本当に毎日毎日、驚くような、信じられないような、情けない、恐ろしい出来事ばかりがおきています。
私が1988年、米国に移住した時、あの国の社会が、当時の日本のそれとはあまりに違うことに、驚くばかりでした。
「 日本ではこんなひどいことはない 」 と、私はひそかに誇りに思ったものでした。
しかし1996年、日本に戻ってきたら、日本でも同じような状況が次々に出はじめている事に気づき、
驚き、心配になりました。 あれから更に7年、その後も
日本の社会は、米国社会の後を追って、
着実に急速に悪くなってきています。 いや、それどころか米国を追い越し、それ以上に悪くなっている部分も少なくないのです。
「 現在の米国社会を見れば15年後の日本の状態が読める 」 などと呑気なことを言ってはいられません。
たとえば、中高生世代での性行為の拡大と若年化という点でも、米国はだいぶ以前から先進国ですが、
米国の場合は、今でも、主に彼ら同士の間での 「 恋愛ないしは楽しみ 」 としてそれが行われているだけと思われる
( これは犯罪でも何でもない )のに対し、日本では、それに加えてさらに、少女たちが金目当てに積極的に売春行為に出てゆき、
成人男性が金でそれを買うという要素が大きく加わっています。 これは
立派な犯罪です。
もはや、日本の方が状況はずっと悪いのです。
しかも、社会が、政治が、親たちが、学校が、その状況を何とかしようと立ち上がる気配が感じられません。
米国社会の数少ない?長所は、身近な社会に問題がおきると、一般市民がすぐに自発的に大挙立ち上がって、
解決のための運動をはじめることです。 行政もこれにすぐに応じます。 こういう長所だけは、日本の社会は、なぜか真似しないので、
このままでは日本の社会は、他の点でも、米国を追い越して、もっと悪くなってしまうかも知れないと、私は本当に心配しています。
これから見て頂く表の項目の中には、単純に悪くなったとばかりは言えない内容のものもあります。
悪化ではなく
変化と言うべきものかも知れません。 しかし、米国社会の後追いであることには変りありません。
また、米国社会の後追いをしながら、社会と人が変化し、悪くなって行くのは、世界的現象であり、
日本の社会だけではないように思えます ( でも、その悪化の速度は日本が一番大きいように感じています )。
そうであるなら、どうやってその進行を防げるものか、他国の知恵も借りて考えることも出来そうに思います。
また、なぜか 「 日本が今後も米国の後追いをしそうにない点 」 もあるように感じています。 出来れば、
後日それらについても考え、書き加えて見たいと思います。 なお、表は次のような色分けで書いてあります。
1990年頃の米国での状況 |
その当時の日本はどうだったか |
2003年、日本はどうなったか |
{ 社会風俗 }
1.ピアス
小中学生の少女の多くが耳にやっていた。 その頃、有名大学の男子学生が、
鼻にピアスをしているのを見て驚いた記憶がある。 こういうのが流行りだした頃だった。
|
当時日本では、たまに成人女性が耳にする以外は、見たことも聞いたこともなかった。 |
少女はもちろん、男もやりはじめ、鼻どころか、体中に ( これも米人の真似 ) ピアスをする者が出てきた。 |
2.刺青
結構普通の人でも、上腕部などに刺青のある人 ( 主に男性 ) がいるので驚いた。
大都市の片隅では刺青屋の看板が目についた。 |
刺青は 「 その筋 」 の男女たちだけの専売特許だった。 |
どういうわけか、日本ではいまだに米国ほど広まっていない。
せいぜい、一時的な印刷方式を面白がっている程度のようだ。 なぜだろう。
そのうち本物の刺青がが流行するのだろうか。 |
3.小中学生の化粧
当時から米国では普通のことだった。 小学校高学年の女子くらいからは、厚化粧気味で、
気味悪いくらいの女臭さを発散していた。 |
