フリーマンの随想

その56. ポルトガルへの旅


* 初めて見て、感じたポルトガル *

(Oct. 11. 2003)


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 9月中旬から10月上旬にかけて、イタリアからマドリッドを経てスペインの北部を回り、そしてポルトガルの小さな村々へと、 一人旅してきました。 イタリアとスペインはそれぞれ3度目ですが、ポルトガルに行くのは初めてでした。  とても小さな布製のスーツケースと、質素な、これも布製のリュックサックだけを道連れに ( だから毎日30分洗濯です )、 まさに普段着の旅でした。

 3カ月くらい前から何冊ものガイドブックを精読し、インターネット上の無数の旅行記のうちから参考になりそうなものを熟読し、 現地のローカル電車や、小さな町のバスの発着時間までも、インターネットで調べ尽くし・・・いやぁ、インターネットって、 実に凄い情報源ですね。 建物の玄関や内部の写真はもちろん、出発前に在スペインの知人が教えてくれたレストランなどは、 英仏西3カ国語のメニューまで出てくるのです。  日本に居るうちから、何を食べるか、おおよその腹づもりを決めておけるのです!

 そうやって、旅程は全部自分で考え、作りました。 ですから、乗り遅れようが立ち往生しようが、すべて自分の責任です。  ホテルの予約と航空券の購入だけは、3年前からは自分ではやらず、欧州のある大都市にある、知り合いの旅行社に、 メールでお願いして手配してもらいます。 その方が割引レートがあって安いし、手配ミスがないからです。

 ここまで自分でやり、綿密な旅程表をつくり上げると、行く前に、もう、多くの写真映像をもとにして、頭の中に、街並みの光景や、 ホテルのたたずまいから、レストランの雰囲気さえもが、時間の順にイメージとして浮かび上がって来るようになります。  冗談半分に 「 ここまで分かれば、もう行く必要はないんじゃないか 」 とさえ思ってしまうほどです。

 実際のところを申しますと、事前に出来上がったこのイメージと、現地に行って触れた現実のイメージとは、よく似ている場合が50%、 期待以上に良い場合や、期待していなかった良さに出遭い感激する場合が30%、期待以下で失望したり、 不測の事態が起きて慌てたりする場合が20%という程度でしょうか。真ん中の30%が旅の楽しみ、最後の不測の事態も、 落ち着いてうまく克服できれば、やはり旅の良い思い出となります。

 でも、こういう緊張感の強い旅は、帰国してから、心身ともにドッと疲れが出ます。 1週間は、外出する気にもなれません。  年齢のせいでしょうが、毎年、その程度がひどくなります。 たぶん、あと3、4年・・・75歳くらいまでが限度でしょう。

 それなら、意地を張らずに、気楽な 「 旅行社のツアー 」 に参加したらよいではないか・・・。  確かにそうなのですが、二人連れがほとんどのツアーの中に、ひとりだけのメンバーとして参加するのは、ひどく侘しいように思え、 その気になれないのです。  妻が健康だったら、もちろん一緒に行けるのですが・・・実際、97年と98年には、二人だけの個人旅行1回 ( カナダ ) のほか、 ツアー旅行にも2回 ( ニュージーランドとイタリア ) 参加したのです。 残念なことです。

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 インターネットを開くと、無数の旅行記が飛び出してきますよね。 中には機内食や街角の公衆トイレの写真まで入れ、 時々刻々の行動を事細かにすべて描写し尽くし、書き連ねているのもあります。 本当にマメな人たちだと、感心するばかりです。  「 私はこんなに沢山の国に行ったよ 」 と、30回ほどの海外旅行をズラリと並べて紹介している人さえいます。  嬉しくて発表したくて仕方ないお気持がわかり、微笑ましいのですが、 一面識もない人がツアーの一員となって駆け足で典型的な観光ルートを回った記録などを読ませていただいても、 申し訳ありませんが、興味も湧かないし何の参考にもなりません。  それに反し、学生さんが私の行こうとする僻地に質素な一人旅をして、戸惑い失敗を重ね苦しんだ正直な記録などを読むと、 いつも感心したり、とてもよい参考になったりします。

