしたり???、 そのままどこかに消えてなかなかお釣りを持ってこなくなったりするウエイターがいるのでご注意 )。

 ある上等のリストランテで、請求書に servizio という欄があり、 12%のサービス料が加算されていたので 「 サービスは入っているんだね 」 と念を押したら、そのウエイターは 「 そうです。でも、 それは全部ボスに行ってしまい、私にはきません 」 と、実に悲しそうな表情としぐさで言うのです。  そこで仕方なく、ほんの少しですが、現金を彼に渡しました。 ところが、翌日、別の店で、全く同じことが起きました。  「 これは変だ 」 と思った私は、たまたまその次の日に会った現地人のガイドに事情を詳しく話したところ、次のような説明でした。

 『 以前はサービス料は個々のウエイターに、客がその場で現金で支払っていました。 ところが、旅行者などの中には、 払わない人や払うことを忘れる人がいるので、サービス料を勘定書きに記入して徴収し、後日 ( 通常2週間後 )、 担当のウエイターごとに集計して分配するようにしたのです。 所が、彼らはそれが待てないのです。  サービスを行なったその場で現金で貰いたいのです。  そこで、そんな嘘をついて、何も知らない観光客からチップを二重取りする悪い連中が出てきたのです。 払う必要はありません 』

 それにしても、彼の表情としぐさとは真に迫っていて、本当に同情を誘うものでした。 さすがはオペラの本場イタリア人です。

 サッカー狂の国

 折り悪しくポルトガルで開催されているEURO2004のサッカーが真っ盛り・・・。  当たり前ですが現地時間では日本と違って夕方5時から9時くらいにかけての2試合が実況ナマ放送ですから、 イタリアが出場する試合があった晩なんて、ホテルのフロントまで ( 但し男のみ ) ソワソワしていて 「 こりゃ、 今日は夕飯を食いに出て行ったって、まともな味付けの物など食わせて貰えそうもない 」 とあきらめ、 街角で買ってきたビールとお惣菜で自室でTV観戦しながら夕食を済ませました。  あろうことか、強豪イタリアが引き分けばかりでちっとも勝てず、そのためか街は実に静かでした。

 以前フィレンツェに滞在したときなど、国内リーグで地元チームのフィオレンティナ ( 今度、中田選手が移籍した:7月18日追記 ) が勝ったというだけで、 夜半までオートバイの若者が警笛を鳴らして走り回っていて、眠れなかった記憶があります。 もしイタリアが勝ち進んだりでもしたら、 どんな騒ぎになったことでしょうか。 悪いけど、私にとってはイタリアが敗退してくれて良かったようです。

 無為の時間

 とにかく今回は 「 今すぐする必要があることなど何もない 」 という、私にとっては何とも稀有な体験の毎日でした。  日本に居ると、こういうときには 「 何かすることないかな 」 と立ち上がるのですが、 ここでは立ち上がってもせいぜい下着の洗濯くらいしかすることがないと分かっているので、  ホテルのベランダで寝椅子に横たわり、大きなパラソルの陰に入って、 冷たい缶ビール片手にただただボーッと紺碧の海を眺めているだけの数時間・・・ということになります。  この私も、昨年までは、せっかくの個人旅行なのに、あそこを観たら次はあそこと、 セカセカと行程表通りに飛び回っては疲れ果てる典型的日本型レジャー人間でした。  それが、今年からは考え直して 「 無為な時間 」 の多いプランをつくり、それを楽しめる人間へと、ようやく脱皮できたようです  ( もちろん、毎日のように、美術館、博物館、遺跡などを訪ねてはいましたが )。

 こういうことが出来たのも、もちろん、私が仕事をやめて現役を離脱しているお蔭です。 さすがにアマルフィあたりまで来ると、 日本人は駆け足で半日ほど町を覗きに来たらしい数人連れの若い元気な女性グループが、たまに目につく程度です。   客の大半は、服装、物腰、喋り方から、遠目にも米国人団体客とひと目で分かる中年・初老の連中ばかり。  そばに寄れば、聞こえてくる言葉は、紛れもない米国北部の白人の英語。

 彼らは、1日の大半を、海辺やプールサイドのデッキチェアに寝そべり、 サンタンオイルを塗りたくった体に ( 時にはブラまで外し 「 いちもつ 」 ならぬ 「 ニもつ 」 にまで ) 地中海の強い陽射しを当てながら、 何時間も推理小説らしきものを夢中になって読んでいるのです。  ときどき思い出したように飛び込んで泳ぐと、また寝そべって本を読む・・・この繰り返しばかりです。  これは、ときどき見かけるドイツ人や北欧人も全く同様です。 年齢から見て退職前の現役世代と思われるのに、実に悠然としています。