当時は小中学生どころか高校生だって登下校時は化粧、マニキュア、指輪などしていなかったはず。
したら叱られた。 |
中高校生が化粧して登校するのは当たり前。 小学生の娘に化粧させる親まで出てきた。 |
4.道を歩きながらの飲食
日本の家庭にホームステイして帰国した米人女子高校生がロータリークラブの例会で
「 日本人は歩きながら物を食べたりしない 」 と報告したら、一斉に 「 ホー 」 と感心する声があがった。
米国ではごく普通のことだったから。 |
私はこれを聞いて嬉しかった。 米人たちも、歩きながらの飲食は、
あまり良いこととは思っていないのだと知った。
当時は、高校生に限らず、歩きながら飲食する日本人は稀だった。 |
日本には世界に誇れる美風がたくさんある。 何でも欧米人のまねをするのは、もうそろそろ止めたいものだが、
歩きながらの飲食も今やちっとも珍しいことではない。 街なかで地べたに座って食べている阿呆さえいる。
( ジベタリアンだけは日本独特である。 ただ、流行的要素もあったらしく、最近は少ない。
パーティで、米国人は1時間でも立ち続け、歩き回って会話を楽しむが、日本人はすぐに椅子に座って話したがる。
若者も含め、日本人は基礎体力がないように思う ) |
5.女性の喫煙と男子の禁煙
工場の休憩室で喫煙するのは白人女性と黒人(男女)がほとんどだった。
白人男性は肉体労働者以外はほとんどが禁煙を完了していた。 |
逆に日本人社員 ( ほとんどは中年男性 ) は過半数が喫煙していた。
日本では女性の喫煙はまだ少なく、多くは隠れるようにして吸っていた。 |
社会人男性はどんどん禁煙してきている。 かわりに若い女性の公然喫煙者が急増している。
いずれも米国追随型の現象だ。 |
6.離婚の増加
これは全米商工会議所発表の統計だが、当時、全米の白人の子供の半数以上の親が1回以上離婚しているという、
驚くべきデータがあった。 |
日本では厚生労働省の統計によると人口1000人あたり離婚は1.3件に過ぎなかった。 |
増えてきたとは言え、同じく2.0件程度である。 日本が今後米国並みになるかどうかはわからない。 |
7.麻薬の横行
この頃すでにコカインを頂点とし、マリファナを裾野とする米国での麻薬の流行は非常なもので、
極端に言えば、高校生でマリファナをやらないのは日本人駐在者の子弟だけと言ってもよいほど。 小学校に行くと、
児童の描いた麻薬追放のポスターが廊下中、所狭しと貼ってあった。
社会の指導階級と目される立派な紳士淑女の間にも常習者が広まっていた。 |
日本では覚醒剤やシンナーがごく一部で行われていた程度だったと思う。
「 日本人はなぜ麻薬をやらないのか。 体質か? 」 と、不思議がられたこともあった。 |
これこそ、米国並みになられたら大変だ。 松井選手が薬物濫用阻止のCMに出るそうだから、
日本もそろそろ大変なのだろうか。 近い将来、大いに懸念されるところだ。 |
8.料理をしない ( していられない ) 母親たち
外食産業の店が新規開店するたびに、男たちは 「 また女房が台所から離れる 」 と苦笑していた。
米国の女性は100%近く定職を持っているから、近所で外食するか冷凍食品をチンするかがどうしても多くなり、
黒人のメイドを雇える高所得者の家庭以外は、自宅で料理した物をあまり食べていない。
朝食を食べさせてもらわずに学校に来る子供のために始業前に朝食の給食制度があった。 |
当時は働く主婦も専業主婦も、朝夕くらいは台所で家族のためクッキングをした。
この点が米国人とは違っていたと思う。
子供に朝飯を食べさせられない母親とか、弁当のかわりに金を渡す母親とかは、たぶん後ろめたい思いをしていたのではないか。 |
今は朝抜き、昼夜外食なんていう子供も珍しくないのでは? |
9.子供の個食
日本人の親が帰国したあと、子供が学校卒業まで、ある米人宅に、ご好意で預かってもらったことがあった。