 私の旅行は、老人の一人旅で、しかも相当な贅沢旅行ですので、ご紹介しても、他人様にはあまり参考になるとは思えません。  また、仮になるとしても、プライベートな旅行体験や感慨は、そっと自分の胸にだけしまっておきたいのが私の性格なので、 毎年長期旅行していながら、このホームページにも、今まで2度だけ、簡単な紀行文を載せただけでした。  今回も、紀行文的なことはなるべく書きません。 現地で、朝から晩まで、英語と、 片言の ( イタリア語+スペイン語 )/2みたいな言葉ばかりを話し、異文化、異文明に触れていた私が、知り、感じ、 考えた事を少々書いてみたいだけです。 美しい写真も沢山撮りましたが、ここには載せません。  7枚ほどを別のページの下のほうに載せました

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 言葉:

 10年以上前、在米中に、あるパーティで、友人のイタリア人とブラジル人が、それぞれの母国語で ( つまり、イタリア語とポルトガル語で ) 話し合い、盛んに論戦しているのを目にしました。  あとで、イタリア人に 「 お互いどのくらい理解できるのよ 」 と聞いてみたら 「 90%以上分かる 」 と言っていました。  話題の種類とか察しのよさとかも影響するでしょうが、これには驚きました。 昔、津軽に行ったとき、 土地の人の話す言葉が、ほとんど理解できなかった体験があるからです ( 今の若い人ならTVで覚えた共通語で話してくれます )。  それほど、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語は相互に似ているのです。  それぞれが一つの言葉の方言みたいなものかもしれません。

 産地で味わう白ワインの芳醇な香りと味の虜となった私が、一刻も早く飲みたい一心で、もう、 Vino ( ヴィノ ) だかVinho ( ヴィニョ ) だか、 bianco ( ビアンコ ) だかblanco ( ブランコ ) だか区別できなくなり、適当に単語を並べて叫ぶと、 どこの国でもすぐにチャンと分かってリスタを拡げて説明してくれるのです ( 文末 * )。

 リスボンでは、奮発して、英語を話せる運転手つきの中型のベンツを2日間雇い、地方の町を効率的に観光して回りました。  贅沢なようですが、物価の安い国なので、日本円にすれば、そう驚くほどの額でもないのです。  本数の少ないバスや電車を乗り継いでいたら、疲れるばかりで、あの半分も回れなかったことでしょう。  ガイドブックになど出ていない田舎の村の朝市などにも連れて行ってくれました。

 運転手は40過ぎくらいの婦人でしたが、道中、英語で楽しく会話が出来ました。  彼女が 「 日本を最初に訪れた西洋人はポルトガル人だ。 だから、日本語にはポルトガル語が語源の単語がいっぱいあるそうだね 」 と言います。  今まで日本人の客たちからいろいろ聞かされてもいるらしく、 二人で、天麩羅とか、タバコとか、カルタとか、カステラとか、いくつも挙げてゆきました。 すると、彼女が 「 『 有難う 』 も、 ポルトガル語のオブリガードから来たそうだよ 」 と言うので 「 まさか 」 と思いましたが、一応、感心しておきました。  でも、帰国後いろいろ調べてみましたが、これだけはどうもマユツバのようです。 そのほかには、カッパ ( 合羽 )、ブランコ、ピン、キリ(錐)、 じゅばん、ボタン ( 釦 )、こんぺいとう ( 金平糖 ) などが、ポルトガル語起源だと知りました。

 カステラと言えば、彼女がある村で車を停め 「 ここの菓子屋のケーキは日本人がみな美味しいというから食べてみろ 」 というので、 一つ買って試食してみたら、その丸いスポンジケーキこそ、まさに日本のカステラそっくりの味と舌触りでした。 400年以上たっても、 互いに変わらずに保たれているその味に、深い感銘を受けました。

 彼女に限らず、ポルトガル人は、ホテルでもレストランでも、上手な英語をきれいに話します。  お隣の国のスペイン人はずっと下手、イタリア人もあまり上手ではないというのが、私の得た感触です。 なぜなのでしょうか。

 人種問題:

 スペインのマドリッドで、ある日曜日の昼間、ホテルの近くの公園に行ったら、ひと目で中南米出身者とわかる人たちが、 園内のそこここに集まって、自分たちの国の楽器で自分たちの音楽を奏でて、盛り上がっていました。 広い公園の中は、 こういう千人以上もの中南米人たちの熱気で、むせ返るようでした。 よくまあ、こんなにたくさん住んでいるものだと、驚くほどでした。