 日本型の欲張り駆け足旅行と、どちらが良いとか悪いとかいう問題ではありませんが、 こういうところが彼我の最大の相違だと、今回も痛感しました。

 ドライビング・ナポレターノ

 ローマのタクシーも凄かったけれど、ナポリ市内の自動車の運転のすさまじさと来たら、それはもう尋常ではありません。  道路の両側はどこまで行ってもすべて違法駐車の車で埋め尽くされ(*)、 行き交う車は何と3cm!くらいの隙間を維持しながら、上手にすれ違って行きます。  私が 「 これは今度こそ絶対にすれ違えない。 きっとガリガリッと音がする! 」 と思わず目をつぶっても、 運転手はいとも気軽に私の確信を打ち砕きながらスルリと走り抜けて行きます。  まるで、ナポリの車には、瞬間的に車幅を小さくできる魔法のボタンでも付いているかのようです。

 タクシーやマイクロバスの運転手は右手でハンドルを操作し、 開けた窓から左手を出して ( 左ハンドルですよ ) 器用にドアミラーを畳んだり拡げたりしながら、ヒラリヒラリと身をかわして、 結構な速度で走り抜けて行きます。 助手席に乗っている人は、石垣などをこすらないように、 右手で右のドアミラーを畳んだり拡げたりしてこれを手伝います。

   そのまた僅かな車列の切れ目を縫って、2人乗りや3人乗りのバイクが、車の両側!をスイスイと追い越し、前を横切って行きます。  車は赤信号を守りますが、バイクの半分は無視して走っています。  こういう混沌の中を、ゼロ歳の赤ん坊を左手で抱き、右手で片手運転している呆れた父親もいます。  まさに 「 何でも有り 」です。

 でも、本当に驚いたことに、6日間もナポリに滞在し、繁華街を歩き回っていたのに、ただの一度も交通事故の現場を見ませんでした。  彼らの運転技術や歩行技術は本当に素晴らしいものです。 日本では交差点でモタモタしているオバサンにイライラする事もある私も、 ナポリでは肥ったオバサンたちのお尻にくっついて赤信号でも駆けて渡るのが一番確実と分かり、それを実行していました。  そういえば、犬や猫の轢死体も見ませんでした。 きっと、彼らもすばしこいのでしょう。

   道の両側に停めた車と車はバンパーとバンパーの間隔は平均でせいぜい20cm程度、 中には完全にくっついている場合も珍しくありません。  発進するときは、前後の車をバンパーで おしこくって 間隔を広げて、実に器用に出て行きます。  だからどの車もバンパーは傷だらけです。 日本に帰ってきた翌日、私が運転したら、 助手席の妻が 「 怖い、ぶつかる! 」 と何度も叫びました。 知らず知らず、私にはナポリ風の運転が身についていたのでした。
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*: 何でこんな事になるのかと言うと、まずほとんどの民家には駐車する場所がないということです。  古い町では、急勾配の幅1mあまりの狭い道路や階段が網の目のようにつながった奥の奥まで人家が密集しています。  そういう所に住む人たちは、表の広い公道に車を置いておくしかないのです。 だから、何もなければ片側2車線の立派な道路が、  片側1車線づつになったり、時にはやむを得ず一方通行に変えられたりすることになるのです。

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 日本の物価は高くない (追加)

 ところで、日本の物価が欧米に比べて割高だと言うのは、昔の話で、今は逆転すらしていますね。  ちょっとした夕食をちょっとした店で食べたら、酒やチップも入れて1人60から80ユーロします。  今はユーロが強いこともあり、8千円から1万1千円です。 日本よりやや高いという実感です。  これで味がまずかったら許せないのですが、幸いナポリ近辺は一般に少々塩辛いことを除けば、どこでも美味しいものが食べられます。  寺院や美術館の観覧料も、5から8ユーロ、つまり700円から1100円ですから、ちっとも安くありません。  しかしタクシーや汽船、バス、列車などは日本よりかなり安い感じです。

 正調の旋律 (追加)

 晴れた日には、ナポリの町からは有名なヴェスビオ火山が良く見えます。 私どもが子供の頃から聞きなれたイタリア民謡に、 「 ・・・行こう、行こう、火の山に、フニクリ、フニクラ・・・ 」 という有名な歌がありますね。  このメロディが、この地方の連絡船や観光船では、好んで流されています。  ところが、ふと気づいたのですが、1カ所、私が覚えているのと旋律が違うのです。

 最後の 「 ・・・誰も乗る、フリクリ、フニクラ 」 の部分の 「 誰も乗る 」 が、日本で私が聞き覚えた旋律では、 レ・ド・ラ・シ・ソなのですが、ご当地ではいつもレ・ド・シ・ラ・ソなのです。 日本に持ち込まれたとき、わざと変えたのか、 それとも偶然間違えたのか、とにかく、正調の旋律は、レ・ド・シ・ラ・ソであるようです。

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。