その子が毎食冷蔵庫から自分で食べ物を探して自分の部屋で独りで食べていると聞き、可哀想にと驚いた。
所がその裕福な実業家の米人宅では、米人の子供たちも同様の個食だと聞き、一家団欒の食事がこの家庭では欠けていると知った。
そして、この家が例外的ではないと、後に知った ( もちろん、毎晩一家全員揃ってお祈りをしてから食事という、立派な家庭も多い )。 |
日本では当時、父親が遅い帰宅で不在のことはあっても、子供たちと母親とが一緒に食事するのが普通だった。 |
子供たちの外食、個食は珍しくなくなってしまった。 親が子供の管理責任を放棄しだしている。
子供を個室の子供部屋にばかり居させたら、ろくなことはないと、親は一刻も早く気付くべきだ。 |
10.カード利用と借金生活
米国の庶民はほとんど貯金というものを持たず、カードで前借して物を買い、生活していた。
これによる個人破産も多かった。 |
日本では 「 いざ 」 という時に備えて庶民も平素の生活を切り詰めて多少の貯金をしておく事が常識だった。
住宅や自動車以外の借金は後ろめたい行為だった。 |
米国の状況に近づいているだけでなく、闇金融など、米国より悪質な業者が多いだけ、
日本の方が今や悲惨かも知れない。サラ金がTVでCMを流し、借金して海外旅行しようなどとそそのかす。 こんな反良識的なCMは、
あの米国ですら見たことはなかった。 |
{ 教育としつけ }
11.叱らない親と我慢ができない子供
米国では家庭だけでなく職場でも 「 叱る 」 ことを非常に躊躇し遠慮していた。
他人の見ている前で部下を叱るなんて事をしたら 「 野蛮だ 」 と全員から非難された。
大人も子供も 「 叱られることに慣れていないな 」 というのが、米人についての私の強い第一印象だった。 |
日本でも、この頃から、家庭でも職場でも、厳しくしつけ、我慢を教える環境が消えていた。 |
その結果、今はもう 「 たが 」 がすっかり外れてしまい、日本は 「 ぐずぐず 」 である。
甘やかされて育ったた犬と同じで、幼少時に厳しく注意されず、我慢を教えられてないから、自分の言うことがいつも通ると考えていて、
ちょっと注意されただけでも、すぐにキレて暴れたりする。 |
12.集中力の無い子供たち
日本人の妻たちが奉仕的に毎年夏休みに米人の子供たちの余暇有効活用の一環として折り紙教室を開いていた。
そこで気づいた事は、先生の言うことをじっと聞いていられず騒ぎ出し、また、折り始めても数分で飽きてしまい、完成できない子が、
いつも10人に1人くらい必ずいる事だった。 しかし、学校で授業が崩壊するなどという状況はあまり聞かなかった。 |
当時、日本ではまだこの種の子供や教室の崩壊は話題になっていなかった。
米国にはなぜこういう子たちが居るのかと、日本人たちの間で話題になった。 |
その後日本でも全国的にこういう子供が急増し、教室が崩壊しつつある。
今はすでに米国より悪い状況ではないだろうか。 |
13.子供の個食
日本人の親が帰国したあと、子供が学校卒業まで米人宅の好意で預かってもらったことがあった。
その子が毎食冷蔵庫から自分で食べ物を探して自分の部屋で独りで食べていると聞き、可哀想にと驚いた。
所がその裕福な実業家の米人宅では、米人の子供たちも同様の個食だと聞き、一家団欒の食事が欠けていることを知った。 |
当時日本では、父親が遅い帰宅で不在のことはあっても、子供たちと母親とが一緒に食事するのが普通だった。 |
子供たちの外食、個食は珍しくなくなってしまったと聞くがどうだろうか。 |
14.自分の産んだ子を虐待したり殺したりする親 ( Child Abuse )
平和な田舎の町でも、ときどきこういう親がいた。 何故だか、当時は信じられない気持だった。 |
「 日本人は、こんなことは出来ない。 しない 」 と、思っていた。 |
ところが、出来るのだ。 今は居るんです。 こういうのが!