 ポルトガルの首都リスボンでも、目抜き通りを、黒い肌、褐色の肌の人たちが闊歩していました。  彼らは皆ブラジルから来た人たちだということです。 両国共に、それぞれ言葉は共通なので、移住や出稼ぎに来ても、 言葉の点での生活上の苦労は全くないわけです。

 しかし、これらの人たちにより大都市にスラムが出来、治安が悪くなっているとすれば、500年前に、 これらの国の白人たちが新大陸に乗り込み、 殺戮や略奪を行い、植民地化を行った行為の 「 ツケ 」 が今きている のだと思うのです。  米国が黒人たちに 「 アフリカに帰ってくれ 」 と今さら言えないように ( リベリアの現状はご存知の通りです )、 スペインやポルトガルも中南米諸国から来る人たちを断われないのだと思います。

 治安:

 今回も、服装、所持品、行動などに周到な注意を払って行動したので、ローマのテルミニ駅の窓口でおつりを10ユーロごまかされた以外は、 何の問題も起きませんでした。  しかし、マドリッドでは 「 夜のレストランへの往復は必ずタクシーにしなさい。  絶対に一人歩きや地下鉄はいけません。 早朝と、休日の午後2時から4時くらいの散歩も危険です 」 と現地在住の知人に忠告され、 ほとんどその通りにしました。 ところが、隣の国のリスボンでは、ホテルのフロントの女性に夕食のレストランを紹介してもらうと、 地図を見せながら 「 地下鉄をこう乗換え、ここで降りてこの横丁を入って・・・ 」 と説明し始めるのです。  そこで 「 そのあたりは夜は危険ではないのですか 」 と訊ねると、何を言うのかとばかり、いつも不思議そうな顔をされるのでした。

 事実、地下鉄の駅で自動発券機の使い方が分からずに困っていると、若い二人連れの女性がきれいな英語で丁寧に教えてくれました。  夜の8時ごろ財布は持たずに、ホテルで美味しいよと教えられた居酒屋 ( リスボンにあるのにスペイン風のタパスを出すバール ) に入って、念のため、VISAカードを受けるかと聞いたら、珍しくNOと言います。 あいにく現金を少ししか持っていなかったので、 仕方なく、ウェイトレスが上手な英語で丁寧に教えてくれたとおりに、暗い夜道を3ブロック先にあるATMまで行って現金を下ろしてきました。  このときも、全く不安を感じませんでした。 マドリッドだったら、私は現金化をあきらめて、他の、カードの通じる店に入ったことでしょう。  ローマやマドリッドでは、昼間、安全そうな大通りに面した銀行のATMでしかおろしませんでした。

 スペインの名誉のために申し上げると、マドリッド以外の田舎の町では、夜の外出も薄暗い路地も怖い感じはありませんでした。  とにかく、リスボンは、他の南欧の大都市に比べて、治安がずっと良いらしいというのが、私の印象でした。

 俗化の波:

 ガイドブックに、かつて 「 スペインでもっとも美しい村と言われた 」 と書いてあるサンティジャーナ・デル・マルを訪れました。  スペイン北部の、列車とバスを乗り継いでやっとたどり着ける小さな小さな村です。 しかし、悲しいことに、 ここにも有名観光地特有の俗化の波が猛烈に押し寄せていました。 日本人の団体客は勿論、世界中からの旅行者で、 狭い路地はどこもかしこもごった返していました。 私の顔を見て差し出されたパンフレットは、何と日本語!でした。

 自分だって共犯者の一人なのに 「 ああ、もう嫌だ! 私は何でこんな苦労をしてまでここに来たのだろう・・・ 」 と思いました。  そこでまたバスに乗り、20分ほど奥のコミージャスの村に行きました。 この小さな村の昼下がりの通りには、 村人も観光客も殆ど姿がなく、思い思いに花で飾られた素朴な家々の間をとぼとぼと歩いているだけで、ようやく喜びが湧いてきました。  あのガウディが設計した立派な建物は、今はレストランになっていて、 なぜかひとりの日本のご婦人が経営していました。  そこの、だれも他にいない美しくて静か〜なダイニングルームで、 自分だけで食べた、実に上質な昼食の、何と美味しかったこと!