何か、米国と共通な社会的背景が生じてきたのだろう。 |
15.高校生のドロップアウト
当時全米商工会議所の調査によると入学したが卒業できない(しない)高校生は3人に1人いた。 |
日本ではどうかと米人に聞かれ、調べたところ、病気や死亡を除くと1%よりはるかに下だということだった。 |
今は1%よりはずっと多いと思う。 米国のように厳しくどんどん落第させたらもっとずっと増えるはずだ。 |
16.学力低下
全米商工会議所の調査によると、卒業する高校生の1割だか2割だかが、自分の卒業証書すら読めないと書いてあった。
証書は日本で言えば 「 文語文 」 で書いてある。 それにしてもと・・・驚いた。
地元大学の数学科を出た女性を雇って毎日の生産高の集計をやらせたら 「 一度も間違えないことがなかった! 」 ので、翌月クビにした。
工場現場の作業者は高卒以上だが、採用決定前に簡単な足し算の試験が必要だった。 入社後も小数などを再教育した。
現場作業者のうち文盲(*)の者に、州政府が補助金を出し再教育をする制度があった。
(*):自分の名前くらいは書けるが、読み書き能力が極度に劣り、作業指示書が理解できず、自分の考えを文章で表現できない程度の者。
私の住んでいた地区では人口の3分の1いた。 |
日本の初等教育の水準の高さは世界に誇れる優秀なレベルだった。 |
米国並みの学力低下に向かい、着実に落ちつつある。 |
{ 犯罪と治安 }
17.空港の荷物タグ検査
大都会の空港では自分の荷物を受け取った後、タグを係官に照合してもらわないと出られなかった。
治安のよい小都市の空港ではこういう手続きは不要だった。 |
日本では成田空港でさえ、こういう手続きは不要だった。 |
先日は新千歳でも羽田でも照合を求められ 「 ついに日本もここまで来たか 」 と感じた。 |
18.自動車の盗難と車上荒らし
大都会では駐車中の車上荒らしや車ごとの盗難は常識だった。 ハンドルを動かせなくする装置を、
車を離れるときには装着した。 上等なカーステレオなどは取り外し型になっていて、車を離れるときは外して持ち出した。
車のドアや窓をこじ開けると、けたたましく警報が鳴る装置が高級車にはついていた。
もっとも、治安のよい小都市や田舎では、施錠もせずに車を離れても大丈夫だった。 |
善悪は別として「施錠もせずに車を離れても大丈夫」が常識で、何事も起らなかった。 |
駐車中の車上荒らしや車ごとの盗難は頻繁に起り、米国型の防止装置が一般化し始めている。 |
19.ガソリンのセルフ給油と注ぎ逃げ防止
ガソリンは自分で注ぐセルフ給油が主体だった。 代金は事後にカウンターに払いに行くのが普通だったが、
大都市では 「 注ぎ逃げ 」 防止のため、多めに前払いしてから給油し、事後におつりをもらうやり方だった。 |
セルフ給油はまだなかった。 |
セルフが普及し始めたが、まだ 「 注ぎ逃げ 」 は殆どないようだ。でも、これからは危ないと思う。
日本でもすぐに米国大都市方式になるだろう。 |
20.万引きと防止策
万引きが横行していた。 その防止策として、小さな商品を不必要なほど大きい包装に入れ、
店頭に並べていたのを、当時は滑稽に感じた。 |
もちろん、万引は昔からあったが、日本では、まだそういうやり方は珍しかった。 |
包装は米国式になったが、それでも万引で本屋が倒産するほどひどい状態になってしまった。
今は米国より万引は多いような気がする。 |
21.無差別殺人
私が赴任する直前、その地方小都市の小学校に男が乱入し銃を乱射して教師や生徒が死んだ事件がおきた。
地域では、驚いて日本人が工場設置をやめるのではと心配したそうだ。 その後も米国各地で同様の事件が頻発している。 |
こんなことは聞いたこともなかった。 |
日本でも今はもう、ちっとも珍しい出来事ではない。 銃がナイフに変っているだけだ。