 旨いレストランを探すには:

 これはもう、今回に限らず、毎度確信することですが 「 日本で発行されているガイドブックに頼るな! 」 ということです。  ガイドブックが 「 いちおし 」 の店に入って満足できた確率は50%よりずっと下です。 それに、今回だって、 新版のガイドブックでお勧めの店が、名前が変わっていたり、閉店になっていたりしたのが、5つほどもありましたし、  番地や地図上の位置にミスがある店も2つありました。

 一番良いのは、ホテルのコンシエルジュやフロント ( どこでも英語は上手 ) に腹蔵なく希望を言って教えてもらうことです。  今回もそうしました。  リスボンの最初の夜、私がよほど金持ちと思われたのか、 絶妙に美味しいが日本並みに高い最高級店を紹介されました。  そこで、翌日 「 大変結構だったがちょっと高過ぎる 」 と言ったら、今度は適度な値段で非常においしい店を紹介してくれました。  旅行中、このようにホテルで紹介された店では、どの町でも、味についてはすべて完全に満足しましたが、それらの店の殆どは、 どのガイドブックにもインターネットの紀行文にも、有名ツアーのプランにも名前が出ていません。 日本人客もいません。  逆に、マドリッドでは、上記のように夜歩いては遠くまで行けないので、ひと晩だけ、あるガイドブックで強くお勧めの、 ホテルにごく近い店に歩いて行きましたが、アメリカの田舎のレストラン並みのまずさに呆れて、途中で食べるのをやめて外に出ました。

 脱線しますが、ツアー旅行で連れてゆかれるレストランでは、よほど上等のツアーでない限り、 旨いものは食べられないでしょう。  どなたに聞いても 「 海外旅行で旨いものを食べたことがない 」 とおっしゃいますが、それは残念ながら事実のようです。  現地での日帰り観光バス旅行に付いている昼食なども同様です。 旅行社と契約しているレストランは、 二度とは来ないパック旅行の団体客には、手抜きしたまず〜い料理しか出しません。 怪しからんことですが・・・。

 私も、3年前、スペインのセビリアで、日系の観光バスに乗った時、付属のミールクーポン ( 3千円 ) で、 他の乗客と一緒に昼食を食べたことがありますが、パンは古くて固くなったもの。 料理も、ひと目で手抜き調理とわかる、 まず〜い代物でした。  懲り懲りして、翌日からはクーポンはやめ、昼食時、他の客から離れて、ひとりで地元客で混んでいるカフェテリアを探して食べることにしたら、 どの町でも、5百円ほどで、ほっぱたが落ちるほど旨い一品料理とビールにありつけました。

 なかなか難しいことかも知れませんが、食事がなるべく付いていないツアーを選び、勇気を出して、自分でレストランを探して入れば、 ラテン系諸国でしたら、ほとんどの場合満足できる味に出会えます。  でも、スイス、ドイツほかの中・東欧諸国 ( チェコはやや例外 ) と北米では、 お国柄で、どこに行っても、うまい食事を望むことは非常に困難です。 こういう国々への旅行では、 景色だけしか期待してはいけないというのが、私の考えです。

 猫の肉を食べさせられないようご注意!:

 スペインやポルトガルがあるのがイベリア半島ですね。 3年前、アンダルシアを旅したとき、バスガイドが、 「 『イベリア』の語源は野ウサギ。 昔、この半島には野ウサギが無数に住んでいたので、そう呼ばれるようになりました 」 と言いました。  ただし、帰国後、大きな語源辞典で調べてみましたが、確証には至りませんでした。  それはともかく、ここに来たからには、今度こそ、是非ウサギの料理を食べたいと考え、上記の女性の運転手に、 どこか美味しいウサギ料理を食べさせるレストランはないかと訊ねました。 ところが、その答えは次の通りです。 ご用心、ご用心!

 「 ポルトガル人は、ウサギをよく食べます。 私も、家では、よくウサギの肉を買って来て料理します。  でも、レストランで出される ウサギの肉は、猫の肉であることが多い ので、 よほど良い店でない限りおやめになった方が良いでしょう。  私も、肉屋で買うときは、信用のある店で、よく手に取って確かめてから買います 」

 信仰と倫理の柱:

 私は無信仰ですけれども、西欧、東欧の街で古い教会を見つけると、すぐに飛び込んで内部を見せていただきます。  後ろの方の椅子に座り、その荘厳さと華麗さの中でひと時をすごすのが好きです。  昼間のこともあれば、夕方のこともあります。 すると、ミサが行われていれば数十人、いない時でも10人くらいの信者たちが、 実に敬虔な祈りを捧げています。 これが、彼らの社会の倫理を、辛うじて支えている柱なのかも知れないと思うのです。

 ひるがえって日本では、神社の前で形だけ拍手を打つことはあっても、倫理を支える柱など、 もう社会のどこにも存在しなくなったように思えてなりません。 中学生の娘が勝手に外泊しようが、売春しようが 「 誰にも迷惑掛けてないじゃん 」 と反論されると、 叱責し、諭すための倫理の柱を持たない 今の日本の親たち・・・。 世界一安全な首都だと、ついこの間まで言われていた東京が、 近い将来、マドリッドよりも危険な都市にならないという保証は、もうどこにもありません。

 ブランド物を買いまくるご婦人たち:

 リスボンの街を歩いていたら、ここにも、小さいがルイヴィトンの店がありました。 好奇心を起こして入ってみると、 3人連れの中年の日本のご婦人たちが夢中で買い物をしています。 私は後ろから、むしろ若い女店員の表情を見ていました。  彼女らは、売り手のくせに、この上なく無表情で、二人とも能面のようでした。 3人のご婦人たちは、やがて、 それぞれ4つづつくらいの大きな袋を渡されると、何と分厚い1万円札の束を差し出しました。   「 ああ、ずいぶん損な買い方をしている。 それにスリや引ったくりにあったらどうするの 」 と、他人事ながら気になります。  でも、その人の勝手とは言え、一体、何であんなに1人が何十万円づつも、抱えきれないほど買い込むのでしょう。  親戚や友人に頼まれたのでしょうか。 それとも中古屋に売って儲けるのでしょうか。

 4年前も、パリの街を散歩中に目についたルイヴィトンの店を覗こうとしたら、入り口で、 銀行で渡されるような順番待ちの札を取るように言われ、呆れて怒って店を飛び出したことがあります。  でも、そこまでしても 「 売って頂こう 」 と群がる日本の女性たちが、百人ほども、その大きな店には、いっぱいに溢れかえっていました。

 一国の盛衰:

 ポルトガル人は、500年前にヴァスコ・ダ・ガマが世界で最初に喜望峰を回ってインドに行く航路を見つけたことを、 なにかにつけて自慢します。 でも、もっともなことだと思います。 あれは実に大きな勇気と智恵と決断と努力の行動でした。  その後、彼らがアフリカや南米やアジアに植民地や拠点を獲得した頃、この国はスペインと並んで世界一の国だったのでしょう。  でも、現在、両国とも、貧乏ではないが質素な、農業中心の 「 中企業 」 です。 自動車1台、自分の力で作ることが出来ません。  その後、彼らから世界一の座を奪い取ったイギリスやオランダも、今は昔の隆盛の面影はありません。  私たちの日本は、百年後、どういう国になっているのでしょうか ? そのことをつくづくと考えさせられた今度の旅でした。

 追加: 通貨の統一:

 昨年東欧諸国を回った時は、国境を越えるたびに通貨の清算と新たな両替が必要でした。  今年はイタリア→スペイン→ポルトガル→イタリアと回ったのに、国境を越えてもすべてEUROのままで済み、 前の国で使い残した金は、次の国でそのまま使えました。  住民にはどうだったのか、知りませんが、少なくとも旅行者にとっては、こんなありがたい変革は大歓迎です。  ( 12月24日追加:今朝の新聞によると、EUROに切り替わったあと2年、「 良かった 」 と考えている国民は、 加盟12カ国平均で半数を割り、ルクセンブルグ84%、アイルランド78%、フィンランド75%などがある一方、 ドイツなどは30%だったとのことです )

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* : 「 お勘定 」 を頼む言葉だって、イタリアでは 「 イル・コント・ペル・ファヴォーレ 」、スペインでは 「 ラ・クェンタ・ポル・ファヴォール 」、 ポルトガルでは 「 ア・コンタ・セ・ファシュ・ファヴォール 」 です。 左手の手のひらの上に右手で字を書くような動作をしながら、 このうちのどれを、多少混同して言ったって、どの国でも通じます。  魚介類の名前などは、字では少々違っていても、声に出すとほとんどそっくりです。

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。