でも、日本では銃がまだそれほど広まっていないところを見ると、法規制の力も馬鹿にしたもんじゃないと思う。 |
22.変質者の犯罪
当時から多かった。 |
少なかったと思う。 |
今もう米国並みの状況と思う。 今後どこまで増えるものか、恐ろしい。 |
{ 追加 }
23.飲み物を手放せない習慣
初めて米人と一緒に働くようになったとき、会議中でも実験中でも、
コーラなどのボトルや缶を片手にゴクゴクチュウチュウやるので驚いた。
自分のお気に入りの飲料を作って持参し、机の上に置いて仕事中にチビチビ飲んでいる者もいた。
何はさておき、車の運転席に蓋つきのコーヒーを持ち込まないとドライブを始めない人も多い。
飲料が傍らにないと不安になるらしいと知り、また、行儀の悪いことにも驚いた。 |
会社では会議で出されたお茶を飲む程度だった。 仕事中のどが渇いてもある程度は我慢し、
我慢できなくなったら自分で休憩室のヤカンからお茶を注いで飲むくらいが普通だったと思う。
学生が授業中飲料を飲むなんて聞いたこともなかった。 |
日本に帰ってきて慶応のビジネススクールで講義をしたら、学生が飲料ボトル持参で、
私の話を聞きながらチビチビやっているのにはたまげた。
あの頃は電車の中でも歩きながらでも皆がボトルを持って飲んでいた。 いい年したオバサンまで真似しているのでおかしかった。
最近はあまり見かけないが、あれは一時的なアメリカかぶれの流行だったのだろうか。 |
24.ケチャッパー & マヨラー
ハンバーガーにでもフライドポテトにでも、ケチャップやマヨネーズをベタベタつけて食べる人が多かった。
「 米人はなんて味覚音痴なのか 」 と皆で驚いたものだった。 |
当時、こんなこと、日本人はしてましたかねェ。 してなかったと思う。 |
ところが、日本に帰ってきたら、ケチャップやマヨネーズを何にでもつけないと気が済まない連中が増えていて
「 日本人はデリケートな味覚を持っているはずなのに・・・ アメリカかぶれの」 と不思議だった。
米国に行った人が米国人のやり方を見て、真似ては持ち帰るらしいのだが、何でもすぐ真似したくなるほど、
米国文化はとにかく若者には魅力的らしいのだ。 |
25.書店の衰退:本を読まない人たち
米国に住んで驚いたのは、どの都市でも書店の数が、人口あたりとても少ないということだけでなく、
店に並べてある本の種類が貧しいことだった。
一番の売れ筋は画集、写真集のたぐいで、これらが沢山、一番目につく場所に置いてある。 次は新刊で評判の小説、
自叙伝、告白ものなどの、いわゆるベストセラーである。 しかし種類は少ない。 そして、子供向きの絵本は多い。
CDやビデオ、オーディオのテープまで、大きな顔をして店いっぱいに並んでいる。
要するに肩のこらぬ、文字を読まなくて良いものがほとんどで、その文字離れ文化のひどさに驚いた。
ちょっと堅い地元の歴史の本などは、すべて注文で取り寄せてもらうしかなかった。
でも、おとながマンガを読むようなことはなかった。 また、アダルト物はビニールの袋に封入されて、一番高い棚においてあり、
未成年者は買えないように配慮してあった。 |
当時、日本でもマンガがさらに隆盛となってきていたが、それでも、溢れるほどの硬軟さまざまの新刊書籍が、
店頭を賑わわせていた。 専門書も無数に並んでいた。 |
今でも、日本はまだまだ文字文化、出版文化が盛んであると、この点では、やや安心できる。
マンガしか読まずに育つ子供が増えると将来は問題かもしれないので、現在が親や教師の頑張りどころではないだろうか。
日本の現状の最大の問題点はアダルト向きの本と一般の本の境目が次第にいい加減になってきていることと、
アダルト的内容の週刊誌などを、青少年が書店で容易に買うことができることであろう。 |